2時間樹林帯を歩くと赤岩の
頭に着く。
眺望がいいところで横岳、大同心が良く見える。ここから硫黄の
頂上までは20分程。

硫黄岳の頂上からは火山の爆裂跡が迫力で迫ってくる。
ここからは少し下ると硫黄山荘が見えてくる。

西岳山頂

赤岳頂上

硫黄岳の爆裂跡

美濃戸山荘

夏の八ヶ岳

2010年

八ヶ岳山荘前で体操、出発
ここから1時間程で美濃戸山荘に着く。
美濃戸山荘からは行者小屋方面と
赤岳鉱泉方面とに分かれる。
美濃戸山荘前には大勢の登山者が
休んでいた。
ここから赤岳鉱泉までは2時間のコース
単調な沢沿いの登山道を登るが、何回も
八ヶ岳に来ているがここは初めて通る
登山道です。今までほとんど行者小屋
コースで入っていました。

赤岳天望荘の手前に地蔵尾根がある。この尾根は行者小屋に最短距離で行くことが出来る。時間も短くて済み利用者も
多い。この入り口に写真のような地蔵仏が祭られている。
距離も短い分傾斜も急である。ここで登山者の事故も多い。
死亡事故も発生している場所である。

八ヶ岳連峰の最高峰でいつも沢山の登山者で賑わっている。
人が多い分事故も多いところである。特に雪のある時の事故が多い。空には雲ひとつない天気で360度の展望が楽しめました。これから行く権現岳も良く見える。

今回の最後の山、編笠山。写真は西岳から見た山容です。
編笠山は何回か登っている山ですがまったく記憶に残らない山です。一人で編笠山から富士見高原のほうへ下った記憶はあるのですが、どこから編笠山に登った記憶がない。
西岳から見る編笠山はなだらかな山ですが青年小屋からは
ふもと半分は大きな石の連続してその石を登っていく。
30分程で頂上に着く。簡単に登れる山なので登山者も多い
ここから2時間30分程で観音平に着く。ここまでタクシーを呼んで道の駅の温泉に入り帰路に着く。

西岳山頂からの編笠山

西岳は八ヶ岳のはずれにあり、遠くから眺めても登る意欲を見せない山容だったが、今回八ヶ岳を初めて登る人が多く、これを登れば硫黄岳から南の八ヶ岳を全部登ることが出来るので山行の中に加えてみました。登ってみると樹林帯の中でコケむしていて北八ツの林の中を歩いているようでした。
きのこの種類も多く山頂は色々な花も咲いていました。

,権現岳山頂は狭い、狭いだけでなく座る場所
もない。写真だけ撮って権現小屋の分岐に戻り昼食とする。予定では9時30分に着いていなくてはならない。今の時間は11時30分。今日の予定ではこれから青年小屋まで行き、それから西岳に登り、編笠山に登って青年小屋に泊まる。ということだったが今日は青年小屋泊まりで全員予定変更を賛成ということで少しは時間の余裕ができゆっくり下ることにする。

キレットの下り

このガレ場を慎重に下り、下に下りるにつれ、花が
多くなってきた。
ホタルブクロ、コマクサの群落、イブキジャコウソウ
トウヤクリンドウ等々。でもすぐに忘れてまう。
ここを下るとキレット小屋に着く。昔冬に来たときに
ここでテントを張ったことを思い出した。
ここを過ぎてしばらく行くと長い長いはしごがある。
この長さが半端ではない。ほんとに長いはしごです。
ここだけは25年前でも忘れないで記憶に残っています。

赤岳天望荘

八ヶ岳山荘

赤岳頂上からの権現岳、右奥が編笠山

赤岩ノ頭

横岳の登り

日程8月19日夜から22日

山行部主催の山行で今回は2回目、昨年は北アルプスを縦走。
前夜発のバスで仮眠付きの山行でした。八ヶ岳山荘午前2時到着。バスを降りそのまま仮眠室へ
朝5時起床、6時出発。

権現岳へは冬に一回だけ通ったことがある。
25年ほど前なので記憶があまり無い。
冬は雪が積もっているのでガレ場は快適に
下れる。今回は下りで名前の通り切れていて
浮石が多い。そして長い。くさりが多くそのくさりを利用してゆっくり下る

地蔵仏

赤岳天望荘は、前は赤岳石室と呼ばれていました。古い地図では赤岳石室と載っている。
昔泊まったことがある。かなり狭く周りに石が積んでありその中に小屋が建っていた。
泊まるところはカイコ棚で窓が小さい為暗かった記憶がある。今は明るく、泊まるところは布団ではなく、寝袋でした。談話室、食堂、お風呂付、水洗トイレで食事は選んで食べられました。

横岳の登りは最初は普通の登りであったが段々と鎖場が
出てくる。昔、旅行会社が募集してこの八ヶ岳を縦走中この横岳を通過中滑落事故があり一人の女性が亡くなっている。かなり長い裁判になっていたことがある。夏場を今まで通ることがなかったためこんなに鎖場があるとは思いませんでした。冬は雪の中にかくれていたのかと思うほどでした。
この横岳を右に見ると冬場の岩の登竜門、大同心、小同心が見
える。
この横岳を過ぎると今日の宿泊先である赤岳天望荘が見えてくる。