統計確率的アプローチ    負けるパターンを把握する    運は平等か?
負のビッグウェーブ    マーチンゲール    ビハインドベット    集中力


統計確率的アプローチ

#1 自分に今どのようなことが起こっているのか?

カシノで望むべき最善の状態は大抵の人にとっては「先行逃げ切り」だろうと思う。テーブルに着いたとたん幸先良くポンポンと連勝、プラスの状態で少しは一進一退あったとしてもある時点から連勝モードに入り、ベットアップ、置き張りで勝ち進み、シューの最後には大勝負をゲットして元金が5倍、10倍といったみたいな。

でも、実際に起こることはそれとは逆のケースがほとんどである。テーブルに着いたとたん連敗、マイナスの状態で一進一退あって、ディーラー6に11ダブルで勝負して引いたのは9。ディーラーは5、Tと起こして負けたのを契機に連敗モードに突入。こんなに悪いことばかり続くはずがないと思っているうちにバイインしたチップはあとわずか。逆襲の糸口も見つからないままゲームオーバーといったみたいな。

気分は非常に落ち込むし正常な思考状態ではなくなってしまう。そんなときに、自分に今どのようなことが起っているのか、客観的に見つめてみることは少なくとも私にとってはすごく役に立つ。単に頭を冷やすだけの効果なのかもしれないが。

以下では負け続けるときに私が考えているそんな確率的な話をまとめてみる。なにぶん素人考えである上に、カシノという非日常の世界で頭に浮かんでいることなので、あまり信用しないで読んでいただければ幸いである。

#2 2項分布の平均と分散

ブラックジャック(BJ)やバカラで行われていることは、ルールの違いはあるが、親(バンカー)か子(プレーヤー)のどちらが勝つかという独立した試行をn回繰り返しているという点で、2項分布というという確率関数にしたがっていると考えられる。また、引き分けの場合は賭け金は戻ってくる点で、親の総取りのあるルーレットの赤黒や大小とは異なる性格を持つといえる。そのため、スタンズやタイは確率的なアプローチの上では「なかったこと」と考えることが可能となる。

2項分布X~Bin(n,p)にはn,pの2つのパラメータがある。nは試行回数で当然のことながら正の整数である。pはその事象の起る確率であり、0から1までのどこかに位置する。2項分布の平均E(X)=np、分散V(X)=np(1-p)である。

さて、単純化のためにここで勝てる確率を0.5としよう(上で述べたようにスタンズ、タイはなかったこととして考慮しない)。5回試行した場合、勝ち数の平均は5×0.5=2.5となり、分散は5×0.5×0.5=1.25となる。分散の平方根が標準偏差であり、この場合は約1.12ということになる。

5連敗も5連勝も、平均2.5からは標準偏差の2倍と少し離れているだけで、確率的に考えにくい数字ではない(偏差値でいうと28と72)。標準偏差の2倍の範囲外に起こるケースは5%もあるからである。

しかし、標準偏差の3倍の範囲内には99%以上が入ることから、この範囲の外の事象というのは、確率的には非常に考えにくい数字ということになる。例えば1シュー60回の勝負として(スタンドとタイを除く。←しつこい)、平均は30、従って30勝30敗のプラマイ0が最もありえる状況。分散は15だから標準偏差は約3.9。仮に標準偏差の3倍以内(偏差値でいうと20から80)を想定される範囲ととらえると、19勝41敗のマイナス22から、41勝19敗のプラス22までがこの範囲に入ることになる。

同額ベットを辛抱強く守れる人であれば、ベット額の22倍をバイインすれば、少なくとも1シューは大丈夫であるということがここから推定されるのである。

#3 勝率を現実に即して考える

正規分布表によると、平均±標準偏差の範囲内に分布の68%が、平均±標準偏差×2の範囲内に95%が、平均±標準偏差×3の範囲内に99.7%が含まれる。(2項分布と正規分布はもちろん別の分布だが、試行回数nが大きくなればほぼ同じ形になる。)つまり、標準偏差×3以上の負け(偏差値でいうと20以下)や、勝ち(偏差値でいうと80以上)はそれぞれ1000回に1回程度の確率でしか起こらない。毎日カシノに行く人でも平均して3年に1度しかないということが推定される(反面、その程度のことは起こるかもしれない、と言えなくもない)。

さて、先ほど勝つ確率を0.5と仮置きしたが、これは現実と照らした場合どうなのだろうか。バカラの場合はバンカーに張ろうがプレイヤーに張ろうが自由だから、マカオのようにタイで引けない、というケースを除いて勝つ確率はフィフティ・フィフティである。ただし、バンカー勝ちの場合は5%のコミッションを取られるので、これを計算に入れるとほぼ0.485という数字が出る。

また、BJの場合周知のように先にプレイヤーがバストすると親の勝ちになるため、BSどおりプレイしたとしても若干ディーラーが有利である。他にもハウスルールでいろいろなしばりがあるので、0.485の勝率というのはほぼいい線であろうと思われる。

ここで平均と分散をやはり1シュー60プレイと仮定して算出してみる。

平均=60×0.485=29.1  29.1勝30.9敗、1.8マイナス
分散=60×0.485×0.515=14.987

以上のように、平均は勝率の低下によりマイナス方向にずれるが、分散はほとんど変化しない。p(1-p)が最大になるのはp=0.5の場合で、それ以外ではむしろ小さくなる(分布のバラツキが少なくなる)からであるが、標準偏差となるとさらにその平方根であり、せいぜい小数点以下第2位の違いしかないので、分散については勝率の低下はほとんど関係がない、ということができる。

#4 簡易的な係数算出方法

さて、毎度毎度npやらnp(1-p)を計算するのも面倒だし、勝ち数をプラスマイナスに変換するのも大変なので、ここで簡便な平均と分散の算出のしかたをご紹介しよう。

1回の試行ごとに、勝ちに対して+1を、負けに対して-1をカウントする。n回の試行に対しては、-nからnまでの分布となるが、この場合、平均が0、分散がnとなる(勝率0.5の場合)。[詳しい説明は省きますが、2項分布が横に2倍広がる形となることから、分散は(n×0.5×0.5)×2^2=nとなる。]前段で、勝率が変わっても分散はほとんど変わらないことを説明しましたので、ハウスアドバンテージを想定する場合、平均が-n×(ハウスアドバンテージ)、分散は同様にnとみることが可能である。

1シュー60手なら、分散は60、標準偏差は約7.5(49と64の間なので)。勝率を0.485とすれば1手0.015に60を掛けるとほぼ1。つまり平均は-1、標準偏差×2の範囲は-16から+14の間、標準偏差×3では-23.5から+21.5までの間とすぐに計算できる。

2シュー120手なら、分散は120、標準偏差は大体11。同様に勝率0.485を前提として、平均が-1.5、標準偏差×2の範囲は-22.5から+20.5、標準偏差×3では-33.5から+31.5の間ということになる。

大負けしているとき、自分のおかれている状況を判断する指標として以上の数字を使うことができる。最初のシューで同額ベットにもかかわらず-18などという状況になったとすれば、それは下位2.5%に入るツキのなさであるが、「仮に同じくらいツキがないとしても」次のシューではせいぜい-4ないし-5であり、同じ水準で負け続けて-36になったとすれば、それは下位0.1%未満のきわめて珍しい事象となり、「それだけツキがないのも記録的だ」という客観的な判断が可能となるのである。

[Feb 28,2005]


負けるパターンを把握する

ギャンブルする際に最も気にかけなければならないことは、いかに勝つかではなくて、いかに負けないか、ではないかと思う。ギャンブルで勝つときは、ほとんど何も考えなくても、打つ手打つ手が面白いように当たって大儲けするようにできている。基本的に、どうしたらいいだろうと迷うときは、負けるときか勝てないときかのいずれかである。

このとき、負ける方に一直線で向かうとその先には破滅が待っている、ような気がする。勝てない、の方にできるだけ近づけることが、長くギャンブルを続ける要諦なのではないか。昔から「元金を持って帰れば名人なり」とか「勝てないときは半ジギリ」とかいうのは、きっとそういった境地なのだろうと勝手に判断している。

そのためには、自分がどのようなパターンで負けることが多いのかを把握しておくことが必要だ。別項で述べるように、同額ベットでそんなに大きくマイナスすることはない。どこかで、ベットアップの罠にはまっていることが多いはずである。

また、信じられないマイナスが続いているとすれば、それは自分がどのような状態のときなのかを把握し、次回からはできるだけそうした状態にならないよう配慮することが必要であると考える。

本業で潤沢なギャンブル資金を確保できている人などめったにいないはずである。ギャンブラーの多くは、それを失えば実はかなりきつい、という金を張っているはずだし、それこそがギャンブルの醍醐味といえなくもない。だとすれば、有り金をすべて失うことは極力避けなければならないし、そうならないよう、仮に傍目からはみみっちく見えるとしても、1チップでも原点に近づける努力を怠ってはならないと思う。

[Mar 2,2005]


運は平等か?

カシノやギャンブルに臨む際、おそらく誰しもが「運」について考える。ギャンブルにおける運とは何かを考察し始めたら1日分のコラムで足りるはずはないが、ある側面についてのみ考えることは可能であろう。そういう訳で今日は、「運は誰のもとにも平等に訪れるのか?」について考えてみたい。

「幸運の女神には後ろ髪はない」ということわざがある。説明するまでもなく、チャンスが訪れたらすばやくこれをつかまなければならない。行ってしまってから後悔しても遅いという教訓を示しているのだが、このことわざは、そもそも幸運の女神は誰でもすれ違っているのだ、ということを前提としている。

だが、カシノでは、「いくらどうやっても泥沼から抜け出せない」場面が必ずある。それは、3時間で抜け出せる場合もあるが、一晩中抜け出せない場合もある。2泊3日の遠征のあいだ中、全く幸運の女神が訪れないということさえある。人生程度のスパンで、全く女神に会わない人がいない訳がないという意見すらある。

話は変わるが、今週号の週刊ポストに、細木数子の対談記事が載っている。その中で「あのね、自分の器を知る必要があるの。例えばマラソンがあるでしょう。マラソンが好きな人は、みんな走っていればオリンピックに出られるわけ?そうじゃないでしょう。自分の器に見合ったことをしなきゃダメなのよ。」(要約しました。このとおりには言ってません)というコメントがあった。

細木女史は、昭和の大儒学者であり易学者でもある安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏の薫陶を受けただけのことはあって、時々まともなことを言うのだが、ここでは非常に重要なことを言っている。「人はその機会において平等ではない」ということである。このことは平安時代初めに天台宗の最澄と法相宗の徳一が大論争をやった内容と基本的に同じである。その時は、最澄が勝った。主張したのは「一乗論」、すべての人は仏になれる(=機会の平等)という主張である。以来、わが国では機会の平等が暗黙のうちに前提されてきた。

考えてみれば、人間は平等になど生まれついていないし、機会の平等など絵空事なのだが、それを言ってしまうと教勢の拡大ができないし(お前は仏になる素質がない、などという宗教に大勢は集まらない)、そもそも日本という風土(出る杭は打たれる横並び主義)に合わない。しかし、本当のことをいえば、多分、運は誰の上にも平等に訪れる、なんてことはありえないのである。

だとすれば、どうしても勝ちたい、という考え方も一局だし、初めから勝敗は決まっているのだ、と諦めるのも一局であろうと思う。勝ちたいのはやまやまであるが、みんなが勝てる訳ではない。だとすれば、せめて致命傷を負わないようにするのが、長生きの秘訣である、と言えなくもない。

でんさんのコメント

私は、運は誰のもとにも平等に訪れていると思います。

ただその運を使うタイミングで、運が来ているのに使わなかったり、運が来ていないのに運が必要な場面に遭遇したりで結果として、あの人は運がいい(引きが強い)、運が悪い(引きが弱い)の差になるのではないかと考えてます。

例えば、生まれたばかり(0歳)の時すごく運がいい状況にある人がいたとします。当然この人は0歳のときギャンブルはできないので、自分が引きが強いとは考えない(られない)はずです。また、成人(20歳)になって、ギャンブルができるようになったとき、運が悪くなっていて毎回負けていれば、おれは引き弱だと考えるはずです。

文章書くの苦手なものでわかりづらくてごめんなさい。最近引き弱なもんで、運(引き)について考えることが多いです。昔はもう少し引き強だったんだけどなぁ。

TAIPAさんとはちょっと意見が違いますね。

アンサーコメント(抜粋)

でんさん、コメントありがとうございます。

この問題は、かの最澄が徳一との論争のために他の用事をこなせなかった(そのため、空海に密教関係の資料の貸出を再三頼むことになり、最後には断られた)くらいで、私が短時間で結論を出せるものではありませんでした。

だから、でんさんのご意見は当然「あり」だと思うし、確かに、1日の間でも仕事している間や寝ている間に運が来ているのかもしれません。その意味でもなかなか難しい問題であることは間違いありません。

[Apr 27, 2005]


負のビッグウェーブ

先週、ブラックジャックに関する記事を書いていて、「しのいでいれば、4~5時間に一回はビッグウェーブが来る」と書いていて、ふと思った。今年に入ってから、「正の」ビッグウェーブが来たためしがないのである。

私の負け方には大きく分けて2種類ある。ミニマムベットに近い金額で打たれ越しているつもりが、ずるずると負けが込んでリミットに達してしまうケースがひとつ。どこかでチャンスをとらえて勝負をかけようと思っているのだが、その機会もないまま沈んでいくので、精神衛生上非常によろしくない。ただし、ある程度見極めがつくので(今日はダメそうだという)、マイナス額を少なくする(ハコテンになる前に撤退する)という次善の戦略が可能である。

もうひとつは、「負のビッグウェーブ」が来て、わずか10手程度、時間にして5~10分程度であっという間に有り金がなくなるというケースである。出会い頭の事故のようなもので、避けようがない。こちらはなぜかベットを増やしたときにそうなることが多い。あとから考えると、なんでミニマムで流しておかなかったんだろうと思うことがほとんどであるが、その時はどういう訳か押さえがきかないのである。

先日のマカオではこの2つの負け方できっちりやられた。まず初日の晩だが、ご一緒したTagamanさん、あけみんさんご夫妻、でんさんと私の4人でカーサリアルのバカラ卓を囲んでいた。それまではわずかなへこみであったが、あるシューの半ばからどうにも勝てなくなった。数えただけで13連敗したと思う。ただし、その時はほとんどミニマムベットであったので、負け額自体はそれほど大きいわけではなかった。次の晩もあるので、そのシューまでで失礼した(それでも午前3時だった)。

翌日、サンズ、ギリシャ神話と回った後、泊まっているハイアットのカジノ・タイパで今回遠征最後の勝負をかけて単騎バカラ卓に臨んだ。マカオにいる時間も残り12時間前後。前の晩もそれほど寝ていないので、ここ1~2時間が勝負と思い、自らのミニマム額を大幅に引き上げての戦いとなったのだが、ここで「負のビッグウェーブ」が来た。とにかく、大きく賭ける目は間違いなく外す。8を起こしても9で叩かれる。最後は普通中国人なら黙って賭けるであろうツラに、私が賭けているからと全員逆張り。気が付いてみたらわずか10手ほど、時間にして15分かそこらの間に昨日の負け分の倍以上の金額を失っていた。

「負のビッグウェーブ」は短時間で来るので、じわじわと苦しむことはないのだが、こいつにやられたショックというのはかなり大きい。もうカシノはやめようと思うくらいである。でも「正のビックウェーブ」が来た時の爽快感、万能感も忘れられず、しばらくするとまた次回の挑戦のためにおカネと時間の算段を始めるのでありました。

[May 24, 2005]


マーチンゲール

(注.マーチンゲールとは、負けても倍額をベットし続ければ、いつかは勝って挽回できる、という戦法。実際にはカシノにはマキシマム・ベットがあるので、10連敗=1024倍あたりで間違いなく破綻する)

これも先日のマカオの話であるが、私自身のギャンブルに向かう姿勢の弱さが如実に現れたゲームがあった。

場所はサンズ。ちょうど新しく開いたばかりのバカラテーブルで、当然カードも使い初め、チュ・チャイ(マカオでこれまでの出目を表示する牌)も真っ白である。私の左側にtagamanさん、あけみんさんご夫妻が、右隣に中国人の若い2人組が座ってゲームが始まった。私は見、あけみんさんは例によってプレイヤー、中国お兄さんはバンカーである。もちろん、プレイヤーが出た。次のゲームでもやはりプレイヤーが出た。

中国兄はここで1200$のベットをバンカーへ。はた、と考える。中国兄は確か最初はミニマムの300$、その次は600$で取り戻しに行ったのではなかったか。この回はタイ。全員置き張りで、次回もまたプレイヤー。ツラをみてわらわらと人が集まってくる。みんなプレイヤー張りだが、中国兄は意地なのかバンカーに、今度は2400$のベット。マーチンゲールである。

こうなると、なぜか賭けられないのである。ツラに乗り遅れたということもあるが、縁もゆかりもないこの中国兄に感情移入してしまうのである。当然、この回もプレイヤーが出た。tagamanさんも、あけみんさんも順調にチップを増やしている。「TAIPAさん、何で賭けないの~?」「いや、あの人がね、ずっと倍倍で賭けてるから、賭けにくくて。」さっきからみていると、プレイヤーはナチュラルか悪くても6、バンカーはバカラとか2とか3とか絞るまでいかないひどい状況である。あの中国兄の裏を張れば、ほぼ確実に勝てる、とは思うのだが・・・。

中国兄は4800$にベットアップした。知り合いなのか、100$チップが何枚か重ねられる。他の賭人はすべてP、彼は一途にBである。だがここも、気合を入れるまでもなく2ピン3ピン。プレイヤーの勝ちである。中国兄は席を外した。これで流れが落ち着くだろう。さて、そろそろ参加しようかと思っていたら、彼は戻ってきた。1000$札10枚が卓に投げられる。10000$を当然バンカーへ。

見を続ける私以外全員が敵である。プレイヤーは6スタンド、バンカー1か2で勝負は3枚目に持ち込まれたが、「コン」の大合唱に対し彼が絞ったのはモーピン、やはりプレイヤーの勝ちであった。彼は再び立ち去り、そして2度とそのテーブルに戻ってくることはなかった。

10000$といえば、日本でも家族4人の1ヵ月の食費+公共料金くらいにはなる。中国の物価なら、さらに価値があるだろう。まして、彼は10000$ベットの前にすでに10000$近くを負けているのだ。もちろん中国人でも、懐に余裕のある人はいくらでもいるのだろうが、彼はどうだったのか、などと考えてしまう。ギャンブラーにはあるまじき、心根の弱さといわなくてはならない。

その次のゲーム、全員プレイヤーに対し、私はひとりバンカーに張った。多少の確信はあったが、自分としては太めの1000$ベットにとどめた。それ以上賭けると、中国兄の流れを引き継ぐことになるだろうと思ったからだ。もちろん起こしたのは、ナチュラル9である。

[ちょっと記憶があいまいなので、PB逆かもしれません]

[May 26, 2005]


ビハインドベット

ブラックジャック、牌九、三公百家楽のようにボックスに賭けるカシノゲームにおいては、次にこのボックスにいい手が来そうだ、と思ってもそこにすでに賭けている人がいる場合、基本的にその人に優先権がある。それでもそこに賭けたいという場合、ボックスのこちら側の境目あたりに賭け金を置いて、その人に「乗る」ことができる。これをビハインドベットあるいはバックベットという。"behind"も"back"も、後ろから、という意味である。もちろん、ミニマム、マキシマムベットは同じ基準が適用される。

三公のように意思決定の必要のないゲームにおいては、カードを開く権利だけの違いだからあまり問題にはならないが、BJや牌九では何らかの意思決定が必要となるので、ビハインドベットをされた場合、神経を使うことになる。例えばディーラーが7、自分のカードがピクチャー、5といった場合、BSからするとヒットすべき場面であり、仮にピクチャーでバストしたとしても仕方がないのであるが、ビハインドベットをされていると、自分の手で人のカネを殺したくない、ということがどうしても頭に浮かび、結果的に12以上はすべてステイという選択をしがちである。

私の主戦場であるマカオにおいては、最初から座っている人かビハインドベットした人かにかかわりなく、最高額をベットした人に意思表示の権利がある(カードを開くのは座っている人)。まあ、うるさいのが多い土地柄だから、トラブル回避のためにそうせざるを得なかったのだろう。ただ、「される」側からすると、変なカードが来ていらぬ心配をするよりは、意思決定させた方が気が楽なことも確かである。

マカオ以外の多くのカシノでは、最初から座っている人に権利があるのが普通である。考えてみれば、その人は長い間そのボックスでチャンスを待っていた訳だから、良さそうになったからといって割り込んでくる奴より優先されるというのは理屈の上では当たり前である。ただし、「される」側からすると、あまりに金額の違うビハインドベットは迷惑以外の何者でもない。

以前テニアンの10$ミニマムBJでこんなことがあった。私は例によって15~40$位のチップコントロールで何時間か経過、そろそろいい手になりつつあり2勝1敗のペースでチップを増やしていた。ちょうどその時、背後のバカラ台がシャッフルとなったらしく、何人かの人がBJ台をのぞきにきた。私の手を何手か見ていたそのうちの一人が、なにげにビハインドベットしたのだが、それがブラックチップ2枚なのである。

こちらはグリーン+レッドだから、4、5倍は向こうの方が多い。しかしテニアンだから、ディーラーは私にヒットorステイを聞いてくる。なぜかこういう時に限って、16なのだ。ディーラーのアップカードはハイカードで、サレンダーは使えないテニアンだから、ヒット。案の定ピクチャーが来てバストである。次の手で、彼はさらにブラックチップ3枚。今度は12で、アップカードが3。この組み合わせでは、たいていヒットするのだが、後ろが気になってステイ。するとディーラーは7、ピクチャーと難なく起こして連敗である。

この間、時間にしてわずか1、2分。それで500ドルを失った彼は文句を言うでもなくバカラ台に戻って行った。おそらく、500ドルなど私にとっての50ドルにも満たないくらいの感覚なんだろうと思う。しかし、人のカネを500ドルも殺してしまった私はそれまでの好調がうそのようにチップを減らし、すぐに席を立つこととなったのであった。

ビハインドベットはルール上許されていることなので、ビビるのはこちらが悪いが、ビハインドベットと似て非なるものは、ミニマム以下のチップをひとのチップの上に乗せようとする奴らである。マカオ、特にリスボア系ではこの手がかなりいる。知り合いでもないのにそんなことをさせる義理はないので、みんなダメ出しをする。なんだか、そいつらのしょぼついた運までついてきそうな気がして嫌だからだ。

[Jun 17, 2005]


集中力

集中力はカシノにおいてプラスの要素となりうるのか、このところずっと考えている。

例えば仕事の場合、A、B、C、Dの仕事がある場合、AにとりかかったらA’まで片付けて、次にBにとりかかってB’まで、と続けていくやり方と、A、B、C、Dの仕事を並行してどれともなく進めていくやり方とがある。私の場合ひとつのことに集中してやってしまいたい性分であるので、当然前者である。後者のやり方は私からみると注意力散漫というか、集中して片付けた方が時間も労力も節約できると思うのだが、このやり方が好きだという人も結構いる。

だから、ぼんやりしていると、仕事のペンディングのことを思い出してしまい、明日行ったらこうして、ああして、などと考えて勝手にいらいらすることになる。カシノやポーカーのいいところはゲーム中はそれに集中するのでほかの事を考える余裕がなくなり、結果的にストレス解消になるということである。競馬やオートレースではレースとレースの間が開きすぎて、雑念が入ってしまう点が物足りない。

ところが、ゲームに集中すればいい結果に結びつくのかというと、必ずしもそうではない。囲碁や将棋であれば、集中して指さないと当然負けてしまうし、麻雀も最低限の注意力は必要だろう。だが、カシノにおいてはどうか。ブラックジャックならば意思決定の要素がある分集中力はプラスに働くと思うが、バカラのプレイヤーとバンカーの出目に集中力の有無はあまり関係なさそうだ。

確かに、バカラの推理要素のひとつである罫線の読みや場の読み(誰がツイているかいないか)には集中力が求められるが、罫線のとおりに出目が現れるのならみんな大儲けであろう。かえって、酒でも飲みながらとか眠りながら打った方が好結果に結びつくという説もある。集中してゲームに臨むのは楽しい時間を過ごす効果はあるにせよ、結果に結びつくかどうかはなんともいえないような気がしてきたのである。

何でこんなことを言っているのかというと、私は大酒呑みにもかかわらず、カシノ(ポーカーも)でアルコールはほとんど口にしないのである。最近結果の出ない遠征が続いているので、次回はリラックスした方がいいのではないか、とこんなことをくよくよ考えているのである。次回の遠征は今週末、テニアンである。

[Jun 28, 2005]

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