ギリヤーク尼ヶ崎、最後の大道芸人


ギリヤーク 2015川越公演 [Dec 6, 2015]

12月はギリヤーク師恒例の川越公演である。8月の函館では元気一杯の踊りを披露した師匠であったが、10月の新宿では一転して元気のない姿を見せている。齢85、さすがに体調万全とはいかないのも無理はない。

ファンブログでは、「練習を終えて、やはり体力が落ちてきているので、川越公演は無理だ。中止にする」「踊れない。練習してみたけど、川越公演は無理」と書かれていて心配したのだが、「踊れるかどうか分からないけれど、12月6日に川越に行く。『体』が動かなければ『顔』で踊る。『顔』が動かなければ『目』で踊る」と心細いながらも川越には行きそうな様子であった。

ギリヤーク師のことである。川越まで行って踊らないということはないだろう。たとえ「念仏」一曲だけであっても、やる。家の奥さんも楽しみにしていて、「カレーを食べられるなら行く」と乗り気である。ガソリンを満タンにして、日曜日の公演を待ったのでありました。

12月6日、高気圧が張り出して、この日の天気は穏やか。風もなく、気温も埼玉県にしてはさほど冷え込まず、まずまずの公演日和となった。昨年同様、国道16号を乗り継いで千葉ニューから川越まで。岩槻の前で少し詰まっただけで流れは順調。12時過ぎに川越着。農産物センター横の観光駐車場に車を止めてまずお昼を食べに街中へ。

例によってスリランカカレー「スパイスキッチン」へ。ここで3年連続のお昼である。外から覗いたら席が埋まっていたみたいでびっくりしたが、よく見たら2テーブル空いていた。私はスペシャルセットのキーマカレー、奥さんはレディースセットのバターチキンをお願いする。カレーはスパイシー、ナンはふわふわ、マンゴーラッシーはちょうどよい甘さでおいしかった。

成田山川越別院に着くと、まだ開演40分前というのに、すでに二重ぐらいに人垣ができている。ファンブログのおちゃっぴい堀越氏もいるし、写真集のキノさんもいる。川越の影の世話人(と個人的に呼んでいる)お坊さんもいる。他にも本格的なカメラを持っている人が4、5人いたから、新聞社の人もいたのだろうと思う。

実は、ファンブログに朝日新聞に載ったと書いてあったので、かなり心配して早く来たのである。新宿と違って川越公演は寺の境内なので、前の人に立たれてしまうと後の人はほとんど見えないことになってしまう。ひとまず、2列目にレジャーシートを敷いて夫婦で座ってみる。レジャーシートに少しだけクッションが効いているので、横浜の時よりは柔らかい。

開演10分前に世話人さんからご挨拶があった頃には、すでに人垣は3重4重になっていた。そして、公演スペース真横にあるお稲荷さんのあたりまで、人垣が伸びているのには驚いた。後から奥さんが言うことには、「後ろの人垣のおかげでだんだん暖かくなってきた」というくらいで、すでに目の子で200人は超えていたと思う。

世話人さんからは、「最近は体調が悪くて、踊れる状態でないということですが、あと3年、路上50周年までは何とか続けたいとギリヤークさんは言っています。例え踊れなくても、トークショーでもいいじゃないか。とにかく川越のみなさんに顔を見せてくださいとお願いして、今日の公演にこぎつけました。よろしくお願いします」とご挨拶があった。

続けて「川越のおかあさん」から、水をかぶった後のギリヤーク師のお世話について打ち合わせがある。前回はあまり拭かないうちに服を着せてしまったので、今回はしっかり拭いてから着せないと風邪をひいてしまうという話である。震えが止まらない時のためにレスキューシートも用意してある。でも、「私は歳でよく目が見えないから、若いお姉さん達でやってね」。

2時少し前、ギリヤーク師の登場。いつもはカートを引きずってくるのだけれど、この日は始めから道具類は公演位置の丸印のあたりに置いてある。身軽な分、新宿の時よりもかえって体調はよさそうに見えた。茣蓙を敷いて、「青空舞踊公演」を組み立て、身支度を始める。この日は最初からテープを掛けてBGMを流す。

「いつもより、もたもたしてしまってすみません」と半分ギャグが入る。まだ調子が出ないのか口調は堅い。動きもかなりぎこちなくて、なかなか手順どおり進まない。そしてこの日は最近では珍しく最初からテープを掛けてBGMを流したのだけれど、「禁じられた遊び」「白鳥」と終わって、次に「よされ節」が流れ出した。

すると、2列目の正面あたりにいたはずのオサムさん(ギリヤーク師と一つ違いの大道芸人。新宿常連)がどこからともなく登場し、「よされ節」に乗ってパントマイム芸を始めたのである。

これには少し驚いたものの、もしかすると、ギリヤーク師の調子が良くないため、身支度にも時間がかかることを予想したのが一つ、もう一つには「よされ節」まで進まないケースも考えて世話人さんの誰かと打ち合わせてあったのかもしれない。実際、この数分間はオサムさんにお客さんの目が行った分、ギリヤーク師も準備に余裕ができたようであった。






ギリヤーク師登場。この日、荷物はあらかじめ配置して、身軽に登場。新宿公演の時より体調は良さそうに見えました。






身支度の時から「よされ節」がBGMとなったので、オサムさんが登場。得意のパントマイムで盛り上げてくれました。






化粧はこの日も手を借りなければなりませんでした。「そこは白」「茶色を塗って」と言われてキノさん大忙し。


オサムさんに気を取られているうちに、師匠の支度は襦袢を着るところまで進んでいる。断続的に右手の震えが大きくなるので、袖を通すのに苦労してしまう。「お医者さんに診てもらったんだけど、原因がよく分からないの。脳から来てるのかもしれないって」と冗談なのか本当のことなのかよく分からない。

着替えが終わると次は化粧である。化粧道具を取り出し、おしろいを塗り始めるまでは自力でできたものの、その後、再び右手の震えが大きくなりブルブルと狙いが定まらない。それを見て、最前列に待機していたキノさんが小走りに師匠の近くまで駆け寄った。

キノさんも大道芸人だから、化粧道具の扱いは慣れたものである。師匠に、「白いドーラン」「そこは茶色いの」と指示を受けて大忙しである。何と言っても師匠の写真集を出したくらいだから、出来上がりのイメージは頭に入っていて間違いない。いつもどおりの顔に仕上がった。

そして、うかつにもこの時気づいたのだけれど、師匠の着ている着物は赤、上に羽織っているのは白である。つまり「じょんがら一代」の衣装である。体調が悪いと聞いていたし、よされ節をBGMで流していたから、てっきり念仏を踊って「今日は終わりにします」になるかと思っていたら、予想外の展開であった。

身支度が終わって、「これが重くて、大変なの」と言いながら、両手で茣蓙を巻く。これがまた、手が自由に動かないらしくてつらそうであった。例によって、途中で他にやることを思い出してまたやり直して何回も茣蓙を巻きなおすのだが、その度に「これが重くて」を繰り返す。この日は5、6回そう言うのを聞くことになった。

「今日は体が動かなくて、途中までしか踊れないかもしれないけど、がんばって踊ります」とつぶやくようにトーク。まだいつもの調子は出ないようだ。最近の公演では珍しく、テープの頭出しはすんなり行ったようである。

「じょんがらー、じょんがらー、じょんがらー」

「待ってました」「日本一!」観客の声援を受けてじょんがら一代のスタート。イントロの三味線で、すでに200人以上は集まった観客の前を大股に歩く足取りは、思ったより元気である。もっとも、新宿公演のとき元気がなさすぎたせいでそういう印象が強いけれど、函館公演で元気な姿を見せてくれたのはわずか4ヵ月前のことである。

茣蓙に座り、背負っていた三味線を前に回し、テープで流れるじょんがらの旋律に合わせて皮がぼろぼろに破れた三味線をかき鳴らす。段々と調子が出てきたようで、踊りにもメリハリが出てきた。ファンブログによるとこの後片足で立つ動きができないということだったが、何とかがんばって片足立ちもなんとかこなす。

その後、本堂から90°横に位置しているお稲荷さんのところまでダッシュ、両手を上げてアピールした。観客はもちろん拍手喝采である。観客はいつもの川越公演よりもかなり多く、師匠を囲む人垣はお稲荷さんのところまで伸びている。普通にお参りの人が来ていたら、本堂まで行くのにずっと大回りしなくてはたどり着かない。ギリヤーク師の貸切り状態である。

お稲荷さんから戻ってきて、今度は茣蓙の上で顔の動きで踊る。とうとう、じょんがら一代を踊りきった。続いて、「じょんがら一代もやらないと、踊り忘れちゃうから。この後はみなさんと楽しく『よされ節』を踊ります」。おお、じょんがら一代に続いてよされ節ということは、今日は全プログラムやるのだろうか。

ところが、何か探しながらトランクの中をひっくり返す。「ないなあ・・・」と言いながら探していたのはバラの花であった。「今日はバラはいいや」とあきらめかけたところ、おちゃっぴい堀越氏が現れて、「ここにありましたよ」とトランクの隅からバラを取り出す。そしてテープを回すと再びオサムさんが前に進んで、よされ節となった。






「踊れるところまで」と言いながら、じょんがら一代を触れる。






エア三味線が冴える!だんだん調子が出てきた。






お稲荷さんの鳥居のところまでダッシュ。この日は新宿の時よりかなり体が動くようでした。


さて、公演前にかなり心配したのも杞憂に終わり、いよいよ念仏じょんがらである。襦袢を黒に着替え、お地蔵さんの帽子を着ける。ここでアクシデントが発生した。足袋が入らないのである。始めはあきらめて、「足袋はいいや」とはだしで踊ろうとしたのだが、考え直したのか再び挑戦する。見かねて最前列のおばさんが手助けに駆け寄った。

「親指が入らなくて、全部の指が片方に行っちゃう」と言っていたので、親指と人差し指の間が開かないのかと思ったら、「この間縫った時に、親指も縫っちゃったかな」とも言っていたので、おばさんが足袋の中を確かめると、親指のところはきちんと開いていたそうだ。ということは、やはり足の感覚が鈍っていて、親指を入れることができなかったらしい。

おばさんも一緒になって足袋と奮闘し、ようやく両足ともこはぜを止めることができた。その後例によって前垂れを結んでもらいに行ったのだが、「これより強く結んだら、首が締まってしまいますよ」と言われていつものギャグは不発。誰だって、はずみでそのまま息が詰まってしまうかもしれないと思ったら、強く締めるのは嫌に決まっている。

「ねんぶつー、ねんぶつー、ねんぶつー」

念仏じょんがらを触れる。最後の曲ということもあり、気合いが入っている。草履を投げ捨て、座り込んで数珠を手繰る動きまで持ち込めば、あとは流れで何とかなる。と思っていたら、うちの夫婦が座っていたすぐ横に突進して来たと思ったら、人垣をかき分けて本堂の方向へ走り出したではないか。

これには驚いた。その動きが考えていたよりも素早かったので、敷いていたピクニックシートを何とか片付けて師匠を通す。その後をカメラを持った何人かが追いかけるのもいつも通りである。さすがに階段を駆け上がるまではできなくて、片足ずつ上げてなんとかお賽銭箱の置いてあるところまで上がると、両手を合わせてご本尊を拝む。

ギリヤーク師自身、この日ここまで踊れるとは思わなかったのであろう。再び人垣の中央に戻ってきた時から、感極まって泣き出してしまった。そして最後の「おかーさーん。50周年まであと3年がんばるよー」まで踊ると、おちゃっぴい堀越氏と抱き合う。「最後まで踊れてよかったね」と師を激励するおちゃっぴい氏も泣き声である。

今日たまたま来た人が見れば「あんまり踊れないのに、何でみんなこんな喜んで見ているんだろう」と思ったかもしれない。しかし、師匠は齢八十五、冬の屋外に肌襦袢で水をかぶれるだけでも大したものである。そして、この間の新宿公演を見た人や、日頃ファンブログをチェックしている人からすれば、ここまで踊れたというのは予想以上であり感激してしまうことなのである。

そういえばキノさんの写真集の文章に、「正直言って、ギリヤークさんの公演を見ていると今日はよくないなあと思うことが結構ある。でも、その分、本当にいい時の踊りを見ると感動する。そうしたことも含めてギリヤークさんの芸だと思っている」というようなことが書いてあった。そのとおりだと思う。

おひねりが舞って、例によって頭から水をかぶったギリヤーク師を、事前の打ち合わせどおり川越のお姉さん達がタオルで拭いている。まるで川越蓮馨寺(れんけいじ)おびんづる様か、通天閣のビリケンのようであった。まだまだトークが続きそうな気配ではあったが、すでに3時を過ぎている。何重もの人垣をかき分けて帰途につく。

奥さんによると、「今日のギリヤークがこれまでで一番大道芸人らしかった」ということである。いずれにせよ、無事に今年の踊り納めができてよかったと思う。今年は暖冬ということなのでじっくり体を休めて、来春にはまた元気な姿を見せてほしいものである。

[Dec 21, 2015]






この日はいつものとおり3曲。最後の「念仏じょんがら」のイントロ。






ご老体を励まして本堂の階段を上り下り。やっぱりこれがないと、川越公演という気がしない。






今年も水をかぶって踊り納め。最後まで踊ることができて感極まる師匠。風邪などひかずお元気で新年をお迎えください。



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