ギリヤーク尼ヶ崎、最後の大道芸人


ギリヤーク尼ヶ崎、2015六角橋公演 [May 16, 2015]

横浜六角橋でギリヤークの公演があることは以前から承知してはいたものの、いままで足が向かなかったのは、夜遅くに行われるからであった。

わが家から横浜まで、3時間弱かかる。夜9時からの公演ということになると、終わるのは10時を過ぎることが考えられ、うっかりすると終電に間に合うかどうかも微妙である。何しろイベントそのものが「ドッキリヤミ市場」というくらいで、夜に行われるものなのである。

古くからお付き合いいただいている方には先刻ご存じのことだが、私は夜にきわめて弱い。24時間営業のカシノに行っても日付が変わらないうちに部屋に引き上げ、朝6時には起きてバフェに一番乗りするくらいなのである。普段なら就寝は10時、疲れていると8時過ぎに床につくのは全く珍しくない朝型なのである。

しかし、そんなことを言っていたら永遠に六角橋公演を見に行けない。WEB情報によると、師匠は関西公演で体調をくずしていたらしいから、六角橋公演だっていつまで続けられるか分からない。という訳で、万難を排して5月の第三土曜日、成田空港近くのわが家から横浜まで向かったのであった。

せっかくだから足を伸ばして中華街に行き、中華超級市場であちらの調味料を買う。中華街に足を踏み入れるのは半世紀以上生きてきて初めてのことで、香港の食品街と同じ匂いがしたのはなつかしかった。しばらく向こうに行っていないので調味料が切れていたが、これで酸辣湯を作ることができる。飛行機に乗らずに同じものが買えて、ちょっとうれしかった。

横浜に戻り東横線で(そういえば、東急東横線に乗るのは香港の地下鉄よりずっと少ない)白楽に向かう。駅を下りて通りに出ると、すぐにWEBに載っていたアーケードが見えた。もう暗いのに、結構な人通りである。まだ開演予定の9時には間があるので、六角橋商店街を見て回る。表通りは全国チェーンの外食産業が多くそれほど変わってはいないが、路地に入ると、まあ独特である。

とにかくすれ違い困難なほど狭い路地に、フリーマーケットや商店街の夜間営業に並ぶ人達がいて、すれ違いが困難なほどの混みようである。反対側から歩いてくる人と胸が触れるくらい狭い。なるほど昭和30年代の商店街がこんなだったとしたら、スリが多いはずである。とても上着のポケットには貴重品は入れられない。

表通りの2ヵ所でダンスショー、路地内の広場と空き店舗らしき中でライブをやっている。何ヵ所かで酒とかビール、から揚げ、春巻き類を売っているので、ニンニクの匂いもしてくる。交通整理をしていた大学生(近くの神奈川大学が商店街活性化のため参加しているらしい)にギリヤークの公演場所について聞いたところ、少し先の人が集まっているところだという。

その場所は他にも増してすごい人だかりである。8時半頃だったので道路の反対側で待っていると、ダンスショーを見ている人達で道路まで観客があふれ出していた。ここは自動車も通るところなので、そのたびに「車通ります。危ないから下がって下さい」と交通整理の大学生が叫ぶのだが、人の方が多すぎて、車はぶつかりそうになりながら徐行して行く。

話を聞いていると、私の周りで反対側のシャッターに寄りかかって待っている人達もギリヤーク目当てのようであった。そして、前の演し物であるヒップホップショーが終わったのに、人垣は全く減らずにそのままの状態である。これではこちら側からは見られない。仕方がないので再び路地に入り、テントの反対側から見ることにした。

その後、同じことを考えた人達で路地側も満杯になってしまうのだが、気が付いたのが早かった分、前から2列目を確保することができた。これだけのお客さんが待っているというのは、ギリヤーク師にとって非常にありがたいことであろう。





夜8時過ぎの横浜六角橋商店街。ここは車も通る道なのにかなりの人出で、神奈川大の学生が交通整理にあたっていた。




テントの下が会場。人が車道まではみ出してしまい、とてもこちら側から見るのは無理なので、背後の路地側に向かいました。そこがまた、すれ違い困難な狭いところで。

前のヒップホップショーが押して、会場の準備ができたのは9時を少し回ってからであった。商店街の方がゴザを用意してくれたので靴を脱いで座ったのだが、下が堅いのとスペースが狭いので姿勢を安定させるのにひと苦労である。正座をすればスペース的に問題はないのだが、すぐに足が痺れてしまうのである。

9時15分、道路側から人垣をかき分けてギリヤーク師登場。例によって、川越の世話役の人が来ている。堅く握手を交わし「私の倍くらい手が大きいねえ」とつぶやいて、おもむろに支度に入る。例の筵(むしろ)というかゴザを敷いて準備に入るのだが、師匠も足が痛いらしく、しきりにヒザ当てを気にしている。靴を脱ぐのも大儀そうだ。

実はこの日の場所は、ギリヤーク師の背後2~3mのところなのだが、いままでこんな位置で師匠の演舞を見たことはなかったのである。あるいは、前から見ていると気付かないだけで、いつもこういう痛そうな素振りをしていたのかもしれない。何しろ、私だって足が痛くて仕方ないくらいなのである。

何とか着替えて化粧である。後ろからだと顔が見えないのでどうなっているのかよく分からないが、逆に、化粧道具のコンパクトの裏に入っている鏡が、半分割れていて使えないなんてことが分かってよかった。いつもよりテンポが速いように感じられるのは、スペースが狭くて、ほとんどの荷物を手に届くところに置かざるを得ないからだろうか。

見回してみると、前も後もすごい人だかりである。目の子で数えると百人もいないようなので、新宿公演に比べると少ないのだけれど、とにかく場所が狭いので、それ以上の人数に思われるのである。

私事だがこの頃には足が痛くて痛くて、いろいろ姿勢を変えるのだけれどどうにもたまらなかった。私の前が若い女性なので、ごそごそ動いているのも体裁が悪い。正座、片膝たて、つま先座りなどいろいろ試みていたが、それでもたまらずに2、3度立ち上がって屈伸運動をしたくらいである。

すると、隣にいた人がもしかしたら同じような状況だったのか、単に時間の関係だったのか、じょんがら一代の途中で引き上げてしまったのである。すかさずそのスペースに足先を伸ばして、体育座りのような恰好にしたら、お尻は痛いけれど何とか落ち着いて、それから後は足のことを気にせずにギリヤーク師の演舞に集中することができた。

じょんがら一代の触れの前に、座ったままで師匠が、「今日はちょっと体がつらいけれど、何とか最後まで踊れるようにがんばります」と言った。いつもトークは最初の演舞「じょんがら一代」が終わった後で始めるから、これは珍しいことである。前も後も何重もの人だかりの中、「じょんがらー、じょんがらー、じょんがらー」の声が響く。

そして、最近のじょんがら一代は踊りきれずにアドリブになってしまうことがままあるのだが、この日もそうだった。とはいえ、テープまで止めてしまったのは初めてのことである。ゴザをどけて、ヒザ当ても外してしまう。しばらくすわって休むと、再びテープを回す。後ろからだと何をしているのか分からないが、どうやら手の動きだけで演舞をしているようだ。

後からギリヤーク師は、「さっきは踊りながら息ができなくなっちゃって。こんなことは初めて」と言っていた。路面も堅いし、夜も遅い。私だって足が痛むのだから、師匠はもっと痛いだろう。調子が悪いのに夜の公演はどうなのかなあ、と思う。大道芸一筋の師匠は、そんな同情はされたくないだろうけれど。





午後9時15分、人垣をかき分けてギリヤーク師登場。




この日の場所はギリヤーク師の背後2~3mの位置。私はコンクリタイルにむしろを敷いて座ったので、足が痛くて。師匠も同じ状況なので、足が痛そうでした。






じょんがら一代を触れる。「がんばります」と言っていたのだが・・・。

じょんがら一代がそんな具合で終わった後は「よされ節」である。ギリヤーク師に呼ばれる前に、新宿会場でも参加していたおじいさんが人垣をかきわけて参戦、ご高齢にもかかわらずキレのいいステップをみせる。WEBによると、この方も路上パフォーマーらしい。例によって師匠は女性と子供を踊りに誘うのだが、そのつどすぐに座りこんでしまう。やはり足が痛いのだろうか。

そうこうしている間によされ節のテープも終わって、いよいよ締めの「念仏じょんがら」である。衣装を黒の襦袢に着替えるのだが、トランクの中から数珠を出すのもつらそうだ。そして、やっぱり足が痛むのだろう、足袋がどうしても履けずに、最前列の女性にお願いしていた。(その女性、ギリヤーク師の写真集を出した方らしい)

そして、例によって涎掛けのお願いである。ここではいつも、「もっときつく締めて、もっと・・・それじゃきつ過ぎる!」のお約束のギャグが入るのだが、この日は足袋でタイミングが違ったためか、きつく締められないままギャグは不発。「ありがとうございました」と師匠はセンター位置に戻る。

「いまの十八番は念仏じょんがらですけど、この曲を踊ると、ニューヨークのグラウンド・ゼロで犠牲者の方々の供養のために踊ったことを思い出して、いまでも涙が出てきます」とギリヤーク師のトークば始まる。昨日書いたように私の座った位置は師匠の背後なので、ときどき何を言っているのか聞き取れなくなるのが残念である。

「この間の関西公演で、母さんの写真を出すのを忘れてしまって・・・。今日は、母さんのため、今日来てくださったみなさんの身近で亡くなった方々の供養のため、精魂込めて踊ります。さっきは息ができなくなっちゃったし、最後まで踊れるかどうか分からないけれど、がんばって踊ります!」と宣言、会場からは拍手と掛け声が飛んだ。

念仏じょんがらのイントロでギリヤーク師は杖を引きながら周囲を一巡するのだが、この日はテントの下しか踊れるスペースがないため、3、4歩ですぐに観客にぶつかってしまう。動ける範囲が狭いのがやりにくそうだ。ゴザを敷いて三味線を放り投げ、苦労して履いた草履も足袋も脱ぎ捨てて、数珠を手繰る。念仏を口ずさんでいるはずだが、こちらからは見えない。

この日は数珠を2本用意。それを振り回すのだが、観客までの距離が短いのでやっぱりやりにくそうだ。そんなこんなで、かなり早いタイミングで人垣をかき分けて道路側に出た。待つことしばし、いつものバケツを持って再登場。そして例によって頭から水をかぶる。そして、この日最初に持ち込んだペットボトルのコーラ(普段は水なのだが)もブン撒く。「日本一!」「ギリヤーク!」の掛け声と、投げ銭が宙を舞う。

「次は体を治してまた来ますので、みなさんも来年また見に来てください」と2度繰り返したから、やっぱり自分としてもこの日の踊りに納得行かなかったのだろう。厳しい言い方をすれば、万全の体調で出てくるのがプロなのだが、齢八十五の師匠にそれを言うのは気の毒だ。われわれとしては、体調のいい悪い・踊りの出来不出来を含めて、見守っていくしかない。

花束贈呈、万歳三唱の後、まだまだトークの続く中、脱いだスポーツシューズを手に私も人垣をかき分けて退出、時間を見たら10時半を回っていた。白楽から横浜、横浜からJRで新橋、新橋から都営浅草線経由わが家に向かったのだが、案の定終電になってしまいました。

[May 25, 2015]





この日は涎掛けだけでなく、足袋まではかせてもらっていました。「もっときつく・・・それじゃ苦しい!」のギャグも不発。





念仏じょんがらを必死で踊る師匠。いつもより動きが小さい。





いつもより早く水をかぶったため、最後の念仏が流れるまでかなりの間が開いてしまい、数珠を振り回す師匠。この日の飲み物はいつもの水ではなくコーラ。それもブン撒く。



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