平成最後を記念して、日本橋から千葉ニューまで歩いてみました。
平成記念に東京から歩くことを思い立つ
天皇陛下の退位・即位に伴い、十連休になる。連休は混むだろうが、せっかくの機会なので何か記念になることをしたい。とはいえ、世間一般の人がたまの休みなのに、隠居が遠出をして混雑をひどくさせることはない。行くのであれば人の行かない場所である。と、そこまで考えて思い当たることがあった。
去る大震災の日、たまたま私は泊まり勤務だったのでホテルを確保してあったけれども、近くに住んでいる長男は交通機関途絶にまともにぶつかり、高砂まで歩いてどこかの学校の避難所に泊まったという。災害が起これば都心から家まで歩いて帰らなければならないと言われていたが、そうなってもおかしくないケースだったのである。
次の四国歩き遍路は秋に予定していて、しばらく長い距離を歩いていない。Google Mapで調べると、都心から家までおよそ45km。これまで1日で歩いた最長距離は松山から今治まで歩いた40.4km、それより少し長い。1日歩いたからといってブランクは埋まらないかもしれないが、久しぶりに冒険してみることにした。連休中なので都心の交通量は大丈夫だろう。
出発点をどこにするか。かつて勤めた会社にこだわる必要はないので、お江戸日本橋からスタートすることにした。宿は、日本橋から歩いてすぐの「日本橋室町BAY HOTEL」。カプセル形式なので4,800円。3000円台で泊まれるところも探せばあるけれども、日本橋から歩いてすぐというメリットは大きい。
地図は昭文社「震災時帰宅支援マップ」。この小冊子は勤務先で配られたのを持っていたのだけれど、退職時に処分してしまった。同じものでは芸がないので、千葉方面版を新規に購入した。amazonで送料込389円。地図をコピーする手間を考えれば、安いものだろう。
その十連休を前にして、不安定な天気が続いた。22、23日は暑いくらいの陽気で、24日から梅雨のような蒸し暑い雨。宿は28日に予約したのでやきもきしたが、くよくよしても仕方がない。お遍路と同じで、雨だろうが歩くしかないのである。
ということで2019年4月28日、夕刻に日本橋に着いた。夕飯を人形町のCoCo壱番屋で食べた後、道路元標を見に行く。それほど混雑してはいなかったが、外人さんを含めてひと通りは多い。三越前から事務所街に入った場所にホテルがある。文句のない立地で、こんな場所にカプセルホテルができるとは時代も変わったものである。
夕方にチェックインしたけれども、静かでひとの動きはほとんどない。お風呂はないのでシャワーを浴びてアメニティの作務衣に着替え、ラウンジで帰宅支援マップを見ながら予定を再確認する。ここにも4、5人がいるだけである。
7時半を過ぎたのでベットルームに引き上げる。カプセル内はきっちり直方体で、横幅も広い。昔と違って広々しているし匂いもない。昔のカプセルホテルはサウナ併設が多かったせいか独特の匂いがしたし、シーツやタオル類も薬品臭かったことを思い出す。
オリンピックに向けて外人さんの利用を想定しているのだろう。この日も何人か見かけた。とはいえ、幅と高さはいいとして私程度でも足がぶつかる長さなので、外人さんには窮屈かもしれない。それとも、兵役の経験とかあれば、多少の苦労はものともしないのかもしれない。
8時前には眠りについて、真夜中ごろに目が覚めた。カプセルは半分も埋まっておらず、特に上の段には誰もいないようだ。これで経営が成り立つのだろうかと思いながら、ミネラルウォーターを買いにラウンジに下りてびっくりした。席が全部埋まっている。
カプセルホテルはどこもそうだが、カプセル内は飲食禁止かつ会話禁止である。だからラウンジでくつろぐしかないのだが、それにしても12時回ってこの賑わいは、さすがに大都会である。それから後は、出入りする人の物音であまり眠れなかった。
午前3時になったので起きる。カプセルの外に出ると、なんと上段も含めて9割方は埋まっている。なるほどこうでないと経営が成り立たないと思う一方、利用者の半分近くが真夜中過ぎてからのチェックインというのに驚いた。昔のサウナでも、もう少し早かったように思うが。
カロリーメイトとインスタントコーヒーの朝食をとり、顔を洗って着替えるともう4時近かった。そんな時間なのに、私以外にもラウンジやシャワールームに人がいたからびっくりする。もちろん彼らはこれから寝る訳だが、チェックアウトまであと6時間しかない。
午前4時を少し過ぎて出発、再び日本橋に向かう。この時間だとすでに東の空は明るくなりかけているはずであるが、ビルの谷間なのでまだ真っ暗である。車が行き交うのは都会なので当り前としても、リュックを背負った人を何人か見かけた。こんな朝から活動しているのか、それとも夜通しだったのか、迷うところである。
日本橋にある道路元標。これは前日に撮影した。
日本橋室町ベイホテル。真夜中には半分空いていたのに、午前3時には9割方埋まっていたのにはびっくり。
お江戸日本橋七ツ発(た)ち
日本橋に戻ってきたのは午前4時20分、信号の色が闇の中に鮮やかである。こんな時間から警察官が交差点を警備していた。お疲れ様である。会釈をして通り過ぎる。
「お江戸日本橋七ツ発(た)ち」と童謡にあるが、明け六ツが日の出少し前、七つはそれより2時間ほど早い時刻である。江戸時代は不定時法で、日の出・日の入りを基準として時刻が決まる。七ツはおよそ午前4時で、まさにその時刻に冒険をスタートさせることとなったのである。
さてその前日、深川の芭蕉記念館に行ってみたのだが、その展示の中に「鹿島紀行」に関するものがあった。それによると芭蕉は鹿島神宮参拝の際、1日で布佐まで歩いたそうだ。布佐は千葉ニューよりさらに先である。健脚で有名な芭蕉なので一緒にはできないが、なんとも心強いことであった。
ホテルから銀座通りを歩いてきたので、今度は昭和通りを北上する。あたりは高層ビルが立ち並ぶビジネス街である。こういう場所を歩いていると、不本意なことの多かったサラリーマン生活を思い出す。でも、そのおかげでこうしてのんびりリタイアできたのだから、悪いことばかりではなかったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、住居表示は外神田になっている。いかんいかん、通り過ぎてしまった。最短経路は馬喰町から浅草橋、かつてDUKEに通った道である。右折して東に向かう。少しロスしたが、すぐに浅草橋の見慣れた風景になり、徐々に明るくなってきた。
雲が多く日差しはないものの、風がないので寒くはない。念のためモンベルのレインウェアを防寒用に持って来てあるが、使うこともなさそうだ。屋形船の浮かぶ川を過ぎ、浅草に向かう。
ここは国道6号線なので、お遍路歩きと同様にキロポストを参考にして歩くことができる。都心だから100m置きになっていないけれども、1km毎にいつもの仕様のキロポストが出て来るので安心する。浅草橋で日本橋から2km、これから先もしばらく参考にさせてもらえそうだ。
さて、出発前に決めていなかったのは、朝食をどこでとるかということであった。ホテルでカロリーメイトを食べてきたものの、お遍路の時の経験で歩き始めるとお腹がすいてくることが多い。そして、浅草橋から蔵前、浅草にかけての道路沿いには、この時間から開いている食べ物屋さんが結構ある。
ただ、この時点ではまだお腹はすいていなかったし、さほど歩いた訳でもない。久しぶりの長丁場だから、調子が出るまで歩き続けた方がいいと思ったので、そのまま進むことにした。東武浅草駅を過ぎ、隅田川に沿ってさらに北上する。
言問橋で隅田川を渡る。言問橋の由来はもちろん在原業平の「名にし負わばいざ言問わん都鳥」であるが、いまでは都鳥よりも眼前に迫るスカイツリーが言問橋の代名詞になっている。吾妻橋で渡るとアサヒビールのオブジェが立ちふさがっているが、言問橋ではさえぎるものがない。なかなかすばらしい景観である。
言問橋を渡って交差点を左折、さらに北上する。住居表示はしばらく向島だ。浅草あたりでは目立った24時間営業の店舗もほとんど見られなくなるが、午前6時が近づくとバスが走り出した。お散歩しているお年寄りも多くなって、街も目覚める時間である。
歩き始めて2時間弱、6時10分に四ツ木橋を渡る。ここは荒川で、河川敷の中空に高速環状線が走っている。荒川を下流に進むと平井大橋で、六十数年前私が生まれた場所である。台風が来るとしょっちゅう浸水して避難しなければならなかったことをかすかに覚えている。
住居表示は立石、白鳥、青戸と進む。新宿(にいじゅく)とか本田(ほんでん)とか、土地の人以外は誤読しそうな地名がでてくる。中川を渡ると高砂だ。長男が震災の時避難所に1泊した場所である。3時間近く歩いて、そろそろ一息つきたくなってきた。そろそろ飲食店も開いてくる時間だが、マクドナルドではちょっとボリュームが足りない気がする。
金町警察署の先にファミレスのジョナサンが見えてきた。ここは事前のチェックでも休憩候補地の一つとして考えていた場所である。やっているかなと思ったが、ありがたいことに24時間営業だった。階段を上がって店内に入る。すぐ先に日本橋から13kmのキロポストがあった。
まさに「お江戸日本橋七つ発ち」になった。ビルの谷間なのでまだあたりは真っ暗。
日本橋から1時間ほどで言問橋。昔は都鳥、いまはスカイツリーが堂々たる姿を現わす。
国道6号線をひたすら進む。8㌔ポストあたりで四ツ木橋、高速環状線の下をくぐる。
金町から松戸、千葉県に入る
金町のジョナサンで朝ごはんにする。メニューに「しらすおろしご飯セット」というのがあったのでオーダー、ヨーグルトを付けて539円。フリードリンクだったので、野菜ジュースで栄養補給する。
朝一番でここまで進めたのは上出来である。松山・今治の時は出発から6.6kmのファミマで、鴇田峠越えの時は10.7kmの大瀬で最初の休憩をとったけれど、今回は13km進むことができた。ほとんど疲れていないし、寝不足の影響もないようだ。もっとも、荷物も軽いしほとんど平坦な関東平野だから、お遍路歩きほどハードではないのだが。
7時45分出発。金町を過ぎると、すぐに江戸川を渡って千葉県である。さすが県境だけあって、河川敷が広くゴルフコースがある。そして千葉県に入ると、これまで車道沿いにあった歩道が車道から離れて、寂しげな細い道に入ってしまった。東京都と千葉県は違うということを示しているようだった。
最近できたばかりの高速外環道の下を通ってくねくねと進む。外環の松戸・市川間は私が生きている間には到底できないだろうと思っていたけれど、意外にもすんなり通った。バブル以降、平成の30年間で地価がほとんど上がらず、むしろ下がったことが大きかったものと思われる。
外環を過ぎて再び車道と合流すると、間もなく464号の分岐である。ちょうどトンネルの前、千葉大学の看板のところで右に折れると、とたんに交通量が減った。このあたりの464号は片側一車線で、住宅街を通る普通の道路なのである。
さて、予習段階では、松戸市内をどうやって抜けるかが課題であった。帰宅支援マップの推奨ルートは国道464号なのだが、ニュータウンのようにまっすぐ道路ではなく、市街地を大きく迂回していく。車で通っていても、えらくスライスしていると思うくらいの道なのである。
車で走っていて体感的に早いのは、八柱霊園から松飛台工業団地への直線道路である。もちろん車と歩きは違うかもしれないが、八柱霊園であれば休憩場所に使うこともできる。分岐から八柱霊園に向かうことにして、464号を左折してさらに狭い道に入る。クリーンセンターの高い煙突が目印になる。
これまでずっと市街地を歩いてきて、ここにきて初めて閑静な住宅街になった。車はほとんど入って来ず、まるで遍路道を歩いているように静かである。ずっと車の排気音を聞いていたので、すごくリラックスできた。道は必ずしもまっすぐではないが、「八柱方面」の道案内があるので安心である。
さて、このあたりはもともと大きな街道が通っていなかった場所である。というより、江戸時代は未開発の地で、明治以降になって初めて開発されたのである。初富とか五香、六実、八柱といったナンバリングのある地名は、明治以降の開拓地に付けられたものである。
前日の芭蕉記念館に元禄時代の地図があったのだが、鎌ヶ谷へ行くには、昔は市川から木下街道を通るしかなかった。松戸から先は水戸街道で我孫子に進むしかなく、木下街道と水戸街道に挟まれた地域には手賀沼が広がっていたのであった。
残念なのは明治時代の開発構想に車社会というものがなかったので、戦後の千葉ニュータウンのようにまず幹線道路を通そうという発想はなかった。新京成と東武電車があれば十分と考えていたのだろう。
国道6号から1時間ほど歩いて、9時35分に八柱霊園到着。期待していたようにベンチとトイレがあったので、荷物を下ろして小休止する。まだ時刻が早いせいかお墓参りの人は見なかったが、マラソンやお散歩に来ている人を見かけた。休んでいたらやせた猫が来て、物欲しそうにしている。何もあげられないのですぐに出発することにした。
さて、早いと見込んだ直線道路だが、さすがに早かった。ひたすらまっすぐ進む間に、松飛台から大町と北総線の駅2つ分くらい過ぎてしまう。大町で再び464号に合流、そして最大の難関が鎌ヶ谷に入るところである。そのまま進むと、初富を通って大きく迂回しなければならないし、踏切や信号で足止めされる可能性もある。
そこで、くぬぎ山交差点で再び464号線と別れ、鎌ヶ谷西高の前を通って新鎌ヶ谷へショートカットする道を選んだ。ちょっと狭いのだが、以前はよく抜け道に使った。新鎌ヶ谷周辺の再開発が進んで道が少し変わっていたけれど、意外とすんなり新鎌ヶ谷の駅前に出た。
時刻はまだ午前11時。午後2時までに新鎌ヶ谷に着ければ大丈夫だろうという事前予想よりも大幅に早い。日本橋を七ツ発ちしたのもよかったし、道のよく分からない松戸市内をスムーズに通過できたのも大きかった。あとは勝手知ったる地元の道なので、千葉ニューまで文字通りまっすぐ進むだけである。
しかしもちろん、そんなに楽には問屋は卸さないのであった。
金町ジョナサンで、しらすおろしご飯セットの朝食。朝のうちに13km歩いたのは、上出来。
8時過ぎに早くも江戸川を渡って千葉県に入った。
八柱霊園で小休止。464号を直進するより、八柱霊園沿いの道の方が休めるし、距離も近いような気がする。
千葉ニューに入ってからが長かった
思いがけず、午前11時過ぎという早い時間に新鎌ヶ谷まで着くことができた。駅前のファミレスに入り、しょうが焼ヒレかつランチ1080円をオーダーする。「ご飯はどうしますか?」と聞かれ「大盛りで」と答えたら、大きなお碗にてんこ盛りのご飯が出てきた。食べられるかなあと思ったが、軽く食べれたのは、体力を消耗していたということだろう。
さて、帰宅支援マップによると日本橋から鎌ヶ谷までは28kmである。28kmといえば、お遍路で1日に歩く距離であるが、それほど疲れもせず歩いて来られたから好調ということである。4時25分スタートで、休みを除いて約6時間、時速4kmをかなり上回るスピードというのは、我ながら大したものである。
ただ、予習段階でも、新鎌ヶ谷から先が大変だということは予想していた。買い物とかでよく来るご近所という印象があるけれども、地図で見ただけでも相当の距離がある。日本橋から松戸と少なくとも同じくらいある。
お腹いっぱいになって、11時35分に出発。距離があるとはいえ平坦な直線コースであり、午後3時までには着きそうだと希望的観測をいだきつつ北総線沿いに歩を進める。ところが、予想した以上にきついのである。直線なので次の駅あたりまで景色が見えているのだけれど、それがなかなか近づかない。
考えてみれば、都内や松戸は建物が多く、河川敷でない限り見えている景色は200~300m先である。ところが北総線はニュータウンなので基本的に高い建物が少なく、駅前の商業施設や高層マンションが2km先からでもよく見えるのである。
西白井に着いたのは午後0時20分、北総線のひと駅に45分かかった。45分あれば都営線だと3駅くらいは歩けるけれども、たった1駅である。平坦路を歩いているはずなのに、だんだん足が重くなるのが分かる。意識してヒザを高く上げるけれども長続きしない。
そして、歩いていて手の指がしびれて動かなくなっているのに気がついた。お遍路でもよく起こるケースで、長く歩いていると血が末梢系にとどこおるらしく、手の指がむくむのである。血を流すべく万歳をして歩くが、対向車が走って来るのであまり妙なこともできない。
白井駅まで、さらに30分要して午後0時50分。駅前にあるガスタンクと、さらに小室駅近くにある変電所が見えるのだけれど、歩けども歩けどもなかなか近づかない。これは午後3時など無理だ。そういえば、松山・今治を歩いた時も、つらかったのは30km過ぎてからだったことを思い出した。
さて、北総線沿いはニュータウン計画で幹線道路・鉄道を敷設する予定で、幅100mの敷地を確保してあった。最初は成田新幹線や高速道路を作る予定だったのだが、計画縮小により未使用のまま時間が経ち、現在では太陽光発電装置が設置されていたりする。
ただ、国道464号線自体は計画に近い形で伸びていて、片側2車線道路が新鎌ヶ谷から成田空港に向けて延伸中である。そして、その464号の上り線と下り線が100mの両脇を占めているので、歩道はその外側、つまり100m離れているのである。
そうしたことが気になるのは、小室駅で国道16号線との交差があり、下り線を通ると歩道が大きく迂回していったん16号線まで回り込むことになるからである。したがって上り線を歩くことになるが、車が向かって来るので排気音がかなりうるさい。
小室を通過し16号線を通り過ぎたので、下り線沿いに移動する。思った通り、後から車が来る方がずっと静かである。葬儀社の脇を抜けて坂道を登るとミニストップがある。ここでソフトクリームとコーラでひと息つく。もう時刻は午後2時である。
ここから先もずいぶん長かった。千葉ニュータウン中央までずいぶん歩き、印西牧の原までさらに歩いた。最後の3~4kmは足の裏が痛くて、後で靴を脱ぐと靴下が破れて足の裏にいくつかマメができていた。それほどひどいものではなく、バンドエイドを張っておいたら2~3日で直った。
ゴールであるスポーツジムに着いたのは午後3時35分、日本橋をスタートしてから11時間10分かかった。1日の歩数は71,557歩、GPS計測による移動距離は43.4km、いずれもお遍路の過去最高を更新することができた。
普段しょっちゅう行き来している千葉ニュー・牧の原間なのだが、うっかりすると高速インター1つ分くらいの間隔がある。そして、新鎌ヶ谷から牧の原間5駅は、日本橋・金町間よりも松戸市内通過よりも時間がかかった。千葉ニューはすごく広いということが実感された冒険でありました。
この日の経過
日本橋 4:25
→[2.0km] 4:55 浅草橋 4:55
→[2.6km] 5:30 言問橋 5:30
→[3.3km] 6:10 四ツ木橋 6:10
→[5.6km] 7:15 金町ジョナサン 7:45
→[3.8km] 8:30 松戸464分岐 8:30
→[4.7km] 9:35 八柱霊園 9:45
→[3.7km] 10:35 くぬぎ山交差点 10:35
→[2.3km] 11:10 新鎌ヶ谷(昼食) 11:35
→[8.9km] 13:45 小室ミニストップ 14:00
→[6.5km] 15:35 印西牧の原
[GPS測定距離 43.4km]
千葉ニュータウンに入ると、464号の上り線と下り線は北総鉄道を挟んで100m近く離れている。ここに新幹線が通るはずだった。
千葉ニュータウン中央駅。このあたりまで来るとペースが大幅に落ちて、GPSの測定では時速4kmを下回っている。
やっと印西牧の原に到着。消防署の奥にあるスポーツジムで、クールダウンして汗を流して家に帰る。ほぼ11時間で約43kmの冒険でした。
[May 15, 2019]
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