ギリヤーク尼ヶ崎、最後の大道芸人


ギリヤーク 2013川越公演 [Dec 1, 2013]

10月体育の日の後は、12月第一日曜日の川越公演というのがギリヤーク尼ヶ崎師匠のレギュラースケジュールである。11月はじめは急に冷え込んでびっくりしたけれど、中旬以降は暖かな陽気が続いて何よりである。WEBで検索したら、川越のイベント紹介に「12月1日 ギリヤーク尼ヶ崎公演」とあったので、今年は奥さんと車で出かけてみた。

途中インド料理店でスペシャルセット(カレー2種とナン、ライス。タンドリーチキンと海老、ラッシー)を頼んだらとてもおいしくて、大変に満足して開演40分前に成田山川越別院に到着。例によって「じょんがら一代」ののぼりが立ち、地面にろう石で○印と「青空舞踊公演」と書いてある。その周りには、早くもレジャーシートが何枚か敷かれている。

思わず、「もう集まってるよ」と奥さんを振り向くと、その向こう側、トイレ近くの日陰にギリヤーク師匠本人がいらっしゃる。別にトイレに行きたい訳ではないらしく、顔なじみの人とおしゃべりしている。話好きなものだから、おしゃべりが終わらないらしい。

奥さんが、「控室がないからあそこにいるのかしら。でも、日陰だから寒そう。せっかくみんな集まってるんだから、みんなと日の当たるとこにいたらいいのに。」とおっしゃるが、もっともである。しかし謎なのは、いつも開演までどこにいるんだろうということだ(結局この日は時間まで、トイレ前の日陰で待機していた)

立って待っているのも何なので、すぐ前にある「川越歴史博物館」に入る。ここには、鎌倉・室町時代の刀剣やよろいかぶと、江戸時代の十手や捕物道具、土器などが展示されていて、時間調整には便利なところである。座るところもあるので、ついでにおひねりを用意する。惜しむらくは、JAF割引でも1人400円の入館料がかかってしまうことだ。

10分ちょっと前に戻る。もう4、50人は集まっている。始まる前に年かさの世話人さんが出て、北海道新聞のコピー(前にブログでも紹介したやつ。こちら)を配り、「ギリヤークさんは事故で足腰を痛められ、今年の北海道公演はキャンセルされたということです。今日の公演も直前まで迷っておられて、1曲しか踊れないかもとおっしゃっています。みんなで盛り上げれば、きっと3曲踊ってしまうと思います。よろしくご協力ください」とご挨拶。

次いで、もう少し若い(といっても、私と大して変わらないかもしれない)世話人さんが、「ギリヤークさんは掛け声をかけられるととても喜ぶんですが、なかなかタイミングが分からないという声を多く聞きます。そこで今日は僕が合図をします」ということで、「待ってました」「日本一」「万歳三唱」のタイミングを打ち合わせる。

なんかこういうのは、多少タイミングが違っても自然発生的にやる方が個人的には好きなのだが、川越には川越の流儀があるだろうし、本人も病み上がりなのでたくさん声がかかったらうれしいだろう。

午後2時になった。成田山の定時の鐘が鳴って少しすると、トイレのところから荷物一式をカートに載せて、ギリヤーク師匠が現れた。




成田山川越別院。今年も12月第一日曜日に川越公演が開催されました。



ギリヤーク師登場。昨年より暖かい日でしたが、師匠は毛糸セーター2枚重ねの上にジャンパーの出で立ち。ここはこんなに日当たりがいいのに、時間まで日陰で待機していた。

この日のギリヤーク師、ジャンパーの下に毛糸のセーターを2枚重ねで寒さ対策をしてきてはいるものの、最後は結局裸に近くなってしまうのだから大変である。秋の新宿公演の時よりも体調はよさそうで、あざやむくみも軽くなっている印象を受けた。新宿では手に力が入らないのか何度も帯(紐)を結び直していたが、この日は一発できちんと結べていた。

とはいえ、長いブランクで振りの順番を忘れてしまったらしく、ゴザを巻くのを何度も繰り返していたし、霧を吹くのも忘れていた。それより今回最大の手違いは、「お母様の写真」を出すのを忘れていたことで、「念仏じょんがら」の前に世話人さんに言われるまで気付かなかった。あの写真がないと、念仏じょんがらの最後が締まらないのである。

霧を吹くのを忘れたせいかすべりが悪く、1曲目の「じょんがら一代」はいつもと振りが違っていた。本人も、「こんなじょんがらは初めてだ。最後の念仏で挽回するから」とフォローしていたけれど、ゴザのすべりが悪いせいで動けなかったような気がした。そこを無理に動こうとすれば、足が痛いに決まっている。

2曲目はよされ節。ここでも、お客さんを連れ出したまではいつもどおりだったが、この踊りは基本的に立って踊らなければならない。そのせいなのか、曲の途中でお客さんスペースに座り込んでしまった。アドリブのように見せていたけれど、あれも足が痛んだのではないかと思う。本人いわく、「痛いのには慣れた」ということであったが。

動けない分トークが全開なのは、新宿公演と同様である。「踊りの途中でこんなに話すのは、この前の新宿と今回だけ」と言っていたけれど、途中か最後かの違いだけで、話し出すと止まらないのはいつものことである。

風呂屋に行く途中で人とぶつかりそうになり、顔を打つ訳にはいかないから膝で受け身をしたこと、生まれ故郷函館をはじめとする北海道公演を、断念せざるを得なかったこと、今日もどれだけ踊れるか分からないけど、新宿公演の時に世話人さんが来て、川越でもぜひやってくれと言われたのでがんばって準備してきたことなど。

新宿の時にはなかったのは、気仙沼公演の話である。大震災以降3年続けて行っているのだが、そもそもは昭和の頃、カメラマンの人と気仙沼に行って公演したのが始まりだそうだ。

この時は、小学生がギリヤークの踊りをすぐに真似したりして大層盛り上げていただいて、投げ銭も10円玉だけで3000円集まった。その足でねぶたで人の多い青森に行ったのだけれど、ここではご祝儀もカンパもいただけなかったそうである。そういうことがあって、気仙沼が被害に遭ったと聞いて是非行かなければと思ったとのことである。

一方で新宿の時のトークと違ったのは、手術に関するコメントが全くなかったことである。ということは、手術はしないですますということのようだ。逆に言えば、完治は難しいということになるけれども、83歳という年齢からみてしばらく寝たきりになるより、だましだまし動く方がよさそうである。階段昇り降りは歩きながらでも結構大変なような気もするし。

さて、締めはいつものように「念仏じょんがら」である。例によって身支度の最後に、前だれを付けに女性観客のところに行く。「きつく締めて」「ぎゅーっと」「それじゃ苦しい」という掛け合いもお約束である。数珠を持ち杖を持ち、震える指でテープレコーダーのスイッチを入れると、ひゅーひゅーと風の音が流れてきた。




よされ節の途中で客席に座り込んでしまうギリヤーク。




お約束の、「きつく締めて」「ぎゅーっと」「それじゃ苦しい」

いよいよメインの「念仏じょんがら」である。ここで世話人さんから、「お母様の写真」が出ていないことを耳打ちされてしまった(最初は耳打ちだったが、聞こえないので最後は大声になったが)。実は、私も写真が出ていないのに気付いていたのだが、スピーカーの陰で見えないのかもしれないので口は出さなかったのである。

この世話人さん、考えてみれば、去年、頭のネットが付けっぱなしであることを指摘していた方である。さすがに長く見てきているため、本人よりよく手順を覚えている。写真がウェストポーチの中にあることまで分かっていて、ギリヤーク師は着替えを入れたサンタクロース袋をひっくり返して仕切り直しである。

ところでこの公演、お寺さんの参道、つまり石畳の上でやっているので、三井ビル55広場とは比較にならないくらい場所が狭い。気が付くと100人以上のお客さんが集まっており、最前列は最初に書いた○の内側に食い込んでいる。そこにトランクを置きカセットレコーダーとスピーカーを置き、袋に入っていた着替えもひっくり返してしまったので、動けるスペースが非常に狭くなってしまった。

長年やっているから、こういうことにも慣れているんだろうと思っていたが、やっぱり狭かった。念仏じょんがらの最初で歩く円周も小さければ、七転八倒したり数珠を振り回すスペースも狭い。ギリヤーク師は平気で数珠をぶん回していたが、やはりお客さんが気になるのか動きがぎこちない。振りが続かないのでいつもより早いタイミングで踊りが進み、階段に向かう。

今年は走れないので、多分ここで時間がかかり帳尻が合ってしまうだろうと思ったのだけれど、川越は新宿に比べて動く距離が短い。階段を駆け上がり、鈴を鳴らし、拝んだ後に手水場のところからバケツを持って戻ってきたが、それでも相当に早いタイミングで水をかぶることになった。

すでに3時近く、日は陰っている。寒風吹きすさぶという感じではないにしても、この気候で水をかぶってしまったら後はなかなか続かない。それでも、曲は終わらない。やはりブランクが響いたのかアドリブも続かず、最後は「青空舞踊公演」の札を持って泣き出してしまう(パフォーマンスなのか)。

いつもだったら、あのタイミングで南無阿弥陀仏が続くか、あるいは仰向けに倒れて絶叫というところなのだが、霧を吹き忘れたゴザの滑りがよくなかったのかもしれないし、動いてみたら予想以上にヒザが痛んだのかもしれない。

ただ、この日の念仏じょんがらに迫力があったのは確かで、奥さんによるとこれまで見た中で一番感動したということでした。最後は例の「お母様の写真」を抱えて、「50周年までがんばるよー」と一声。これも忘れていたのか帽子を置くと、次々と千円札が入れられるのでした。

世話人さんから花束をもらって万歳三唱の後は、川越のおばさまたちに着替えを急かされていたギリヤーク師。風邪などひかずにこの冬を乗り切っていただき、2014年も元気な公演をみせてほしいものです。

[Dec 11, 2013]





バケツを手に階段から戻るギリヤーク師。




水をかぶり感極まる師匠。この日の念仏は、本人の言うとおり精一杯の熱演でした。



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