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葡京娯楽場(リスボアカジノ) [Jun 6, 2005]

いまやサンズにその地位を奪われつつあるが、かつてはマカオといえばリスボア、と断言できるほどのマカオの中心地であった。当時の繁栄ぶりからすると、今の状況はやや物足りないが、それでもその重厚な雰囲気は古き良き(悪しき、かも?)マカオの伝統を伝えているといって過言ではない。

フェリーターミナルから20分に1本シャトルバスが出ており、これを使うのが一番便利である。サンズなどに客が流れていることから、満員になることはほとんどない。急ぐ時はタクシーで「ポーキン(なるべく大声で)」と言うと大体通じる。街中を見て回りたければ、「葡京」と書いてある乗合バスがひっきりなしに通るので、それに乗ってもいい。ただし、パタカか香港ドルの小銭が必要だ(つり銭はない)。

リスボアは大きく分けて西側のタワー棟と、東側のホテル・カシノ棟、その2つをつなぐショッピング街からなる。シャトルバスはタワー棟に着くので、ショッピング街を抜けてカシノへと向かう。

カシノは円形のメインフロアがB1、1F、2Fとあり、回廊を挟んで外側にもたくさんの部屋がある。3Fより上はハイローラーご用達である。メインフロアB1はかつてはミニマム200HK$のバカラ卓が6卓置かれていたが、しばらく前に撤去されてスロットエリアになってしまった。

ゲームは、やはりバカラ卓が中心で、次に多いのは大小。あと、BJ、三公百家楽、富貴三公(親ができる三公)、牌九、新顔のQポーカーなど。ルーレットとファンタンは昔あったけど、今はどうだったか。あと、回廊にぐるりとスロットマシン類が並んでいる。

バカラ卓で特筆すべきはタイマーと「ちん、ちん、ちんちきちーん」と鳴らす(叩く)ベル。通常30秒からカウントが始まり、0秒で「ちんちきちーん」ノーモアベットとなるのだが、ベットが少ない時はディーラーの裁量でつらに「ちん、ちきちん」と続けられる。だから、同じタイミングでベットしても、大丈夫な時もあれば、投げ返されることも珍しくない。

今はなき地下禁煙バカラ卓で、こういうことがあった。その時はあまり負けていなかったのだが、なぜか逆張りをしかけてくるお兄さんがいるのである。私は基本的に残り10秒くらいの、かなり早めにベットしていたので、きっと目標にされていたのだと思う。そのお兄さんはかなり大きめに張っていて、私もミニマムという訳ではなかった。

しばらくがまんしていたのだがあまり面白くなかったので、シューの最後くらいのゲームでいたずらをしたのである。いつものように、10秒前にプレイヤーに張った。案の定、お兄さんはバンカーに張った。「ちん、ちきちーん」とディーラーが手を振る一瞬前に、プレイヤーに賭けたチップをぐいと押してバンカーにしてやったのである。

別にルール違反ではない(と思う。マナーは悪いが)ので、ディーラーももちろんクレームはつけない。お兄さんはむっとしていたが、私は逆張りされていたことすら知らないよという態度である。さて、絞るのはお兄さん。私としては、勝てばそれに越したことはないし、負けても逆張りお兄さんを抱きこんでの負けだから、それはそれでいい。

お兄さんは必死で絞って7だかを起こし、プレイヤー届かずでバンカー勝利となった。そして、勝ったチップを受け取ると、さっさと退散した。長居して、何か言われたらたまらないからである。言われたって分からないけど。

南東側のカシノ地上入口から見たリスボアカジノ。


リスボアカジノはもともとリスボアホテルに併設されているカシノのはずなのだが、マカオ常連客でここを定宿にする人はあまりいない。とにかく値段が高い(平日でも700HK$を下回ることはほとんどない)上に、部屋もあまり大したことはない。もちろんメリットは雨に濡れずにリスボアカジノに行けることと、ホテル内の飲食施設が整っていることだが、リスボア側もホテルのグレードを上げようという気はあまりないようだ。

私が何度か行ってみて非常に気になったのは、午後2時チェックインのはずなのだが、2時過ぎに行って部屋に入れた試しがない、ということである。海外旅行者にとって、荷物を持ったままの移動はあまり快適なものではないし、外が暑いといったん部屋に入ってくつろぎたいのは人情だと思うのだが、「部屋をクリーニングしておりますので、午後4時でないとご用意できません」と必ず言われるのである(もちろん荷物は預ってくれる。ちなみに、4時に行って「あと1時間」と言われたことも1度だけだがある)。

それが、「それまでカシノで散財しておいで」ということなのか、前日泊のお客さんがなぜか(笑)揃ってレイト・チェックアウトなのか、あるいはその両方なのかは知らない。とにかく、ここのホテルにはゆっくりくつろげるロビーがないので、カシノかコーヒーショップか、あるいは私はよく知らないが何らかの方法で部屋でくつろぐのか、いずれにせよ余分におカネがかかることは間違いない。

部屋はそこそこ広いし、調度品もなかなかいいものを使っているのだが、廊下の音がとてもよく響くので、カシノで負けて興奮して眠れない時に中国人グループが騒いでいたりすると目も当てられない。

とまあ、難癖ばかりつけてきたが、日本の衛星放送は映るし、なんといってもマカオの象徴だから、一度は泊まってみるものだろう。ここの従業員は英語が通じる(さいきんマカオでは当たり前になりつつあるが)ので、その意味でも安心して泊まれる。向こうもこちらと同じくらいしか英語ができないからよけい安心だ。

ホテルに泊まる人もカシノだけの人も、なくなる前にぜひ一度見ていただきたいのが、ショッピングセンター街を回遊するお嬢さんたちの群れである。とにかく、昼夜問わず、大勢の美女たちが回遊しており、こちらの腕をとらんばかりに接近してくるのである。以前は、「中国語話せないよ」と言うとあきらめてくれたのだが、最近は英語で営業してくるので油断ならない。

当局の指導で年々人数は減ってきているし、「立ち止まってはダメ」ということだそうで、まるで葛西臨海公園のマグロのように同じところをぐるぐる回っている。あまりその気もないのにじろじろ見るのは失礼だと思わないでもないが、場所がレストランや商店街なのでウィンドウ・ショッピングということで勘弁してもらう。当然見るだけならタダだし、ホテルの中だからたぶん池袋や歌舞伎町より安全なのではないかと思う。

[Jun 6, 2005]

金沙娯楽場(サンズカジノ) [Jun 30, 2005]

マカオにおけるサンズカジノの登場は、大げさに言えば世界のカシノ市場におけるコペルニクス的転回(この言い回しも古いか)となる可能性がある。そのくらい大きな影響を与えたできごとであり、現在もその余震は確実に続いている。

サンズカジノはフェリーターミナル(港澳碼頭)から歩いて7~8分、香港から到着する際にその金色の巨大な姿が間近に迫ってくる。無料のシャトルバスも出ているが、雨さえ降っていなければフローティングカジノ、マカオパレス(皇宮娯楽場)の前を歩いていく方が気持ちがいい。

右手にゴールデンドラゴン(金龍娯楽場)をみて、工事中のマカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ(澳門漁人碼頭)を過ぎると、もうサンズの前庭である。エントランス側の壁面もやはり金色で、大画面ディスプレイが配されている。これまでマカオにはネオンサインはあったが、大画面ディスプレイは初めてで、ここがマカオであるということを忘れてしまいそうな風景である。

中に入ると、巨大な吹き抜け空間である。1階は当初は案内と会員サービスだったが、オープン後しばらくして陸側にカシノフロアが増設された。長いエスカレーターを上ると、これまた巨大なカシノフロアである。バカラを中心にブラックジャック、大小、ルーレット、カリビアンスタッド、ファンタン、三公百家楽など300以上のゲームテーブルが置かれている。そのほかにスロット類もあるが、あまり人気はないようだ。

食事はカシノと同フロアに麺粥屋があり、さらにエスカレーターを上がると世界一といわれる広さのバフェ、ステーキハウス、広東料理店などがあるので、その気になれば一日中サンズの中で過ごすことは可能である。ただし、たいがいの人はその気にならないと思われる。混み方が尋常ではないし、大音量のBGMやライブを1日中やっているので、うるさくて仕方がないからである。

マカオにおけるサンズの最大の功績は、カシノを「やらせてやる」ものから「やっていただくもの」に変えたというところにある。サンズ以前のマカオに行った人は誰でも、ディーラーの横柄かつ無愛想な態度、クレームすら許さない強制的なチップの徴収、需要に対して供給が極端に少ないことによる慢性的混雑、といったことに理不尽な思いをしてきた。サンズの登場は、これらを一気に改善し、本来あるべきサービスという観点をマカオのカシノ業界に持ち込んだのである。

金龍前歩道橋からのサンズカシノ。


サンズカジノの2つ目の功績は、新しい形のカシノのスタンダードを示した、ということである。狭義では、ローカルルール満載のマカオに世界標準ルールを持ち込んだという意味であるが、より広い意味で、世界に対してカシノのありうべきイメージを提案した、ということである。

世界のカシノマーケットの主要顧客としては、ヨーロッパの王侯貴族、アメリカの大金持ち達と並んで、というかそれ以上のウェイトを中国系顧客が占めるのはたぶん間違いのないところであろう。欧米の顧客が好んできたルーレット、ポーカー、BJといったゲームに代わり、サンズではバカラが中心となっている。それも圧倒的なシェアである。多分、足して9というのは中国系賭人にとって最もしっくりくるのではないだろうか。

バカラの中でも、従来その中心を占めてきたビックバックと呼ばれる14~16ボックスを2~3人のディーラーでさばくという大バカラ卓ではなく、1人のディーラーが8ボックス程度をさばくミディバカラと呼ばれる卓がそのほとんどを占めている。マカオ以外ではミディバカラの場合、ディーラーオープンかつノンコミッション(バンカーの5%コミッションなし。ただし6で勝った場合のみ配当は1:2。全然ノンコミッションではない)が普通であるのに、絞りあり、コミッションは通常である。

地理的にも中国系顧客を最大のターゲットとするマカオにおいて、バカラ中心の戦略は当然のことともいえる。今後、世界のカシノは、ポーカートーナメントを中心に据えていくものと、サンズをモデルにしたようなバカラ中心のものとが、増えていくのではないかと思う。その意味で、サンズはまさに世界の最先端をいくカシノのビジネスモデルである、といえるのではないか。

もう一点サンズの功績を付け加えると、24時間営業の本当の良さを感じさせてくれるということである。サンズ以前のマカオのカシノも、もちろん24時間営業だったのだが、正直なところリスボア近辺は身の危険こそ感じないものの風紀がよろしいとはいいにくいところがあり、真夜中にカシノをはしごする、といったことはしにくかった。

ところが、サンズからギャラクシー、ゴールデンドラゴン、カーサリアルに至る一角は、真夜中でも人通りが絶えることはなく、カシノ内でなくても24時間営業の食堂も近くにあり、まさに夜中じゅう遊ぶことができ、かつツイてない時には河岸を変えることも容易である。最近、上野(東京都、当たり前か)で徹夜明けに朝食を食べられるところを探したがどこにもなかったのと比べると、ずいぶん便利である。

今後、ウィンマカオ、グランドリスボア、ハイアット別館、ベネチアンなどマカオには大型カシノの計画が目白押しであり、あと5年もすれば、マカオがラスベガスに肩を並べることも夢ではない。繰り返しになるが、その意味でサンズの登場は世界のカシノマーケットにおいて大事件ということができるのである。

実際に、2008年にはマカオのカシノ売上はラスベガスを上回っている。

[Jun 30, 2005]

マカオ2005年8月(中国罫線実践編) [Aug 22,2005]

#1 雷雨の歓迎 今年3回目のマカオである。今回はお盆ジャストフィットの日程だけに、割引料金でもかなりの金額になる。そこで、マイレージのキャンセル待ちをしてようやくエアが取れたのだが、行きの8月12日成田発9:20のANAはがらがら。おそらくは帰りに中国・香港在留邦人の里帰りで満席になるのだろうが、目の子で50人も乗っていない。

なんでこれでビジネスしかマイレージが取れないんだ、とぶつぶつ言いながら、機内サービスのシャンパンを飲む。シャンパンを飲むのが私しかいないので、1本を独り占めである。思えばこのときから、酒にツキのある遠征だったのかもしれない。

マカオに向かうフェリーで、さまよい人さんからの電話。残念なことに、キャロさんのお子様が発熱で、遠征中止を余儀なくされてしまったとのこと。うーん、今回はキャロさんに乗る作戦であったのだが、ここは自力でがんばらなくなてはならない。自力でいくならば、私の勝ちパターンであるしみじみとプラスを積み上げる作戦しかない。そして勝負は最終日。ここまで資金を持たせられるかどうかがポイントになりそうな気がした。

初日の宿は総統酒店(プレジデンテ)。リスボア近くの好立地なのだが、近ごろ中国団体客が非常に目立つ宿である。金曜日のせいか、ハイアット、リスボアなどは軒並み1200ドル(17000円)。総統は500ドル(7000円)だかでかなりの格安なのでとりあえず一泊押さえたのだが、安い理由が着いてから分かった。工事中なのである。

朝の9時から夕方7時まで工事しているので、相当にうるさい。ネットが張ってあるので、窓からの眺めもない(もっとも、ウィンの建築で、ここから海は見えなくなってしまったが)。

半島の南、ペンニャ教会の麓あたり、マカオタワーと南湾をはさんで逆側に、結構おいしいカレー屋がある(有名なマカオ料理店ヘンリーズの隣)。何年かぶりにここに行くことにした。時価の大エビのカレーとライス、サラダとスープ、ビールを頼んで、久しぶりの休暇に心身をリラックスさせる。時折タワーのあたりが光るので、はじめはイルミネーションと思っていたのだが、そのうち空じゅうが明るくなり、風も強くなってきた。雷なのである。

デザートのカスタードプリンが来る頃には、それこそバケツをひっくり返したような土砂降りである。相変わらず雷もすごい。傘を持ってきていないので、ポルトガルワインのハーフボトルを追加し、ちびちびと飲みながら雷雨がおさまるのを待つ。昨日ぎりぎりまで結構いそがしくて、大した量飲んでいないのにかなり効いてきた。涼しくて居心地のよい店内とガラス1枚を隔てて10秒もいられないような店外を見ていると、まるで夢のような気持ちである。

風雨もややおさまりワインもなくなったので、お勘定をすると(チップ込み250ドル=3500円)、女の子がタクシーを呼んでくれる。そしてタクシーまで、傘をさしてついて来てくれる。タクシーに乗り込み、「ガムサ(金沙)!」。すごく気分がいい。何となく、勝てそうな気がした。

#2 中国罫線実戦編 新しいカシノが大分増えてきたためか、サンズもオープン時ほどの限界を超えた混雑というのはなくなった。この日も、ちょうど到着と同時に新しくオープンしたテーブルがあったので、さっそく参加する。今回は新兵器の「中国罫線」を試すつもりである。3000ドルバイインで、ミニマムの300ドルを続けながら、場の雰囲気を探っていく。序盤早々、このような目になった。

※ 中国罫線の付け方については、バカラ罫線に関する一考察参照。ちなみにマカオに行くと、ディスプレイに自動で出てきます。





この時思ったのは、大路では3目以上下りていないし、小路の赤青青は3回続いているということだった。だとすれば、ここは小路の青、つまりBに一人だけ賭けることになったのだが、いまこうしてみると大眼仔の青は直前の赤より必ず少ないし、甲由路の青赤赤だって2回続いている。大眼仔の赤、甲由路の青つまりPだって、十分ありえるパターンだったのだ。結果は確かリャンピンサンピンの望みのない手で、最初の勝負手を外した。

全く単純なプレイヤーヅラに乗り遅れて、しばらく見。そのまま8目ヅラまで続く。13ヅラとかまで続くとくやしいので遅ればせながら参加するが、賭けたとたんにツラが切れる。どうも流れが良くない。だが、チャンスはそのすぐ後にやってきた。

以下、前回最後のPヅラから。





続けてプレイヤーで、再びツラだと全員プレイヤーに賭けたそのとき、ひとりバンカーに賭けた。いわずと知れた、甲由路の青ヅラ狙いである。

確か起こしたのはコンに3ピンの6だったが、プレイヤーが5+8からコンを引いてまず一勝。この後、青ヅラが続いたのはいうまでもない。見を挟みながら6連勝して、バイインが倍以上になった。ただし、この形だと、中国罫線がみんな同じパターンになってしまう。これは、そんなに続かないのではないかという気がした。



ここで、甲由路の青を切りに行ってしまったのである。連勝はしているもののずっと絞れてなくて、そのあたりが影響していたのかもしれない。再び私ひとりがバンカーへ。今回はモーピンセイピンでナチュナル8に秒殺される。あせってベットを青ヅラに戻すが、そこでツラが切れる。次の手も外して3連敗である。

ここに来るまでの勝利の予感が大きくしぼむとともに、昼間のシャンパン、夕食のワインが効いて頭がかなり痛い。まだ1500ドルばかり浮いていたので、あっさりと席を立った。まだ勝負はこれからである。ホテルに帰ってシャワーを浴びると、ベッドに倒れこんであっという間に眠りについた。翌朝までの8時間あまり、マカオに来てこんなにぐっすり眠ったのは初めてという位熟睡して、朝になった。

#3 珠海でまったり ぐっすり眠ったせいで体調は良好。雨もとりあえず心配はなさそう。台風シグナルは依然として1(日本の注意報くらい。8とかになると警報クラス)のままだが、TVであまり台風情報はやっていないところをみると、もうすぐ接近ということではないらしい。

とりあえず朝ごはんを食べにいく。いつものテンタイフォン(鼎泰豊)が一杯だったので、近くのパン屋でパンとジュースを買って、ホテルに帰ってポットでコーヒーを沸かし、12ドル(170円)の朝食である。マカオのパンは、本当にどこで買ってもおいしい。

さて、今日の宿を確保しなければならないが、顔見知りのお姐さんのいるいつもの代理店が開いていない。成り行きで、近くのファラオパレスで時間をつぶすことにした。2000ドルバイインで、ミニマム100の三公百家楽のテーブルにつく。最初1勝5敗と沈むが、そのあと3勝2敗ペースでじりじりと戻す。20戦くらいで五分にして、さらに3つほど勝ち越して勝ち分が700ドル少し、ちょうど今日のホテル代になりそうな金額となった。すでに10時20分過ぎで、代理店も開いている頃合であるし、ここで席を立った。とにかく、勝ち分を積み重ねることが大切だと思ったからだ。

代理店に行くと、さすがにピークの土曜日だけあってすごい金額である。とはいえ、旧市街のホテルはちょっと心配である。そこで、いつも場所だけみて景色がよさそうだと思っていた東望洋酒店(ホテル・ギア)を620ドル(8700円)で確保する。昔は週末でもこれくらいの値段でハイアットやニューセンチュリーくらいは泊まれたものだが、いまのマカオでは仕方のないことである。いずれにせよ、今朝の勝ち分だからおカネが減らないのは何よりである。

2時のチェックインまで時間があるので、タイパ島に足を伸ばす。皇庭海景酒店(ロイヤル・アンファンテ)のバスでタイパ島に入るが、ここのレストランは満杯。そこでタクシーで官也街(タイパ島のグルメストリート)に回って、ピノキオ(木偶)レストランでステーキの昼食。これがまた400gはあろうかというしろもので、青島ビールの大瓶を2本空けながらおいしいお肉を堪能した。また、デザートのマンゴープリンもすばらしかった。チップ込みで280ドル(4000円)。

巴士(バス)でマカオ半島に戻り、リスボアから坂を上がっていくと15分ほどで東望洋酒店である。はじめて泊まるホテルだが、部屋はコンパクトできれい、まるで東横インのようなホテルである。ほどなく、さまよい人さんからの電話が入り、旧市街の半島酒店近くの渡船で珠海に入るとのこと。

約束が3:40なので3時すぎにはホテルを出たのだが、タクシーが全くつかまらない。方向的にリスボアに下りると遠回りになるので、皇都酒店(ロイヤル)からセナド広場に向かったのがさらに良くなかったのかもしれない。結局、そのままアルメイダ・リベイロ通りを西下して、内港まで歩いてしまった。昼のビールがすべて汗になるという大変な状況でさまさんとの再会である。

4時の渡船で珠海入り。さまさんご推薦のとおり、出入国は船の乗客だけなので、かなりスムーズである。対岸の湾仔口岸は洪北(ゴンベイ)関門とは比較にならないほど何もないところで、まるで日本のいなか街のようなところであった。さまさんが呼んでくれたタクシーで中葯谷へ(ちなみに、他にタクシーは止まっていなかった)。

ここにはかつて、やまちゃんさん、tagaman+あけみん夫妻が来ていて、あけみんから強く推奨されていたところである。桶にお湯を入れてきて何回も足を温めてからの足のマッサージを1時間。それから着替えて全身マッサージを1時間半。あまり痛くないにもかかわらず全身がリラックスして、ついうとうとしてしまった。これで200ドル(3000円)というのだから驚きである。

そこからさらにあけみんご推薦の中国料理店へ。ペキンダックとフカヒレスープ。茹でたエビやホタテ、青菜の炒め物などなどさんざん食べて、珠海ビールをさんざん飲んで、二人で600ドル(9000円)ほどだから、やっぱり安い。その日さまさんはゴルフ接待からの直行という厳しいスケジュールにもかかわらず、ご案内いただいた上に現地のいろいろなお話をお伺いできてとてもよかったです。本当にありがとうございました。

リラックスしておなかも一杯になって、いよいよ勝負である。帰りは洪北関門を歩いて抜けて、タクシーでカーサリアルへ。この時は小降りになっていたが、珠海にいる間、昨夜に続いて雷雨となっていたため、人出は比較的少ない。カーサリアルで打つのは2度目。前回、でんさんが風になってしまったカシノである。

#4  苦戦 カーサリアルは若干のBJやファンタンがあるが、大部分のテーブルがバカラである。しばらくいろいろなテーブルを回っていたさまよい人さんが選んだのは、100ミニマムのディーラーオープン台。さまさんによると、今日はこの台でいい罫線が出ているとのことだが、自分で絞れなくていいのかなと思っていたら、謎はすぐ解けた。さまさんは500のチップをディーラーに放ると「トイチーポー(対子・和=バンカー・プレイヤーそれぞれのペアと、タイに賭ける)」と一言。いきなりの大物狙いである。

私はといえばディーラーオーブンではどうにも気合が入らないので、ミニマムをとったりとられたりで、ここはさまさんの応援に回った。しかし、なぜか対子も和もこない。粘り強く対子和を狙い続けたものの結局7000ドルのバイインを溶かしたさまさんは、それでも涼しい顔で「ちょっとおカネを下ろしてきます」と外に出た。一人残されたBJにに席を移すが、あっという間に1000ドルやられてしまう。さらに絞れるバカラに移ったが、これもなかなか目が出ない。さらに、夕方のマッサージとおいしい夕食が効いて、またうとうととしてしまう始末。

しばらくしてさまさんが戻ってくると、「いい罫線が出てますね」と元気づけてくれるが、やはりここでも1000ドルほどのマイナス。何度目かのダブルアップを外して、すでに12時を回っていたため、挽回は明日することにしてここはお先に失礼させていだだいた(さまさんはこの後、朝の6時まで打たれたそうです)。

そして翌朝、鼎泰豊で朝食の後、今度はリスボアの三公百家楽で珍しく三公も出て700ドルのプラス。その足で代理店に向かい、今度は金龍(ゴールデンドラゴン)を580ドルで確保。日曜日泊だけあって、前日の半値くらいになっているところがすごい。ホテルに帰って再びシャワーを浴びていると(リスボア→東望洋は上り坂なので、大汗をかいてしまう)、さまさんからの電話が入り、お昼から合流することになった。

オフ会の時にも行った徳興海鮮火鍋酒家で飲茶の後、リスボアで勝負を再開したが、この時間帯が今回最も厳しい戦いとなった。最初は牌九に行ったのだが、第一手でティーン(12)、デイ(2)の強力牌に付いたのが、なんと10と11。どこをどうやっても、2-3か1-4にしかならない。

ここを負けたのを皮切りに、そろそろというところでそれまで使っていた番号を横取りされたこともあり(向こうの方が賭け金が大きいので仕方がない)、どうにも調子がでない。さまさんは原点を維持していたので、場所を変えてモナリザカジノに向かった(これもリスボアの館内にあるのだが、入り口が違う)。

ここでは500ミニマムのバカラに座ったのだが、しばらくして同じテーブルに来たまだ20代前半にしか見えない兄ちゃんの張りがすさまじいものだった。1手1万ドル以上賭けて何連勝もする上に、対子・和を1000ドル単位で賭けて、これも取るのである。一度など、ディーラー・バンカーそれぞれ対子で3000ドルずつ賭けていたのを的中させ、一手で6万6千ドル、ほぼ百万円をゲットしていた。こうなると、ミニマムで逆張りするのも勇気がいる。絞らせてもらえるかどうかも疑問である。

2度ほど乗ったのだが、そういうときに限って来ない。そもそも、この兄ちゃんは勝っても負けても感情を表さない。そして仲間が、10万ドル単位で本チップを持っていく。システムはよく分からないが、どうもノンネゴチップの現金化をしているように見えた。だとすれば余計、こちらが本チップで勝負してもあまり意味がない。プレッシャーがこちらにだけかかるからだ。

すでに3000ドルのバイインは半分以下になっているが、ここは一矢報いたいと思った。勝負するなら、兄ちゃんの逆張りでオールイン、しかも張るのはプレイヤーである(バンカーは100単位なのでオールインにならない)。しばらく待つと、兄ちゃんはツラのバンカー張り。ここしかない、と残り千三百何十ドルかをプレイヤーにオールインした。

このテーブルで初めての絞り。そして、ここで外すと今回の遠征で初めてマイナス圏に突入する。何よりも、何とかこの兄ちゃんを負かしたい。1枚目はコン、2枚目には足があり、横絞りするとダイヤのサンピンである。さまさんが「テンガー」と応援してくれる。縦を絞ると点が見えるが、ダイヤの場合7か8かが分からない。逆からも絞ると、やはり点がある。ナチュラル8である。実は、サンピンを見たときに、すでに勝ったと思っていた。自画自賛と言われるかもしれないが、私の場合勝負どころのナチュラル率が非常に高いのである。

勝っても負けてもこの場はここまでと決めていたので、ここでさまさんといったん別れて金龍のチェックインに向かう。あとは今日の夜の勝負である。最初にプランを立てたとおりに、何とかここまでプラスを確保している。懐にはまだ10000ドル以上あるので、自分的には十分な資金量である。とても、気持ちが楽になった。

#5 なんちゃって酔拳? 金龍酒店(ゴールデンドラゴン)は金龍カシノの上のあるホテルで、部屋は16階の海側。工事中の澳門漁人碼頭(マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ)や皇宮娯楽場(フローティングカシノ)を真上から望む、すばらしい眺望であった。部屋も広くて新しく、セーフティボックスもある。週末は1000ドル近くかかってしまうが平日はまだ安いので、ぜひお奨めしたいホテルである(ただし、サービスの朝食バフェは品数が少なくちょっとがっかり)。

再びリスボアに戻ってさまよい人さんと合流すると、今回初めてご一緒するヌルハチさんと待ち合わせしている文華東方酒店(マンダリン)へ。お若くてやり手のビジネスマンというルックスで、礼儀正しくとても感じのいい方です。1、2年前まで香港駐在だったということで、マカオはすでにプロ級。3人でさっそくセナド広場の良辰(ラ・ボナール)へ。

ここは、掲示板でbmt216さんが推薦していた日本人シェフのいるフランス料理店で、セナド広場からマクドナルドの前あたりの路地を右に折れて20メートル余り先の右側にある。シェフはとても感じのいい方で(誰かに似ているのだけれど、思い出せない)、ワインや料理の説明を丁寧にしてくれる。料理もおいしく、また、さまさん、ヌルハチさんとの会話もとても楽しく、思わずポルトガルワインの白を2本も空けてしまっている。これでは、キャロさんの酔拳ではないか!

これまでのカシノの経験では、ビールやワインを少々というのはあるけれども、ワインを2本も空けてテーブルに座るのは初めてである。これは、絶対に勝ち逃げしかない。長丁場やビッグベットは必ず負ける。そう思って最後の夜の勝負に向かった。場所はとりあえずサンズへ。ヌルハチさんを挟んで、右に私、左にさまさんが座る。例によって、ニューテーブルである。5000ドルバイインでスタート。





とらえどころのない罫線である。Bの5目ツラが出て、Pが弱いかとみるとBの3目にツラ返しである。ただし、中国罫線をみるとどの罫線をみても長いツラ目がない。つまり「パターンのないパターン」である。ここはどちらかというとPに人気は集まったが、Bに賭けた。大眼仔、小路、甲由路いずれをみても、青が来るとパターンであるのがお分かりいただけると思う。結果はBが5で勝った。





この夜は、ワインが効いていてじっくり考えていなかったのが結果として良かったとしかいいようがない。ただ一つ考えていたのは「中国罫線は伸びない」ということで、このあたりかなり連続して取ったと思う。ミニマムの300から500あたりの勝ちを積み重ねて、この時点で3000ドル近いプラス。この局面でもかなりPに人気は集まっていたが、ここで勝ち分をBに1000ドルベット。根拠はほとんどない。あえていえば、小路の赤が伸びないような気がしただけである。

結果は、バンカーのナチュラル9。たぶん自分で絞ったような気がするのだが、もうこの時点ではあまりよく覚えていない。覚えているのは、すごくトイレに行きたくて、バイインを倍にしたら行こうと思っていたことだけである。この後、Bの4目ツラで首尾よく目標を達成し、P・Bと続いたところで「いったん引きますから」と席を立った。

この後、さまさんとヌルハチさんは別のテーブルに移られたようで、トイレとキャッシャーに寄って帰ってきたらそのテーブルには誰もいなくて、しばらくしてさまさんを見つけてあと1時間くらいご一緒したのですが、あとはミニマムをちょこちょこ賭けて終わりました。

結果、今回の遠征では7千ドルちょっとの浮き。ホテル代と食事その他の費用が出て、おまけに帰りの香港国際空港で奥さんにコーチのお財布をおみやげに買えたのだから、自分としてはまずまず満足できるところである。自力で勝とうとすればこの方法しかないし、この程度の勝ちでも上出来である。まだまだこの夏の遠征は続く。これを足がかりに、なんとかがんばりたいものである。

[Aug 22,2005]

マカオ2005年12月 [Dec 15,2005]

(2005年も4回マカオに行くことができました)

#1 マカオのホテルは高騰中 12月3日午後3時、例によって香港・信徳中心の旅行代理店。土曜日泊でホテルはすごいことになっている。財神、帝濠といったビジネスホテル級で1200HK$以上、葡京、凱悦といったクラスだと1500HK$以上といったとんでもない値段が並んでいる。

つい2、3年前と比べると倍以上で、いくら何でもこれでは泊まれない。そろそろ、ゲストハウスかサウナ泊を本気で検討しなくてはならない時期に来ているのかもしれない。幸い、前回同様東望洋酒店(ホテルギア)が580HK$なのでここにする。タクシーでないと厳しい場所だが、2、30回タクシーに乗ってもこちらが得だし、部屋だってそこそこきれいだ。

リスボア、ファラオパレス、ゴールデンドラゴンと回って、カーサリアルで腰を据える。一段落してひと回りすると、真ん中あたりのテーブルにおなじみの顔がみえる。さまよい人さんである。来ることは伝えてあったが、待ち合わせもしないでよく会えるものである。

隣に座って、さまさんのベットに乗る。実のところ、今年下半期はほとんど負け知らずである。ここは、いつもお世話になっているさまさんに勝ってもらいたい。しかし、2度、3度続けて外れる。試しに私が張らないと来る。「どうも、今日は私が良くないみたいですね」自分で足を引っ張っているのでは仕方がない。

翌日に仕事があるというさまさんが関門の最終時間、午前0時に間に合うように引き上げられた後、一人で延々と三公バカラ卓で過ごす。どうも、流れに乗れない。スタートで4、5ベット外し、その後一進一退し、連勝かと思われるところでベットアップしてもまず来ない。じりじりとチップを減らす展開で、その日の負けが3000HK$に届いたあたりで打ち止めとした。

ホテルに戻る。部屋は402号室。ベットに横になると、ちょうど窓からギア灯台を見上げる形になる。本当に灯台のすぐ下にあるホテルなので、ぐるぐる回転して周辺の海を照らしている灯りがはっきりと見える。タイパ島の凱悦(ハイアット)、新世紀(ニューセンチュリー)といったホテルのオーシャンビューは確かに絶景ですばらしいが、ここの景色もなかなかのものである。近すぎて、灯台からモーターのような音が聞こえるのにはちょっと参ったが。

考えてみればこの半年はなかなか良かった。2度のテニアン、2度のケアンズ、マカオの5回の遠征はすべて収支プラス(もちろん、エアーとホテルその他を含めないでの話)である。おまけに、テニアンのポーカートーナメントでは優勝し、ポーカーの世界で少しは大きな顔(勝手にだけど)をすることができた。仕事はしたくないけれど、仕事をしなくてはこうしてたびたび遊びにも来れないしなあ、などと考えながら眠ったのは3時近くなってからだったと思う。

#2 良辰経由ギリシア神話 当地在住のさまよい人さんに教えていただいて、食事のバリエーションも大分増えた。今回行った食べ物屋は、福臨門(中華)、徳興(点心)、木偶(マカオ料理)で4日の晩はセナド広場の良辰。良辰は日本人シェフのやっているフランス料理店で、とてもおいしい。この日仕事を終えて再びマカオ入りされたさまさんから携帯に連絡が入りサンズから歩いて行ったら、すでにさまさんは到着されていた。

歩くのは結構好きだし、今回は日本も寒かったそうだがマカオも涼しくて、歩くにはとてもいいコンディションだった。相変らず工事中のところが多い。漁人埠頭(フィッシャーマンズワーフ)はまだ工事中である。よく泊まり値段も手ごろな総統酒店(プレジデンテ)も全面改装工事中でやっていない。

ウィンマカオはその壮大な全貌が明らかになってきたし、対抗して建設中のグランドリスボアも基礎を終え低層階の骨組を作っている最中である。これだけ増設中のカシノもおそらくできてしまえば満杯になるのだろうから、それだけ中国本土の経済成長とギャンブル熱は相当高いということだろう。

良辰では、フォアグラのパテやステーキでポルトガルの赤ワインをいただきながら、さまさんとシェフからマカオの現況をお伺いする。SJM系のカシノで最近めざましく接客態度が向上しているのは、ウィンやギャラクシーなどラスベガス系の進出に危機感を抱いているSJMが、遅まきながら従業員教育に力を入れ始めたためだとか、いろいろと参考になる話を聞くことができた。

おいしい食事の後は、いよいよカシノである。この夜は、さまさんが最近ひいきにしているタイパ島のギリシャ神話カシノに向かう。昔の新世紀カシノである。昨晩に引き続きバカラ卓に座るが、さまさん得意の「対子・和」が出ない。かたや私はというと、300、500のベットは何とか取るのだが、1000HK$張ると外すという情ない状況が続き、またしても波に乗れない。

3度目の1000HK$ベットを外したところで昨日からの通算マイナスが7000HK$に達した。手許には残り4000HK$ほど。このままバカラ卓にいては溶かしてしまう流れだったので、「ちょっとブラックジャックに行ってきます」とBJへ。

SJM系のBJはダブル11のみ、5枚で半額配当、対子ベットありというマカオルール。サンズはラスベガスルールなのだがミニマムが300HK$とちょっと高い。勝っている時はいいのだが連敗モードではきついので、どうしてもSJM系の100ミニマムでやることになる。この夜は一進一退でチップがなかなか減らない。こういう展開は今回の遠征で初めてである。

さまさんの帰国(!)時間が来た時にちょうど11ダブルを取って2000HK$ほど戻したところでこの夜は終了。マイナス5000HK$で手持ちが6000HK$なら、次の朝に巻き返すのもまんざら無理ではない。たまたまというか意図的にというか、宿はぎりぎりまで打てる金龍である。

旧市街にたたずむ観音堂。媽祖廟と違って、人影もまばら。


#3 連勝ならず この夜の金龍酒店(ゴールデンドラゴン)の料金は560HK$。前日の半分以下である。もともと、このくらいのホテルはこのくらいの金額で泊まれるはずなので、土-日泊の値段がそれだけ異常だということである。そのうえ、このホテルでは朝食のバフェが付く。ちょっと外に出れば2,30HK$出せば麺粥屋があるが、簡単なものだがパンと温かいおかず、オレンジジュースやコーヒーがあるのでもちろんそれで十分である。

ドリエルを飲んで寝てしまったため、起きたらすでに7時半だった。10時にはホテルを出たいので、朝食や荷物をまとめる時間をみると、大体1時間くらいしか勝負できない。場所はもちろん、3階にあるゴールデンドラゴン・カシノである。朝食を早々に済ませて、カシノに向かう。月曜の朝なのでがらがらである。つまり、絞り放題ということである。

しかしここでは、前日の余韻が残っていたのでBJから入った。時間的にも、流れの早いBJで勝負を掛けるのが適当であろうと思ったからである。バイインはとりあえず2000HK$。ディーラーとのヘッズアップである。

初手は絵札2枚がきて楽勝、そして2手目がブラックジャックである。ブラックジャックが来れば流れが来ているとは言い切れないのだが、私は素直に喜ぶことにしている。ベットアップして400HK$ずつ賭けていたら、10分足らずで5000HK$までチップが増えた。しかし、ここからが伸びない。逆にチップがじわじわと減りだした。4000HK$になったところで、いったん席を立つ。

まだまだ時間はある。今度はバカラである。悠長にミニマムで流れを探っている時間はない。いきなり1000HK$チップをプレイヤーへ。私の後から来たおばさんが、バンカー。ディーラーが2枚のカードを滑らせて寄越す。今回の遠征では2晩ともあまり絞れる手が来ない。唯一良かったのはバンカーに張っていて2枚で1、プレイヤーは3枚めくって6というところで横を絞って3ピンが出たときだけである(さまさんから、もう絞らなくてもいいですね、と言われた)。

最初の1枚はすぐフレームが出る。もう1枚には足がある。ゆっくり絞っていくとセイピンである。50%である。できれば75%が欲しかったが、ぜいたくは言っていられない。縦を絞る。点は・・・見えない。「チョイヤー!!」真ん中まで何もなかった。ナチュラル9である。しかし、ここから伸びないのが今回の遠征なのだ。勝ったり負けたりなのだが、勝つときも6対4とか、5対3とか、あまり気合の入らない手ばかりなのである。再びじりじりと減りだしたところで時計を見るともう9時半近い。

キャッシャーに行き、1000HK$単位で現金に戻す。昨晩までの5000HK$マイナスは2000HK$マイナスにまで縮小している。残った400HK$と端数のチップは再度BJ卓で遊ぶことにした。200ずつ2ボックスに置いたところ、1敗1引分けで早くも半分になる。残った200を1ボックスに賭けると、勝って400に。それも置き張りするとこれも勝って800になった。

ここは400のままにすると、手札は2枚で11、ディーラーは7である。ここはSJM系なのでダブルはここでしかできない。手元に戻した400を再びボックスの横へ。ダブルダウンである。これを取れば、遠征プラスが見えてくる!!

しかし、3枚目のカードは4。対するディーラーは2からピクチャーで19。完敗である。残ったチップをディーラーに放って、今回の遠征は終了した。

帰りの香港国際空港で、「ディオールのカプチュール(しわとり乳液)、1本で600HK$、2本で900HK$」という売り子さんの流暢な日本語を聞きながら、900HK$は高いなあ、でも最後の手で800HK$負けたんだよなあなどと思ってしまったのは、やっぱり私が貧乏性だからなのでしょうか?(結局買いましたが)

[Dec 15,2005]

マカオ06年春 [Mar 22, 2006]

2006年3月19日、午後11時をすでに回っている。リゾカジ公認オフ会である”チャモロ兄弟と行くバカラな旅”は、サンズカシノですでにクライマックスを迎えつつあった。”マカオキング”の称号を懸けて、チャモロ兄弟の兄、ちくわさんが万ドルベットを決めれば、弟のtagamanさんはポケットからやおら取り出した千ドル紙幣のヅクをテーブルに放り、チップに替えるとバンカーにすでに張ったチップに上乗せする。

ちくわさんがインシーサンピンで楽勝すれば、tagamanさんはナチュラル9を簡単に起こす。tagamanさんはすでに昼から勝ち続けており、ちくわさんも「帰りはファーストクラスにするしかないかなぁ」などと言いつつ、千ドルチップのタワーを3つほども築いている。

そんな、ただ乗っていれば楽勝の場面で、なぜか私はプラマイゼロのあたりをうろうろしていた。普段はたいして気にならないサンズの大音量が響いて、頭がつらくて仕方なかったのである。その原因はというと、前日からがんがん飲みまくってしまったオフ会のつけで、まさに自業自得という奴である。じつをいうとtagamanさんは同じくらい飲んでいるはずなのだが。

飲んでいても、勝つときは勝つ。たとえば前の晩など、3000近く沈んでいたはずなのに、朝に財布を見るとカネが減っていない。そういえば牌九、ファンタンのあと三公バカラで戻したような気もする。そんなもんである。

でもこの夜は、ちくわさん、tagamanさんのビッグベットの理由が分からないのである。ここはツラとか、二個二個とかはっきりしたものがない。二人とも自信を持って張っているので、行く手には違いない。でも、理由が分からないので、ミニマムにちょっと足したくらいしか応援できない。

私のやり方は、無条件でひとのベットに乗ったり、人間罫線で張ったりはしないのである。もちろん、応援ベットはするが、それもせいぜいミニマムの倍程度である。それ以上は、自分で考えたのと同じサイドならば勝負に参加するが、違うと思えば見に回ったり、あるいは逆張りも平気である。

その判断ができないのだから、結局同じような金額を張り続けることになる。これでは大勝ちは難しい。考えようとしても、大音量が邪魔をする。いつもはなんともないのに。プラマイゼロだから悪くはないのだが、なんとも物足りない。

今回のオフ会、例によって現地の名インストラクターさまよい人さんの差配により、珠海中葯谷の中国マッサージから中華料理と珠海ピールの集いで盛り上がって、マカオに戻る。さまよい人さんはかなり体調がお悪かったにもかかわらずご案内いただき、拱北(ゴンベイ)関門でお別れした。

そしてサンズ、さまさんの意を体して「対子・和(トイチーポー)」で入るが、あけみんさんに、「そういうのは勝ってるときにやるものなの!」と怒られる。その負けはあっという間にチャモロ兄弟に乗って戻したのだが、勝負どころの頭痛とそれによって二人のビッグベットについていけなかったのが響いた。

ギア灯台より中国珠海側を望む(2002年)。


翌20日朝、金龍に宿泊するのは出発前日の定番である。7時のオープンと同時に朝食のバフェ。5時間半ほどの睡眠で、頭の痛いのは取れたが眠い。オレンジジュースをおかわりして飲む。今回は奥さんと一緒なので、あまり時間が打てない。ここまで、約3000のマイナス。これは、澳門入りしてすぐの凱悦(ハイアット)のバカラ卓で、たった30分で3勝12敗したものである。残りは2、3時間、あまり時間がない。

金龍3階のカシノはひと気がほとんどなく、エアコンがよく効いて寒いほどである。誰もいないバカラ卓に奥さんと座る。これなら、一人は賭けてなくても全く問題ない。ディーラーがチップを整理しているうちに、やはり女性を連れたチャイニーズが来て座る。ここで、ショッキングな出来事が起きた。

なんと、開始10手のうちで5手がタイなのである。しかもそのうちの2手は、自分で起こしたナチュラル9が、ディーラーオープンに追いつかれてのタイである。前の晩と同じように対子和(トイチーポー、プレイヤー、バンカーそれぞれのペアとタイに賭ける)で入っていれば、大儲け間違いなしという場面である。だが、後悔しても後の祭りなのであった。

その後も一進一退が続くが、ビッグベットは取れない。最後、プレイヤーでせっかく起こしたナチュラル8をディーラーオープンのナチュラル9で捲くられて、きっぱりと席を立った。こんな流れで勝てる訳がない。負けは、さらに膨らんで6000ほど。まだ、挽回可能である。得意の三公バカラはまだ開いていない。金龍に2卓あるブラックジャックへ。

オフ会でどなたかが言っていたが、マカオのBJはブラックジャックではなく、何か他のゲームである。単にエンドレス・シャッフルマシンを使っているからではない。ルールも雰囲気も違うのである。ここでも、ツキは来ない。手札はほとんど14か17、ディーラーのアップカードは8割方絵札である。14でヒットしても絵札が来るし、ディーラーはまず20か21。チップがどんどん減っていく。「あの(シャッフルマシンの)中には、人が入ってるんだ」と言ったら奥さんにたいそう受けたが、チップはさらに減る一方である。

10時近くなって、奥さんが仕度をしに部屋に戻る頃には、一緒に打っていたチャイニーズ達も降参してディーラーとのヘッズアップ。ここでようやく、こちらに波が来た。ミニマム100で減らした分を300から600でどんどん戻す。しかしもう時間がない。11ダブルにピクチャーがついて21。アップカードはピクチャーだが、まず勝てるだろう。さらにダブルアップで水面に浮くぞ・・・と思ったら、ディーラーはAを起こして裏ブラックジャック。

時間はすでに10時20分。やはり今日出発のteshiさんとの待ち合わせまで10分しかない。ここで無念のゲームオーバーとなった。結局、今回遠征の収支はほぼ5000のマイナス。最後あの流れでは仕方がないが、なんとも消化不良の結末となった。しかし、致命傷という訳ではない。帰りのフェリーで、次はいつ来ようか、とそればかり考えていた。

[Mar 22, 2006]

06年2度目のマカオ [Apr 21, 2006]

2006年4月15日土曜日、香港国際空港から直行フェリーでマカオ入りしたのだが、入国手続きのところまで来てびっくりした。なにしろ、人であふれかえっているのである。

やっとのことで行列の最後尾らしきところを探し当てて並んだのだが、どうやら1列で並ぶべきところを2列になっているようで、ぐちゃぐちゃである。10分たっても、ちっとも行列は先に進まない。逆に次のフェリーが着いたらしく、後ろからは人がどんどん入ってくる。これは大変だ、と正直思った。

事前にさまよい人さんからのメールで、香港のイースター連休でマカオはすごい混み様だということは聞いていたのだが、予想していた以上である。マカオにはもう十数回は来ているが、マカオGPとか旧暦を含む年末年始を避けているので、これほどの混雑を体験したことはない。

実はあまりホテルが高いのなら徹夜でカシノと思っていたのだが、この入国の混雑を見て気が変わった。これだけ混んでいるとすると、カシノも大賑わいだろう。ツイていればいいがツカない場合混んでいるところに居続けるのはつらい。そして、場所を変えようにもタクシーすらつかまらないような気がする。たとえ1000HK$かかっても、ねぐらは確保すべきではないか。

結局、入国手続きに40分かかった。すぐにターミナルの代理店へ。ハイアットは?と聞くと満室だという。1200HK$で新世紀はどうだ、と言われる。ハイアットに泊まらないのに、タイパ島に行っても仕方がない。それに、タクシーがつかまらないと悲惨である。ここはあきらめて、いつものホリデイイン前の代理店、環宇旅遊へ。ここでもやはりハイアットは満室で、そもそもいま現在空いているのはエンペラーとキングスウェイだけだという。

ホリデイインまで来ているのにキングスウェイまで戻るのは面倒なので、ちょっと高いがエンペラーにする。1200HK$だというから、普段の土曜日よりさらに5割増という感じである。しかし、それでも違いは400HK$。普段を知っているからもったいないと思うけれども、よく考えればローローラーの私でも1ベット程度の違いである。いざツカない時に途方にくれることを考えれば、精神的なゆとりが違うはずである。

エンペラー泊ならば、主戦場は隣のファラオパレスである。着いてすぐの第一ラウンドは結局プラマイゼロで終る(実はかなりプラスだった。このあたりのことはまた後で)。雨が強くなって雷すら聞こえる。遠出はできないので初日の夕食はリスボア側にちょっと歩いた福臨門である。ここでエビと野菜の煮込みやらホタテとニンニクやら食べてビールと紹興酒を飲んだら、前日からの疲れでがっくりきてしまった。前日までいろいろあって忙しくて、金曜日のDUKEも欠席している。ホテルに帰って、早々に寝た。とても、カシノで徹夜などできたとは思えない。

翌日、再度環宇旅遊へ。日曜日なのにあまり安くなっていない。ハイアットはと聞くと、1600HK$だという。先月まで、日曜日泊は430HK$だったはずなので、ほぼ4倍。これでは泊まれないので、エンペラーに連泊することにする。ここでも800HK$。2泊で2000HK$というのは、普段なら2泊したうえに香港までヘリで戻れそうな値段である。

フェリーターミナルで翌日の空港行きフェリーを予約してから、ハイアットへ向かう。6月でクローズという情報だが、どこにもそんなことは書いていない。12時前にフラミンゴに着く。営業開始は12時なので、それまで店内で待つ。「ホテルが近々クローズするようだが」と聞くと、「レストランも同時にクローズする。だから6月まで」という返事。そうか、やっぱり閉まってしまうのか。

非常に思い出深い、マカオ料理のレストランである。これだけの有名なレストランだから、いずれどこかのホテルで営業することになるのだろう。しかし、ラムのカレーでワインをいただきながら考えた。フラミンゴは、この池と熱帯植物があるからフラミンゴではないのだろうか。仮に、どこかのホテルの何階かで再開するとしても、そこにはおそらく池も熱帯植物もない。その意味では、私の思い出のつまったフラミンゴは、やはりこの6月でクローズしてしまうのだろう。

改めて見てみると、ハイアットの回りはすべて20階建て以上のビルディングで、南側には「クラウンカシノ」(と書いてある)が建設中である。これでは、リゾート客は引いてしまうだろうし、カシノ客も好んでは使わないだろう。おそらく、営業終了後は取り壊して、新しいコンセプトのカシノ&ホテルになるものと思われる。寂しいことには寂しいが、マカオ自体が全く違った街に変貌しつつある現在、やむを得ないことには違いない。

6月でクローズとなる凱悦酒店のエントランス。いろいろな思い出のある場所である。遠くからみると、このあたりでひときわ低く、また古い建物であることがよく分かる。


フラミンゴで食事した後は、おそらくこれも閉まってしまうであろう海島娯楽場へ。相変わらず、客がほとんどいない。今でこそ100HK$ミニマムだが、かつては1000HK$以上のテーブルだったという。ディーラーとのヘッズアップで、バカラを絞る。最初の10ゲームで、1勝9敗。バイインの3000HK$はすぐに使い切る。次の3000HK$も残すところ1000余りというところで、シューが終ってしまった。

仕方がないのでBJへ。こちらでは、ディーラーバストが続いてチップを取り戻す。しかし、プラマイ0に行こうかというところで引き潮に当たってしまう。結局半分ほど戻したところであきらめてカシノを出る。午後はつかの間のリゾである。

マカオに着くまでは、さまよい人さんの引率なしで珠海へと考えていたのだが、昨日の入国管理の混み様をみると、拱北関門の通過にはかなりの時間がかかりそうだ。あきらめて、コロアネ(路環)島に行くことにする。新世紀前でバスを待つが、コロアネ行きはあいにく満員である。2台待って、仕方なく満員のバスに乗り込む。小型バスなので、立っていると外が見えない。その上満員なので動くことも難しい。

10分以上走ったが、誰も下りずにバスは依然として満員である。仕方なく、次のバス停で人をかき分けて下りる。すると、驚いたことにそこはコタイ(タイパ・コロアネ間の埋立地)の入り口、しかもタイパ島へ向かう車線である。どうやら、コロアネ島を一周して戻ってきてしまったようだ。とすると、あの満員バスは半島に戻るまで誰も下りないのだろうか。いずれにせよ、コロアネ島までまだ2km以上はありそうだ。あきらめて歩くことにした。

建設中のギャラクシーカシノ&ホテルを右に見ながら、タイパ・コロアネ・コーズウェイを延々と歩く。「亜州的拉斯維加斯(アジアのラスベガス)」の横断幕の横をトラックが粉塵を上げながら猛スピードで走り、とてもハイキングという風情ではない。幸いに暑くはないので、汗をかくことはない。3つめのロータリーを過ぎると、ようやくゴルフ場に達する。コロアネ島の入り口である。

建設が進むベネチアンカシノ&ホテル。このあたり、ベネチア風に運河とかできるらしい。右側に小さく見えるのがギャラクシー。コタイ地区がミニ・ラスベガスになる日は、もうそこまできているようだ。


さすがにこのあたりは、マカオ再開発地域からは外れているようで、いくら歩いても店もなければ自動販売機もない。採石場のところを右に折れ、小型車サーキットコースを右手に見ながらさらに歩く。もう1時間くらいは歩いているはずだ。左手の山頂には観音様のような巨像が見えるが、この山をぐるっと回って向こう側がコロアネ市街だったような気がする。まだ先は長いなあ、と思うけれども、せっかくここまで来たのだから行くところまで行くしかないなあ、と思い直して歩を進める。

サーキットを過ぎると右に工場地帯を見ながら進む。左手の山麓は廃棄物処理場のようで、それを過ぎてしばらくすると植物園になった。半島やタイパ島のにぎやかなところばかり見ているとまるで別世界である。植物園を過ぎると大きな門が現れる。「媽祖文化村」と書いてある。門の前には送迎バスが止まっていて、山頂まで往復するらしい。すでに十数人が乗っていたので、せっかくだから私も乗ってみることにした。

山頂まではバスで7、8分と結構な距離があった。さきほど麓から見えた観音像と、媽閣廟の近代版みたいな建物があり、真新しい媽祖像が祀られているが、結局それだけだった。バスは無料だったから、どうやらこの媽閣廟もどきには相当のお布施が集まるらしい。山頂の観音像もさほど目新しくなかったが、タイパ島方向に風景が開けており、ここまで歩いてきた道を眼下に望むことができた。

再びバスで山麓に下りて、さらにコロアネ市街に向かう。20分ほどで、市街の中心地と思しきにぎやかな、といってもローカルチックな町並みに到達する。このあたりに、フランシスコ・ザビエル教会があるはずなのだが、観光地図のようなものが見当たらない。

あてずっぽうに歩いていくと、だんだん寂しげな道になり、とうとうマカオ監獄というところに行き着いてしまった。すでに時刻は午後5時を回っている。コンクリートの高い壁とその上に盛大に巻かれている鉄条網を見ながら、「今日はこのへんで勘弁してやろう」と思った。ちょうど通りかかったバスに座って、半島まで一気に戻った。

のどかな道端に突然現れた巨大な門。ここから山頂まで、無料の送迎バスが出ている。


夕食は情報収集を兼ねてセナド広場のフランス料理「良辰」へ。オーナー・シェフのSさんとはすっかり顔なじみである。この日は「本日のおすすめ」の中から海鮮グリルを選ぶ。エビや魚、トコブシと野菜などが、おそらくニンニクとオリーブオイル仕立てで品良くグリルしてある。ビールでは足らず、白ワインを注文する。

「これから勝負だから、フルボトルは無理」というと、「でしたら、デカンタではどうですか?500ccですが、度数もそんな高くないし大丈夫ですよ」と白のデカンタを奨められる。きりっと冷やしてあって、とてもおいしい。最近ホテルがとりにくくて、といった話から始まってマカオの近況などよもやま話で盛り上がった。

ちょうどお客さんで混みあってきたのでお勘定をすませて外へ出る。しかし、コロアネ島まで歩いたのが効いたのか、またもや酔いが回ってしまった。しかし今回、どうしても行っておかなければならないカシノがある。羅浮宮(ルーブル)娯楽場である。

先月のオフ会でこのカシノに皆さんをご案内する予定が、同じビルの金碧(カンペック)娯楽場にお連れしてしまい、「にせルーブル」「ただの酔っ払い」と散々な非難を浴びてしまった。今回は前回ほどには酔っていないので大丈夫だろうと思っていったら、またもや金碧に入ってしまう。いろいろ歩いたのだが、同じビルにもかかわらず、金碧からルーブルへの通路はないようなのだ。これでは分からない。

いったん外へ出て、案内どおりに進むと、階段の裏にルーブルに直行するエレベーターがあって、なんとかたどり着くことができた。カシノ内にはモナリザをはじめ、いろいろな絵の複製が飾られて(というか壁に直接描いて)いるのだが、はっきり言って安っぽい。もっとも、新世紀前のゼウス像でギリシャ神話を名乗ってしまう美意識であるから、そのあたりは大目に見てあげるべきなのだろう。人は多くなく、ミニマムは低く、聞いていたとおり雰囲気は悪くない。

ルーブルカシノの販促ティッシュ。皆さん、次回は間違えずにご案内できます。


禁煙テーブルに座っていたら、同席していたチャイニーズのおっさんにツキが回ってきて、4連勝。しかも9vs8とか、3vs1(もちろん3から8を引いた)といった快進撃である。せっかくだから乗らせてもらったらそこからさらに6連勝。しかし、いずれもミニマムしか賭けていない!やがて満足したのかおっさんはチップの束を手に席を立つ。その後は自分で絞ったのだが、一進一退である。どうにも疲れてしまったので、最後の勝負は次の朝にすることにして、ホテルへ戻る。まだ10時だというのに。

翌朝5時起きして最後のファラオパレスへ。そして3時間の勝負は、結果的には惨敗であった。ゲームは三公バカラ。1ゲームに1分半から2分はかかるという展開の遅いゲームなのだが、その分ツキがこない時間も長い。罫線をつけていたのだが、1列の6手で、勝ち越した(4勝以上)のはわずかに1回、あとの十数回は負け越しかせいぜい3勝3敗の五分である。

それよりも何よりも、今回勝負を賭けた(とはいっても私の場合ミニマムの20~30倍程度)手が3回あったのだが、その3回が3回とも、3枚の総和が0なのである。勝負の1回目は前日、それまでの勝ち分をぶちこんだ1手だったのだが、上の2枚が3と6。よしっっ!!Aだけは来るなよと思って3枚目を見るとAである。この朝の2度の勝負も、”T、公、公”と”T、T、公”、いずれも親のオープンを待つまでもない最弱のハンドである。

勝負手を負けることはあるだろう。3度続けて負けることだって、これまで散々経験してきたことである。しかし、三公で総和0というのは、およそ10分の1しか起きない。それが3度ということは、1000分の1である。そこまで引きが弱いのか、ということである。(ご存知のとおり絵札3枚は三公となり、9より強いのだが、そうはならないのである)

3度目の0が来たとき、ちょうど資金もなくなって席を立った。ここまでやられれば、かえってあきらめがつく。それにしても0、何の楽しみもない手。同じ負けるにしても、ここまでひどくやっつけなくてもいいだろうと思う。もしかしたら、「係数の大きな男」などとおもしろがって書いていたので、バチが当たってしまったのかもしれない。

[Apr 21, 2006]

06年マカオ夏の陣 [Jul 21, 2006]

2006年7月16日朝10時、マカオは金龍娯楽場に5人の男たちが集まった。ちくわさん、BJさん、tagamanさん、まるさんと私TAIPAである。前夜に韓国料理「東大門」で盛り上がったメンバーから、そのまま朝まで三途の川で過ごしたあけみんとルーさんご夫妻がまだお休み中であるが、このメンバーは休養十分での「朝ドラ」(朝のゴールデンドラゴン)登場である。

ゲームは富貴三公、親が持ち回りの三公バカラである。三公バカラ自体マカオ以外で見ることがほとんどないゲームであるが、ましてやその発展形(原形かも?)である富貴三公を試すことができるのは、マカオでも限られた娯楽場のみである。

ゲーム自体は三公と同じだから、3枚配られたカードの下1桁で勝負する。数が同じ場合は公(ピクチャー)の枚数で強弱が決まる。そして公・公・9(最強の9)より強いのが三公である。なぜか普通のバカラではたびたび見かける三公が、このゲームではほとんど来ないのが不思議である。また、富貴三公のみのルールとして、数字、公の枚数で決まらない場合にはハイカードで決めるし、全くのセイムハンドの場合は親の勝ちと、タイが起こらないようにしている。(このあたり、この日やりながら覚えました)

しばらくは親がハウスでやっていたのだが、最後に現れたtagaman、ぼそっと「親やってみようかな」とひと言。まあ親を引くとは言っても、残りの4人とあとは地元民2組で、それもあまりビッグベットする人たちではない。だから、ポットで1500前後と非常にほのぼのとした、真剣勝負のバカラよりもかなり小さい勝負であったが、それでも親は親。

tagamanも心なしか緊張して賽を振る。まあポット1500と言ってもスクープなどめったに起こらないから、何人かに勝って何人かに負けて、まあ数百ずつのプラスマイナス、そこからコミッション5%が引かれるので、若干tagaman沈みという場面である。

まだ若いチャイニーズで、手には1000ドルチップの束。そして我々の卓を覗き込むと、やおらちくわさんとまるさんの間に入って、チップの束を枠に置いた。まわりはみんな100ドルチップ1枚とかせいぜい3枚なのに、ひとりグレーチップを5枚。5000点である。tagamanは親で10000点置いていたからそれよりは小さいのだが、他とのバランスが全く取れていない。どうする?とみんなでtagamanをみると、なんでもなさそうに「受けるよ」。

さあ、いきなりマジの勝負になった。ちくわさんが「俺とまるさんで挟んでつぶすからここだけには勝とう」と盛り上げる。tagaman賽を振る。各自に3枚ずつのカードが配られる。親のカードは最後に開くのでまず子から。みんな自分のカードもそこそこにチャイニーズの手を覗き込む。

三公の場合、普通は3枚のカードを揃えて手に取り、ゆっくりとずらしながら下のカードを開いていく。彼のカードは、ちくわさんによると最初の2枚が8と9だったそうである。そして、最後の1枚をゆっくりと開いていく。そして「チッ」という舌打ちが聞こえたそうである。最後のカードは3。公なしの0だから、まず勝ち目のない組み合わせであった。

もちろんtagamanは公入りの8か何かを起こして完勝である。その後ベット額を落として勝ち負けあった後に、もう一度4000だかのベット。これもtagaman難なく押さえて、チャイニーズの彼は席を立った。わずか10分足らずの間に、tagaman大幅プラスである。

その後しばらくして、親はちくわさん・まるさん連合軍、BJさんとそれぞれ回り持ちしたのだが、私だけは親を引かなかった。なぜかというと、仲間内なのでミニマムの100ずつしか置いていないにもかかわらず、1500点沈んでいたのである。とにかく、0とか1とかせいぜい3までしか出ない。たまに8を引くと親が9である。子でミニマムだからこれくらいの沈みで済んだけれども、親なんか引いた日には再起不能なまでにやられていたに違いない。

澳門漁人碼頭(マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ)。長らく工事が続いていたが、ようやく完成。この大唐城の中はショッピングセンターになるらしい。


今回の旅行はANAのマイレージ特典で行ったのだが、3連休ということもあってキャンセル待ちが結局取れず、行きは香港までビジネス、帰りは広州からエコノミーという行程となった。広州国際空港を使うのは初めてである。

事前にさまさんことさまよい人さんに丁寧に教えていただいていたので行き方は分かっていたのだが、なんといっても中国本土、英語が通じることは考えにくい。また公用語は北京語だから発音だって広東語と微妙に違う。困った時は筆談しかないと思って、朝7時半にホテルを出て拱北(ゴンベイ)関門へ。ひとりで中澳国境を渡るのは初めてである。

普通に出国ゲートを出て、普通に入国管理を通過して珠海へあっけなく到着。時刻はまだ8時すぎである。これから広州空港への直行バスが出る関(もんがまえなし)口信禾站とやらを探さなくてはならない。バス乗り場は地下にもあるのだが、さまさんから空港行き直行は地上でバスがいっぱい止まっているところという情報をいただいている。右手にそれらしきバス群は見えるのだが、どうやって行ったらいいのか分からない。結局広場を突っ切ってしまった。

交通整理をしていた公安(警察)のひとが携帯を見たり暇そうにしていたので筆談で場所を聞くと、やはりあのバス群の方向を指差している。どうもいったんイミグレ方向に戻って行くらしい。せっかく来たけれど元に戻って、今度はイミグレの建物沿いに進むと、あったあった。「信禾站」と大きな表示が見えてきた。「関(もんがまえなし)口」の関は「関門」の関、つまりイミグレの出入り口ということだから、まさにそのとおりの場所にあったわけである。

ちょうど8時半だったがそれらしいバスは見当たらない。次のバスは時刻表によれば9時半のはずである。窓口が空くまで待って、売り場の小姐に「白云机場(場は略字)」と書いた紙を出すと、さほど不審な顔もせずに何かしゃべったからたぶん金額を言ったのだろうと思って毛沢東の百元札を出すと、15元のおつりと、コンピュータで印刷した切符をくれた。中国といってあなどることはできない。すでにバスの料金すらコンピュータ管理なのであった。

小姐に指差された方向に行くと待合スペースがあった。ひっきりなしに物売りが来てわずらわしい。しかも暑い。バス乗車時間は9:00と書いてある。あと20分ほどある。しかし5分ほど待つと、おばさんが私を見てバスが来たから乗れ、と身振りで教えてくれる。確かにバスを見ると確かに「白云机場(場は略字)」と書いてある。まだ早いのにと思ったがみんなどんどん乗り込んでいく。おばさんに促されて私もバスに乗り込むと、そのおばさんも付いてくる。

空いている席を指差して、ここに座れという。切符には座席番号12と書いてあるのだが、そんなの関係ないらしい、というか座席番号が付いていなかった。やけに親切なおばさんだなと思ったら、手元に何冊か持った本を出してきて、どれか買えという。

たいした本はなかったが、値段が10元だというので、チップのつもりでさっきのおつりを渡し適当な本を買った。まったく親切な振りをして物売りかい、と思ったのだが、実はこのおばさんがいなければちょっと危ないことになったかもしれない。

信禾バスターミナル。真ん中のバスが広州国際空港(白云机場)行き。外見はデラックスだが、中は大したことはない。


というのは、バス乗車時間の9:00になるとバスは走り出し、あれれと思っているうちにターミナルを出て市内を走り出してしまったからである。9:30出発だと思ってのんびりしていたら、乗り遅れてしまうところだった。

しかし、時刻表では8:30の次は9:30である。臨時増発だったのか(バスには30人くらいは乗っていたが)、8:30のバスが遅れていたのか、それともフリーダムエアのように客が集まったら出るのかはよく分からない。とにかく、おばさんの言うことを聞いていてよかったと思った。

バスは4、50分かかって珠海市内の香洲、唐家の二つのターミナルに寄ったあと、高速道路に入った。高速道路は片側3車線。表示看板とか料金所の作り方は日本の高速とよく似ているのだが、目的地までのキロ数表示とかが全く見当たらない。日本だと道路際に少なくとも1kmごとにあるキロポストもない。そして見過ごしていたのかどうか、サービスエリアらしき表示もない(ガソリンスタンドの表示はあった)。さすが中国である。

しかし周囲の風景はというと、建物が見えなくなるということはほとんどない。工場なのか倉庫なのか低くて大きい建物がずっと続き、ときどきバナナか何かのような低木の果樹園風の地域、さらにゴルフ場らしきところもある。

予想していた北海道のような風景ではなく、東関東道か東北道のようなあまり違和感のない車窓風景が延々と続いた。少しうとうとするのだが、バスの運転手がやたらとクラクションを鳴らすのでおちおち寝てもいられなかった。

広州まで1時間強。かなり飛ばしたから100km以上はあると思う。広州市内は30階建て以上のマンションが立ち並び、まるで香港のような景観である。市内を抜けて山の中をしばらく進むと、前方にこれも香港国際空港とそっくりな建物が見えてくる。広州国際空港である。出発してから到着まで2時間20分。バスにはトイレなど付いていないし、休憩時間もないのでその点ちょっと不安であったが、ともかく広州までたどり着いた。

中国本土の空港ということで治安はどうなのかちょっと気になっていたのだが、空港ビルに入ってみて安心した。外からみると香港そっくりだが、中は香港よりきれいである。エスカレーターを下りてショッピングセンターに行くと、あまり食指を動かすものが置いてなかったのと、結構クローズドの店があったのは今ひとつ。それでも、冷房の効いた広々としたビルの中で、時間までゆっくり過ごすことができたのは何よりであった。

広州国際空港、別名白雲空港の出発ロビー。広々として天井も高い。


さて、肝心かなめのカシノの結果であるが、こんな具合である。

14日 カーサリアル 3000点バイイン →マイナス
    ファラオパレス 6000点バイイン →バスト
15日 カーサリアル 3000点バイイン →マイナス
    リスボア 2000点バイイン →マイナス
    サンズ 3000点バイイン →マイナス
16日 ゴールデンドラゴン 1000点バイイン →マイナス
    リオ 5000点バイイン →バスト
    カーサリアル 2000点バイイン →マイナス
    サンズ 2000点バイイン →マイナス
9戦9敗 合計20000点マイナス

初日のファラオパレスでの三公バカラで、ほぼ300ずつフラットベットで6000点のマイナスとなった時点で、気が付くべきだった。「ここまで逆に来るのだから、そろそろ大丈夫のはず」とずぶずぶと傷を広げてしまったのは見極めが悪かった。tagamanさんやBJさんと飲みに行くべきだったと深く反省しているところである。

この間、ちくわさんの破竹の連勝を2度、間近でみることができた。1回は16日朝の金龍、はじめに述べた富貴三公の終盤で、手元に100点チップさえなくなったちくわさんが50点2枚(ミニマムが100なので)から反撃を開始。6連勝して4000点に増やしたのである。その中には「3・3・3」という三公以外ではあまりみられない決まり手での勝ちもあり、とにかく開ければ8か9というすごい状態だった。

さらにその夜のサンズのBJ卓。そろそろご飯に行こうよという局面で、ちくわさん1500点か2000点×2ボックスを失う。一緒に打っていたtagamanさんは勝っていたのでここで終了を宣言、みんなでちくわさんに「ご飯にしようよ~」というのだがちくわさんあきらめきれずに「あと1回だけ!!」と1ボックスに減らして黒い100点チップを何枚か置く。

ここから、奇跡の大反撃が始まった。普通こういう場面で勝つことはあまり考えられないのだが、そこから負けなしの7連勝。最後はなぜか1300点ずつ賭けて、結局5分間かからずに7000点近いプラスである。この他にも、あけみんさんが10いくつかのツラを取ったということだし、みなさんそれぞれいいところがあって、全体として勝利、個人的には大敗という結果に終った。自分が負けてしまっては結局どうにもならないが。

今回の宿は初めてのカーサリアル(皇家金堡)。中は金龍とよく似ていて、セーフティボックスや冷蔵庫、無料のミネラルウォーターが置かれていて、しかも金龍より広い。だからかなり居心地はいいのだが、残念ながら地上に近い(今回の部屋は5階。全体でも10階ほど)ので、車の音がかなり響く。あの場所は市街地からフェリーターミナルに行く車の通り道なのと、通勤バイクが多いのとで、朝から晩まで車通りが多くて、その点は金龍の高層階の方が静かであることは確かである。

[Jul 21, 2006]

06年最後のマカオ [Nov 19, 2006]

テニアン空振り以来の海外である。加えて夜便・朝便の2泊3日という強行日程である。これは何も起こらずに帰ってくることになりそうだと思っていたら、結構波乱万丈で密度の濃い遠征になった。

一番びっくりしたのは、官也街のマカオ料理店ピノキオ(木偶)がなくなっていたことである。いつもの中華料理の前を折れたら、そこには工事中の板で囲まれた更地があったのである。

一緒に行った「かにもなか」さんが落ち着いて探してくれたので何とか移転した先(官也街を市街側に出て、通りをダンボ側に100m位行った向かい)にたどり着いたけれど、自分一人だったらきっと諦めていたと思う。きっと、フラミンゴに続いてピノキオもつぶれたとか書いてたんだろう。

さて、今回は実質1日の強行日程である。朝はとりあえずウィン(永利=ウィンリーと発音する)へ。なるほど皆さんが言うようにラスベガスっぽい。おそらくホテル自体の造りと、カシノの通路の上にもこっちがレストランとかこっちが店だとか行き先表示があるところなのではないだろうか。周りは全部バカラで、ブラックジャックがとりあえず見当たらないところはやはりマカオである。噂のテレビバカラもある。機械に紙幣挿入口があって100HK$とか入れてやるみたいだ。

試しに1万HK$入れるつもりだったのでさてどこにしようと迷っているうちに(うそうそ。1000HK$)、朝食の飲茶をご一緒しようと約束していたかにもなかさん&にこさんから携帯に連絡が入る。あれ?約束は8時で1時間早く出てきたつもりだったのになぁと思ってよく考えてみたら、携帯の時刻は自動で調整されるのでもう8時だったのでした(日本時間の8時なら、こちらは7時)。あわてて約束の徳興に向かう。

飲茶の後は、にこさんの希望でリスボアの牌九。ミニマム300。予定のウィンではなかったので、いつもどおり控えめにミニマムでスタート。でも、最初の1手を勝った後は負けが先行する。それも、親には必ず2か12(牌九で強い牌)と6以上が入っていて、89や79といった手も負けてしまう。ボー(ペア)が入ってようやく分けである。10戦終わったところで2勝5敗3分け。負けの確率がかなり高い。この時点で一緒にやっていたにこさんは勝ちなしで分けと負けだけである。

そこからボー(4)ボー(7)という相当いい手が来たものの、後は全く伸びない。相変わらず親にはずっと2か12が入っていて、こちらがウォング(2or12と9)、ゴング(2or12と8)だと親はポー(ペア)である。違う種類の66とか77とか10・10とか全くどうしようもない手が続いて45とか56と組むと、親は67とか78できわどく負ける。これはだめだなとあきらめて2000HK$負けくらいで撤退。なにせ今回は時間がない。粘って取り戻そうとしても時間が足りないので、早めに見切りをつけようというのが今回立ててきた作戦なのであった。

いよいよ完成が近づくグランドリスボア。地上40階建て。


リスボアを出て近くの旅行代理店「環宇」に寄ってその日の宿を確保。新世紀が640で空いていたのでここにする。最初の1手1000HK$で勝ったら、1泊2000HK$のウィンにしようと思っていたのだが、まあ仕方がない(勝負しなかったのだ)。宿を確保したので、安心してお二人を観光にお連れする。最初は旧市街の観音堂、そこから中澳国境を越えて珠海に行こうという計画である。

観音堂はマカオの最初の頃に来たことがあったのだが、もう何年かぶりの訪問である。相変わらず静かで落ち着く場所である。ここの建物は縦に3つに分かれていて、その間の小さな間隔が小路になっているのだが、その様子がジブリの「千と千尋」の油屋に行く裏道にちょっと似ている。また、今回気づいたのだが、3つに分かれたそれぞれが左から儒教、仏教、道教という感じでまとめられており、そのあたりバランスをとっているのであった。

観音堂の見学を終えてから、狗場(ドッグレース場)まで歩いてそこでタクシーを拾いゴンベイ関門へ。そんなには混んでいないが、結構人は多い。だが15分程で歩いて国境を越え、着いた中国側はすごい人だった。

ショッピングセンターを下に降りて地下2階がタクシー乗り場のはずである。ここでまた迷ったが、かにさんが進路を切り開いてくれる(この人、方向感覚がすばらしいのです)。タクシーを捕まえて、紙に中葯谷と書いて「ジョンヤオグウ」というと、すぐに通じた。市街地を10分程走って見慣れた建物に到着した。「ここはテーマパーク?」とお連れした二人に大層驚いてもらう。

あらかじめインターネットで中葯谷のページをコピーしておいたので、それを見せながら足底と全身のところに丸をつけて「これをお願い」というと、いつもの椅子のある大広間に通されて、さっそくマッサージである。まだ時間は1時過ぎと早いので、われわれ3人ともう一組3人いただけで、空いていて静かだったのは何よりだった。耳そうじまでしてもらって、しばし至福の時を過ごす。こんなにすんなりここに来れるとは思わなかった。

その後別室に移って全身をごりごりやられる。またもや寝てしまう。マッサージが2時間で3人670元だから、一人220元(約3500円)。間違いなく格安である。いつもの甘いお汁粉のようなものと、耳にピップエレキバンみたいのをつけてくれなかったのは残念だったが、マカオ・珠海のプロ、さまよい人さんがいないのでそれくらいは仕方がない。この強行日程で来て、珠海に来れただけでもたいしたものである。お二人にも喜んでもらえたようで、何よりであった。

受付のお姐さんに的士(タクシー)を呼んでもらい、再びゴンベイへ。この運ちゃんが反対車線にはみ出しての追い越しを繰り返すのでかなりひやひやしたが、なんとか無事に到着してマカオに再入国。いったんホテルに戻った後、新世紀で待ち合わせてから官也街へ。

ここでピノキオが移転していて驚いたのは最初に書いたとおり。方向感覚抜群のかにさんに探し当ててもらって夕食。青島ビールにポルトガルワイン、エビ、カニ、牛肉やサラダなどポルトガル料理を堪能して、いよいよカシノへ。今宵の勝負は全員一致でサンズと決めてあった。

旧市街にたたずむ観音堂。媽祖廟と違って、人影もまばら。


目指すはサンズの4階である。最初2階までだったサンズは3階、4階とフロアを増設し続けているのだが、4階はバカラ、BJともミニマム100という非常に庶民的なテーブルなのである。ここまで来る客がそれほどいないのは、競馬場やオートレース場と同じように年寄りには階段がきついからなのだろうか?エスカレーターなのだが。

ニューオープンのバカラ台に、にこさん、かにもなかさん、私と並んで座る。100ミニマムだけれど、しっかり絞れる。序盤からPとBを行ったり来たりである。ツラを期待して直前に出た目に入れるのだが、なかなかうまくいかない。そうしている間にお二人は、「ツラの後はタイ」とか言いながら11倍の対子をしっかり取って、1000HK$チップを積み上げつつある。

これではいけないと力を入れるのだが、それでもツラは出ない。どうも3目以上伸びないようだ。そう思ってツラ切りに行くと、伸びる。じゃあツラだと思うと、切れる。じわじわとやられのパターンに入っているようだ。ベットをミニマムに落とし、参加して以来ずっと勝っているチャイニーズのおじさんに乗る。するとようやく取れる。

気がついたら、BBPBBPのパターンに入っている。よし、これならベットアップして大丈夫だと思うと、タイになる。置き張りだと外し、引くと来る。ミニマムではいくらがんばってもたいしたプラスにはならない。その間に、お二人は大きくプラスを増やしている。そろそろ引き時だ。風向きが変われば、お二人はチャラになるだけだが私は大幅マイナスになってしまう。

バカラを中断してBJへ。かにさんはプラスを確定して見に回り、私とにこさんが卓に座る。しかし、これがひどかった。開始から、配られるのが19、20、19と選択の余地がないにもかかわらず、ディーラーは20とか21を起こす。16から気合で3を引いても、親は8から3、ピクチャーである。アップカードがスモールでステイしても、6、5、ピクチャー。どんどんチップが減って行き、試しに休んでみると3手連続でディーラーバストである。

ここまでツかないと、もうどうしようもない。お二人と別れて、2階の三公バカラへ。ここでも2勝2敗から5連敗して、あえなくサンズ撤退となった。新世紀に戻って、半島側の夜景を見ながらビールを飲む。すばらしい景色である。ウィンには泊まれなかったけれど、海を挟んで向かいにはウィンが見える。今回もまた不本意な成績となったが、いい景色が見られただけでよしとしよう。今日限りでカシノがなくなるわけではない、と自らをなぐさめつつ長い1日を終えて眠りについた。

もちろん、翌朝は予定より30分早く目が覚めて、階下のギリシア神話カジノでさらに傷口を深くしたのであった。

[Nov 19, 2006]

媽閣廟 [Mar 24, 2006]

マカオ旧市街から内港(半島の西側)に沿って南下したところに、媽閣廟(マコウミュウ)がある。英語で言うと、A-Ma Templeである。ここがマカオの名の由来となったと伝えられる、海の神様を祀った古い寺院である。

大航海時代、ローマ教皇の裁定により、スペインはヨーロッパから西に向けて、ポルトガルは東に向けて世界進出を図った。その結果スペインは、アメリカ大陸を発見したり、インカ帝国を滅ぼしたりした訳であるが、ポルトガルは喜望峰を回ってインド、そこからインドシナ半島を経て、中国の入り口である広州に入った。

その際、中継貿易港としたのがマカオである。だから、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの教会がマカオにはあるし、鉄砲が日本に伝わったのもマカオ経由である。

港であるから、そこには必ず航海の安全を祈ったり、無事に上陸できたことを感謝する神様が存在し、信仰を集めることとなる。中国の場合、それが媽祖、A-Maであり、これを祀ったものが媽祖廟あるいは媽閣廟と呼ばれる。

だから媽祖廟は香港にもある(中国本土はあまりよく知らないが、共産化されてしまうと本来はこわされたはず)し、最近横浜にもできたそうである。マカオの媽閣廟はその中でもかなり古い部類に入るものと思われる(香港が栄えたのはイギリスがスペイン無敵艦隊を破って世界制覇してから)。

今回の遠征では、初めてこの媽閣廟に行った。半島でもう一つ有名な寺院である観音堂が、比較的静かで落ち着いた雰囲気であるのに対し、媽閣廟はにぎやかである。観光バスが何台も止まり、参拝者は一束十元(140円)の線香を買うと、それに火をつけて廟内をめぐる。

廟は階段を上に上がったコースになっており、お堂があったり大岩に字や絵が書いてあったりする。参拝する人たちは線香を何本かずつ、要所要所に置いて行くのであった。

そこで驚いたのは、そのしまりのなさ、である。日本であれば、お寺や神社の境内にゴミを捨てていく参拝者などまず見られないが、こちらでは拝んでいるそばから、その線香の袋やらゴミやらをそこらに捨てていくのである。

だから、一生懸命拝んでいる人の足元を見るとゴミだらけである。そして当然のようにそこかしこに物乞いの人がいて、プラスチックのコップをかたかたいわせている。なんとも雑然とした雰囲気であった。

これらの寺院は総称して「道教寺院」と呼ばれるが、老子や荘子の思想と、関羽や媽祖がどうつながるのかよく分からないし、ここを参拝する人達が「道」の理念に基づいて行動しているとも思えない。結局、中国の人達というのは現世利益、不老長寿を祈っているのだなあ、とゴミだらけの雑然とした廟内を見て思ったのでした。

だから、マカオに行って厳かな雰囲気を味わいたいと思ったら、観音堂の方に行くべきだろう。観音堂は半島のかなり北、むしろ関門に近いあたりにある。

[Mar 24, 2006]

07年初のマカオ [Feb 1, 2007]

先週末、今年初めて、約3ヶ月ぶりのマカオにいってきたので、今週はそのご報告を。上着を着てちょうどいいくらいの気候で、歩いても汗ばむこともなく、過ごしやすい週末だった。行くたびに変わっていてわずか2、3年で様変わりしているのだが、今回着いてまず驚いたのはシャトルバス乗り場の大混雑である。

フェリーターミナルの1階からヤオハン方面(今ではサンズ方面と呼ぶべきか)にシャトルバス乗り場があり、ここに各ホテルの送迎バスが着いたり乗ったりするのだが、このバスが3列ところによっては4列になっていて、もう訳が分からなくなるほど多くなっている。

「金沙(サンズ)」「希臘神話(ギリシャ神話)」「星際(スターワールド)」「永利(ウィン)」「金都(グランドウォルド)」など新設カシノの送迎バスの台数が多く、しかもそれらが大型観光バスなものだから、ワゴンかせいぜいマイクロバスといった既存ホテルの送迎バスなどどこにいるのか分からない。

最初の宿は帝濠(ウィンザー)だったのだが、20~30分待ったにもかかわらず見つけられず、結局路線バスで行った位である。次の宿は金都で、大型バスなので見つけやすかったのだが、発進の時に分離帯の段差(15cm位か)を乗り越えて行かなければならないくらい混みあっている。

これにグランドリスボアやMGM、ギャラクシーがオープンしたらどうなってしまうのか心配である。ではタクシーで行けばいいかというと、これも土・日の夜など台数が少なくて全然つかまらない。アクセスが集客に間に合っていないように感じた。

二日目はその新設カシノの中の一つ、金都(Grand Waldo)に泊まった。タイパ島の奥、コタイ地区に昨年できたカシノホテルで、これまでこの地区で一番奥にあった皇庭海景(マリナ・アンファンテ)の前を通ってさらに西側に進み、中国側との境に近いあたりにある。部屋から外を見ると、建設中の2つのホテル(ギャラクシーとベネチアン)と今後リゾートになるはずの埋立地が目の前である。

出発の2、3日前にNHKでマカオのカシノ売上がラスベガスを抜いたというニュースが流れたが、この勢いでカシノが増え続けていけば間違いなく世界一のカシノタウンになるだろう。

その際、例えば大人数が集まってボクシングの大試合やコンサートを行うことができる場所が、いまのマカオにはない。今後できるとすれば、このコタイ地区以外にはない。その意味では、半島のサンズ周辺、リスボア周辺はいずれはラスベガスのダウンタウン的な位置づけになって、コタイ地区がストリップになるのだろうか。

金都の部屋からみた工事中の地域。写真では遠く見えますが、実際には眼前に迫っています。


今回行ったカシノは、古いところではリスボア、ファラオ(古くない?)。新しいところでは星際、ウィン、金都といったところ。 星際はファラオの向かいにあるのだが、正当な経路を通るとかなり遠回りになる。そのため無理やり大通りを横断することになるのだが、ここはマカオグランプリでも使う道幅の広いところで、車の方もスピードを出してくるから、かなり危ない。とりあえず真ん中まで渡って待ち、車間が空くのを待って残り半分を渡ることになる。結局みんなそうしていたが。

さて、ここ(星際)は鮮やかなネオンサインの高層ビルで、1階がエントランスで吹き抜けの2階から上がカシノフロアという造りはサンズをかなり意識している。もちろんほとんどのテーブルはバカラ卓。ここは若干のプラスだったのだが、どうもチップに重量感がなくプラスチックのような感触なのである。なんとなく軽くなくなってしまうような気がして、早めに切り上げて隣のウィンへ。

ウィンは前回(11月)の遠征でも行ったことがあるが、こちらはラスベガスを思わせるような造りである。それでも圧倒的に多いのはバカラ卓で、さすがにそこだけはマカオである。ここで、最近マカオ掲示板で噂になっているニューゲームを見つけた。「Double Fortune Baccara」というゲームである。

このゲームでは、左右にシューを用意し、1回のベッティングラウンドで2シューのゲームが同時に行われる。カードはディーラーオープンで、もちろんそれぞれの罫線はディスプレイに表示されている。そして、左右それぞれの勝負について、プレイヤーorバンカーそれぞれに賭けるのは通常のバカラと変わらないが、対子・和だけがオリジナルの賭けになっている。和はどちらも和というボックス、対子は左右4つの勝負のうち対子がいくつ出るかというボックスがあるのだ。

左右のプレイヤー・バンカーがすべて対子(ペア)である場合のオッズは100:1。これが Double Fortuneの所以のようだが、よく考えるとこの倍率は低すぎである。対子の出る確率はおよそ1/13。これが4つ独立で重なる確率は28,561分の1。20000:1でもまだお釣りが来る計算になるのだ。4つのうち1つが対子になる場合のオッズは2:1。これも計算すると約21%だから、全然オッズに合っていない。

そんなに高い倍率がほしいのなら、普通のバカラで対子に賭けて、当たったらそのまま転がせばいい。2回続けて当たれば144倍になる。「Double Fortune」はこれを4回やってしかもオッズは低いわけだから、まさにぼったくりオッズである。みんなその程度の計算はできるらしく、誰も賭けていなかった。ただ、一度に2回の勝負があるので、なるべくたくさんのゲームをしたい人にはそれなりに適しているだろう。

グランドリスボアは5階くらいまでは出来ていて、どでかいネオンサインも光っている。ただ高層階はまだまだという感じだし、内装やリスボア本館との連絡通路も工事中である。だからグランドオープンはまだまだ先になるだろうが、もしかしたら突貫工事で旧正月に間に合わせて、低層階のカシノフロアだけでもオープンするのかもしれない。ウィンの海側にはMGMがいよいよ骨格を現してきたが、こちらは低層部分ができておらず、今年1年かかりそうだ。

夜空にそびえる星際(スターワールド)娯楽場。


街中が再開発でカシノ売上は倍々ゲーム、ホテルの値段は急上昇のマカオであるが、まだまだ安く食事できるところはある。10~15HK$(150~230円)でワンタンメンやお粥を食べられる店を探すのはそれほど難しくないし、パン屋で大きなクロワッサンを買っても3HK$(45円)ほど。単独行のときの朝昼の食事はそういったところですませるのが定番である。

それでも夕飯くらいはちゃんと食べたい。ということで初日の晩はセナド広場のフランス料理「良辰」へ。ここはおなじみの日本人オーナー・シェフがやっているお店で、最近マカオに行く時にはよく寄っている。今回もシェフのおすすめで、七面鳥のパテ、エビと魚介類のグリル、マカオ風ビーフシチューで白ワインとビールをいただく。

お客さんが何組かいてゆっくりお話できなかったのは残念だが、お店にとっては喜ばしいことだからぜいたくを言ってはいけない。最近週末はバータイムで真夜中くらいまでやっているとのことなので、遅くなっても大丈夫なのはちょっとうれしい。

2日目の晩は南湾の「亜利加哩屋」(加には口偏、哩の里には本当は厂が入る)へ。マカオ料理の老舗の一つである「ヘンリーズ」の隣の店で、街中からずいぶん離れているにもかかわらずこの2つの店はいつ来てもにぎやかである。

今回はお目当ての大エビのカレーがなく、中エビのカレーになってしまったのは残念だった。他にポテトのカレーやサラダでポルトガルの赤ワインとマカオビールをいただく。目の前にマカオタワーとタイパ島への3番目の大動脈、南湾大橋の夜景を見ながらのディナーは、いつもながら日頃のストレスを忘れさせてくれる。

あと、朝食のバフェイでよかったのは金都。ここは麺類とオムレツをちゃんとその場で作ってくれる。基本的に一泊代金に含まれているのは金龍と同じだが、満足度はこちらの方がかなり上である。

逆にちょっと気になったのは、今回の滞在の間ずっとリスボアの並びの中華料理「福臨門」のシャッターがずっと閉まっていたことである。ここの「ふかひれのかに味噌煮込み」は絶品なのだが、もしや再開発でなくなってしまうのだろうか。ちょっと心配である。

以上、今回のマカオのご報告でした。・・・えっ、カシノの方はどうなったかですか?・・・負けましたけど、これで確か7連敗くらいしてますけど、何か?

[Feb 1, 2007]

p.s.どうも北朝鮮の某人物が私と同時期にマカオにいたようで、うちの奥さんが大層受けてます。

亜利加哩屋前からの夜景。マカオタワーと右側は南湾大橋。




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