2008年秋のマカオ 珠海中葯谷 コロアネ島 新・新八百伴 レンタルーム・ホンコン
マカオ厄払いの旅 [May 10, 2007]
しばらく前から、ひどい状態が続いている。KKvsTTではTが出て負けるし、QQvs84では4が2枚出る。ATvsA5のように重なっているじゃんけんでも、私がTの方だと必ず5が出るし、私が5を持っていると5など絶対に出ない。AA、KKが来ても必ず1ラウンドだし、それも2週間に一度のペースである。というわけで、今回のテーマは厄払いである。
観音堂で10HK$で線香の束を買い、現地の人に混じって3つのお堂を巡ってお祈りする。3つのお堂はそれぞれ道教、仏教、儒教であり、現世利益と来世の幸せをともに祈願できるようになっている。本尊というか神像(媽祖や孔子)の前にはひざをつけられるようにクッションのようなものが置いてあり、線香を持って拝みながらひざまづくのが現地のやり方のようだ。
見よう見まねで同じように拝礼し、勝負運の向上を祈る。厄払いはお大師さまが定番だが、遠く日本からの参拝だからそこは斟酌してくれるはずだし、何しろ日本ではまだカジノは合法化されていないので、本場マカオの神さまにお祈りするのが筋であろう。手が線香の色に染まってまっ黄色になってしまったが、一通りお祈りして何かが抜けたような気がした。
そんな訳で今回はとにかく100HK$でも勝って帰ることが重要である。前回のテニアンで何とか海外カシノの連敗を止めたけれども、昨年一年間マカオでは負けてばかりである。初日のギリシア神話のバカラで最初4連勝した後1勝5敗と急降下し、結局イーブンになったところで引き上げざるを得なかったことから、改めて決意した。今回は金額じゃない、勝つことである。
2日目に観音堂にお参りした後、グランドリスボア、リスボア、ファラオパレス、サンズと回り、計画通りそれぞれのカジノを若干のプラスで引き上げることができた。サンズのBJではいい調子でプラスが大きくなっていたのだが、ベットアップしたらKK対ディーラーAからA、T、9と起こされて負け。
これはいきなりピクチャーを出されるより始末が悪いし、だいいちポーカーじゃないんだからAA(ディーラーの)は弱いはずである。次にA4vsディーラー5のダブルから引いたのが5。よしこれで挽回と思う間もなくディーラーは6、ピクチャーである。すぐに引き上げたのは言うまでもない。
そして最終日の朝、場所は再びギリシア神話カジノ。ここで大負けしなければなんとかプラスで帰れるので、100ミニマムのBJ卓に座る。連敗、連勝、連敗、連勝となんとか原点を維持しつつ時間は経過する。負けはこちらが19とか20でも裏ブラックジャックとか21を出されて負けることが多く、勝ちはディーラーバストで勝手に負けてくれることが多い。そして問題の一手となる。
ハンド77でディーラー4。絵札の対子(KKとか)を除くと今回初めてのスプリットハンドである。スプリットすると、一つはT、一つは7である。もちろん対子ベットはしていないが、再びスプリット。今度は最初が6、次が7である。再々スプリット。今度はいきなり7。なんと7の5ハンドスプリットとなってしまった。対子にベットしていたらたいへんな儲けになっていたところである。
ルール的にスプリットが5つもできるのはマカオならではであるが、確率的にも大変に低い。最初の2枚が13分の1、3枚目以降は13分の2である(マカオはスプリットされた各ハンドの2枚目を先に配る)。したがって5枚スプリットになる確率は1/13×2/13×2/13×2/13=0.028%。10000回に3回以下しか起こらない。そんな珍しいことなのに、この時点では一銭も儲かっていない、というよりリスクが大きくなっているだけなのであった。
5ハンドの内訳は、20、18、17、16、13。全部取れる可能性もあり、全部負ける可能性もある微妙な数字である。ディーラーの最初のカードは絵札。そして次のカードで卓のみんなが「コン(公=絵札)!」と応援してくれたら出たのが9。ディーラーバストで、5ハンド全勝である。これで波に乗って、次は11ダブルから絵札で連勝(マカオは11でしかダブルダウンできない)、この2手が決定打となり、なんとか今回遠征をプラスで終えることができた。
そういえば、こういうケースでは昔は必ずディーラーが勝手に10%くらいのチップ(tip)を取って配当していたものだが、サンズ開設以来そういうことは少なくなって、いまではSJM(リスボア系)のカシノでも何の問題もなく全額配当してくれる。そんなことをなつかしく思い出すほど、超久々のマカオにおける勝ち戦でありました。
リスボア前から見た新葡京(グランドリスボア)の威容。このあたりの風景が変わってしまいました。
さて、リゾについては、フラミンゴ閉店以降落ち着いてくつろげるお店がなくなってしまったが、今年になってリスボア近く、総統(プレジデンテ)並びの福臨門海鮮酒家がクローズしてしまった。1月に行った時にも閉まっていたのだが、今回はかつて店があった前が大きな看板になってしまっていて、どうやら移転したか閉店してしまったようである。
ここの名物料理であるフカヒレのカニ味噌煮込みがもう食べられないのかと思うと、かなり寂しい。他にも牛肉やエビやベキンダックなど美味しく食べさせてくれて、手ごろな値段の紹興酒もあり、店構えもなかなか良かったのだが。そんな状況なので今回食事したのはすべて新規に開拓したお店である。
昼を食べたのはセナド広場にある中華料理「龍記(ロンケイ)」。ここは昔から有名なところなのだが、あまりにも混みそうな場所にあるのでちょっと遠慮していたのである。メニューから適当に頼んだのだが、出てきたのはここの名物とされるトウガンのスープ。それにエビのすり身の揚げたものと白いご飯で、なんともおいしそうな昼食になってしまった。値段も100HK$しないくらいで安く、また来てみたい店である。ただし場所柄ちょっと店内が狭い。
夜は官也街のハウスミュージアム側入口近くにあるポルトガル料理「熊猫(パンダ)」。贔屓にしていた木偶(ピノキオ)の場所が変わってなんか大衆食堂みたいになってしまったので(以前の薄暗い感じが良かったのに)、こちらを選んでみたのである。中を覗いたら結構お客が入っていたし、店の感じもいまの木偶よりかなりいい。
定番の大エビの焼いたのと、スペアリブ、ポテトと野菜を炒めたもの、スパゲティボロネース、それにビールとポルトガルワインを頼む。ワインは奥に実物が置いてあって値段が書いてあり、そこから選ぶ。フルボトルで100HK$ほどと手ごろで味も無難。ちゃんと氷で冷やしてくれる。全部で400HK$くらいだから、木偶と同じくらいの値段である。
以前はこういう街中に出ているお店の方がリスボアとかハイアライの周りにあるお店より良かったのだが、サンズ以来カシノの中の中華料理やポルトガル料理の方が雰囲気もよくグレードも高くなっている。その分お値段の方も張るのでなかなか足繁くという訳にはいかないし、一人だと入りにくいという難点がある。その意味では、フラミンゴや福臨門がなくなってしまったのは非常に痛いところである。
それとびっくりしたのは、リゾカジ.comにレポートした1000HK$の件。マカオ板でちょっと前から話題になっていたのだけれど、何しろ前回遠征から持っているのでこれを現金化しなくてはまさに勝負にならない。フェリーターミナルで両替もできず支払いにも使えず、ギリシア神話カジノでおそるおそる出したらすんなりチップになったのだが、それ以来キャッシャーで500HK$で寄越せと言い続けるのは少し疲れた。
タクシーがなかなか来ないのも難儀だった。今回、半島は軒並み1200HK$オーバーだったのでやむなく新世紀(4/30が500HK$、5/1が800HK$)にしたのだが、安い理由がよく分かった。朝や日中はともかく、日が暮れると半島になかなか戻れないのである。無料バスは長蛇の列だし、市内バスの停留所も人多すぎ。2泊とも夕食以降はタイパ島にとじこめられてしまった感じであった。
そのタイパ島も、かつてハイアットからジョッキークラブまでだらだら散歩していた頃がなつかしい。いまそのあたりはまさに再開発の真っ只中で右も左も建設中の高層ビルである。トラックはひっきりなしに通るし、なんだか町中セメントの匂いで肺に良くない。以前のマカオのたたずまいは、コタイを越えてコロアネ島まで行かなければもう見ることはできないようである。
そして本題の厄払い、帰国して緒戦の5日、上野ストラドル杯で少しだけその効果がみえた。相変わらず成績は良くなかったのだが、5000点持ちの残り1500点というところ、7s8sでオールインしたら9sTsJsでストフラを完成したのである。
この回、フロップでA、Jともう一枚もスペード、この時点でフラッシュ完成だったのだが、ターンでTs、リバーで9sとつながった。幸いにというか、Ks・Qsを持っている人はいなかったのでフラッシュだけでも勝ちだったのだが、2枚使ってのストフラは初めてである。ぜいたくを言えば、もう少し実入りのいい時に来てくれないかということだが、それは仕方がない。せっかく海の向こうまで厄払いに行ってきたのだから、さらにご利益を期待したいところである。
[May 10, 2007]
07年秋のマカオ [Sep 25, 2007]
話は1週間前にさかのぼる。ひょんなことから、テニアンへのエベレスト組あけみん様ご一行を成田空港までお送りすることになり、第1ターミナルをみたとたん何かが切れた。6月のラスベガス以来しばらくカシノ旅行に行っていなかったが、そろそろ「心」に我慢がきかなかったようである。
日程調整上、行けるとすれば16日の日曜日しかない。1週間前だから、エアは特典ということになる。調べてみると、行きの香港便は満席で広州行きもビジネスだけ、帰りの香港便は午前中のエコノミーだけ空席がある。さっそく押さえて、やはり今週マカオ入りを計画されていたさまよい人さんに連絡する。行きでの広州は初めてだが、まあなんとかなるだろう。
そして、あっという間に1週間が経ち出発。ただ、前日まで用事があって忙しかったのと、たまっていたNFLとか借りていたDVDとかを見ていたので完全に寝不足である。台風を避けるため上海上空から内陸部を通る珍しいコースで1時間弱のディレイとなったが、幸いにビジネスだったのでストレスはほとんど感じなかった。
入管、税関を真っ先に通過して7番ゲート前のバス券売り場へ。珠海拱北まで80元(約1200円)だから、香港からフェリーで行くより大分安い。でも、2:38分発券なのに指定されたのは2:40のバス。走ってなんとか間に合った。2時間以上かかるのでトイレくらい行っておきたかったのだが。
高速バスなので珠海までノンストップである。30分ほどで広州市内のインターに入り珠海方面への高速に乗り換え、あとは延々と走る。ここの往復はバス便が主流らしく、反対車線を見ていても高速バスが目立つ。そして結構すいているにもかかわらず、やたらとクラクションを鳴らして走るのがこちらの流儀である。
バスに乗っている間に、さまよい人さんから連絡が入る。いま香港だそうで、拱北で待ち合わせることになる。私の方が少し早く着くはずだったのだが、最近の珠海市内は経済成長のせいか車が多く、渋滞で結局終点まで3時間かかってしまい、ほとんど待たずに香港から船便でさまさんも到着した。
「こちらは混んでいるんで、抜け道を行きましょう」とさすがにマカオ通のさまさん。タクシーで横琴関門へ。この関門は渡し船のある湾仔口岸よりさらに南にあり、ちょうど最近オープンしたベネチアン(威尼斯人)ホテル&カシノのあるコタイ地区につながっているのである。
出入国で大混雑の拱北と打って変わってこちらの関門はほとんど無人。中国出国してバスで橋を渡り、ここで改めてマカオの入国手続きをする。関門を出ると真っ暗でタクシーも止まっていない寂しい関門であったが、かえって金都やベネチアンのネオンサインがきらびやかに見える。ここから路線バスに乗って市内へ向かった。
ほとんどひと気のない横琴関門。
夕食はいつものようにセナド広場にある「良辰」、日本人シェフの曽根原さんのフランス料理店である。お薦めのスズキのポアレでソーヴィニオン・ブランの白ワインをいただきながら、シェフから最新のマカオ情報をお伺いする。お店が忙しい中わざわざ席まで来ていただいたのはうれしかった。
そしてタクシーでお目当てのベネチアンマカオへ。しかし前日からの寝不足に、半日以上の飛行機とバスの疲れ、それにワインが効いてしまって、たたでさえ夜戦は得意ではないのに10時過ぎにもかかわらずすでに眠い。あまり長丁場は戦えそうにない。
タイパ島とコロアネ島を結ぶ幹線道路であるタイパ・コロアネ・コーズウェイは、昔は何もない埋立地を走る道路だった。それが今では、道の両側に工事中のカシノ&ホテルが続き、おそらく4、5年後にはLVのストリップのような景観になっているものと思われる。ただし、いま現在では工事中の金物の塀で視界が遮られてしまっている。おそらくその中では工事用車両が忙しく動いているのであろう。
初めて訪問したベネチアン・マカオは、この夏オープンしたばかりである。すでに外観はかなり前からでき上がっていて、LVのベネチアンホテルとそっくりである。そういえば飛行機で「オーシャンズ13」をやっていて、ご存知のようにラスベガスが舞台なのだが、「マカオに今度作るカシノの支配人にすると言ったら喜んで乗ってきた」なんて台詞もあった。まさにワールドワイドなカシノタウンに成長した訳である。
エントランスを入ると、下の写真にあるようにきらびやかな内装のロビーである。ウィン(永利)ができたときもここはマカオじゃないみたいだと思ったのだが、おそらくそれ以上である。
そしてさまよい人さんから聞いていたように、廊下を進んでいくとセキュリティチェックがなくそのままカシノになる。ラスベガスでは当たり前だが、マカオではここが初めてで、以前、新世紀で預け荷物をひっかき回されて、これは預かれないだの何だの言われたことを思い出すと、今昔の感がある。
さて、まるでラスベガスのようにカシノに入ったのだがここはマカオ、周りに並んでいるのは8割方がバカラである。ベネチアンというと敷居が高いように思っていたら、100HK$ミニマムからあって、もちろん絞れる。200HK$テーブルに座って、いよいよ勝負開始。すべての台にディスプレイが付いていて、罫線は中国罫線からチュチャイまですべて表示されるようになっている。この頃にはすでに眠くなっていて、自分で罫線は付けずにディスプレイ頼みである。
まだシューの序盤、「最近はあまりビッグベットしないんですよ」とおっしゃるさまさんであるが、例によって対子と和を幸先よくゲットしている。そして、最初の勝負どころとなった。「ここは落しましょう」と気合を入れたさまさんがいきなり庄(バンカー)の6ツラである。楽しい晩になりそうだ。
きらびやかなベネチアンマカオのエントランス。
その後一進一退の状況となるが、さまさんの起こしたツラで貯金がありプラス圏での行ったり来たりだからあまり苦にならない。しかしすでに時間は12時近く、正直なところかなり眠い。
中国罫線で小路(シュウロ、1回前の同じ側との対比でみる)の青ヅラが続いていた。みんなバンカーに張っているのだが、青ヅラならプレイヤーではなかろうか。で、チップを置こうとしたら「ノー・モア・ベット」の後で入れてもらえない。開いてみると全員一致のとおりバンカー、そしてディスプレイの小路は青。「青だとバンカーですよ」とさまさんにも言われてしまう。なんと、眠気と酔いで罫線が読めなくなっていたのである。
さすがにこれはまずい。せっかくのディスプレイが何の役にも立たないではないか、ということで、ここからはプラス維持のためミニマムを時々張るだけに方針転換。すると、なぜかよく当たるのである。基本はさまさんが絞り合いに敗れると次の手で仇討ちに行くのだが、ほとんど罫線など見ていないにもかかわらず私が絞るとなぜか6より上。しかも相手が1とか2で勝ってしまうのである。
結局この晩、絞った時はほとんど負けなしで1シューを終える。テーブルを変えてもう少し遊び、さまさんがプラマイゼロに戻したあたりで午前2時近くになり、「そろそろ宿に戻りますか」ということになった。実はこの時すでに限界で、タクシーでホテルに戻った10分後にはベッドで爆酔していた。もう少し意識レベルが高ければもっとプラスを積み重ねられていたはずなのに、2000HK$ちょっとのプラスにとどまってしまったのは今考えるとかなり悔しい。
翌朝一番で置き、さまさんを見送ってからカシノへ。噂のポーカーマシン(スターワールド)は行って30分もたたずに全員引き上げてしまいブラインドとコールの分だけマイナスしたが、ファラオパレスの三公とブラックジャックで2000HK$プラス、さらにサンズに転戦してブラックジャックで2000HK$プラスと、地道にプラスを積み重ねる。その後のカーサリアルではやや沈んだものの、結局ホテル代とお土産代は確保して帰ることができた。
案の定というか、一晩眠った後のバカラは全くダメで、プレイヤーに賭けると「リャンピン+サンピン」ばかり。バンカーに賭けるとディーラーが先に勝手にプレイヤーを起こして(ルール上はいいのだが・・・)ナチュラル9とかで気合も入れられない。だからブラックジャック中心にしたのだが、ダブルダウンをほとんど取るという離れ業で今回はなんとなく調子が良かったかもしれない。
春の厄払い以降、そんなにドツボに嵌っていないのは何よりである。カシノの中でも外でもさまさんのおかげで、秋のマカオを楽しむことができたのは何よりでありました。
[Sep 25, 2007]
ライトアップされたセナド広場。
2008年春のマカオ [Mar 6, 2008]
2月24日日曜日、午前9時すぎの珠海・拱北(ゴンベイ)関門は、マカオに入国しようという人の群れでごった返していた。2列しかない外国人出国レーンを通過するのに小一時間かかり、結局マカオ側に出たのは10時半近くなってからだった。
バスで中心街へ向かい、さっそく宿を手配する。ピークである土曜日は過ぎたものの、あいかわらず高い。ちょっと考えて、前回と同様に皇家金堡(カーサリアル)を620HK$×2泊押さえた。何しろ交通の便がいい。新世紀だったらもう少し安いのだが、あそこだとタクシーをつかまえるのもきついし歩いて移動できる範囲も狭い。
今回の最初の目的地は12月にオープンしたばかりのMGMグランド・マカオ。一回りした後、さっそくディーラーが一人で手持ち無沙汰にしているバカラ200HK$ミニマムへ。3000バイインで、最初から1000ずつ行こうと固く決意していたのだが、いざとなるとびびって500からスタート。おっ、いきなりナチュラル8である。全部入れればよかった。
実はこの日もう一つ決意していたのは、プレイヤーで張ろうということであった。バンカーに賭けていて、ディーラーが無雑作に開いたプレイヤーが9だったりすると、途端にテンションが落ちる。プレイヤーであれば絞っている時点で相手のカードは分からない。とにかく「絞り禁断症状」の出ている私としては、1ハンドでも多く気合を入れて絞りたいのである。
次の手もプレイヤー。一手バンカーをはさんで、またプレイヤーが3連勝。よしよし、いい具合である。このままツラ!と思っていたら、このすいているカシノでわざわざ私が一人で絞っているテーブルに新たな客が来た。そして罫線ディスプレイを見て、こともなげにバンカーにチップを置く。私はもちろんプレイヤーである。
プレイヤーに2枚のカード、気合を入れて絞ると、すぐフレーム。もう一枚はと見ると、またフレーム。バカラ(0)である。相手はこともなげに8を起こしてバンカーウィン。せっかく一人でツラにしようと思ったのに、いざというところでこれである。その後は絞ったり絞れなかったりで、ツラになりそうもない。最後2ハンド連敗したところで、若干プラスで席を立つ。あせることはない。遠征はまだ始まったばかりだ。
MGMグランド・マカオの正面ホール。大三巴オブジェの下の部分はステージになっています。カシノはここから右へ。
MGMを出て、歩いてすぐのグランドリスボアへ。ここには最近、ポーカーのライブテーブルができたという情報であったが、確かに4階の一角にロープで仕切られたポーカースペースがあった。7、8テーブルあったかと思うが、開いていたのは2つ。ともに20-40ノーリミットで、満卓となっていた。
テーブルそのものはバカラと同じで、それぞれの張るスペースが縦に線で区切られていた。だからちょっとせまい。20-40というと、米ドルにすると3-6。その後に書いてある数字は2000だったのでミニマムバイインと理解したのだが、もしかするとマキシマムかもしれない。ノーリミットだからリバーになると100HK$チップが積み重ねられるが、見ていると結構みんなターン、リバーまで見に行っているようだった。だとしたら、いずれにしろ2000くらいはあっという間に使ってしまいそうだ。
ここは見学だけで参加せず、歩いてファラオパレス、さらにバスに乗ってホテルまで戻る。夕方は南湾にあるマカオ料理のヘンリーズ。アフリカンチキンでワインを楽しんだ後、タクシーでサンズに戻る。ここでひどい日本人プレイヤーに出くわしてしまった。
彼ら(3人)の方が先に来ていて、私はサードベースへ。シャッフルマシンだが、ディーラーのオープンカードが4、6、2、5といった具合でなかなかいい流れである。ところが、上の3人ときたら、絵札2枚のスプリットはともかく、相手がローカードなのに14、15でヒットするなどめちゃくちゃである。
最後は、ディーラーがTなのに、何を思ったか7でステイである。私は8と5で13。ディーラーもあきれて「どうします?」と私のアクションを促すが、まさか引かない訳にはいかない。そして当然のように出たのはピクチャーである。
こんなプレイヤーのいるテーブルではやっていられないが、逆に言うとマカオでもこういうプレイが許されるようになったのである。昔のようにテーブルが少なくてバックベットされている状況だったら、きっとただではすまなかっただろう。いずれにせよ、こういう連中に話しかけなくてよかったと思った。
もちろんテーブルを替わったのだが、今度はディーラーのオープンカードがずっとピクチャーかA。そんなぐあいで、昼のMGMで浮いた分を夜のサンズで溶かしてしまい、がっくり肩を落としてカーサリアルまで歩いて帰ったのでありました。
マカオ料理レストランの老舗ヘンリーズギャレー(美心亨利)のテーブルと前掛け。ポルトガルの白も冷えてます。アフリカン・チキン、カニ肉を甲羅に詰めて揚げたコロッケ、サラダ、スープでチップ込み500HK$。
2月25日朝、前日サンズで負けたためか、それともアフリカンチキンを一人で食べたためか、胃がもたれて仕方がない。いつも海外遠征の際には用意する大正漢方胃腸薬を飲んで、出陣である。
今回のマカオはやけに肌寒かった。天気予報では最高気温19度、最低気温11度、風があってもう少し寒いように感じたくらいで、上着なしではつらい陽気であった。朝一番はフェリーターミナルまで歩き、シャトルバスで昨日に続いてMGMグランドへ。
月曜日の朝のせいか、前日以上にひと気がない。前日と同じくディーラーとサシでバカラ。しかし今回はなかなか浮上できない。とにかくベットアップすると逆の目が出てしまう。ずいぶんと絞ったので負けないうちに引き上げる。午前中はここからコロアネ島に行ってつかの間の観光。これはまた別の機会に書こうと思います。
昼からはコタイのベネチアン・マカオへ。コタイというのはタイパ島とコロアネ島の間の埋立地で、ここがまさに今カシノホテルの建設ラッシュとなっている。工事中のところを歩いて行ったのだが、ラスベガスであればストリップにあたるタイパ・コロアネ大通りは両側とも工事中の塀が立てられてしまっている。
上まで立ち上がっているものだけ数えても、大通りの西側に1棟、東側に3棟。ベネチアンやMGMと同じスピードであれば、おそらく来年前半くらいにはオープンしそうな勢いである。どこがどこだか分からないが、塀に書かれている名前を見ると、サンズとかギャラクシーとか、マリオットとかが建つようだし、日本のオークラ系のホテルもあるらしい。ただでさえ供給過剰気味なのに、これ以上作ってどうするのだろうか、と思わないでもない。
コタイ地区に建設中の新しいカシノ&ホテル。
昼食はベネチアンホテルへ。ここにはフードコートがあって、およそ100パタカ(≒100HK$≒1500円)以内で食べることができる。日本のお好み焼きやうどんから始まって中華料理、マカオ料理、タイ料理、パスタやステーキまで、世界各国のファーストフードが20店舗ほどあり、中央に共通のいすとテーブルがある。ラスベガスというより、家の近所のショッピングセンターを思い出してしまった。
ベネチアンカシノはともかく広い。バカラテーブルが何百台あるのか数える気にならないくらいである。おそらくマカオ中のカシノの中で、ワンフロアの面積としては最大ではなかろうか。ただ、惜しむらくは他のカシノと判で押したようにゲームの種類が一緒である。ここはファンタンがあって実際にやっていることが特色だが、ミニマムが500HK$とえらく高い。
時間があるので300HK$ミニマムの三公バカラに座る。しばらくやったのだが6以下のカードしかこない。ピクチャー、8と来るともう一枚は必ず3。たまたま親が0とか1とか2を繰り返してくれたので致命傷にはならなかったが、じわじわとチップを減らして席を立つ。どうにもしまらない。
次はスロットマシンへ。絵柄がエビ、カニ、魚であるのはマカオらしいが、よく見ると当たりの枚数が5から50くらいで、あとはいきなり4000である。私にとってスロットマシンは、200~500くらいの中当りがあるから楽しく時間がつぶせるので、こういう一攫千金か全部すってしまうかというのは面白くないのであった。
そんなこんなで夕方までベネチアンにいて、タクシーでホテルに戻る。結局この日はたいして増減のないまま寝てしまった。
最後は出発日の早朝のカーサリアルで、やはりディーラーとサシでのバカラ。シューの初めからプレイヤー3目(1回外し)バンカー4目(1回外し)プレイヤー4目という立派な罫線を起こしたのだが、ここで中国人のみなさんに見つかってしまった。おいおい、セームドライバーじゃあ・・・と思っている間もなく、絞ることもできなくなるし変な罫線となってしまった。
最後はナチュラル8を起こしたら相手も8でタイ、ナチュラル9を起こしたら相手も9でタイとつらい展開が続き、続いて2連敗したところでゲームセット。まあ、ホテル代とお土産代くらいにはプラスになったので、いい遠征でしたということで再び広州へと向かったのでありました。
[Mar 6, 2008]
ベネチアンホテルのフードコート。カシノの上がショッピングセンターになっています。
MGMグランド・マカオ [Mar 4, 2008]
今回の訪澳の最大目的は、昨年12月にオープンしたMGMグランド・マカオを見ることである。2月24日日曜日の午後、ホテルに荷物を置いてさっそくMGMへ向かった。
タクシーで行ったのだが、リスボアまで着いていればあとは問題なく歩ける距離である。リスボアを海側に渡って、星際(スターワールド)と永利(ウィン)の間を歩いていくとすぐ。もちろんフェリーターミナルからは無料バスがたくさん出ているので、そちらを使ってもよい。
ホテル部分は地上30階建て以上はありそうで、3層に分かれている。下から銅、銀、金色に輝いていて、かなり目立つ建物である。海側のホテルエントランスから、マカオのシンボルである大三巴を模したオブジェのある大ホールを経由して、カシノに入る。他にも、リスボア側の南と北に出口があり、タクシー乗り場はリスボア側北、シャトルバス乗り場はリスボア側南になる。
カシノの大きさはウィンと同じくらいで、ベネチアンよりも小さい。一般フロアとしてはワンフロアのようだったが、もしかするとハイミットエリアが他の階にあるのかもしれない。それでも数百のバカラテーブルがある。多くのテーブルが200HK$(約3000円)ミニマム、HK$300(約4500円)ミニマムだっが、昼間ということもあるのか、開いていたのはその1/3程度。
ゲームとしては7、8割はバカラで、BJ、カリビアンスタッド、ルーレットがわずかにある。バカラ以外で目立つのはむしろマシンゲームで、バカラマシン、大小マシン、スロットマシンなど。ただ、やっている人はあまりいなかった。
最近のマカオというと、とにかく大型カシノのオープンが続いており、ここ2、3年では、スターワールド、ウィン、グランドリスボアとMGMがマカオ半島に、クラウンがタイパ島に、ベネチアンがコタイ地区にそれぞれオープンし、さらにコタイ地区には少なくとも4つの大型カシノホテルが建設途上にある(計画はもっとあるはず)。
正直なところ感じたのは、かつては需要>>>供給だったものが逆転して、需要<供給になりつつあるのではないかということである。今回も絞ることに不自由することは全くなくてうれしかったが、このままいくとカシノが潰れたり、そうでなくても開店休業みたいなところが出てくるのではないかとちょっと心配である。
MGMというとライオン像だが、これは海側の北東角にあった。また、敷地全体の南東側に工事中の地域があり、さらに増築工事が行われていた。ラスベガスであれば当然あるはずのイベントスペースが見当たらないので、もしかすると工事している中にアリーナがあるのかもしれない。
次の日に行ったベネチアンマカオでは、3月にセリーヌ・ディオンのショーがあると宣伝していたから(セリーヌ・ディオンなら、LVではシーザースパレスだが)、対抗上MGMも何かしらやってくることを期待したい。いくら中国人が賭け事好きだとは言っても、カシノだけではいつかはあきられてしまうと思うからである。
[Mar 4, 2008]
三色に輝くMGMグランド・マカオ。立地的なものもあるのか客の入りは良くなさそうに見えた。
MGMマカオ、エントランス。これまでのマカオになかった洒落たデザインです。
アクシデント! ~08年秋のマカオ [Nov 12, 2008]
単独行の遠征は気軽であるが、それなりにリスキーでもある。今回のマカオ遠征では、実は同じホテルにJ’sさん、MITさん、BJさんといった旧知の皆さんがいたというのに、それを知らずに一人でいろいろ動き回っていたのだが、実はかなり厳しいことになっていたのでありました。
11月3日、遠征最後の晩である。時刻は午後7時前後、そろそろ夕飯を食べようかなあと思いながら、利澳娯楽場のあたりを歩いていた。そういえば、確かkopaさんが、リオの前に鼎泰豊(デンタイフォン)が新しくできたと言っていたなあと思い出し、探してみると、確かにリオの前にその名前がある。通りの向こう側なので、バスやタクシーの流れをやり過ごし、走って横断しようとした途端に、
やってしまったのである。いきなり右足に激痛が走り、膝から下に異常が発生したことが分かった。横断中であるので止まるわけにはいかない。左足でけんけんをしながら、なんとか通りの向こう側までたどり着いて、まず痛みがおさまるのを待つ。とりあえず、右足はつま先立ちだけはできた。そろそろと鼎泰豊に入る。幸いに席は開いている。
足を折ったり伸ばしたりしながら、状態を確認。ひとまず、骨とアキレス腱は大丈夫そうだ。とはいえ、よくやるところのけいれん(足がつるというやつ)とも違う。右ひざに体重をかけると痛むし、そもそもかかとをまともにつけない。ふくらはぎはぱんぱんに腫れてしまっている。困ったなあと思いながら、とりあえずビールと小籠包、牛肉飯定食を食べて落ち着いた。
(ところで、こちらの鼎泰豊も財神裏の店とオーダーの紙が全く同じ印刷なので、姉妹店であることは間違いないのですが、ちょっとだけ味が違うような気がします。)
まずはホテルに帰らなければならない。問題は、それまで痛みが増したりしないかどうか、ちゃんと歩けるかどうかである。ここ(鼎泰豊)からホテル(金龍)まで、バス停一つ半。理工学院(華都=昔のギャラクシーの裏)まで行けば、次の八百伴のバス停の前に金龍がある。距離的には、3~400mといったところだろうか。逆に言えば近すぎて、タクシーは使いにくい。
これから最後の一勝負をして、回力あたりのフットマッサージにでも行って、という計画はどうやら諦めなくてはならない状況である。左足は大丈夫なので、左足を進めて、なんとかつくことのできる右足のつま先で一瞬体重を支え、すぐ左足に体重を移す。「大丈夫か、俺?」と自分に声をかけながら歩いているうちに、冷たい汗が出てきた。
こういうピンチは、ひとり旅をしているとたまーにある。海外では、以前、香港国際空港で財布をすられてしまったことがあった。これは帰りの離陸待ちの間だったので、困ったとは言ってもあとは飛行機に乗るだけだったが、今回はこれから日本までの長い道のりが残っている。とりあえず、ホテルに帰らなければならない。牛のように一歩一歩左足を進めながら、冷汗を流していたのでありました。
漁人碼頭(フィッシャーマンズワーフ)からサンズカシノ。
なんとかホテルにたどり着いて、部屋のある8階へ。エレベーターのすぐ近くでチャイムが聞こえるのがうざったいと思っていたのだが、こうなるとかえってありがたい。カードキーでドアを開けて、すぐに服を脱いでバスルームへ。その間も、移動はけんけんである。
バスタブにお湯を張って、まず足を暖める。栓をしているのにお湯が少しずつ抜けていくので、何分かごとにお湯を足しながらマッサージしてみる。回力近くのフット・マッサージに行くことも考えたが、そこまで歩くのもつらいし、マッサージしてもらってかえって痛くなることも十分考えられたので止めた。風呂に漬かっていれば、ともかく痛みはおさまっている。
そして「最後の一勝負」の方も、それほど意欲はなくなっていた。今回の遠征で、最初に座ったサンズのバカラ卓で、ファーストハンドがKK。嘘のような本当の話である(解説するまでもないが、ポーカーなら最高、バカラでは最低の手となる)。その後、ベネチアン、バビロンと転戦したが、ナチュラル8、ナチュラル9を一度も起こしていない。
それどころか、座った途端に3連敗、5連敗といった始まり方をするため、一回もバイインを上回ることがないのである。これは気が滅入る。バビロンでは最後、罫線的にはプレイヤーのツラに間違いないのに、私がPに張ると残り全員がBに張った。しかも1桁大きいチップである。仕方なくチップを引くと、当たり前のようにプレイヤーのナチュラル8である。
そんなこんなで、どこに行っても何のゲームをしても負けた。「全くいいところのない」敗退である。その意味では半ヅキして変にベットアップしたりしなかったため、負け額そのものは許容範囲内にとどまっていた。夕方の時点では、残った手持ち金で最後の勝負をしたところで、ほとんど勝ち目はなさそうだとは思っていたのである。
小一時間ほど足を暖めて、ベットへ。右足は寝る姿勢によっていきなり痛むので、気休めに足の間に枕をはさんで寝た。まだ9時すぎなので眠れないのではないかと思ったが、案に相違してすぐに眠れた。この日は金龍からリスボアまで歩き、ベネチアンから官也街まで歩き、サンズ裏からバビロン経由金龍まで歩き、最後財神から利澳経由金龍まで歩いた。考えてみると、ちょっとばかり無理をしたようである。
マカオ・ハウス・ミューゼアムからべネチアン方向。
さらにこんな感じで建設工事が進行中です。
夜中に1回起きたのは午前2時、あっさり直っていないかなと期待していたのに、ベットから下りると電気が走るように痛い。それでも、足をつかなければ大丈夫なのでちょっと安心した。次に起きたのは携帯のアラームで午前6時半、普段なら目覚ましがなるまで眠り込むことはほとんどないのだけれど。
帰りの香港空港行きフェリーは午前10時発。1時間前には受付するように言われたので、ゆっくり歩いていくとすると8時過ぎにはチェックアウトする必要がある。身支度をして7時にはバフェへ。右足は体重をかけなければ痛くない。昨夜早くに戻ってきたのは正解である。思い切り遊ぶのは体調が万全の時でいい。
ゴールデンドラゴンからフェリーターミナルまで、3~400mをゆっくりゆっくり歩く。下り階段を下りるのに難儀したものの、なんとか8時半にはフェリーにチェックインできた。
驚いたのは、香港国際空港行きのフェリーが満員だったことである。以前は座席指定されたことがない位(つまり自由席)がらがらだったのに、今回は待合室が一杯で、立っている人の方が多いほどである。こんなことが分かっていたらスーパーシートにしたのにと思いながら、中国語の飛び交う中じっと出発を待つ。
そういえば、漁人碼頭ことマカオ・フィッシャーマンズ・ワーフに今回初めて行ってみたのだけれど、裏の方から入ると観光バスがたくさん止まっていて、中国本土からと思われる観光客が大挙して入場していた。
フィッシャーマンズ・ワーフの一番奥が、バビロンカジノである。ここはサンズやギャラクシーではなく、地元資本のSJMが経営しているカシノだが、ここへ観光客がバスから降りてぞろぞろと入っていくのである。このバビロンカジノは円形の建物になっていて、そこに多くの観光客が入場すると、ちょうど昔のリスボアの1階フロアのように見える。もちろん、そういう視覚効果も狙っているのであろう。
エスカレーターで上の階まで行く観光客はそれほど多くはないので、そこではちょっと落ち着いてゲームができる。ただ、落ち着いてゲームができても、モーピンセイピンとか、リャンピンサンピンとか、コン2枚とかが続いても仕方がないのであった。
フェリーといえば、香港からタイパ島に直行する便もすでに開通しているようで、バスの車体とかで派手に広告していた。今回は金龍泊だったので使う場面がなかったが、新世界とか金都に泊まるのであれば、そちらの方が便利と思われる。
そんなこんなでアクシデントに見舞われてしまった今回の香港・マカオ遠征、結果としては消化不良の敗戦となった。足をひきずりながら日本に帰ってこれたものの、翌日からの出勤では登山用の杖(ステッキ)を使う羽目になり、まさに泣きっ面に蜂ということになってしまったが、きっと来年は来年の風が吹く。
この金融危機のさ中にあって、のんびりカシノ遠征ができるだけでも幸せであろう。そう考えれば、ともかくも大事に至らず、無事に帰ってこれただけでもよかったと改めて思うのでした。
[Nov 12, 2008]
フィッシャーマンズ・ワーフ内。正面の茶色い建物がバビロンカジノ。観光客で一杯。
珠海中葯谷 [Feb 28, 2008]
今年初めての海外は、なじみのマカオである。今回も広州便で、広州から珠海までは機場快線である。100km以上運んでくれるのに、片道RMB¥90(帰りはRMB¥81)、約1,400円くらいとお値打ちのお値段だが、現地仕様のバスなのでちょっと覚悟が必要である。着くまでの約3時間、トイレもなければトイレ休憩もないのだ。
3時10分発予定のバスは、定員一杯押し込んで3時半に空港を出る。このあたりすでに現地仕様である。空港を出たときには西日がまぶしかったのに、珠海に近づくにつれて雨が強く降ってきた。拱北(ゴンベイ)に着いたのはちょうど6時。到着場所がいつもと違い関門が正面に見える。帰りに気をつけなければ。
さて、土曜から火曜まで3泊4日の遠征だが、最近、星期六(土曜)のマカオのホテルは異常な高値が続いている。ほとんどすべてのホテルがHK$1000以上しているのである。つい何年か前まで、土曜日だって400~500で泊まっていたことを思うと、おとなしく払う気にはとてもならない。
だから今回はひと工夫を試みることにした。とりあえず、この道の達人であるさまよい人さんに教えていただいて何度か来たことがある、珠海の誇るマッサージ・テーマパーク中葯谷(ジョンヤオグウ)の格安のマッサージでリラックスしてから、真夜中にマカオ入りしてそのまま徹夜で打ちまくろうと思ったのである。
そんなことを考えながらバスから降りて、すぐ近くの地下商店街入口からタクシー乗り場を目指して進んでいくと、ちょうど目の前に代理店がある。ふとみると、「珠海和田度暇村酒店 平日300 休日400」と書いてあるではないか。珠海和田度暇村酒店といえば中葯谷の正式名である。
確かホームページには、平日RMB¥880、休日は15%増と書いてあったはずだが、マカオと同様、珠海も公表価格と代理店価格には相当の差があるようであった。RMB¥400で泊まれるなら、全然お得だし、マッサージを受けてそのまま休めるのは何よりである。という訳で、急きょ予定を変更して中葯谷に泊まることにした。
注.2008年2月現在、1RMB=約16円、1HK$=約15円。人民元の方が1割ほど高い。
中葯谷夜景。英語名をChinese Medicine Valleyというそうです。
さて、タクシーの時間待ちがあったり渋滞があったりして、中葯谷に着いたのは7時半近くになってからだった。デポジットRMB500を預けると、部屋に案内される。例のマッサージフロア「国医養生館」の上、3階が客室となっており、約20の客室がある。1ベットのVIPルームに通されるが、普通料金のため、サウナとスチームは使ったら有料ということである。
中国はあまりトイレがきれいでないところが多い。国医養生館のトイレも水洗ではあるのだが床面に四角く穴が開いている奴なので、客室もちょっと心配したのだが、普通の洋式トイレだったのでほっとした。洗面所もきれいだし、アメニティグッズもそろっている。ちゃんと扉のついたシャワールームもあった。
荷物を置き、部屋に置いてある作務衣に着替えて、まず食事である。昼に機内食を食べてから、8時間近く食べてないのでかなりお腹がすいた。ここには「葯膳館」という薬膳レストランがあるはずなのだが、時間が遅いためかあるはずの場所を見ても真っ暗である。仕方なく「珈琲庁」というところに入る。
メニューを持ってきたが、全部漢字である。アルコール類が書いてないので、「碑酒(ビール)はありますか?」と聞いたが、首を横に振る。健康テーマパークだからだろうか。メニューを見てもよく分からないので、RMB¥80ほどのコース料理をお願いするが、これもできないと言う。やれやれ。仕方がないので、鶏と野菜の炒め物らしきものと炒飯をオーダーする。
出されたお湯を飲みながら、料理を待つ。最初に来たのは鶏と野菜の炒め物、のはずだったのだが、何かやたら鶏が小さくきざんである。食べると、細く小さい骨のようなものがある。味は淡白でくせがないが、鶏のモモだったらあるはずの皮や脂がなく、これは断じて鶏ではない。そう。私がオーダーしたのはおそらく田鶏(カエル)なのであった。
中葯谷・和田酒店の客室。覚悟していたより、かなりきれいで驚きました。
まあとにかく炒飯はおいしかったので、お腹がふくれたところでお風呂へ。ここのお風呂は男女兼用で、水着着用であることは事前に調べてあった。なければ共用のものを貸してくれるのだが、もちろん自分のものを用意してある。更衣室を通って室内にプールと4、5の内風呂、外には大きなプールと露天風呂が10以上あるが、外は真っ暗でしかも大雨なのであきらめる。
内風呂は近づくだけですっぱい匂いがする醋湯や、茶湯、泡湯などがあるけれども、どれもぬるくて物足りない。唯一いい湯加減だったのは散寒湯というお風呂で、いろいろと薬草が入っていそうだったが、中国人にとっては熱すぎるせいか誰も入っていなかった。しばらくあたたまるが、海パン着用のせいか今一歩リラックスしない。
更衣室で再び作務衣に着替えて、いよいよ国医養生館でマッサージである。今回は「中医特色足療」と「中医特色四点全身療法」を1小時(1時間)ずつ、じっくりと体をほぐしてもらう。2時間でRMB176、日本円で二千数百円なのだから格安以外に言うべき言葉がない。ほとんどひと気がなかった館内も、10時半すぎに部屋に戻る時にはマッサージ中の人が十数人いて結構にぎわっていた。
今回じっくり見て思ったのだが、この宿のコンセプトはどうみても日本の温泉宿である。ロゴマークはひらがなの「ゆ」だし、本格的なマッサージや薬膳に特色をおくというのも、日本人の発想に近い。そして名称の「珠海和田度暇村酒店」、(度暇村は休暇村、酒店はホテルの意味。)。和田というからには、ここはもともとヤオハンが出資してできたのかもしれない、と思ったりした。
[Feb 28, 2008]
翌朝になっても、まだ雨降り。屋根のようなものがみえるあたりが、露天風呂になっているらしいです。
コロアネ島 [Mar 18, 2008]
♯1 最後の楽園 コロアネ島
アジアのラスベガスを目指してマカオ中が建設ラッシュとなり、かつてののどかなマカオはほとんど見ることができない。その中でかつての雰囲気をわずかに残しているのが、コロアネ島である。今回はこの「最後の楽園」とも言うべきコロアネ島にも足を伸ばしてみた。
かつてマカオは、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島の3つの地域に分かれていた。マカオ半島は中国と地続きでポルトガルのアジア進出以来古い歴史を持つ貿易港であり、一方でタイパ島、コロアネ島は文字通り島であった。マカオ半島は狭い地域に多くの建物と人々がひしめいており、カシノの多くが集中していたのに対し、タイパ・コロアネ島はリゾート地として、ホテルやゴルフ場、競馬場、運動場、海岸、植物園などが点在していた。
しかし、1990年代に入り、マカオの中国返還、さらに海外資本へのカシノ自由化が起こることにより、こうした状況は大きく変わってきた。マカオ半島には、再開発できる土地はほとんどない。だからそれ以降に大規模な開発を行うためには、マカオ半島以外の地域に土地を求める他はなくなってしまったのである。
具体的には、タイパ島と、タイパ・コロアネ間の埋立地であるコタイ地区である。タイパ島は住宅地として、コタイ地区は自由化により進出した欧米・香港資本のカシノ&ホテル用地として、大規模な開発が行われてきたし、さらに今後も行われる。そういうことで現在では、タイパ島とコロアネ島はとうとう地続きになってしまった。
それでも、ゴルフ場やサーキットを越えてコロアネ島の中心部へ向かう人はそれほど多くはない。大体、バスだってそれほど本数走っている訳ではないのだ。そう、ここから先がマカオの「最後の楽園」なのである。
サーキットを越えて、左に採石場、右に工業地帯を見ながらしばらく進むと、前にも書いたことがある「媽祖文化村」への入口になる。構わず先に進むと、坂を登って下ったあたりにコロアネ村の中心部が見えてくる。バスターミナルのあるロータリーが「恩尼斯総統前地(エネス総統前広場)」である。マカオ半島中心部からここまでタクシーで来ると、大体70HK$(1000円)くらいになる。
コロアネ島・総統前広場あたり。バスの向こう側がロータリー(広場)となっている。
#2 フランシスコ・ザビエル教会
バスターミナルのある総統前広場からさらに直進すると、50メートルも行かない間に海に行き着く。向こう岸に見えるのは、中国・珠海市である。ここから左右(方角でいうと南北)に広がるのが、コロアネ・ビレッジである。ゆっくり歩いても1回り30分もかからない小さな村であるが、なんともいえない雰囲気がある。
そして、家々はあまりきれいとは言えないのに、止まっている車はほとんど新車であるあたり、マカオの好景気の影響が及んでいるということなのだろう。
突き当たりを左(南)に向かう。コロアネ・ビレッジには海岸沿いを南北に通っている大通りと、そこからやや内陸に入ったところを平行に通っている裏通りしかない。だからまず対岸の中国側を見ながら大通りを南下するのだが、総統前広場から4、5分もかからない近くに、有名なフランシスコ・ザビエル教会がある。まっ黄色の目立つ外観をしているので、すぐに分かる。
日本のマカオ観光案内では、必ずといっていいほど載っている教会だが、あまりひと気はない。周辺には観光客目当てと思われる飲食店や土産物店と思われる店(とはいっても、屋台と大して変わらない)が並んでいるが、どこも開いていない。というよりも、しばらく前からやっていないのではないかという雰囲気である。
建物の中に入ってみる。おごそかに教会音楽が流れていて、左右に席が何列かずつ並んでいるあまり広くはない礼拝室と、もう一つ資料室のような部屋がある。資料室には、アジアにキリスト教が布教されてきた歴史についての展示物があり、英語と中国語の説明が書かれていた。
ご存知のようにフランシスコ・ザビエルは16世紀のカトリックの宣教師で、日本にキリスト教を伝えたことで有名である。もともとはポルトガル王の求めにより当時ポルトガル領であったインド西岸のゴアに派遣されていた。その後、中国そして日本へと布教していったのであるが、日本への出発点となったのが当時やはりポルトガルの拠点であった広州である。
その後マカオがポルトガル領になったことにより、ザビエルの名を冠した教会がこの地に残されることとなったものであろう。とはいえ、マカオの人々にキリスト教が根付いているかというと、どうやらそうではなさそうだ。実はコロアネ・ビレッジには他にもいくつかの宗教施設があるのだが、にぎやかだったのはむしろそちらの方だったのである。
フランシスコ・ザビエル教会。マカオらしいパステルカラーで、建物の中はそれほど広くはない。
#3 譚公廟からコロアネ漁港へ
フランシスコ・ザビエル教会からさらに南へ進む。コロアネ小学校を過ぎて、通りの行き止まり、コロアネ・ビレッジの南端にあるのが譚公廟(たんこうびょう)である。ここには、ウィークデイの昼前だというのに、かなりの人が参詣に訪れていた。
道教の神々の中で、特に沿海部の人々の信仰を集めているのは天后(てんこう・ティンハウ)である。天后は道教の海の女神的存在であり、もともとは海難除けのまじないをしていたとされる媽祖と習合されて今日に至っている。香港の天后廟、マカオの媽閣廟(マコウミュウ・マカオ地名の元と考えられている)いずれも天后を祀っている寺院である。
そしてもう一つ、道教の海の神様として信仰を集めているのが譚公(たんこう・タムクン)である。旧暦の4月8日には香港でもマカオでも譚公祭が開かれる。この譚公を祀った寺院の中でマカオ最大なのが、コロアネ島の譚公廟なのである。
媽閣廟(マコウミュウ)と同じく、渦巻き型や極太の線香が焚かれて周辺には煙と香が漂い、なぜか大きな石に年号やら何やらが書かれていることも共通である。何人もの人が、熱心にお祈りをささげている。後ろ側は小高い丘になっていて、その先は海になっているはずだ。国境警備の建物が建っていたが、ここには誰もいなかった。
譚公廟から裏通りを通ってもとの方向に戻る途中に、二つの小さな寺院がある。一つは天后古廟、もう一つが観音堂である。天后古廟は最近再建工事が行われたらしく、奉加帳のような石碑に、環宇旅遊(私のよく使う代理店)が大口の寄付をしたことが記されていた。観音堂は仏教寺院のはずなのだが、当然のように関帝(道教で信仰されている三国時代の武将、関羽)の絵がかざられていた。
雑貨店や食料品店、八百屋などが並ぶマーケット街を通っていくと、最初に来た総統前広場に戻る。そのまま北に進んで5分くらい行くと、コロアネ・ビレッジ北端のコロアネ漁港である。
ここは、昔コロアネ島がタイパ島とつながっていなかった頃、マカオ半島までフェリーが往復していた港なのだそうである。現在は漁港として使われているらしく、周りには魚の干物を売っている店が2軒あった。
同じ干物とはいっても、熱海や伊東の匂いとは少し違う。日本だと干物にするのはあじやトビウオ、いわし、さんまといったひかりものが多いが、ここの干物はイカと、新巻鮭くらいの大きさの魚の干物(南なのでスズキかもしれない)が主体である。
いまやマカオといっても、カシノの中にいる限りラスベガスと区別が付かないようになりつつある。こうしたのどかな雰囲気が、少しでも長く残っていてほしいと思う。
[Mar 18, 2008]
コロアネ漁港と碇のモニュメント。右は干物のお店。
新・新八百伴 [Nov 5, 2008]
11月1日から4日まで、久し振りに香港・マカオに行ってきた。今回の遠征で最も驚いたことは、フェリー乗り場近くのヤオハン(新八百伴)が閉鎖されていたことである。
これは単に驚いただけでなく、かなり影響があった。というのは、私が最近マカオで滞在するホテルであるカーサリアルやゴールデンドラゴン(今回はこちら)はヤオハンから歩いてすぐの場所にあり、ここでミネラルウォーターであるとか、酒・つまみとか、パンと牛乳・ジュースとかを買うことにしていたからである。
このヤオハンの中にブルドーザーが入って、中はがらんどうになっている。あの壊し方からすると、外装はそのままで内装を全面的に直すのではないかと想像するのだけれど、とにかく現在ヤオハンはやっていないのであった。バスの行き先表示は相変わらず「新八百伴」がそのまま使われているが、そのバス停にヤオハンはない。
おかげで、この一帯は人通りがかなり少なくなっている。今回ゴールデンドラゴンが610HK$と、ウィークデイであるにしても以前よりかなり安くなっていたのは、そのせいだったようだ。こうなってみると、ヤオハンの向かいにある回力の建物も古いし、それに低い。おそらく近い将来に再開発されることになるだろう。
さて昔の場所ではなくなってしまったヤオハンだが、夕食にアリ・カレーハウスに向かう途中で移転先を見つけた。新しい新八百伴はリスボアから南湾、つまりマカオ・タワー方面に少し行ったところ、英皇娯楽場の並びにちゃんとあった。1階には相変わらず化粧品街があり、若い女性で結構にぎわっている。
回力・八百伴界隈は、マカオの中でもかなり雑然としたところで昔の風情が残っていたのだが、ここも変わってしまうというのは少し残念である。それと、次回からは泊まる場所も考えなくてはいけないなあと思った今回の遠征でした。
[Nov 5, 2008]
工事中で閉鎖されてしまった旧「新八百伴」
移転先の新「新八百伴」、ネオンサインのまぶしい向こう側の建物は英皇娯楽場。
レンタルーム・ホンコン [Nov 6, 2008]
さて、今回の遠征は久し振りの香港夜便での入り。もちろん澳門への直行フェリーは最終便まで出てしまっているので、いったん上環まで出るか、あるいは香港で一泊するかの選択となる。寄る年波で、上環まで出てフェリーに乗ってマカオ入国という午前2時コースは辛いというのが本当のところである。
ダメもとで、JALホームページから香港の宿を探してみる。土曜夜の香港のホテルは1泊2万円くらいするのに、泊まってみると大したことがないというケースがこれまであったので、そんな値段なら辛くても直接マカオに入り朝までカジノでがんばるしかない。
ところが、値段順に並べてみると、一番安いのはなんと5500円である。エクスペディアという代理店で宿は「Rent-a-Room Hong Kong」、聞いたことがない。地図をみるとネイザン・ロード沿いにあることになっているが、見たこともない。
一抹というより相当に不安が大きかったものの、この値段は魅力である。仮に気に入らないとして泊まらずに出てきてもあきらめがつく金額である。まして、天下のJALホームページに載っているくらいだから、一応の審査はしているはず。ということで、ここに予約を入れてみたのであった。
到着が真夜中であるので、一応いろいろ調べてみる。ネットでの評判はよくない。「行ってはいけない」「高すぎる」「スタッフの対応悪すぎ」などなど、腰が引けるコメント(英語)が満載である。細かい地図も出てこないし、困ったなあと思いつつ、まあ中国語の名前(訂房通)と住所(徳興街)が分かったので、なんとかなりそうだ。
さて、機場快線で空港から九龍まで出て、タクシーに乗る。下ろされたのはプルデンシャル・ホテル(恒豊酒店)の前。ここはガイドブックにも載っているちゃんとしたホテルだけれど、ここではない。付近を捜してみるが、どこにもホテルの名前を書いた看板はない。
仕方がないので、住所で探す。いったんネイザン・ロードに出て、徳成街、徳興街と見つけた。徳興街の1、2と順番に進むと、ちょうどプルデンシャル・ホテルの裏の両替店や商店の並びである。5は「Knight Garden」、住所はここなのだが、やはりどこにも看板はない。とりあえず、通りから敷地の中に入ってみる。
仕方なく、守衛所のところに人がいたので聞いてみる。すると、建物の一つの階段を上がったところだという。なんと、ここにも看板はないのであった。チャイムを押すと、中から香港ジモティの女性が出てきた。なんとか着くことができたらしい。
ちゃんと予約は通っていて、100HK$のディポジットだという。クレジットカードを使いたくないなあと思っていたので、ちょうどいい。受付が終わると、その建物の4階にある部屋へ案内される。暗証番号を押して宿泊フロアに入り、カードキーで部屋に入る。もちろん個室である。
ちょっとベットは小さかったけれど、シャワーも冷蔵庫もテレビもセーフティボックスも付いていて、泊まるのに不便はない。地鉄ジョーダン駅からすぐだし、近くにセブンイレブンも麺粥店もある。だから個人的には何も不足を感じなかったのだが、ここはホテルかといわれると、ホテルではないとしかいいようがない。
狭いウィークリーマンションに1泊だけ泊まったというのが正直なところで、マカオのゲストハウスに比べても居住性はかなり落ちるかもしれない。それでも値段と比べれば、まあ妥当と思われるのだが。
ちなみに、翌朝なにげなくテレビをつけて教会番組をみていたら、「美国国家足球聯盟」の「MVP」、ショーン・アレクサンダーが出ていた。シーホークスを解雇されて、かなり暇だったらしい(その後、ワシントン・レッドスキンズと契約したが、活躍できなかった)。
[Nov 6, 2008]
ベッドはこんな感じ。私の背だと、足がはみ出してしまう。
ロッカー、冷蔵庫周りはこんな感じ。あとシャワー、トイレスペースがある。
ホテルの地図。看板がないので、これ位細かく書いてないと、普通の人は分からないと思う。