JALサイパン便撤収 テニアン2005年7月 テニアン2006年春
テニアン2006年秋 テニアン2007年 ケアンズ雑感 ケアンズ雑感2
For here or to go? [Dec 19, 2007]
今回の遠征(もう、ひと月近く前になるが)は短かった割にいろいろ新しい経験があって楽しかったのだけれど、その一つに、つい最近覚えた慣用句をが使えるシチュエーションがあったことがある。
その言葉とは、"For here or to go?"。エクスカリバーのファーストフード、Manchu Wokで言われたのだけれど、迷わず"For here!"と答えられたのはうれしかった。この言葉の意味は、想像できるように「お召し上がりですか?お持ち帰りですか?」で、その場で食べていく場合は"For here."持ち帰りは"To Go."となるのであった。
これまでもマクドナルドとかスターバックスとか、ファーストフードを利用する機会はかなりあったはずなのだが、聞かれたことは記憶にない、というか、知らなかったから何にも答えなかったので、おそらく店員さんが気を利かせて持ち帰り用に包んでくれたのだと思う。今回は「お召し上がり」と言ったので、持ち帰り用の袋にはいれないでトレイのまま渡してくれた。
もう一つ、今回初めて聞かれた質問として、"Twenties or handred?"がある。これは記憶する限り今回の遠征が初めてであり、アジア某国を震源地とする偽ドル札騒ぎから端を発したものであることは間違いないだろう。
意味はもちろん、「100ドル札でいいですか?それとも20ドル札でお渡ししますか?」ということで、カシノのキャッシャーで聞かれる質問である。数万ドル単位ではそもそもキャッシュで払い戻すことはないだろうし、数千ドル単位でもすごい量になるのでそんなことは聞かれないと思うが、私のように千ドル未満の場合、そのままいろんなところで使う際に100ドル札だと嫌がられるということもあるのだろう。
同じように受け取りを嫌がられる香港のHK$1000は約15000円、アメリカの$100は約11000円である。日本の10000円札は、ここ当分の間そんな状況になるとは考えにくいので、やっぱり日本は暮らしやすいということになるのかもしれない。
[Dec 19, 2007]
Manchu Wok の中華(?)ファーストフード。ヌードルと鶏のから揚げオレンジ風味、野菜炒め、牛肉と香味野菜。これで$8と少し。
3年振りのLas Vegas [Jun 8, 2011]
地獄の10連闘を何とか消化して、日本時間17日午前5時の現在、ロサンゼルス国際空港の4番ターミナル40番搭乗口付近で、Las Vegasに向かう乗継便を待っているところである。
さすがに3年ぶりの太平洋航路、思いもよらないことがあった。ちょうどアラスカあたりを飛んでいる時に正体不明の悪寒に襲われてしまったのである。
ダイエットの効果が上がらずエコノミーに乗るのは無謀であるため、行きはプレミアムエコノミー、帰りはビジネスにした。プレミアムエコノミーはちょうど国内便のクラスJシートのような感覚であり、食事はエコノミーレベル。CAもあまり寄ってこない。確かに横幅はビジネス並みにあるのだが、前の座席との距離はそれほど長くはない。
さて、スカイアクセスに乗って海外に行くのも今回が初めてで(国内はある)、家を出たのは1時半頃、成田空港に着いたのは3時過ぎ。手続きや両替をしてラウンジに座ったのは4時頃だから、そんなに深々と飲んだ訳ではない。また、機内食でもワインを1本(JALサイズだから150mlほど)飲んだだけなので、そんなに酔っ払っていたはずがない。
ところが、飛行時間の中ほどで、どうにも頭が重くなって耐えられない。重いというのはだるいというのとは違って、首が頭を支えられないといった方が近い。おまけに冷房が効いているにもかかわらず、なぜか頭から上半身が汗びっしょりとなってしまい、ふいてもふいても後から汗が噴き出してくる。
たまらずにCAを呼んで、冷たい水とバッファリンをもらう。これで何とかおさまったのだが、こういう悪寒は初めてである。そういえば奥さんが、長い時間飛行機に乗るとこのように具合が悪くなったと思う。また具合が悪くなってはたまらないので、その後の食事サービスはすべてキャンセルした。
いま現地時間では午後1時過ぎ。こういうことがあったので、朝・昼ともミネラルウォーターのみで過ごしている。地上ではそんなに具合は悪くならないのだが、やっぱりこの時間になると眠い。
目標のWSOPシニアは現地時間の明日、まさにこの時間である。体調がよければ今晩どこかのホテルのトーナメントで予行演習と思っていたのだけれど、あと5時間ぐらいで元に戻るのか、今回も前途多難である。(そもそも、この記事を上げられるのだろうか?→エクスカリバーで上げられそうです)
ロサンゼルスのAAロビー。この後30分以上ディレイして、ホテルに着いたのは5時過ぎになりました。ロスは涼しく、ベガスは暑い!!です。
いま、現地時間の17日午前9時過ぎ。バフェで朝ごはんを食べて、部屋でのんびりしているところ。3年ぶりのベガスではインターネットが無制限接続になっていて(その分料金が引かれるが)、こうしてブログを更新していると日本にいるのとほとんど変わらない。
昨日の飛行機での不調が時差ボケの症状でもあったようで、1晩眠ったらまずまずの体調に戻った。もしかしたらゲーム中に眠気が襲ってくるのかもしれないが、それはそれで仕方がない。ラスベガスはこの週末ずっといい天気という予報で、窓から差し込む日差しもいかにも暑くなりそうな様子である。
昨晩は結局、予行演習のトーナメント参加もせず、リオに行ってレジストレーションをして、進行中のゲーム(6ハンドノーリミット)を軽く観戦して、ブラックジャックもスロットマシーンもせずにおとなしく寝た。だからカジノに支払ったおカネは、現在のところWSOPの参加費US$1000だけである。
指定された席はアマゾンのBlue、290番テーブル。アマゾンルームを入ってすぐ右のエリアである。アマゾン青の奥にはメインテーブルと特設観客席があるが、ここまで残れる確率はおよそ300分の1。ダブルアップを8回決めれば射程圏内ということにはなるけれど、まあなかなか難しいことは確かである。
さて、そんな状況を見越してなのか、今回のレジストレーションではおもしろいものをもらった(下の写真)。レシートとリオの$10バウチャーはいつものことだけれど、もう1枚はシーザースパレスからである。Super Senior No Limit Hold'em Eventと書いてある。日時は6月18-19日。つまり、WSOPシニアでやられた方はこちらにどうぞということである。
この商売はうまい。私だってWSOPシニアのために遠路はるばるラスベガスに来ているのだから、全米、いやいや全世界からこのイベントのために多くの年寄りが集まっているはずである。そして、最初から負けるつもりで来る奴はいないから、週末のホテルは押さえている。ところが、およそ3000人(昨年度実績)の9割以上は、初日で負けるのだ。
つまり、2千数百人は明日からやることがない(これはいい過ぎ。決まっていないというべき)。だから、ここにイベントを持ってくれば、かなりの割合がこちらのイベントにシフトするに違いない。参加費は$500+60、これプラス$50のチャリティでボーナスチップとなると600ドルと決してお安くはないが、20,000点(+ボーナス5000)スタートのメガスタックである。
シーザースパレスのことだから、20,000点スタートでも1ラウンドが150-300だったりするのだろうが、それでもチップがいっぱいあるのは楽しいものである。トーナメントルームには300人くらいしか入れないはずだが、特設の会場でも作るのだろうか。すごく興味があるが、そんな(やる前から負ける)ことは考えずに、とりあえず初日突破を目指さなければならない。
[Jun 18, 2011]
左から、WSOPシニアレシート、$10バウチャー、敗者復活トーナメント(w)のご案内。その上はお土産に買ったWSOPグッズ。
テニアン・ダイナスティ [Apr 2, 2005]
注.この記事は2005年4月に作成し、当時の記事をそのまま掲載してあります。サービス内容その他は最新情報をご確認ください。
1.アクセス
日本から近いカシノというと、まず韓国、そしてマカオがあるが、テニアンも全く引けをとるものではない。サイパンまで約3時間半、そこからセスナで10分。朝成田を出れば、マイナス1時間の時差をカバーして、夕飯前にひと勝負が可能である。
旧正月とぶつからない限り満室ということはまずありえないから、まずサイパンまでのエアーを押さえよう(後から述べるように年4回のトーナメントの時も混むので、初めての時は避けるべきである)。成田からはJALWAYSとノースウェストが午前10時前後に飛んでいる。ノースウェストの割引ビジネスはゆったりしていいが、JALWAYSもシーズン以外は結構空席があるので、エコノミーでも十分ゆっくりできる。
エアーを押さえたら、ホテルの東京事務所に電話して部屋を予約する。この際、2千ドル以上の資金を持ち込む人は「カシノのVIPカードを作りたい」と必ず言おう。一般優待(プロモーション)のルームチャージより、カシノ優待のルームチャージの方が若干ではあるが安い上、コンプと呼ばれるカシノ利用額に応じた割引があるからである。
予約の際には、名前、宿泊日、人数、部屋の種類(デラックスが普通の部屋)などの他に、サイパンへの到着便、テニアンへの移動手段(セスナかフェリーか)が尋ねられる。大人数でない限り、行きはセスナ(フリーダムエア)が妥当だと思う。早く着くことができるし、やっぱり空からの方が景色もいいからである。
サイパン国際空港の入国手続きを終え、空港ビルから外に出ると迎えの人が来ているので一応探してみる(手違いや飛行機遅れでいないこともある)。荷物を持ってくれてフリーダムエアの搭乗手続きまでやってくれるので、チップを忘れずに。
荷物はそのまま預けられてしまうので、帽子やハンドタオル、ミネラルウォーターなどは自分で持っているのが無難である。サイパンはかなり暑いからである。もし誰もいなくても、出口から右に進んでいけば、すぐコミューターのビルである。
自分で搭乗手続きをする場合、入口を入ってすぐ右がテニアン行きの窓口なので、「Tinian,1person,One Way.」といえば、名前とか体重を聞かれるので答える。あらかじめ、紙に書いておくとあわてなくていい。体重はポンドなので、kgを2倍して1割増する。サバを読むと積載重量を超える場合があり、安全性の面で問題があるので注意しよう。料金は、前は30ドルでおつりが来たが、最近値上がりして30ドルに少し足さなくてはならなくなった。
搭乗手続きを終えたら航空券控え(それ以降使うことはない)と荷物の預かり札を受け取り、入口を入ってすぐの待合室で待つ。フリーダムエアには時刻表はあるが、基本的に人が集まったら飛んでいるようで、時刻表の時間はほとんど関係ない。
だからすぐに呼ばれる時もあるし、1時間近く待つ時もあるが、ここはのんびりしよう。順番が来ると名前を呼ばれる。せいぜい6、7人しかいないし、大抵の場合日本人も何人かいるので安心である。心配するのは、おばあちゃんパイロット(80を超えているとの噂)に当たったときだけだ。
正面からみたダイナスティホテル。
2.チェックインとVIP登録
セスナは2×3席がほとんどだから、必ず窓際に座れる。ドアは離陸直前まで開けっ放しだから(暑いため)、自分で閉めないようにしよう。飛んでしまえばすぐにテニアン。美しいテニアンブルーの海を眺めているとすぐにテニアン国際空港だ。「ARRIVAL」と書いてある到着口には誰もいない。中の荷物出し口で預けた荷物を受け取ったら、すぐそこにあるテニアンダイナスティの直通電話で迎えに来てもらう。
「My name is MMM. 1 person at the airport.」とか言えばわかってくれる。もしかすると、ガラスの出口の向こうから中を覗いている人がいるかもしれない。かなりの確率でホテルの人なので、「Tinian Dynasty?」と聞いてみよう。
ホテルの迎えの車に乗ったら、「こんにちは」とあいさつを。大抵のドライバーはきさくで、ホテルへの道すがら唄を歌ってくれる。一度など、来たばっかりなのにオフコースの「さよなら」だった。島の中央を南北に走るブロードウェイをしばらく走ると左手にホテルが見えてくる。着いたらチップを忘れずに。
着いたらチェックイン。名前と日本の連絡先を書いて、支払保証のクレジットカードを渡す。JCBの表示もあるのだが、最近は「Visa or Mastercard」と言われることが多い。きっと手続きが面倒なんだと思う。カードキーと宿泊カードをもらったら氏名と宿泊日を確認する。部屋まで案内してもらってひと休み。
ここで一つアドバイス。このホテルには宿泊約款やら館内の案内やらレストランの営業時間やらを書いたリーフレットがない。従って、初めての時は特に館内の様子が分かりづらいので、ホテルのホームページの館内見取り図やテナント、レストラン案内のハードコピーを持っていくことをお奨めする。また、部屋にはスリッパがないので、気になる人は用意するといい。ただ、現地でも、下のマーケット「Glooming」に行けば、サンダル等は売っている。
ひと息ついたら早速カシノでVIP登録。年に4回のトーナメントの時にはカシノホストがそれどころじゃないくらい忙しくなるようなので、避けた方がいい。それ以外の時はたいてい暇にしているので、カシノ入口の案内で「VIP Service.」というとカシノホストを呼んでくれる。申込書に必要事項を記載して、パスポートを渡して本人確認すると、すぐにカードを作ってくれる。最初の原資は最低2千ドル(次回からはそれ以下でいい)。そのままチップを買うか、フロントマネーにするか聞いてくるので、好きな方を。
両替は表示レートでドル転、円転のいずれも行う。サイパンと違い手数料はとられないが、最初に円→ドルに替えて、その範囲内でかつ3日間しかドル→円はできないようだ。レートは5円刻みくらいで、概して円に不利となっているので、国内でドルT/Cにあらかじめ換えていくことを強く推奨する。Amexのカードは使えないが、T/Cは問題なく通用する。ホテルHPによると円T/Cは使えない。
客室(デラックスルーム)
3.カシノ
カシノフロアに入ると一面のスロットマシンがあり、その奥がテーブルゲーム。一番奥には24時間営業の「CASINO CAFE」と競馬ゲームがある。また両サイドには、Prince、Princessの2つのプライヴェートルームがある。
メインとなるゲーム卓は、CAFEに沿った2列のテーブルの島と、その島から通路を隔てて入口側の島の2ヵ所である。前者は、入口に近い側から、大小、ミニバカラ、パシフィックポーカー、ブラックジャック、ルーレットと続き反対側の通路に至る。大小の横にはクラップスのテーブルがあるが、オープンしていることはほとんどない。
ミニマムベットはほとんどが5ドルであるが、BJについては10ドル、25ドルとなる場合もある。BJのサイドベットとして1ドルベットのスリー7があり、連続7、3連続7については配当がある。対子ベットはない。パシフィックポーカーのジャックポットは1ドルで、2005年2月現在約48,000ドル貯まっている。
入口側の島はいわゆるハイベットエリアであり、100ドルミニマム、200ドルミニマムのバカラがある。100ドルはスーパー6ルール(バンカーの6勝ちは配当が半分)。200ドルは通常ルール。100ドルもスクイーズできる。その横にはポーカーテーブルがあり、週末にはカリビアンスタッドの卓が開く。それ以外のテーブルはディーラーが講習などに使っている。
客層は、日本、韓国、中国がほぼイーブン、たまに米国。2004年の後半から日本人ディーラーもインターンとしてディーリングを行っており、ひとりで行っても心細いことは全くない。ディーラーは中国、ネパールなどの出身者が多い。中国のディーラーの中には時々びっくりするくらいかわいい子がいる。
コンプについては渋いという評判だが、ブラックチップ(100ドル)で1日5~6時間もプレイすればフルコンプのようだし、グリーンチップ(25ドル)でもルームコンプくらいにはなるので、VIPカードは作った方がいい。
コンプはチェックアウトまでには自動的にフロントに通っているので、セスナないしフェリーの時間に合わせてチェックアウトすればいいが、大抵の場合カシノホストがフロントで待ち構えていて、空港かフェリーターミナルまで送ってくれる。
フェリーは当然無料だし、サイパン港から空港に送迎もしてくれる(言えばDFSにも寄ってくれる)ので、海が荒れていなかったらフェリーでゆっくり帰るのもいい。もちろん、時間ぎりぎりまで勝負してフリーダムエアという手もあるが、前にも言ったように時刻表どおりに飛ばないので、あまりぎりぎりに行くと冷汗をかくこともある。
ホテルから見た海。
4.食事
フルコンプになる人はダイナスティコートの中華料理や、嵯峨野の鉄板焼きを楽しまれるのが定石だろうと思うが、1人当り60~100ドルなので、自腹を切るにはちょっとつらい。値段の割においしくて量も満足できるのが、CASINO CAFEの韓国料理である。カルビジム定食やシーフードチゲ、冷麺定食などがせいぜい15ドルほどで食べられる。
ブロードウェイのバフェイは朝食にはいいが、メニューがほぼ決まっているので毎日毎日はあきてくる。それほど量を食べなくてもいい人には、やはりCASINO CAFEのシェフス・サラダがいい。サラダといってもすごいボリュームでパンもついてくるので、飲み物をつければそれだけで十分な食事になる。
あとお奨めなのは、名鉄フレミングのレストランである。これもダイナスティのレストランより大分と安い。テリヤキ・ビーフなどなかなかの味である。食べ終わったら、本棚のところに置いてある戦前の「テニアンすずらん通り」の写真をみて、ありし日に思いをはせてみよう。日本人はどこでも日本にしてしまうんだなあ、という感激がある。帰りは、隣設されているスーパーでミネラルウォーターやお菓子、おつまみ類を買っていこう。ダイナスティより安いし、品数も豊富だ。
[Apr 2, 2005]
名鉄フレミングのレストラン&ストア。ダイナスティ建設前は島で唯一のホテルだった。
JALサイパン便撤収 [May 31,2005]
JALの成田・サイパン便が10月以降撤収だそうである。7~9月はオンシーズンでエアーも高くなるし、台風の来る時期でもあるので、その前の6月下旬にテニアンに行こうと思っていたのだが、なぜか2、3週続けてJALもNWAも満席である。こんなに混むならなんで止めるんだ、と頭に来ていたのだが、ようやくその原因が分かった。天皇皇后両陛下のサイパンご訪問である。
今年は戦後60年の節目の年で、大戦末期に多くの犠牲者を出したサイパンをご訪問なさるとのことであるが、ことによるとテニアンにも行かれるのかもしれない(フリーダムエアに乗ることだけはないだろうが)。現北マリアナ諸島、昔の南洋諸島から引き揚げられた方々の高齢化も進んでおり、そうした方々の団体の集まりも今年が最後になるとの報道である。
ダイナスティ建設前のテニアン島はダイバーと慰霊関係者だけが訪れる島だったそうだから、そういう意味では、JALのサイパン便撤収も時代の流れなのかもしれない。
私はすぐ日焼けしてひどくなるとすぐ熱を出してしまうので、テニアンに行ってもプールに短時間いるくらいで海には行けない。だから、レンタカーを借りて島のあちこちを回ることになるのだが、その中でも強く印象に残っていることが2つある。
ひとつは、テニアンの老舗ホテル「名鉄フレミング」のレストランにある「テニアンすずらん通り」の写真である。どう見ても、日本なのである。日本人はどこに住んでいても日本にしてしまうんだなあ、と思ってしまう。
もう一つは島の西側の通り、確か52nd Streetだと思うが、その通りを原爆搭載地の方から南下してきて、現米軍アンテナ基地を過ぎたあたりで左に折れると、むかし日本人村があったという付近に進む。まるで「トトロ」にでも出てきそうなガジュマルの大木を過ぎ、道と草むらの区別もつかなくなるあたりまで行くと、くずれてしまった灯籠が散在している。その一角にもはや半分ジャングルに飲み込まれてしまいそうな石碑が残っている。
そこには、「羅宗神社」(ラッソー神社と読む)と文字が刻まれている。非常に達筆であり、碑自体それほど古くは見えないのだが、戦後に神社の石碑を建てるというのは考えづらいので、多分戦前からあるのだろう。この石碑を見ると、ラテストーンの傍らにある慰霊碑よりも、あるいはスーサイドクリフに数多くある鳥居や慰霊碑よりも、ここが日本であった(正確には信託統治領、かな?)ことを強く感じるのである。
そうした方々が多く訪問する時期ということであれば、たかだかカシノに行く私のエアーが取れなくても仕方がない、と思った。
[May 31,2005]
テニアン2005年7月 [Jul 9, 2005]
#1 フリーダムエアで危機一髪
昨日まで3日間、今年3回目となるテニアンに行って来ました。今回は本当にいろいろなことがあって濃い3日間となったのですが、返す返すも残念なのは前の週ずっと忙しくて体調が万全でなかったことでした。
さて、今日は小手調べに軽いところから。帰りのテニアン→サイパンは12時半ロビー集合で、空港まで。いつものフリーダムエアである。しばらく待って、セスナに乗ったのはダイナスティ帰りの日本人ばかり6人とパイロット。いつものように、鈍い音をたててプロペラが回りだし、ターミナルから滑走路に進む。海側に進んでから、ブロードウェイ側に発進、パイロットが手を伸ばしてドアを閉め、スピードを上げ、離陸・・のはずなのだが、スピードが上がらない!
いったんスピードを落としたパイロットは、再びエンジンを回すが、いまひとつ力がなくプロペラの回転が上がらない。再度スピードアップ、しようとしたら、いきなりプロペラの回転が落ちてエンスト。しばらくプロペラの空回しを続けていたパイロットは一言、”Dead”。
グライダーに乗ったことがあるので、空中でエンストしても操縦桿さえ効けばそう簡単に落ちることはないと分かってはいるのだが、それはかなり上空に行ってからのこと。離陸後すぐにそういうことになれば、もちろん墜落である。「テニアンで小型機墜落。邦人6人死亡」の見出しがちらっと脳裏をよぎったのであった。
パイロットはエンストを繰り返しながら、何とかセスナをターミナルまで戻そうとがんばっていた。滑走路から誘導路に入ってようやくターミナルが見えてきた頃、いきなり「パン」と乾いた破裂音とともに機体が左に傾いた。今度はパンクである。
幸い、予備機が迎えに来てくれて、人も荷物もその場で載せ替えて再出発。今度は普通に飛んだのだが、最初助手席に乗っていたおばさんは、「もう前はいや」と2列目に席替えしたくらいであった。私は3列目だったのだが、この乗り替え機のパイロットは、何回か乗ったことのあるモヒカン風のガタイのいい白人パイロットで、ちょっと運転が荒い。相当な急旋回をするので、それはそれで肝を冷やした。
思えば冷や汗もののフライトではあったのだが、風のほとんど入らないセスナの3列目で、冷や汗もかかずに大汗をかいてしまった午後でありました。
フリーダムエア。この時の遠征写真が残っていないので、別の遠征時の写真を載せてみました。
#2 前出しコンプとマリックショー
さて、今回のテニアンだが、私にとって初めての「前出しコンプ」と呼ばれる遠征である。カシノ持ちは、エアー+ルーム+3食ミールクーポン+マリックショー。エアーは日本←→サイパンに加えてサイパン←→テニアンもカシノ持ち。マリックショーは定価$500。だが、断言してもいいが、あのショーに$500払って参加した人はほとんどいないはずである。
条件はノンネゴチップ$5000を購入することである。いまの私は、何年か前にマカオで現金チップとノンネゴチップをすりかえられて動転した頃の私ではない!普通に打てば大体$1000、つまりコンプ位の負けに抑える自信はあるし、もし勝っていれば勝ち分を一度にぶち込んで大勝負をかける意気込みでテニアンに向かったのであった。
行きのフリーダムエアでは、ダイナスティ組の3人と後からきた2人の5人でテニアンに向かったのだが、後からきたうちの一人が筑紫哲也氏だったらしい。らしい、というのは、私は男に興味がないので全く気にしていなかったのだが、一緒に乗ったおばさんが、「あの人はキャスターやってる、何て言ったかしら、あの人でしょ?」と話していて、ホテルに着いてから彼がホテルやカシノにいた、という情報が飛んでいたので、ああそうだったのか、と分かった次第である。
ホテルに着いて一休みしたら、さっそくカシノである。まず、ノンネゴチップ$5000を現金化しなければならない。森巣先生も「越境者たち」で書いているように、ひとりクリーニングは相当に厳しい。慎重に、連敗を避けるように、1勝1敗ペースで進む。夕食の時間が迫り、itoさん(生独?さん)とクラクラちゃん(最高♪さん)が呼びに来たところで、ノンネゴの残りは35枚、現金チップは14枚。バンカー6があったので、ほぼトントンである。
バフェ方式の夕食のあと、ミニコンサートをはさんで、Mr.マリックのショーである。100円玉タバコ通しから透視、スプーン曲げまで楽しませてもらったが、いちばん興味深かったのは「何度やっても負けないトランプ」であった。A2かB2くらいのサイズのでかいカードをよく混ぜて、マリックとお客さんにそれぞれ配ってポーカーをすると、何度やってもマリックの勝ちというマジックである(実はマリックはあまり知らないし、このマジックも初めて見た)。
カードが巨大なので、すり替えは効かない。カードをよくみると、10が3枚、Jが3枚、Qが3枚、Kが1枚の10枚でこれを5枚ずつ配っている。気が付いた人は他にもいたと思うのだが、このゲーム、Kを持った方が必ず負ける。ただ分からなかったのは、どうやって、客の方にKを配るようにしたのかということである(もちろん、カードを切るのは客の方だ)。
余談だが、曲がったスプーンを家に持って帰ったら、「マリックには何の興味もない」という家の奥さんから、つまらんものを持って帰ってくるな、と叱られた。
客室から見たヤギ島。この島は日本の信託統治領の時に、沖縄から移住した住民がヤギを放牧し、戦後野生化して大繁殖したことからヤギ島というそうです。ご存知のとおり、沖縄ではヤギ肉をよく食べます。
#3 苦戦
マリックショーが終わり、部屋でシャワーを浴びてから夜戦に備えて軽装でカシノへ。$1000ちょっとの現金チップも手に入れたので、このところ力の入っているポーカーから入る。リミットホールデムで、レートは5-10。スモールブラインドは$2、ビックブラインドは$5、フロップまでは$5単位、ターンからは$10単位である。
クラクラちゃん(最高♪さん)もポーカーをやりたがっていたのだが、BJのミニトーナメントと重なってそちらへ。前にも見たことのある韓国系の面々と単騎日本人の私、というテーブルとなった。これがすごいルーズゲームで、ともかくプレフロップで下りるのはほとんど私だけという状況で、レイズ・リレイズの嵐である。それで上がるのが8ペアだったりする。みんなストレートドローやフラッシュドローでレイズしてくるからである。A、J、9、5、3なんていうコミュニティカードだと、ナッツの24を持っている奴は必ずいる。リバーの3のカンチャン待ちなのに。
かなりタイトにがまんしていたのだが、ようやく入ったAAを、同じくリバーカンチャン待ちの79ストレートにまくられて、切れた。すでにゲーム参加から一時間半は経過している。ポット参加を絞っているので、負け自体は200ドルにもならないが、ともかく1回上がらないと。それで、捨てていたQ・Jからローカードとか、ストレート・フラッシュ含みのローカード2枚とかでポットに参加することにした。
チャンスは間もなくやってきた。7h8hである。初めは捨てていたカードなのだが、コール。プロップは8s5c8d。3カード完成で、ストレート、フラッシュ目はない。ただ、相手が8を持っていた場合、キッカーが7では弱い。ここはコール。すると、ボタン近くにいた商店主風おやじがレイズ。私はコールしたが、何人かがここで下りた。ターンは7d。フルハウス完成である。ただ、最後に大きなカードが出た場合、まくられる可能性も高い。A8とかK8とか、いかにも突っ張ってきそうな組み合わせではないか。
ここでおやじ再びレイズ。私はコール。コールしたのはあと一人だけで、結局3人の争いに。リバーは2c。どう考えても、ナッツである。私のベットに対し、一人はダウン。しかし、おやじはなんとレイズ!である。当然、リレイズである。だが、おやじはさらにリレイズ。ここで手が止まる。ヘッズアップだから、リレイズはできるよ、とみんな言うし、ナッツだから、ここは負けようがないとは思う。
ただ、前に上野で聞いた話だが、二人ともナッツの場合レイズ・リレイズしても実入りは増えず、レーキ(ハウスの取り分)が大きくなるだけだから、止めた方が賢い。この場合、二人ともナッツはありうるケースである。だから、コールした。コールだから、おやじのオープンである。カードは85!気持ちは分からないでもないが、リレイズしてくる手じゃないだろう。
結局、これ以降は上がれなくて、1時を回ったので席を立った。約3時間で上がったのは1回、300ドルのマイナスである。ライブBJに移行していた生独+最高さんのところに行くと、何か食べましょう、ということになった。風向きが全然良くないので、これはありがたいことで、カシノカフェで夜食をとることになった。
テニアンダイナスティのロビー。最初の頃は、ここでピアノの演奏をしていました。
#4 頼みの綱
カシノカフェではお気に入りの冷麺定食。夜遅いためかひどく辛く感じる。生独?さんにフルーツをごちそうしてもらい、口がさわやかになったところで、戦闘再開である。お二人はルーレットをやるというので、付き合うことにした。ディーラーは日本人女性でKさん。以前、BJ卓で私から短時間のうちに$1000近くを奪った憎い奴である。
でも、生独?最高♪コンビは彼女となごやかに話しながら卓を囲み、1点賭けをばしばし的中させる。私も、お裾分けにあずかって赤黒や偶数・奇数を取らせてもらい、さらには真似しんぼの誕生日1点賭けもゲット!100ドルバイインを倍近くにすることができた。
気をよくして今度はパシフィック・ポーカーへ。ここで開始早々、右隣に座った生独?さんが恐ろしい手を上がる。手を見た瞬間、「これはすごいですよ。本当にすごいですよ」、ディーラーオープンの時には「エースキング!」と気合が入る。呼び込まれてディーラーはエースキング(ペアなしだが、ディーラーは勝負しなければならない)。生独?さんの手は、なんとフォーカード!
ベットに20倍、ジャックポットに$250とブラックチップがごそっと生独?さんの前に並び、生独?さんも最高♪さんも大興奮。いやいや、恐れ入りました。これを境に、私にもスリーカードとかツーペアとか入りだし、パシフィックポーカーには珍しく、$100近いプラス決算となった。さて、この上げ潮でノンネゴチップを現金化しなくてはならない。
だが、夜のバカラ台は昼と違って席は一杯だし、みんなレートが高い。100や200のベットではとても絞ることなどできない。仕方なくツラ目に相乗りするのだが、なかなかツラが伸びない。ずっと絞らないでいると半分眠ったような状態で、知らないあいだにチップがなくなっている。これはいかん!と大きく張って絞っても全然来ない。気が付くと、ノンネゴチップが残り5枚、現金チップが35枚ほどである。いつの間にか、$1000負けている!
これは今夜のスーパースター、生独?最高♪さんコンビに頼る他はない。はじめから、そうするべきだったのだ。BJ卓にいる彼らをみつけ、ファーストベースへ。すでに朝の4時を回っている。
夜のダイナスティホテル。カシノなので24時間営業です。
#5 夜明けの勝利
ファーストベースには私、左に生独?さん、中央に最高♪さんという位置関係。他にプレイヤーはいないので、最高♪さんのサードベースである。ディーラーは”まさやん” from Japan。「初心に返って」レッドチップでスタート。バカラの負けでくじけそうになる心を叱咤激励しながら、勝ったり負けたりをくり返す。10分もたたないうちに、勝負気配の流れが見えてきた。
私の勝負気配は、もちろん連敗モードに入らないことが大前提だが、考える(迷う)カードがこない、というところで判断する。もちろんBJなので勝ったり負けたりするのは許容して、最初の2枚で10、11、19、20、ディーラーのアップカードがローカードなどという手が続いたとき、ベットアップしてみる。逆に12対2、12対3、13対2などという組み合わせや、88なんて手が来る時は、しばらく辛抱である。
ちょっと場を乱して申し訳なかったが、$100ノンネゴチップを賭けてみる。最初いきなり11。ダブルダウンで4か5が来てこの回は失ったが、次のノンネゴ投入ではブラックジャック!その後も勝ったり負けたりで順調にノンネゴの現金化ができたのだが、圧巻はノンネゴチップ最後の1枚。生独?さんが「この1枚を5枚にしましょう」とビハインドベットしてくれたら、そのとおり5連勝。「この子はよく働くなー」と置き張りで、結局このシューでノンネゴチップの消化を終わり、加えて$500を挽回した。あと$500である。
圧巻は次のシュー。ノンネゴチップはすべて現金化したので、レッドチップで様子を見ていたのだが、「どんどん行きましょう」と生独?さんがグリーンでビハインドベット。「後ろでそれだけ賭けられたら、前も賭けないといけないじゃないですかー」などと言いながら、ベットアップ。すると、何もしないのに、ディーラーがバストしていくのである。最高♪さんが「噛めっ!」と命じると、ディーラーまさやんはアップカードピクチャーから4とか5を起こし、さらにピクチャーを引くのである。
再び連勝モードに入り、レッドチップを積み上げて(といっても私の場合は$60~$80が限界)回収また回収。当然お二人も大勝利で、生独?さんは勝ったパープル($1000)をしっかり胸に収めている。私も、マイナス分をすべて回収して水面上にわずかに顔を出すことができた。時間は午前5時半。この夜の教訓、「ツイてないときは信頼できる人に頼ること!」生独?さん最高♪さん、本当にありがどうございました。
今回のテニアンの勝負は実質的にこれで終わりでした。というのは、次の晩は眠くて体調が悪くて、すぐに部屋に引き上げてしまったからです。結果、カシノの収支はほぼイーブン(ちょいプラスかも)。エアー&ルーム&ミールクーポン&マリック分の勝ちとなったのでした。もう一ついうと、先月ホテルから連絡が入っていて、前回の遠征時(2月)に失くした時計が出てきたと言われていたので、これを取りに行くという用事もすますことができたのでした。
今回、生独?最高♪さんをはじめとして、いろいろな方にお会いできてうれしかったです。Tomiさんって、あの「カジノ猿」さんだったんですね。私はあのレポートを読んでテニアンに行ったのでした。智ちゃんsさん、リンリンさんご夫妻、Mr.あんさん。これからもよろしくお願いします。また、マリックショーでご一緒したKobayashiさん、Wakabayashiさん、カシノもご一緒していただき、ありがとうございました。Kobayashiさん、嵯峨野ごちそうさまでした。他にも卓を囲んだみなさん、またどこかでお会いできることを願っております。
[Jul 9,2005]
ダイナスティホテルのショッピングモール。レンタカー屋さんやアイスクリーム売場があったが、カシノに入りびたりでこちらにはあまり来なかった。
1$=¥130!?(テニアン2006年春) [Feb 27, 2006]
さて、今回のテニアンは私にとって06年の打ち初めであった。リゾカジメンバー限定の5Kプログラムを使って、3泊ルーム&食事コンプをもらおうと計画して、邦貨と現地通貨(比貨ではない)を持ってテニアン入りしたのだが、レートを見て驚いた。「1$=¥130」と書いてある。確かに最近の円安により110円台後半で推移してはいるが、130円である。400K邦貨が4K近くになる予定が、3Kにしかならないのだ。
仮に負け分が現地通貨の手持ちを超えて邦貨に食い込んだ場合、このレートで計算されてしまう。その分ダメージが重たくなる。これは、なんとしても負けを現地通貨以内に押えなければならない。と、最初からかなり消極的な姿勢での参加となった。最初は、リゾカジ初登場のKeibinさんとバカラ。Keibinさんには昨年のマリックショーで大変お世話になったのだが、今回もその方が、私が座ったとたんに6連勝してくださった。
しかし、ミニマム100のバカラはノンネゴ消化(ノンネゴチップはそのまま現金化できない。勝ち分の配当は普通のチップでもらえるので、結果としてノンネゴ分をすべて負けるまで参加しなければならない)には危険を伴う。すぐに勝ち逃げして、BJ卓へ。
本編HPでも述べたように、標準偏差は試行回数の平方根に比例する。だから、「同じ運の悪さ(良さ)」であれば、回数を重ねるほど平均からの乖離は小さくなるはずである。BJの25ミニマム(ノンネゴチップは10$単位だから、30ずつ)のフラットベットにすればリスクを極小化できる。ここで大事なのは大儲けすることではなく、マイナスを想定範囲内に押えることなのである。
バカラでの勝ち逃げ分もあって順調にノンネゴ消化が進み、ノンネゴチップは3時間ほどのプレイできれいになくなり、手許には5Kを1割ほど上回るキャッシュチップが残った。すぐにキャッシャーに持って行き、邦貨を取り戻す。あとは、手持ちのチップと現地通貨でまったりと遊べばいい。BJ、カリビアンスタッド、バカラと行ったり来たり。結局、ポーカートーナメントの参加費分だけ負けたが、私にとってはまずまずの結果と言っていい。
特に印象に残ったのは、最終日の朝(リゾカジ関西組が出発した後)、ほとんど人のいないカシノでディーラーとヘッズアップで1シューやったバカラである。最初の2、30手、ディーラーのオープンするカード(つまり私が賭けていないサイド)はほとんどナチュラルという苦しい展開が続き、このまま行くとお土産代すら残らなくなりそうだったが、後半は一気に挽回。横ヅラが続いた後の2個2個で、4連勝、1敗、7連勝という快進撃を果たしたのである。
この時は、「オープン!」というと相手はブラックジャックか金子×2で、ポーカーだったら敵わないがこれはバカラである。「そういうゲームじゃないから」(J.O.さん)とか「おとなしくしとれよぉ」(キャロさん)とか一人で物まねしながら、楽しく絞っていたのでした。
注.「金子」(かねこと読む。人名である)とは、当時の合言葉でピクチャーのこと。ブラックジャックはAJなので、いずれにしてもパカラではたいへん弱い。
[Feb 27, 2006]
テニアン島の南北を結ぶブロードウェイ。この遠征の写真も残っていないので、別の遠征から拾ってきました。
やってくれたぜノースウェスト(2006年秋のテニアン) [Sep 11, 2006]
#1 NW076離陸せず
今回の記事は、先週末に行われたテニアンポーカートーナメントの結果をお伝えする予定であったが、なんということでしょう。トーナメント開始時刻の現地時間9月2日土曜日の午後8時には、私はまだ成田空港近くのエクセルホテル東急にいたのである。なぜ午前8時には成田空港に着いていたのにこういうことになったのかというと、そう、ノースウェストがやってくれたのです。この日のNW076便がなんと11時間遅れというとんでもないことを。
例のテロ未遂事件以降手荷物の規制が厳しくなっていることから、普段より4、50分早めに家を出た私は、ちょうど8時を過ぎたあたりで成田空港第一ビルの駅に到着した。同じように考えて早出してきたという梶野さんと会う。ノースのチェックインカウンターは予想通り混んでいる。ビジネスラウンジに行くという梶野さんと別れて、列に並ぶ。それでも、チェックインを終えて両替をして、出国管理を通過したら9時ごろだったから、まあそんなでもない。
出発は10時35分。しかし搭乗口に着くと整備上の都合で1時間遅れとアナウンスしている。まあ、1時間くらいの遅れはそれほど珍しくもない。待合スペースで座って待つ。前の晩にけっこう飲んだのでちょうどいい休息である。ダブルブッキングのためグアム経由への振り替えのお願いが放送されている(なんとツアーで修学旅行生が入っていたのだ)。これだとサイパン到着が5時過ぎになるということだが、グアムで何か起こらないとも限らないのでやめた。実は成田で何か起こるのだが。
11時過ぎに、再びアナウンス。「整備上の理由で遅れています。次のお知らせは12時以降になります。11時20分頃から、お食事券をお配りします」ということである。これは結構混雑しそうだ。前に岡山で同じようなことがあって、レストランがすぐに満席になったことがある。だからとりあえず「ごめんなさい券」をもらいに行く。でも空港で使うと10$、マイルにすると2000マイルだから、お昼は自前で食べる方がお得である。マクドナルドでてりやきバーガーのセット。待合スペースに戻ってのんびり食べる。ここに来てからかれこれ2時間以上。さすがに腰が疲れてきた。
12時を過ぎても出発予定時刻は11時35分になっていたのだが、しばらくして表示が出た。14時45分。4時間遅れである。放送で何か言っているが、さらに2時間以上座っている自信はない。幸いすぐ近くに仮眠室がある。ぐずぐずしていたら、みんなここに殺到するだろう。すぐに決断して、受付へ。2時間で1500円はつらいといえばつらいが、ネットカフェと大差ない。ちょっと狭いがベッドとシャワーがある個室である。さらに出発時間の変更があったら知らせてくれるようにお願いして、部屋に入る。靴も服も脱いで電気を消すとすぐに眠くなる。多少の遅れならビジネスラウンジの方がいいけれど、ここまで遅くなると自由の利く方がいいよなぁ、などと気楽なことを考えつつ、2時すぎまで少し眠る。
気がついたら2時15分。おっと、そろそろ搭乗が始まる頃だ。電気をつけて着替え始めたら、部屋の入り口の隙間から紙が差し込まれている。よく見るとこう書いてある「出発時刻変更 →21時30分」。9時30分?これじゃあ、どうやってもトーナメントに間に合わない。それに、あと7時間以上もどうしたらいいのだろう。あわてて仮眠室を出る。まいった。こんなことがあっていいのだろうか?
成田空港出発便表示。一番上がNW076。定刻と変更時刻に注目。
#2 日本に再入国
これは非常事態である。さっそくテニアンに電話を入れてとりあえずトーナメントはキャンセルする。後は行くかどうかであるが、ラウンジにいるはずの梶野さん、Yさんと相談した方が良さそうだ。ちょうどそのとき、ラウンジを出てきた梶野さんとばったり会う。「どうします~?」
「私は月曜朝帰りだから、あまり時間ないんですよね。Yさんも帰り同じ飛行機なんで、帰るっていってました」「荷物とかどうするんですかね~。それにどうやって出るんでしょう?」「ノースウェストに聞いてみましょう」と、まず乗り換え案内へ。どうやら、いったん外に出ることができるようだ。出発ゲートで案内しているとのことなので、そこに行くと、階下の28番Dゲートに行ってくれと言う。
その28番Dゲートに行くと、Yさんがいた。「みんなと一緒でないと、出してくれないのよ~」ポーカートーナメントは出られないし、行ってすぐ帰りじゃ仕方がないからキャンセルするという。しばらくするとノースウェストの職員が来て、何やら説明し出した。それはいいのだが、何をしゃべっているのかよく分からない。いらだった乗客から、「聞こえねぇぞー!!」という声が飛ぶ。
「皆様をホテルにご案内します」「ディナーもおつけいたします」「出発時に無料航空券をお渡しいたします」と言っているようだ。梶野さんと「タダ券くれるんだったら話の種に行くだけ行ってみますか」という話になる。ただ、いつまでたっても具体的な行動が起こらない。無料航空券というのも、どうやらマイレージのようだ。ここでまた怒り出す客がいる。30分たち、40分たつ。ペットボトルの飲み物が運び込まれたが、乗客のいらいらはおさまらず、女子職員に詰め寄る人もいる。
すでに3時半近い。ようやく「ホテルをご希望の方はこちらにどうぞ」という案内があり、ぞろぞろと移動が始まった。まだクレーム客は粘っているし、Yさんはキャンセル、梶野さんはビジネスで私とは事情が異なるので、ここでいったん別れて移動する列の最後尾に続く。出発ゲートから搭乗口を経由して到着ゲートを抜け、入国フロアへ。入国審査は通常の窓口ではなく、事務室前で出国取消しの手続きを取る。いつもの到着口に出るとノースウェストの職員が待ち構えていてホテルバスに案内する。
エクセルホテル東急に割り当てられた。ホテルに着くと4時過ぎ。6時から食事、7時半にバスが出発ということだから、あまりゆっくりできない。ただ、後で梶野さんに聞いたら、プールに入ってサウナにも行けたそうである。私も海パンは持ってきていたのだが、機内持ち込みできない整髪料や歯磨きと一緒に、預けてしまっていた。家に電話する。なにしろ家は成田空港から直線距離だと10km余りである。途中経過も電話していたため、「(行くのは)止めないの?」とさんざん聞かれてしまう。「タダだから行ってくる。そう簡単には落ちないよ」
夕食はバフェイで、予期せぬ人数が入ってきたためか食べ物がほとんどなく(なんせジャーのお米が完売)、ディナーとは名ばかりの寂しい夕食。再度テニアンに電話して、トーナメントは欠場だが行く旨を伝える。こうなると5Kを申し込んでいなかったのを後悔するが、ダイナスティの東京事務所も休みだし、無理して5Kにして大損するのも嫌なのであきらめた。
7時半にホテルを出て8時に空港へ。何か12時間前にも同じことをしたなあと思いつつ出国手続き。もちろん外は真っ暗。この時間だと、トーナメントはすでに始まっている。
エクセルホテル東急に置かれた案内板。残念ながらディナーと呼べる代物ではありませんでした。
#3 11時間遅れでようやく出発
ノースウェストの出発する北ウイングに到着したのは8時過ぎ。再び顔を合わせた梶野さんが、「出発時刻10:20」の表示を見て、「ええっ、また遅延!?」と驚いたがこれは当初の出発時刻。変更21:30、搭乗開始は20:35の表示がある。いずれにしろまだ時間があるし、満席なのは分かっているから、とりあえず待合室でくつろぐ。退屈なので岡山のタギーに電話する。
「もしもし」「どうもTAIPAです。まだ成田なんだけど」「何それ?」って感じでこれまでのいきさつを説明する。「もう(宴会は)始まってるの?」と聞くと「いまバレーボール終ってタクシー乗ってるとこ」これから飲みだと、本日の部がお開きになるのとこちらがテニアンに着くのはいい勝負だろう。kopaっちに替わり、「もう間に合わないっしょ?テニアンなんか止めて岡山においでよ」と誘われた。
「これ以上遅れたら、ほんとに夜行バスで行くよ」と約束(?)。さすがにこれ以上遅れると成田の発着規制時間になるだろうから、飛ぶはずである。ちょうど搭乗が始まった。でも通路際の席だし、手荷物もほとんどないから、急いで入る必要もないのだ。気になっていたことをノースの職員に尋ねる。「乗り継ぎでテニアンに行くんだが、万一チャーター便が飛べなかったらホテルくらいは用意してくれるんだろうな?」「いいえ、こちらでは到着地までしか責任を持ちませんので、それから後はそちらで手配してください」???
確かに到着地以降はこちらの手配だが、定期便が飛んでいる時刻に着かないのはノースの責任である。夜に着く便であれば客がそれぞれ手配しておくのは当り前だが、もともと昼に着く便なのである。もし客が何も手配できなかったら、真夜中のサイパン空港に置き去りで朝まで待てというのだろうか。そして何より、日本到着便が遅れたら、ノースは「運ぶのは成田までだからあとは勝手にしてください」というのだろうか(この場合ホテルを手配するはずだ)。
頭にきたので、搭乗口で頭を下げていた偉そうなおばさんにおかしいと言ったのだが、「ごめんなさいねー」で片付けられてしまった。どうも私はクレーマーには向かないようだ。それより何より、サイパン便はノースウェストしか飛んでいないのだから、怒った乗客がいても大した影響がないのがくやしい。
午後10時前に、11時間遅れのNW076便はようやく成田空港を離陸した。まわりは修学旅行生でうるさくて仕方がない。そしてひっきりなしにコールボタンを押してしまい、そのたびにスチュワーデスに「何かご用ですか?」と言われている。えらくうっとうしい。サービスのつもりなのか、通常の場合5$取られるビールが無料で配られていた。そのビールはすごく冷えていて、これも「クレーム対応マニュアル」に書いてあるのかなあ、と思った。
出国の取り消し。初めて見たVOID印。
#4 滞在30時間弱
サイパン到着は現地2時頃、それほど待たずに荷物が出てきた。出迎えのダイナスティの人は、11時間のディレイにもかかわらず待ってくれていた。開口一番「・・・は来ないのか?」・・・とはYさんのことである。さすがに大口賭人、注目されているのでした。ちょっと歩いてコミューター乗り場へ。すでに梶野さんは来ていて、べいさんを紹介される。3人でチャーター機へ。
南国特有のむっとする暑さではなくて、そのためか空が澄んでいる。大抵の場合雲が出ているテニアンだが、この夜は天の川まではっきり見えた。できれば南十字星も見えればよかったのだが、残念ながら私からよく見えたのはオリオン座だった。迎えの車でダイナスティに着いたら午前3時になっていた。後から聞いたら、その1時間前にトーナメント初日は終っていたようだ。日本からの参加者は前日入りしていたMr.あんさんのみ。残念ながらバッドビート・トーナメント回りとなってしまわれたようだ。
梶野さんは「滞在24時間ないよ~」と泣いていたが、私も寝て起きたら24時間ちょっとしかなかった。BJ、バカラ、ライブポーカー(リミット)とじりじりと負ける。特にライブポーカーは、3時間弱で約6、70手のうち、上がったのは3回。絵札以上のペアは来ず、AKは1回(負け)、AQは2回で勝ちは1回(しかもブラインドだけ)、ハイペアで打つと誰かがセットを持っていて、フロップストレートには付いて来られてリバーでハイストレートでまくられる、という惨状。トーナメントに出てもこの調子ではとても残れなかったものと思われた。
梶野さん、べいさんと嵯峨野で夕食の後、Mr.あんさんも一緒にクラップスに挑戦する。クラップスは賭けの本質というか全体像がつかめなくていつも遊び程度なのだが、この日みなさんに教わって少しだけ理解できた。通勤電車でもう少し考えて作戦がまとまれば、次回からはもう少し積極的にやってみようと思った。
しかし午後10時を回り、シューターが終ったらどっと疲れが出た。昨晩は3時間ほどしか寝ていないところに、ワイン+立ちっぱなしのクラップスというのは予想外に効いたようだ。ポーカートーナメントはまだ残り4人。おなじみの茶髪コリアンも残っている。決着を見極めることなく、部屋に帰ってこの夜は寝た。岡山に行かなかった天罰で、1000リゾ位の負けである。
そのまま7時半すぎまで寝た。ようやく頭がすっきりしたと思ったら、もうあと数時間しかいられない。BJで前日の負けを半分くらい戻したあたりで、ダブルダウンvsディーラー5、ダブルダウンvsディーラー6を連敗し、もう時間がないのでマジの勝負はここまでとする。あとの時間をパシフィックポーカーと大小でまったりと溶かして、今回の遠征は終了となった。
本当に、今回の遠征は行った気がしなかった。タダ券に目がくらんで往復してみたものの、戦績的にはかなり消化不良が残ってしまった。しかしながら、カシノ仲間と楽しい時間を過ごすことができ、クラップスもやや上達したのだから、まあよしとしよう。次の遠征は10月に予定されるマカオ。こちらは最初から深夜到着、滞在30時間余りの強行軍となる予定である。
[Sep 11, 2006]
テニアン2007年 [Mar 3, 2007]
#1 もう後がない
今回のテニアンはかなり追い詰められた状況での遠征であった。というのは、昨年1年間の遠征成績は1勝6敗、今年もすでにマカオで1敗している。1回1回の負けは致命傷というわけではないが、6つも負け越すとあまりしゃれにはならない金額の負けになる。もし今回負けることになると、おそらく今年前半はもう資金的にどこにも行けないだろうと思われた。マイルと宿代はあっても原資が底をついているのである。
だから、いつもはポーカートーナメントのみに集中するのだが、今回はとにかく負けないこと、平場でなんとかすることが至上命題である。だから初めて10Kに挑戦した。10Kあればエアがコンプされるので、負けのハードルが下がる。仮に増やすことができなくても、エアやホテル代の範囲内にとどまればまだ望みがあるからである。トーナメントに備えて1日前に入るとみんなには言っていたが、本当のところは10Kに集中したかったのである。
2月23日金曜日の午後8時55分に成田を出発したNW18便は、4月以降廃止されるという噂だがほとんど満席となっている。サイパンに定刻午前1時過ぎに到着。税関書類で慣れないところにチェックを入れているので(正直に10000K以上と申告したので)、あっちの窓口に行けと言われてちょっと戸惑う。でも手続きは向こうの人が全部やってくれて私がするのはサインだけである。何を書いているのか確認できないので恐ろしいといえば恐ろしいが。外に出ると迎えに来ているのはいつもの彼。かばんを持ってもらい真夜中のコミューター乗り場に歩く。
コミューター乗り場に行くと、keibinさんにお会いした。一昨年のマリックショーの時からのお付き合いで、以前リゾカジテニアンオフにも来られた方である。最近も月一ペースで来られているとのことである。タガエアーのチャーターでテニアンに飛び、そのままダイナスティへ。部屋に荷物を置くと、さっそくカシノへ。なんといっても10Kを消化しなくてはならないのである。3時前にはバカラ卓に座っていた。
Keibinさんと一緒にやり始めたのだが、これがおそろしいバンカーシューで、途中で数えるとバンカー30に対してプレイヤー12位の偏り。さすがに気がついてバンカー中心に張ったのだが、結局シューの最後までバンカーでプラス1000点。最初からずっとバンカーだったら何もしなくてもプラス3000点になるところだった。ここでミニマムの小さいBJに移る。1手30を基本に張っていたら、こちらも好調で最初のシューだけで1000点位のプラス。
こんなことは滅多にあることではない。次の日はポーカートーナメントなのだが押せる時は押すべきだ、とそのまま続けたのだが、今考えるとこれが罠であった。そのあとの4~5回のシューは全く手が伸びず、しかもミニマム25の卓だから打たれ越しモードにもできず(卓を変えたらいけないと思ってしまったのだ)、じりじりとチップを減らす。それでも5000点のキャッシュチップを確保した時点でノンネゴチップは6000点以上あったから、プラスには違いない。時間はすでに7時。ここでいったん部屋に戻ってひと休みである。
サイパン→テニアンのコミュータ乗り場。この時の遠征も写真が残っていないので・・・(汗
#2 ノンネゴチップ現金化完了
部屋に帰ってシャワーを浴びて、ベッドに横になったのだがほとんど眠れない。結局10時には起きてノンネゴの5000点チップを一枚持って再びカシノへ下りる。睡眠時間3時間弱だが、不思議と眠くはない。10Kをやっている興奮状態で完全にハイになっているのである。カシノカフェでいつものシェフサラダの朝食をとって、戦闘開始である。
この回も最初はバカラ。朝早いのでディーラーとヘッズアップである。不思議とツラがでる。5回6回とは続かないのだが、1回で切れることはあまりない。きっとちくわさんやtagamanなら「2目め厚く」とか言ってビッグベットするんだろうなーと思いつつ、慎重にゲームを進める。最初に隅を折ってフレームが見えることがほとんどないので、おそらくいい波なのだろうと思ったが、まだまだノンネゴチップは残っている。ここは大勝ちするより負けないこと、そうでないと引き波がきたら一発で持っていかれてしまうだろう。
結局バカラを1000点プラスまで持っていって、再びBJへ。昨日後半から相当良くないのでそろそろいいシューだろうと思ったのだが、これがとんでもなかった。とにかくディーラーがほとんど飛ばないのである。こちらは13で引くとまず間違いなく絵札なのに、向こうは6から5、絵札とか、16から4とか平気で起こしていく。1シューでキャッシュチップになるのが300点とか400点とかいう状態なのに、ノンネゴチップは1000点ずつなくなっていくような気がする。
バカラの勝ちをすべて溶かしそうになったところで、たまらずミニバカラに逃げる。ここでなんとかイーブンペースに戻して、5000点をキャッシュチップにした時はノンネゴチップも20点くらいしか残っていない。それでも、ポーカー大会開始までになんとか1回転することができた。いったん部屋に帰り、昨晩のキャッシュチップとともにキャッシャーへ。
預けてあったTCと円を取り戻して残ったノンネゴチップは1200点位。ピークから半分以上プラスが減っているような気がするが、それでもなんとか久々のプラスが見えてきた。お昼を過ぎて午後1時頃。約12時間、実質ゲーム時間約7時間での10K現金化であった。
しかし、ここからがつらかった。1200点をそのままキャッシュチップにするために、張りをかなり下げて1手5~10点でBJをプレイするのだが、300点ノンネゴを使ってキャッシュ200がようやく戻ってくると言う状況である。だから完全にノンネゴを洗い終わったときに手許に残っていたのは800点と少し。ここからトーナメントフィーを払うと、かなり心細いことになりそうな気配である。時刻は午後4時。そろそろサテライトトーナメントが始まる。
本番でイン・ザ・マネーとなったときは、なぜか2度とも優勝できたサテライトなのだが、この日は全くいいところなく2回のトーナメントを敗退。その途中、当日便でテニアン入りしたLupinさん、Dufferさん、Satoさんがカシノに現れる。午後6時過ぎから用意された軽食を4人でとりながら待ったのだが、予定時刻の7時になっても始まる気配はない。
結局テーブルの準備が整ったのは8時近くになってからだった。その間ソファでぐったりしていたのは私。準備万端のお三方から、「taipaさん眠そうですねぇ」と言われてしまう。まだトーナメントが始まっていないのにこの調子ではいけないと思うのだが、体がいうことを聞いてくれないのだった。
テニアンダイナスティのショッピングモール。後から足マッサージとか入りましたが、最初はアイス売りのお姉さんがひまそうにしてた。
#3 ポーカートーナメントは観戦(涙)
話は一気に飛んで25日日曜日の午後5時。トーナメントの2日目は2テーブル11人から午後2時にスタートしていたが、私、Dufferさん、Satoさんは5$ミニマムのBJ卓でまったりと過ごしていた。この段階で3人とも平場のプラスを確定させていたのである。そこに、Lupinさんがやってきた。「○○さんに○○さん(注.本名)、応援っていうのはないんでしょうか?」そう、Lupinさんはただ一人勝ち残りファイナルに進出していたのである。
ちょうど、GAKUストが入ったのだが、一発目はディーラーがしぶとく残していた。シューの残りも少ない。「GAKUストは二度押し!!」と、もう一度だけ大きめに押す。すると88である。BJのペアは99以上でないとうれしくないが、その中でも88は一番うれしくない。仕方なくスプリットすると絵札、9と入る。ここは1勝1敗がいいところかなと思っていたら、ディーラーが飛んでくれてみんなハッピーに。切りよくここでシャッフルタイムとなり、「じゃあ行きますか」とカラーチェンジ。勝って席を立つのは本当に気持ちがいい。
ポーカーテーブルに向かうと残りは6人。イン・ザ・マネーは5位からだから、まさに勝負どころである。総チップ量16万点のところ、Lupinさんは2万点弱で5、6位の争い。それもやや少ないくらいである。テーブルの後ろに立って応援。Lupinさんにしては珍しく、慎重にプレイしている。BBでも平気で下りているのだ。Lupinさんの二人右が例の茶髪コリアンMr.ヤンで、ラージスタックなものだからボタンからがんがん打ってくることもあった。
4周、5周。こう着状態のうちにブラインドだけが上がっていく。「どうなんですか」とバカラ卓からkeibinさんも現れる。「ここが一番大変なんです。もう一人減れば、みんな賞金ですから早く進むんですが」休憩を挟んで、厳しい戦いがさらに続く。ブラインドは800-1600。Lupinさんも時折オールイン・スチールを決めて、危険水域には入らない。そうこうしているうちに、ようやくショートスタックが飛び込まざるを得ない状況となった。ほとんど強制オールインで、かつJがかぶって上を持たれていたので、終了。Lupinさんのイン・ザ・マネーが決まった。
ここからLupinさんが華々しく動き出す。オールインを連発し、スチールしたり相手のJJをターンAでまくったりして、一気に安全圏に浮上した。そうこうしているうちに、イン・ザ・マネーを確保したショートスタックが予想通り果敢に飛び込み始めて、気がつくとあっという間に残り3人。いよいよ次の勝負どころをとらえればトップが見えてくるというところで、AQvsA8のオールイン対決からフロップで8を2枚出され、ターンはQで望みをつないだものの最後はラグ。それでもLupinさんみごとに3位でのゲームセットである。
優勝争いはそのすぐ後の手で終始リードしていた巨体アメリカンとMr.ヤンがトップペアヒット対ストレートドローでぶつかり、何も起こらずに巨体アメリカンが勝った。あまりにもあっさりしていたので、もしかしたら賞金をチョップしたのかもしれない。とにかく3位に入賞し賞金約3千ドルと昨年の優勝に続く2つ目のトロフィを手にしたLupinさん、さすがでした。おめでとうございました。
まだ嵯峨野が開いている時間だったので祝勝会を開いたあと、クラップスで大いに盛り上がった。ここも中盤やや苦しいところもあったのだが、途中からみんなPointを当てまくって挽回し、全員プラスで終了した。クラップスが終わってみなさんは部屋に引き上げたのだが、私は居残ってライブポーカー。ご存知のようにみんなコーってくる場なもので、200$ばかりプラスでここも終了。遠征終盤に来て連勝で締めることができたのはうれしかった。
日本統治時代の建物跡。テニアン港の近くにあった。
#4 ファイナル進出ならず
さて、昨日までお伝えしたように10Kの平場はなんとかプラスで遠征を終えることができたのだが、肝心のポーカートーナメントの方はというとあまり書くのに気が進まないような顛末となってしまった。
最初の3R、1時間半はリバイラウンド。どこかで勝負をかけて倍にするかリバイして第4ラウンドに入ろうと作戦をたててきたので、残り10分を切ったところでJJが来てオールイン、これをKQsで受けられてしかもKQともに落ちてしまったのは残念だけれど仕方がない。問題は500点足らずのチップが余ってしまったことであった。リバイで3000点だから、このまま終わったら大変なことになる。
次回のハンドは88。残り5分である。もちろんオールイン。みんなじっくり考えてなかなか進まない。結局BBが受けてくれて何も起きずに倍増。残り2分でシャッフル。カードを見ずにオールイン。場合によっては勝っていてもマックする覚悟である。しかし、誰もコーらないまま回っていく。すでに残り時間は0、リバイラウンドは終了なのに誰もコールしないからマックもできない。思わず悲鳴が出た。休憩時間である。チップカウントすると1700点あるが、これではオールインした意味がない。
一緒に参加したお三方に、「早々に飛ぶと思います。ゲーム中ですのでご挨拶はできませんががんばってください」とエールを送って最後のテーブルに着くと、Lupinさんが向こうからやってきた。「なんか、アドオンできるみたいよ」それは、聞いてない。でも確かにディーラーがリバイする人はどうぞと言っている。それはリバイじゃなくてアドオンだろうと毒づくが、もちろん300$払ってアドオンである。結局、先ほどのオールインは余計だったということである。(前回大会はノースウェストの遅延で参加できなかったが、前々回はチップ0にならないとリバイできなかったはず。そういえば、サテライト勝った人がまたサテライトに参加していた)
ともかく4700点持って第4ラウンドへ。テーブル数はそのすぐ後に5テーブルから4テーブル、さらに3テーブルと整理される。チップが増えたのはいいがなかなか手が来ない。とうとうブラインド200-400でチップ1200点と次のブラインドまでに何とかしなければならないところまで追い込まれてテーブルバランスで移動。今度のテーブルは日本からの参加者はいない。旅の恥はかき捨てである。移動直後、ミドルポジションだったが前はばたばたと下りて私の番。ハンドはJ6。成算は全くないがオールインである。
ここもBBが受けて、しかもK4か何かそこそこ勝負になるハンド。6が当たって生き残りである。さらにその後2回続けてポットを獲得してチップは14000点まで積み上がった。1200点でこのテーブルに来たから10倍以上である。折りしも残り2テーブルになり、そのままブラインドを払っていても何とかファイナルには残れそうだと今なら思うのだが、すでに時刻は午前1時近い。前日睡眠3時間でまともに頭が働く訳がないのであった。結局行かなくてもいい手で行ってしまい2ハンドでこの14000点をなくしてしまった。
振り返ると、リバイのルールを確認してなかった時点で作戦は失敗していた訳で、第4ラウンド前にはあきらめていたのだから華々しく暴れられただけ良かったのかもしれないが、体調をベストに整えていればファイナルは決して難しくはなかったと思う。だから悔しくて仕方なく、部屋に帰ってもこれだけ寝不足なのにもかかわらずなかなか寝付けなかった。この悔しさを次回に生かすためには、トーナメントに参加する前に体調管理をもっときちんとしなくてはならない。今回の教訓を糧にさらなる飛躍を期したいと思う。
[Mar 3, 2007]
追記
このテニアン遠征が、敬愛する友人Dufferさんとの最後の遠征となった。上に書いたポーカートーナメントで、AAを持ってプリフロで相手を下ろした彼がカードを裏返して相手に見せたしぐさや、Lupinさんの奮戦をじっと腕を組んだまま立っていた姿を、いまでも昨日のことのように思い出す。
トーナメントの翌日、Dufferさん、Lupinさん、Satoさんと4人で、午前中にサイパンに戻って、ガラパンのDFS(デューティーフリーショップ)に行き、近くの焼肉屋で祝勝会を開いた。まだ冬だというのに、やけに日差しがまぶしかった。
そしてこれが、いまのところ私の最後のテニアン遠征である。
当時から崩壊寸前で、中には入れなかった旧日本軍施設。テニアンのお年寄りは日本語も話せた。
ケアンズ雑感 [Sep 28, 2005]
一昨日まで行って来たオーストラリアであるが、これまでの私がかの地に抱いていたイメージといえば、ゴルゴ13の「シンプソン走路」によるところが大きい。もう20年も前の作品であるので、ご存じの方はあまりいないかもしれないが、アポリジナル反乱軍(解放戦線)の鎮圧のため首謀者の暗殺を依頼されたゴルゴが、砂漠を越えて反乱軍の本拠に近づき、首謀者であるコリアー・マスグレーブ少尉を狙撃するというストーリーである。
このストーリーの中で、ここにはアポリジナルの処遇という難しい問題があること、ノーザンテリトリーといわれる砂漠地帯は彼らのいわば本拠地であり、そこには膨大な地下資源があること、彼らの主武器である戦闘用ブーメランはここの複雑な地形では近代兵器以上の威力を発揮すること、などが述べられている。
その中で最も印象深かったのが、このミッションの依頼者である政府高官のバンゲール・マスグレーブ次官が標的マスグレーブ少尉の実の兄弟でありながら全く似ておらず(バンゲール次官が白人の、コリアー少尉がアポリジナルの風貌である)、キャプションに「オーストラリアでは混血が進んでいるため、兄弟の風貌が全く異なることがめずらしくない」ということが書かれていたことであった。
だから、オーストラリアではどんな人が歩いているんだろうと思っていたのだが、意外や意外、ケアンズで相当数見かけたのは日本語を話す人たちであった。とにかく、メインストリートであるアボット通りを歩くと、日本人の観光客、日本語の看板、「日本人の店員います」「日本語通じます」の案内が目白押しである。
実は、宿泊したReef Hotel & casinoのカシノホストの男性が日本語が話せる現地の方なので相当びっくりしていたのだが、そもそもこちらのお店では平気で日本語で話しかけてくるのだ。フードコードの2階に上がって、東洋系の子がいたので「日本語OK?」と聞いたら、日本人だった。「Sushi Train」という回転すし屋も何軒か見かけた。
市内の散歩では、セントラル・ステーションとケアンズ博物館に行った。セントラル・ステーションはホテルから北に歩いて、そこから西へ向かう。京都のように通りが東西南北に走っているので、あまり迷うことはない。鉄道の駅なのだが、昼間ということもあって切符売り場のようなところはすべてクローズ、改札(入り口)にもホームにも全く人がいない。たぶん、朝晩の決まった時間にしか列車は走ってないのだろう。
一方、隣接の駐車場は満杯でショッピングセンターにもたくさんの人がいた。日本の郊外ショッピングセンターと作りも売っているものもよく似ていた。
ケアンズ博物館は、やはり日本の田舎町に行くとよくある郷土資料館とよく似ている。まさかりやブーメランなどアポリジナルの昔の道具、開拓当時のいろいろな道具や写真などがこじんまりと展示されており、日本語のケアンズ紹介ビデオがずっと回っていた。
個人的にいちばん興味深かったのは、開拓当時の中国人の家族の写真である。メインストリートを練り歩く”Dragon Dance(獅子舞)”の古い写真のそばにそれはあって、一人の男の両側に二人の女性、前に3人の小さい子供が写っている。その説明書きにはこう記されていた。「当時(20世紀初頭)、中国出身の開拓者は郷里に家族(妻)を残している他に、ケアンズでも家族(妻)を持っていた。写真の家族は、ケアンズで2人の妻を持っていた唯一の男である」
[Sep 28, 2005]
ホテルの窓から見たケアンズの町並み。ショッピングモールには日本人留学生が結構います。
ケアンズ博物館外観。2階が展示室になっています。
ケアンズ雑感2 [Nov 8, 2005]
リゾカジやWEBで親しくさせていただいている生独さん・クラクラさんのご結婚式に出席させていただくため、9月に続きオーストラリアに行ってきた。
燦燦とふりそそぐ陽光の下、コーラル・シーに望む素敵なチャペルで、ダンディーな新郎生独さん、かわいらしい花嫁のクラクラさんのお二人は本当に輝いていらっしゃいました。そして、リーフに戻ってMITさん・ちくわさんの司会で行われた披露パーティーの楽しかったこと!初めて参加させていただいた家の奥さんもとても楽しかったと感謝していました。
生独さん、クラクラさん、末永くお幸せに。お招きいただきまして、ありがとうございました。
さて、オーストラリアも2度目になると、いろいろ気がつくことがある。その第一は、オーストラリアというのは本当に男女共同参画社会なんだなあ、ということである。前回はじめてカンタス航空に乗ったとき、機内サービスがみんな男だったのでびっくりしたのだが、よく見てみるといろいろな職種で本当に男女の区別なくみんなが働いている。
ホテルのフロントやカシノは当り前だとしても、キュランダに行ったときの観光ガイドも男女ひとりずつだし、スーパーに行くと売り子さんも、レジも、男性もいれば女性もいる。最初はちょっと違和感があったのだが、慣れてしまえばそれが当り前のように思えてくる。日本では、男女雇用平等法の”建前”上、採用にあたり男女別の表記をしないだけで実際には区別があるのがほとんどであるが、オーストラリアでは”本音”でそれが行われているのだ。
おそらく、社会の進むべき方向はそうあるべきなのだろうと思う。わが国では、ジェンダーフリーというと男女同じ部屋で着替えさせることだなどというおかしな考え方をする人がいるが、本当は社会のあらゆる場面で、男女どちらであっても受け入れることのできる感性を育てることが重要なのだと思う。飛行機の狭い通路をガタイのいい男性アテンダントが行ったり来たりするのは、ちょっとつらいものがあるのは確かだが。
今回、結婚式で牧師をされていたのも女性だった。キリスト教にはあまり詳しくはないのだが、ローマン・カトリックの神父は「父」というくらいだから男性限定のはずで、ローマ法王から始まって枢機卿、各地の主要な神父さん、すべて男のピラミッドができている(神に仕える”修道女”はいる)。しかしプロテスタントの場合、牧師というのは「信徒代表」であるので、神父と違って結婚することもできるし、女性ということもある。この方がまたきれいな牧師さんで、チャペルの雰囲気にとても合っていらっしゃって、式を盛り上げて下さったのでした。
[Nov 8, 2005]
スカイレールから遠くグレート・バリア・リーフを望む。絶景!!
キュランダの谷間を弧を描いて走る列車は、イメージ映像でよく使われるそうだ。