大鰐温泉    芦ノ牧温泉    飯坂温泉    桧枝岐温泉    七入山荘と渋沢温泉


大鰐温泉と東北の不思議な名所 [Sep 4, 2007]

東北の中でも北東北は不思議な名所がいくつかある。しばらく前に大騒ぎされ結局偽書(にせもの)であることが明らかとなった「東日流外三郡誌」などという人騒がせなものがあったのも北東北だし、「キリストの墓」「縄文ピラミッド」「日本中央の碑」(注)など眉唾という他ないものが大真面目に信じられている土地柄である。そういえば、インチキ石器発掘で有名になったのも、東北地方の研究所であった。

こうしてみると東北人には「ほらふき」の気があると言わざるを得ないのだが(ちなみに私も東北血統である)、関西や九州のような本物の名所旧跡がないことへの劣等感の裏返しのような気もするし、あるいは昔からお米の出来が悪くなるたびに命がけの苦労をしてきたことで空想的な性格が培われてきたのかもしれない。

さて、その北東北の中でも最北端の青森県で、青森市に次ぐ第二の都市が弘前市である。その弘前市の郊外にあるのが大鰐(おおわに)温泉である。かつて漁業や鉱山景気で大層栄えたところらしいが、いまでは平川沿いに温泉宿が点在するひなびた温泉街である。

なぜこの温泉を知っていたかというと、いまの相撲協会理事長北の湖親方の現役時に若三杉という力士がいて(後の横綱二代目若乃花)、この力士が大鰐町出身だったのである。それで中継のたびに「東方、若三杉、青森県大鰐町出身、二子山部屋」という館内放送を聞いていて、一回は行ってみるものだろうと思っていたのだった。

今から十年ちょっと前に今年以上にひどく暑く長い夏があって、その時この温泉に行った。温泉は食塩泉でお湯自体にそれほど特色はなく、温泉街も旅館の他にはあまり遊ぶところはなかった。そして平川も鬼怒川のような奇岩渓谷が続く展望という訳ではなくただの川なので、5分も歩くとただの川と畑だけの普通の田舎になってしまうのであった。

当時から「東日流外三郡誌」は怪しいと言われていたがまだ証拠は上がっておらず、石器発掘ねつ造事件も起こっていなかった。だからその当時はあまり気にしていなかったのだが、今になってちょっと心配になってきている。この温泉に行く前にわざわざ遠回りして行った大湯ストーンサークルも、もしかしたら後から誰かが石を並べただけの偽物なんてことはないだろうか、なんてね。

(注)「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし) 青森県五所川原市在住の某氏が、古代東北の知られざる歴史を伝える秘伝の古文書として発表した偽書。古文書のはずなのに筆跡が本人のもので、当時知られていない事実や用語が満載である。

「キリストの墓」 イエス・キリストが磔にされたあと、遺体が青森県戸来村に葬られたとする説。上記「東日流外三郡誌」の前に大騒ぎされた古文書「竹内文書」(これも偽書)に書かれていたとされる。(そもそもイエス・キリストは復活したので、教義上キリストの墓はない)

「縄文ピラミッド」 青森、秋田、岩手などに三角錐、四角錐の形状の山がいくつかみられることから、これらは縄文人の作ったピラミッドではないかとする説。文中の大湯ストーンサークルの近くにもそういわれる山がある。

「日本中央の碑」 坂上田村麻呂が蝦夷遠征の折「日本中央」と石に刻んだという伝説があり、その石文であると主張しているが、どうも怪しい。ちなみに西行や芭蕉が詠った歌枕の「つぼのいしぶみ」は宮城県の「多賀城碑」。

[Sep 4, 2007]

芦ノ牧温泉 [Sep 3, 2008]

会津若松から南に車で30分ほどに位置する芦ノ牧温泉は、栃木県と福島県会津地方を結ぶ国道121号線沿いにある。山を一つ越えた向こう側に有名な大内宿があり、江戸時代まではそちらが主街道(会津西街道)だったということになる。

8月31日、日曜日の午後、国道から温泉街に入るが人通りは全くない。その中から、日帰り入浴の表示がしてあった「湯の華苑」に入ってみる。「源泉100%・掛け流し」とのことである。入口を入ると入浴券の自動販売機があり、奥に浴場と休憩室があって、廊下にはソファとマッサージチェアが置いてあった。

脱衣所には成分分析表が掲示してある。+イオンはナトリウムイオンとカルシウムイオン、-イオンは塩素イオンと硫酸イオンが多い。昔風にいうと、食塩泉(塩化ナトリウム)と石膏泉(硫酸カルシウム)の混ざった温泉である。内湯と露天の2つの浴槽がある。

見たところ、まず源泉を露天に入れて、そこから内湯に引いているようだったので、体を洗った後まず露天風呂へ。入ろうとしたら、びっくりするほど熱くてとても入れない。水を入れられないのかと探してみたが、さすがに源泉掛け流しだけあって、水を足す蛇口がないのであった。

足をつけたり手をつけたりしてみるが、とても無理であった。私のほかにもう一人出たり入ったりしているおじいさんがいたが、その人も内湯だけ使っていた。熱湯コマーシャルじゃないんだからと思いながら、おじいさんが出て一人になるのを待って、内湯に入る。

内湯は露天より少し温度が下がっているのと、蛇口があって水を足せるので、なんとか普通に入ることができた。はじめは遠慮がちに水を足していたのだが、しまいには盛大に水をざふざぶ出しながら、ようやく肩までつかる。ここの湯船は深くて、普通に座るとおぼれてしまうので、底に石が置いてあってそこに座って入る。そういえば、道後温泉(松山)も浴槽が深かったのを思い出した。

例の白骨温泉の騒ぎ以来、天然とか掛け流しの表示がうるさくなってしまったが、こういう場合大変困る。後で成分分析表を見直したら、源泉の温度は57度である。それぞれの宿に着くまで多少下がっていたとしても50度近くはあるはずで、水でうめなければ普通の人は入れない。

ところが水を足すと、「源泉掛け流し」と名乗ることができないので(「加水」となる)、おそらく仕方なくそのまま入らせているのであろうと思われた。しかし、源泉掛け流しは確かにうれしいものの、入れなければその良さも分からないのである。

正直なところ、お湯の良し悪しは全く分からず、ただただ熱いという印象だけが残ったのは残念なことであった。

[Sep 3, 2008]

湯乃華苑エントランス。日帰り入浴はありがたいが、お湯がちょっと(というより相当)熱い。


芦ノ牧温泉から山一つ越えたところにある大内宿。江戸時代の宿場町の家並みが残されている。


飯坂温泉 [Nov 2, 2009]

最近、温泉に行くのも出張の合間だけという悲しい状況が続いている。今回は、福島市内から約30分、東北の名湯飯坂温泉に行ってみた。

福島県はよく知られているように、太平洋側から浜通り、中通り、会津の3つの地域に分かれている。途中に山(阿武隈山地と奥羽山脈)があるため昔は交通の便が悪く、それぞれの地域に違った風土・特色がある。

福島市は中通りの宮城県寄りにあって、「県北」という言い方をすることもある。浜通りや会津と比べて大都市へのアクセスが整っていることから、先進的な地域であるとされている。同じ中通りでも東京に近い郡山の方が町の規模は大きいけれども、なんといってもJRA福島競馬場があるので昔からなじみ深いのである。

昔、同じ職場の先輩が福島の人で、「福島人は一年間稼いだカネを、福島競馬につぎ込む」と言っていたことを思い出す。当時は全国発売レースはクラシックと天皇賞・有馬記念くらいで、福島競馬場は年間2、3開催くらいしか開いていなかったのである。

さて、市内から西に進むと土湯温泉から吾妻小富士、裏磐梯へ至る観光ルートになるが、北に進むとこちら飯坂温泉となる。かつては熱海や鬼怒川のように社内旅行で相当に栄えたが、バブル崩壊以降人出が激減したのは他の温泉地と同様。電車の終点、飯坂温泉駅を下りると、松尾芭蕉の銅像が出迎えてくれる。

予約した宿は「ホテル小松」。温泉協会のHPで「おひとり様歓迎」のカテゴリーから選んだ宿である。飯坂温泉は摺上川に沿って開けた温泉街だが、その摺上川に面して建っている。ホテルとはいうものの、ハード面は昭和40年代の水準で、無線LANとか、デジタル放送とか、VODとか、ウォシュレットとか、そういうものはない。

とはいっても、お風呂は清潔で、しかも源泉かけ流しである。アルカリ性単純泉で硫酸イオン、メタケイ酸イオンの含有量が多く、触れた感触はちょっとぬるっとする。55度の源泉を昼夜かけ流しているので、泉質は申し分ないとはいえかなり熱い(浴槽42度と書いてあったが、体感では45度くらい)。

一緒に入ったお客さんもすぐに出てしまったが、せっかく来たのでがんばってみる。足だけ浸かって体を慣らし、次に腰まで、そして何とか肩まで。入ってしまうと何とかなるけれど、ちょっとでも体を動かすとまたもや熱い。血管が切れないか心配になったので、1分くらいで出た。

ビジネスホテルと大して違わない値段だったので、正直なところ食事は期待していなかったのだけれど、予想以上に豪華な夕食で驚いた。部屋食で、お刺身、牛の陶板焼、あゆの素揚げがメイン、他に鮭のちゃんちゃん焼風、なすの煮びたし、茶碗蒸し、お吸い物、酢の物、などなど。冷酒にもよく合ってご飯もおひつ全部空にしてしまった。

満腹した後は再び温泉へ。次の日の仕事のことを忘れてしまうくらい、のんびりした一晩でした。

[Nov 2, 2009]

駅前で、芭蕉翁もお出迎え。ホテル街との間には摺上川が流れる。


1泊2食8,500円で、この夕食はなかなか。 しかも部屋食はくつろげます。


桧枝岐温泉 燧の湯 [Nov 2, 2015]

桧枝岐(ひのえまた)村には若い時からよく来ていて、最初に泊まったのは40年前のことである。高校時代の同級生のグループ3人で、沼山峠から尾瀬沼まで往復して桧枝岐に戻って泊まった。夕飯の後にお酒をお願いしたら、サービスでお新香の盛り合わせを付けてくれたことを思い出す。当時は野岩鉄道がなかったので、五十里(いかり)ダムからバスで3時間かかった。

以来、桧枝岐村や、山をはさんで反対側、栗山村の川俣湖・湯西川エリアには何回も来た。日光・鬼怒川あたりまで含めると、ほとんど毎年来ているといってもいい。なぜこのエリアに足が向くのか、自分でもよく分からない(お新香のせいだろうか)。距離的時間的にはほとんど変わらないのに、群馬県、茨城県には数えるくらいしか行ったことがないのに。

さて、その桧枝岐村には、昔からいくつかの公衆温泉がある。旅館・民宿の多くにも温泉は引かれているが、大きな湯船の方が気持ちがいいのは観光客も地元の人も同じである。尾瀬に近い方から、燧(ひうち)の湯、駒の湯、アルザ尾瀬の郷の3つで、アルザは後からできたと思う。今回紹介するのは燧の湯、名前がはもちろん燧ヶ岳から採っている。

その昔は、桧枝岐温泉第一公衆浴場といった。場所的には、もう少し川寄りで建物も少し小ぶりだった。現在でも、中土合公園駐車場の脇に昔の建物が残っている。いまの建物はずっと大規模であり、施設もまだ新しく、広々としている。これについては、以前誰からか忘れたが面白い話を聞いたことがある(温泉に入っている地元の人だったかもしれない)。

村営とはいえ、そういくつも贅沢な施設を作る訳にはいかないだろうと思っていたら、じつはこの施設、GATTウルグアイラウンドの農村補助金で作られたそうである。聞いた話なので本当はそうでないかもしれないが、いかにもありそうなことである。わが印西市(旧・本埜村)でも、ウルグアイラウンドの補助金で印旛沼に至る水路を整備している。

GATT(ガットと読む)そのものが自由貿易推進のための関税撤廃を究極の目的としていて、現在はWTOに発展的に改組されている。つまり、今日話題となっているTPPの20世紀版である。そしてウルグアイラウンドといえば二十年前、まだまだバブルの雰囲気が色濃く残っている時期で、国家財政にも余裕があった。

ウルグアイラウンドを受け入れるため、当時の政府は莫大な補助金を準備して、農家の反対を押さえた。当時の首相は日本新党の細川首相だったが、短命の細川内閣(1993年8月から1994年4月)にそこまでの政策が立案できたはずはないので(ウルグアイラウンドの交渉は1986年から1994年まで8年間に及んだ)、当然農水省と自民党政権において政策化されたものであった。

その莫大な補助金が、本来の目的である農家の経営基盤の拡充(私の地元のような水路整備や大規模化のための区画整理)に使われただけではなく、いわゆる地方のハコモノになってしまったのは、やむを得ないこととはいえ無駄遣いと言われても抗弁できない。

あるいは、現在の財政赤字の一つの要因となっているかもしれない。何しろ財政規模的には1988年に行われた「ふるさと創生1億円」の数倍以上のインパクトがあったのである。

(もちろん、今日の財政赤字の最大の要因は、大甘の計画で設計して破綻しつつある年金である。)

燧の湯エントランス。以前はもう少し川沿いにあったようで、そちらにも古い建物が残っている。


さて、燧の湯に話を戻すと、入口に書いてある営業時間は午前6時からとおそろしく早い。もちろん、尾瀬の観光客を想定しているのだろう。中には食堂・レストラン等はないが、自動販売機はある。エントランスは広々としていて、マッサージ椅子の他、足つぼマッサージなども置いてある(10分100円)。

泉質は硫黄泉であるが、色は無色で硫黄臭もそれほどきつくはない。浴槽もカランも10人以上は楽勝で入れる広さである。備え付けのシャンプーやボディソープは自然にやさしいのでやや泡立ちがよくないが、まあこれは仕方がない(尾瀬に行けば石鹸・シャンプー禁止である)。

野趣あふれているのは、露天風呂である。こちらも10人くらいは入れる広さだが、「源泉かけ流しです」と書いてあって、浴槽の中でも湯口と反対側では温度が違う。ちょうどいい湯加減のところに入れるのは4、5人かもしれない。外から遠慮なく飛んでくる落ち葉と、湯の花のような細かな何かの毛のようなものが入っている。まさに山の中にある温泉である。

そして、内湯からだとガラスを通して見ることになる御池から会津駒ヶ岳に至る稜線が、露天風呂からだとさらに眼前に迫ってくるのは圧巻である。露天風呂に下りて行く階段から中土合公園の橋が見えるので、もしかすると向こうからもこちらが見えるようなのはやや気になるが、これも野趣のうちだろう。

尾瀬を歩いて帰る前には、ここか、御池ロッジの日帰り入浴で汗を流すことをぜひお薦めする。御池ロッジの風呂には時間制限(12時から5時)があるので、それ以外の時間ならこちらである。実際、奥さんが入っていた女風呂では、平ヶ岳に行ってきたという単独行の山ガールに話しかけられたそうで、そう思っているのは私だけではないようだ。

[Nov 2, 2015]

燧の湯の後方エントランスからは、御池から会津駒ヶ岳へと続く稜線がみごと。露天風呂からも望むことができる。


七入山荘と渋沢温泉 [Sep 17, 2020]

尾瀬ヶ原から燧裏林道を踏破して御池に下山した後は、バスに乗って七入山荘に宿泊した。

七入は桧枝岐村の中心から5kmほど御池側にあり、かつて尾瀬に多くの人が来た際、御池駐車場が一杯の場合は七入に車を止めて御池までピストン輸送する計画であった。

そのため、広大な駐車場と立派な管理棟が整備されているが、現在は観光客がここに止めることはない。除雪工事や土木工事のための車が数台あるだけで、ピストン輸送ももちろん行われていない。

七入山荘という名前は昔から聞いていて、キャンプ場があるのでその付属施設かと思っていた。ところが行ってみると、キャンプ場から右手の坂を登った高台に瀟洒な建物が建てられている。

内装はまだ新しく、受付には昨秋(2019年、300名山完全人力踏破の時)にここに泊まった田中陽希と、ご主人夫婦の記念写真が飾られていた。部屋の畳は表替えしたてで真っ青である。手入れも行き届いている。

トイレはウォシュレットだし、洗面所は個別。wifi完備で接続はノーストレスである(鳩待山荘では気象庁HPがなかなかつながらなかった)。そして、お風呂がまたきれいなのである。

村の中心部から離れているので、さすがに桧枝岐温泉はここまでひかれていない。それは分かっていたのだが、なんと出水口のところに複雑な形の岩のようなものがあり、こう説明書きが付けられている。

「これは、渋沢温泉小屋の湯の花がしみ込んだ木の葉の化石です。こわれやすいので触らないでください」

なんと、伝説の秘湯、渋沢温泉小屋の遺物であるとは驚いた。温泉の素ではないから成分が溶け出して温泉風になる訳ではないだろうが、南部鉄瓶だって微量の鉄分が溶け出すといわれる。化石であれば、鉄瓶よりずっと溶けやすいだろう。

渋沢(シボサワと読むのが当地風)温泉小屋は燧裏林道から三条の滝方向に標高差200mほど下りた場所にかつてあった。数年前の豪雪で建物が倒壊し、その後取り壊されて更地となった。

いまでも只見川沿いに温泉が湧出しているそうだが、小屋も取り壊され、道も廃道化しつつあるようで、入れる状態ではないといわれる。もともと湧出温度が低いのでそのままでは使えず、小屋の終了とともに幻の温泉となってしまった。

3~4km離れた元湯地区が赤田代と呼ばれたように、あのあたりの泉質は鉄泉である。体が温まり、関節痛や神経痛に効く。このお風呂に入ったせいか、10時間歩いたのに筋肉痛も起こさなかった。

いずれにせよ、いまでは入ることのできない渋沢温泉がここで形を変えて生き残っているようで、何だかうれしくなる。

翌朝は、バスの時間が遅いので村をめざして歩いてみた。道沿いに、出作り小屋の再現建物があった。

出作り小屋は、集落の中心部から離れて建てられた仕事用の建物で、ここに拠点を置いて猟をしたり山の作物を穫ったり、焼畑農業をしたりしたという。七入やキリンテ、御池は出作り小屋があった地域である。

そういえば、宿の夕食はご主人が毎日山に入って収穫するキノコや山菜を使って作る山人(やもうど)料理と呼ばれる当地独特の料理の数々であった。最寄りの鉄道駅からバスで2時間近くかかる山の中であるが、お風呂に入って料理を食べるだけでは山の中とは感じられないほどのうれしい宿であった。

[Nov 23, 2020]

七入山荘。予想していたより新しい施設で、手入れも行き届いていた。


七入山荘の夕食。イワナのお造り、塩焼き、キノコの和え物、キノコの天ぷら、断ちそばなど。ご主人が山で収穫した食材を使った、山人(やもうど)料理と呼ばれる当地独特の料理の数々である。


翌日はバスの時刻に合わせて1時間ほど歩く。七入やキリンテには、桧枝岐の人たちが村人達が仕事用の小屋(出作り小屋、出小屋とも。この建物は当時の再現)を建て、夏の間ここを拠点にしたという。


ページ先頭に戻る    温泉北海道2 ←    → 温泉北関東    温泉目次