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有馬温泉 [Oct 8,2005]

日本で温泉といえば、やはり有馬温泉ということになっている。以前関西に住んでいたことがあるので、一度だけ行ったことがある。

あれは結婚してすぐのことだったので、85年の2月か3月だったと思う。その年の2月に結婚した私たち夫婦は、長期の(といっても1週間!)休暇などこういう時にしかとれないからということで、定番のアメリカ西海岸に新婚旅行ということになった。しかし、当時まだ1ドルが200円台、それも300円に近い方だったため、日本円で二人で100万円近い金額(諸費用含む)を用意したにもかかわらず、あまり満足のいくものではなかった。

エアはエコノミー、ホテルも今考えるとエコノミー、食事もたいしたことはなく、4泊6日ではじめからスケジュールがきついにもかかわらずSFOに着くべきところLOSに着いてしまい観光予定が1日つぶれる。寒暖の差(この時、日本は大雪)と時差ぼけで体調も悪い。と、かなりさんざんな新婚旅行となってしまった。

幸いに、余ったトラベラーズチェックを日本円に換えると10万円くらいになった。そこで、このおカネはもともとなかったものだから、思い切って高級温泉旅館に泊まろうということになった。これが本当に楽しかったのである。当時住んでいた樟葉(くずは)から、京阪と国鉄を乗り継いで神戸へ。当時できたばかりのボートピアランドでいろいろな乗り物に乗って遊び、午後になって有馬温泉に向かった。

だが、そこが関東人の悲しさ、有馬温泉に行くには神戸電鉄の有馬口というところで乗り換えなければならないところ、さらに三田の方に行き過ぎてしまい、折り返しの電車を1時間も待つことになってしまった。宿の予約もしていないし、日は暮れてくるしでちょっと心細かったが、関西とはいっても日本だし(問題発言か?)、いざとなったら家に帰ればいいのだから、ほとんど誰もいないホームでのんびり1時間しゃべっていた。

泊まった宿は「兵衛紅葉閣」。予約なしで観光案内所に行ったらここしか空いてなかった。値段は結構およろしかったが、まあ予算内。もう20年も前のことだが、檜だか石だか分からないつるつるの浴槽でお湯もものすごくしっとりしていて、さすが有馬温泉と思ったことを覚えている。ただ、旅館内がえらく広く、また込み入っているものだから、一度部屋に戻るともう一回風呂に行こうという気にならなかったのが残念であった(新婚だし)。

もちろん食事は部屋食。ちょうどその頃「おれたちひょうきん族」の最盛期で、その晩は「ひょうきんベスト10」でウガンダがマイケル・ジャクソンの「スリラー」を踊ったことをなぜか覚えている。

[Oct 8,2005]

有馬温泉(金の湯) [Apr 27, 2007]

有馬温泉のお湯は、遠く太平洋のフィリピン海プレートから地層に入り込んだ水が、六甲山の地層とぶつかったところで噴出しているものだそうである。共同源泉である金の湯(含鉄強食塩泉)、銀の湯(炭酸泉、ラジウム泉)の他、大きな宿では自分の源泉を持っているらしい。今思うと昔来たときの兵衛紅葉閣は銀泉か自分の源泉でも炭酸泉系のお湯だったような気がする。

今回訪れたのは公衆浴場の「金の湯」。有馬温泉のど真ん中にある天神源泉その他から引かれている含鉄強食塩泉である。源泉の周りがまっ茶色に染まっているように、鉄分が非常に多い。観光客が非常に多い温泉だが、湯船も広いので問題はない。湯船は茶色の鉄分でもちろん足元は見えない。

資料によると湧出温度が98度と非常に高く、これでは加水せざるを得ないが、他の細工はしておらずかけ流しにかなり近い。普通湯の花は浮かんでいるのだが、鉄分なので沈んでいて、歩くと水面近くまで上がってくる。金の湯とはいうが実際はさびのような色だと思ったがまさにさびと同じ酸化第二鉄のはずである。高温・高圧であるため湧出した時点では透明であり、空気と反応してあっという間に茶色になるということである。

炭酸泉やラジウム泉である銀泉が高血圧や糖尿病、関節痛などいわゆる成人病関連に適応するのに対し、金泉は殺菌作用があるため皮膚病や傷・手術後のリハビリ、リウマチ等に効くらしい。硫黄泉のように特ににおいがある訳ではなく、ぬめぬめも際立ってはいない。しかしこの風呂は非常に効いたようで、みんなが寒いという中で温泉上がりの私は2時間は楽に体がぽかぽかの状態が続いた。

有馬温泉は金の湯・銀の湯に両方入ってみてはじめてその効果が実感できる・・・ような気がした。

[Apr 27, 2007]

金の湯玄関。中は観光客でいっぱいである。


長良川温泉 [Jul 16, 2009]

関ヶ原を歩いた後は、岐阜まで戻って長良川温泉へ。この温泉、社会人になって間もない二十五年くらい前に、確か社内旅行で来たことがあったのではないかと思う。

正直なところ、「思い出したくもない相手との、思い出したくもない」(c.村上春樹)旅行だったため、ほとんど記憶がない。本当にここだったのかどうかも定かではない。当時、同じく社内旅行で山陰地方に行っているはずなのだが、これも城崎温泉だったのか三朝温泉だったのか、はたまた皆生温泉だったのか、覚えていないくらいである。

つまり人間、思い出したくないことは何十年かたてば思い出せなくなるということなのであるが、それはさておき、長良川温泉である。この温泉はJR岐阜駅から長良川方面へバスでしばらく行くと川岸にある。ご存知、長良川の鵜飼いをやっているところである。

バス停で下りると、目の前に金華山がそびえ、その頂上には岐阜城(稲葉山城)が見える。代表的戦国武将の一人である斉藤道三の居城であり、道三の死後もここを拠点に美濃は強大な勢力を誇った。織田信長の天下統一にあたり、最も困難であった戦いの一つが美濃攻略である。山の頂上にちょこんと城が乗っているこの景色は、かすかに覚えがあるような気がする。

鵜飼い船乗り場のすぐ近くにある旅館「十八楼」、宿の名前は、松尾芭蕉の句にちなんでいるようだ。万延元年(1860)創業というこの宿で、日帰り入浴ができる。宿の玄関口で尋ねると、仲居さんがわざわざ大浴場まで案内してくれた。入浴料は1000円、タオル付き。風呂場を出たところに休憩スペースがある。

中は結構ひろびろとしており、内湯と露天に分かれている。どちらにも温泉と薬湯の湯船があるけれど、温泉の方は2、3人入ると一杯になってしまうくらい小さい。源泉は鉄の冷鉱泉で、沸かして浴用にしている。鉄泉だから赤茶のさび色をしているが、それほど刺激があるというわけではない。薬湯の方は普通のお湯のようであった。

広い方の薬湯の湯船を窓際まで行くと、長良川の流れを一望することができる。いい景色である。対岸のスタジアムらしき施設でナイター照明が光っているのは、何かの試合をやっているのだろうか(翌日調べたら、サッカーJ2の試合だったようである)。昼間、関ヶ原を歩いたため膝やふくらはぎがつらかったので、景色とお湯はたいへんありがたい。

前回の長良川温泉は忘却の彼方だけれど、今回の長良川温泉は長く記憶に残ることになると思う。

[Jul 16, 2009]

十八楼(正面の高いビル)と、観光鵜飼い船が並ぶ長良川。


道後温泉 [Nov 12, 2007]

道後温泉はご存知のとおり松山市街から路面電車で10分ほどのところにある。終点からアーケード街のゆるやかな坂を上って2、300mほど行くと、松山市営の道後温泉本館がそびえ立ち、その向こうには温泉旅館街が続く。

この温泉の歴史は古く、伊予国風土記には「法王大王入浴」の記事がある(法王大王は通説では聖徳太子のこととされるが、多分違うだろうと思う)から、6、7世紀からこんこんと湧き続けていることになる。明治時代には松山中学の教師だった夏目漱石が俳人正岡子規らと足しげく通ったそうだし、皇室専用の「又新殿(ゆうしんでん)」も道後温泉本館内にある。

泉質はアルカリ性単純泉。無色無臭で、アルカリ泉特有のぬめぬめ感がある。湧出量がよほど豊富なのか、基本的にかけ流しである。殺菌のため塩素だけ加えているというのが市営らしいところ。ただし匂いなどは全然感じられない。

道後温泉本館で一般の人が入れるのは、神の湯と霊(たま)の湯の2つ。もちろん男女別である。休憩室を利用すると割り増し料金になるが、大したことはない。今回利用したのは霊の湯の休憩室付、1200円である。

階段を2階に上がると係のおばさんがいて、逐一やり方を説明してくれる。まず着替えて、下着と浴衣で1階の風呂に下りていく。バスタオルはなく、浴衣で汗取りをしてくださいといわれるのがちょっと普通と違うところ。

霊の湯は10人は楽に入れそうな広さだが、この日は最初と最後に3人になっただけでほとんど独り占め。お湯は盛大にかけ流してあり、浴槽の縁からどんどん流されていく。豪快である。そして結構深さがあって、底の部分に座ろうとすると顔までお湯に浸かってしまう。だから段になっているところに座るか、お尻が底に付かないように微妙にバランスを取りながら入ることになる。

料金が高いだけあっていい石を使ってあり、お風呂は最高に気持ちいい。建物全体は古く、バリアフリーには一切気を使っていないのでお年寄りにはちょっとつらいかもしれないが、全館禁煙で清潔である。お風呂上がりにはお茶とお煎餅のサービスがある。また、霊の湯利用者は皇室専用風呂「又新殿」を見学することができる。

今回は、仕事で出張があったついでに寄ってきたため一人だったが、次回はぜひ奥さんを連れてきたいところである。ちなみに、「千と千尋」の「油屋」の建物のモデルは、この道後温泉本館だということで、1階にアニメのカット集が置いてあった。

[Nov 12, 2007]

道後温泉本館の正面玄関。


角度を変えてもう一枚。三階に見えるのが「ぼっちゃんの間」で、夏目漱石の資料が置いてある。


瀬戸内温泉 たまの湯 [Nov 15, 2015]

先日、岡山県の玉野で仕事があった。いまや多くの人、特に東日本の人は覚えていないだろうが、本四架橋ができる前には本州・四国間は連絡船でつながれていて、玉野市の宇野と四国高松の間に国鉄宇高連絡船が走っていた。今も民間のフェリーがあるけれども、ほとんどの旅客・貨物は瀬戸大橋経由となってしまい、便利になった分、この港は寂しくなってしまった。

1971年の交通公社時刻表をみると、瀬戸大橋線はもちろんなく、宇野までの電車(宇野線)が新大阪あたりから直通運転されていた。深夜や早朝にも走っていたから、おそらく駅は24時間開いていたのだと思う。いまでは想像できないが本州と四国の間は船で渡るしか方法がなかったから、急ぎの用事があれば連絡船を使うしかなかったのである。

当時は新聞紙上に、児島・坂出ルートとか、尾道・今治ルートなどの言葉が頻繁に使われ、どの橋を最初に渡すべきかという議論が盛んだった。いま思えば、関西圏への近さでも空港とのアクセスの良さでも淡路島を突っ切るのが一番合理的だし、現在でも定期バス便はこの経路を使うものが多いけれども、当時はなにごとも自民党派閥間の力関係で決まる世の中であった(新幹線のルートや駅もそうであった)。

ちなみに尾道・今治ルート、現在のしまなみ海道には仁堀連絡船が通っていたが、宇高連絡船よりかなり本数は少なく、接続列車も頻繁には走っていなかった。さらに言うと、瀬戸大橋開通による経済効果は絶大で、物流がスムーズになることで岡山周辺が一大経済圏を形成し、瀬戸内海の観光需要も増えるという予想がまかり通っていたが、そんなことには全然ならなかった。後から考えれば3本とも通す必要はなかったが、通してしまったものは仕方がないのである。

さて、その宇高連絡船の後継航路である宇高フェリーと並んで、瀬戸内温泉たまの湯がある。「玉」の湯と「玉野」湯をかけたネーミングと思われる。建物はまだ新しく、つい最近できたもののようである。フェリー埠頭からは海沿いを歩いて行く。近くにあるのになかなか着かないのは、見た目よりも距離があるからだろうか。

平日の昼間だというのに、結構車が止まっている。受付で入場券を買う。1500円と意外と高い。会員になるともう少し安くなるようだが、旅先であるのでそういう訳にもいかない。館内の説明を受ける。浴室は建物をずっと奥まで進んで2階に上がるようだ。案内された通りに1階を進む。通路は畳敷きになっていて足の裏にやさしい。

脱衣所はすべてロッカー式で、手首にロッカーキーを付けて浴室スペースに入る。内風呂と洗い場スペースは他のところとそれほど変わらないが、この温泉の特色は露天風呂にある。この日の男湯は「棚田の湯」で、上から3段の湯船が並び、眼前には瀬戸内海の島々とはるかに四国を望む雄大な景色なのである。

泉質としては立地から察しがつくように食塩泉であり、バイブラの飛沫が飛ぶとしょっぱい味がする。ずっと昔金魚を飼っていた頃、元気がなくなったら少し塩を入れるといいという説があった。あまり濃かったり長時間やると逆効果になるけれども、食塩泉が体によいというのは生物種としての伝統であるようだ。

棚田の湯の隣には、陶器風呂がある。陶器でできた五右衛門風呂で、一人ずつ入る。これがまたコンパクトで心地いい。「譲り合ってご利用ください」と書いてあるが、いまのところ客は私しかいない。電車の時間待ち(1時間に1本くらいしかない)の間、のんびりさせていただいた。

駐車場はほぼ満杯だったのに、浴室ががらがらなのはなぜだろうと思っていたら、レストランが満員で休憩室もかなり人がいた。結構ご年配の人が多かったようだから、デイケア的に使われているのかもしれない。

[Nov 15, 2015]

宇高連絡船の埠頭すぐ横に、瀬戸内温泉たまの湯がある。目の前は瀬戸内の海、さらに四国まで望む絶景。


館内は畳敷きの廊下が浴室まで続く。平日のお昼なのに、レストランは満員で入れませんでした。


徳島・神山温泉 [Jan 31, 2016]

お遍路の焼山寺ステージで、泊まりは約10km下って神山温泉にした。十二番焼山寺から十三番大日寺までは20km以上あって、どこかで泊らなければならない。よく選ばれるのは焼山寺の宿坊と麓のなべいわ荘だが、そうすると玉ヶ峠を越えなくてはならない。神山温泉でも峠越えはあるが、玉ヶ峠ほどには高低差がないのである。

神山町は徳島市からバスで1時間ほどなので、見た目はもっと山の奥にあるのではないかと思える。廃校(休校)となった小学校のプールは藻類が繁茂して緑色になっているし、集落の中心部を抜けるとすぐに人家はなくなってしまう。

焼山寺を正午前に出て、四国遍路発端の地とされる杖杉庵(じょうしんあん)まで1時間、さらにそこから1時間半歩いて神山町中心部、とどめにあと1時間、合計4時間近く歩いてようやく神山温泉である。ちなみにこのルートは少ないとはいえバス便があるが、歩き遍路であるので歩くことに意味があるのであった。

ちなみに、この日は鴨島を朝の4時半に出ているので、神山温泉に着くまで10時間以上歩いたことになる。神山温泉のすぐ近くまで来たら、道の駅の前で右に入るのが正解の道なのだが、買い物をするため道の駅に寄ったので人家の裏、車の通れない道を歩かなければならなかった。いずれにしてもすぐ近くだろうと安心していたら、そこから5分近くかかった。地図で見るより奥まったところにある。

建物は左に浴室棟、右にホテル棟があり、中でつながっている。下の写真のように、浴室棟にはかなりの数のお客さんが入っているようで、チェックインの時フロントの人に、「浴室棟にも入れますが、ちょっと混んでいるかもしれません」と言われた。ホテル棟にも専用の浴室があって、こちらはがらがらであった。もちろん、源泉は同じである。

泉質は含む重曹食塩泉で、成分表をみると+イオンがナトリウムイオン、-イオンでは炭酸水素イオンとカルシウムイオンが多い。瀬戸内温泉たまの湯のように飛沫がしょっぱいというほどではないし、のめこい湯のようにお湯がぬるぬるしている訳でもない。しっとりと落ち着いた肌触りは悪くない。この日は山道の上り下りを含めて10時間以上歩いてきたので、尚更である。

部屋に置かれていたパンフレットに、この温泉についておもしろい話が載っていた。もともとこのあたりには江戸時代、徳島藩直轄の銅山があり、その銅山で働く坑夫達が利用して一時は盛況であったそうだ。ところが銅山の衰退により明治時代初めに廃業。その約半世紀後の大正年間に地元の住職が中心となって鉱泉として再開したものの、第二次世界大戦で再び閉鎖となる。

さらに約30年後の昭和45年、山ひとつ隔てた鬼籠野(オロノ)出身の資産家が温泉を試掘(江戸時代の銅山の近くらしい)、十分な湧出量が確保できたことからその源泉を神山町に寄贈し、今日の神山温泉となったということである。つまり、2度閉鎖の憂き目にあい、三度目の正直で温泉として定着したということになる。

こうした背景もあるのか、地元の人達の愛着もまた格別のようである。ホテル棟「四季の湯」もなかなか気が利いていて、夕食のコースには松茸の土瓶蒸しが付くし、朝食には地元食材を中心とした具だくさん味噌汁がある。お遍路限定のお得なパックサービスもあり、全館Wifi完備である。

こんな山の中にと思うのだけれど、それは歩いてここまで来たからであって、JR徳島駅からバスで1時間くらいだからびっくりするほどのことはないのであった。

[Jan 31, 2016]

神山温泉全景。手前側が日帰り入浴施設、奥がホテル「四季の郷」。源泉は同じとのことです。


夕ご飯には松茸土瓶蒸しとか出てそれはすごかったのですが、こちらは朝ご飯。中央大きな器が神山名物の具だくさん味噌汁です。


伊予西条・湯之谷温泉 [Oct 11, 2018]

四国お遍路を歩いていて、この日、石槌神社会館に泊まったのは私ひとりだった。

「お風呂は湯之谷温泉まで送迎します」お世話してくださった会館の方が言った。

「行きだけでいいですよ。帰りは自力で大丈夫です」と言ったのだが、

「街灯もあまり付いてませんし、お墓とかあって寂しい道ですから迎えに行きますよ」ということなので、お言葉に甘えることにした。

行き帰りの車の中で聞いたことだが、この湯之谷温泉はもともと地元の人達が使う温泉だったそうである。結構狭い道を入って行くし(国道方面からは比較的広い)、周囲は普通の住宅である。

考えてみれば、ほとんどの家に内風呂が付いたのはそれほど古いことではない。私の子供の頃は、まだお風呂屋さんがそこかしこで営業していた。この温泉もそういうお風呂屋さんのような温泉だったらしい。

「施設を新しくしたのはつい最近のことです。それまでは、本当にお遍路宿のような旅館だったのですが、ホテル並みにきれいになりました。」

ホームページをみると、なるほど立派な部屋になっていて、料金も石槌神社会館より高い。立地的には地元の人やお遍路が主な客層のように思えるが、より広く観光需要を期待しているようである。

受付で「手ぶらセット」のタオルとボディソープ、シャンプーをいただいて、別棟の浴室に向かう。ホームページによると、斉明天皇が入ったという伝説があるそうで、そういうイラストが載っている。伊予の札所には、斉明天皇の勅願とする寺がいくつかある。

浴室に入る。敷地内に湧出する鉱泉を沸かしたお湯で、かけ流しだそうである。湧出量がそれほど多くないのか、浴槽は比較的小さめで、高温と中温の2つの浴槽がある。入っているのは、地元のおじいさんばかりだ。備え付けのシャンプー等がないのも地元のお風呂屋さんらしい。「手ぶらセット」が役に立つ。

分析表によると、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で、昔風にいえば食塩泉・重曹泉ということになる。くせのないお湯で、特に刺激はないが、熱い方の浴槽に入るとなかなか厳しい。地元のおじいさんは熱い方がお好みのようだ。

この日は雨の中、横峰寺まで標高差700mを登り下りしたのでかなり疲れたが、ぬるめの浴槽で足をよく揉みほぐしたらかなり楽になった。翌日以降に疲れが残らなかったのは、この温泉のおかげもあったと思う。

[Nov 9, 2018]

湯之谷温泉。近年新装されてきれいになったそうだ。遍路地図には「湯之谷温泉旅館部」とあるが、「温泉部」はすぐ左の建物である。


東予の湯(スーパーホテル四国中央) [Oct 13, 2018]

サラリーマン時代にはビジネスホテルを使う機会が多かったが、さすがにリタイアして少なくなった。とはいえ、比較的低料金で施設が整っているので、お遍路をしていても民宿よりビジネスホテルに食指が動くのはやむを得ないところもある。

その中でスーパーホテルは、比較的使いにくい宿という印象がある。部屋に電話がなかったり鍵が暗証番号だったりするのはともかくとして、フロントに人がいない時間が多いというのが不便なところである。

その半面、朝食は他のビジネスホテルより充実しているし、多くのところに温泉があるのもいい。今回のお遍路では、出発が早いため朝食は食べられなかったものの、30km以上歩いてへとへとになったので、大きなお風呂はありがたかった。

泊まったのはスーパーホテル四国中央。四国中央市というけれども、立地的には愛媛県の東端、香川県との県境にある。昔の名前だと川之江市で、私の世代にはこの方がぴんとくる。大合併の際、伊予三島市とどちらも譲らなかったのだろう。

地理的に四国の中央といえば、早明浦ダムのあたりだろうから、ネーミングが実態を表わしていないという批判は避けられない。温泉名に入っている「東予」がまさにこのあたりのイメージである。

男湯は午後7時50分までなので、7時半に入りに行ったら2人はすぐに出て私ひとりになった。洗い場は8つほどあって、衝立で区切られているのは、スーパー銭湯のようだ。浴槽はいざとなれば10人は楽に入れるくらい広いが、私だけである。

サラリーマンの時は、大きなお風呂は気持ちがいいものの、部屋の小さなお風呂でもそれほど不便は感じなかったものだが、お遍路歩きをしているとユニットバスの狭い浴槽はたいそうつらい。足が伸ばせないし、ツボ押しマッサージをするにも不便だ。

だから、1日歩いた後、手足を伸ばしたり太腿やふくらはぎを揉みほぐたりすると、たいへん気持ちがいいだけでなく翌日以降の疲れ方が違ってくる。スーパーホテルはベッドや枕もすばらしいので、この日は熟睡してしまった。

泉質表が脱衣所に貼ってあったと思ったが、あいにく忘れてしまった。食塩泉で加温・循環だったと思う。お湯はくせがなく、匂いや刺激はない。

[Nov 16, 2018]

スーパーホテルのサービスには長短ありますが、天然温泉が多いのはうれしいところ。


大師の里湯(善通寺いろは会館) [Oct 16, 2018]

善通寺は八十八ヶ所最大のお寺であり、霊場会の本部でもある。お寺がそのまま市の名前になっているように、昔から門前町として栄えてきた町である。観音寺もお寺の名前が市の名前になっているが、お寺の規模は善通寺の方が相当大きい。

いろは会館は宿坊であるとともに、善光寺の事務室があり、お坊さんも食事をとる食堂がある。さすがに弘法大師が生まれ育った地であり、家族経営がほとんどの札所と異なり企業体といえる規模である。

「いろは会館」とはもちろん、弘法大師がいろは四十七文字を作ったといわれることに基づくもので、宿坊は50室、最大収容人員250人と八十八ヶ所最大の規模を誇る。

その浴室も収容人員に応じたたいへん立派なもので、「大師の里湯」と名付けられている。大師の・里湯なのか大師の里・湯なのか迷うところだが、細かいことを気にしても仕方がない。弘法大師が杖で突いたら温泉が出たという場所は全国いたるところにあるが、この温泉の湧出地も善通寺町三丁目だから善通寺の真下であり、もちろんお大師様由来なのだろう。

入浴開始の午後4時に入りに行ったら私だけで、こんな大きなお風呂を一人で使っていいのかと思ったくらいだったが、夕方遅くになるとバスツアー遍路が何十人と到着したので、その人達が入ると一杯になってしまうのだろう。

脱衣所にも何十という棚があり、籠が置かれているのだが、温泉施設につきものの洗面所が少ないのは宿坊ならではというところか。この宿坊、トイレはたいへん新しくウォシュレットも最新式なのだが、洗面所は昔ながらの流しで、蛇口も水だけしか出ないのはこれもお寺らしいところである。

脱衣所に泉質表が貼ってある。ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉。石灰分の強い重曹泉であり、湧出温度は18.6度なので沸かし湯ということになる。今回お遍路で回った温泉は愛媛・香川県境近くで、地理的には比較的近いのだが、微妙に泉質が違うのはおもしろい。

お湯は特に匂いもなく、刺激もないが、前日まで2泊続けてビジネスホテルのユニットバスだったので、ゆっくり手足を伸ばせる大きな湯船は格別であった。ゆっくりさせていただいたおかげで、翌朝1時間にわたる朝のお勤めで正座したけれども、ぶざまな真似をしなくで済んだのは何よりだった。

[Nov 23, 2018]

さすがに善通寺、宿坊にこれだけ大きな浴室を作るんだなあと思ってたら、バスツアーの団体客が泊まるんですね。


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