村長リコール投票日案内の横断幕。

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印西市議選、8人落選中立民2人共産1人   

本埜村リコール始末記

私の住んでいる千葉ニュータウン・本埜村(もとのむら)がいま大変なもめ事となっている。本埜村はニュータウン事業前の人口が3000人ちょっとの小さな村。そこに、ニュータウン住民約5000人が流入して、当時人口増加率日本一の地方自治体となった。それでも人口9千人程度の小さな村が、全国紙に載るほどのリコール騒動となっているのである。

そもそもの発端は、前回の村長選挙で、現村長が前職を破って村長となったことである。その折の公約が「合併推進」、つまり、以前から検討されてきた近隣市村との合併を積極的に推進しますと約束して、ニュータウン有権者の支持を集めたのである。

前職の村長は、村の旧家の出で、河野洋平だったかとにかく自民党の重鎮の秘書を勤めた後、帰ってきて村長になった。対する現村長は、村議会議員だったものの支持基盤は全然足りない。そこで、ニュータウン住民の票を集めるために「合併推進」を掲げた訳である。そして合併に消極的だった前職を破り、念願の村長に当選したのであった。

自分なら何とかさばいてみせると思ったのか、それとも村長になってしまえば何とかなると思ったのかは分からないが、実際に村長になってからやったことは、合併評議会をサボタージュしたり、必要な手続きをとらなかったり、公約とは反対のことばかりである。

本当のところ、市町村合併の目的は「行政コストの削減」であるから、もともとの「村」にとってプラスになることはない。役場や外郭団体という雇用もなくなるし、わずかとはいえ公共事業だってある。村長も村議会議員も、合併したらいらなくなってしまう。公約したとはいえ、いざとなると二の足を踏むのも無理はない。

しかし結果として、村議会から不信任決議を食らってしまう。対抗して村議会を解散したのはいいが、出直し選挙の結果は反村長派が前より増える始末。議会を召集すると、再度の不信任決議で自動的に失職するからそれもできず(12月までやってボーナスをもらいたいという説もある)、並行して進められていたリコールが発効して、とうとう今週リコール投票が告示されてしまった。

「村」でも支持基盤が弱く、「ニュータウン住民」の怒りを買ってしまった村長のリコールが成立するのはほぼ確実な情勢であるが、個人的に思うのは、村長の個人的資質とか、合併の是非という本質論はともかくとして、村の人達の考えていた選挙とニュータウンの人達の考える選挙は、実はぜんぜん違うものだったんだろうなーということである。

日本のどこでも、おそらく農村における選挙というものは、政策とか公約とかは関係なく、誰が当選するかは投票する前から決まっているというのが実情ではなかったかと思う。だから本来、前職の旧家出身村長が何回でも再選される予定であって、現村長が取って代わることなどありえなかったのである。

しかし、新しく入ってきたニュータウン住民にとって、選挙とは政策とか公約によって誰に投票するかを決めるものである。その結果、現村長が当選するという予定外の事件が起こってしまった。ところが、当選してしまえば好きなようにできると思っていたにもかかわらず、「それでは公約の実現よろしくお願いします」ということになった。

現村長の頭の中では“村長様”だから、「政策?公約?何言ってんだ。俺が村長なんだから、俺の言うとおりにしろ」ということであるが、ニュータウン住民にとって村長などサービス産業の店長くらいの認識しかない。ましてやこの地区には、大企業役員OBやら、新聞記者OBやら、高学歴高職歴の方々が男女問わずごろごろしているのである。

とても口では敵わない上、選挙をやっても数で負ける。手続き面もばっちりで、今回も不信任とリコールの両面作戦で退路をふさがれてしまった。

なんだか、戦前の農家で、借金をこさえて出奔した長男の後を継いだ次男坊が、「俺が今日から総領だ」と威張ってはみたけれど、都会から来た弁の立つ借金取りに形にはめられてしまったようで、なんだかかわいそうでもある。

また、村長になるため「合併推進」などと言ってしまったことで、村の人々の支持をさらに減らしてしまったのも気の毒である。現村長の本業は村の商店主であり、その店にニュータウン住民が買い物に行くことは皆無である。村の人たちが「あそこで買うのは止めとけ」となってしまって、ダメージは相当なものと想像されるのである。

小さな村なので、必要な署名が集まってしまいました。村長リコール投票日案内の横断幕。


有馬記念当日のリコール投票日が迫り、本埜村の村長リコール騒動もいよいよヒートアップしてきた。通勤途上の駅でビラ配りをする人がいたり、国政選挙並に選挙カー(?)が走り回ったり、それぞれ支持固めに大変である。本ブログのコメント欄にも「前村長」が登場するほどの盛り上がりである。

新聞報道によると、村議会を開かないことについて村長は、「いま村議会を開催すれば私の不信任案が成立して村長不在となり、村政が停滞する」「村議会議員の資質にも問題がある」、だから、「地方自治法に違反していようが、森田健作知事が何を勧告しようが、私は間違っていない」と言っているとのことである。

さらに、「合併云々などということは、私の関知するところではない。新しい村長のもとで、やってもらえばいいことだ」とも主張しているようである。もちろんニュアンスの違いや記者の誘導とかはあるのだろうが、思うに、後の時代にも残るものにこうした発言をしてはいけない。子孫が恥ずかしい思いをする。

こういう場合は嘘でもいいから、「私の信念として、このままなし崩し的に合併が行われることが正しいとは思わない。村民のみなさんも、もう一度よく考えてほしい。」「リコール投票が行われるからといって、面白半分に私の名前に○を付けることはやめてほしい。もう一度、この村がなくなってもいいのかどうか、よく考えて投票してほしい」と言うべきなのである。

ところが実際にやっているのは、選挙管理委員会を裁判で訴えたり、新聞記者に筋の通らないことを主張したりするばかりである。リコール賛成派が主張するように、もともと村長としての資質がなかった人なのかもしれない。おそらく、リコールが成立する確率は90%を超えて、いまや100%に限りなく近づきつつあるといえるであろう。

ただ正直なところ、村長の資質の問題はひとまず置くとしても、合併をめぐる論議は少々ピントがずれている。全国のみなさんにお知らせするのも気が引けるのだが、都市計画税が増えるとか、国民健康保険料だの住民税が増えるの減るの、村を走っている私鉄の料金を下げさせるといった、まことに卑近な論点で議論が行われているのである。

せめて、村の行政サービス水準はどうなのか、保育所や介護サービス、福祉施設は村だけのもので十分なのかといった議論になるべきところ、全然そうはならない。私自身、隣村のスポーツ施設へ行くと倍の利用料をとられるし、隣の市の図書館では住民でないので予約ができない。そうした行政サービスの不備について、両陣営ともあまり気にしていないようなのである。

そして本来、合併の是非は、共同体としての村がこれまで有してきた歴史、風土、文化を他の共同体と一緒にすることがいいのかどうなのかという観点から語られるべきなのに、寡聞にしてそうした議論を耳にしたことはない。

「村」の住民にせよ「ニュータウン」の住民にせよ、メッセージを発信すべき立場にある人達が、カネ勘定でしか合併の是非を考えられないような共同体であるならば、そんなものを単独で残しておいても意味がないということなのだろうと勝手に理解しているのである。

役場の出張所が投票所。「千葉県本埜村長の解職投票」は、経費節減のためかワープロ打ちでした。


[Dec 21, 2009]

とうとう、リコール投票の日がやってきた。この日までに村長が自ら辞職するか、あるいは村長が選挙管理委員会を訴えていたリコール差し止めの仮処分が認められれば投票は行われなかったのだが、そういうことはなく、淡々と投票日の27日となった。

リコールなどということは教科書には載っていたものの、なかなか実際に行われることはない。いやしくも地方自治体の首長であるからにはそれなりの支持母体があるはずだし、首長も住民のほとんどを敵に回すような施策は取らないのが普通である。しかしわが本埜村では、その両方の条件を充たす(充たさない?)首長が出てしまった。

有権者の1/3の署名を集めると、住民からリコール請求が可能となる。その場合、担当は選挙管理委員会になるので、国政選挙等と同じ取り扱いになる。

したがって期日前投票もできるし、毎日防災放送で、「27日は、本埜村長解職投票日です。みなさん棄権せずに投票しましょう」とアナウンスされてしまう。村の放送で村長をクビにしてくださいと言っているようなもので、かなりシュールである。

おそらく一生に一度とない機会なので、有馬記念の勝馬投票をすませた後に、村長の解職投票に出かける。リコールとはいえ、普通の選挙と同じである。役場の職員や選管の立会人がいる。投票用紙には賛成・反対の欄があって、どちらかに村長の名前を記入する。村長の名前を暗記しなければならないところが、今回のミソである。

投票後の午後9時から公開開票が行われるのでぜひ見に行きたかったのだけれど、その晩から今年最後の出張が入ってしまい、後ろ髪を引かれる思いで電車へ。こんなローカルな開票結果をどうやって知ったらいいんだろうとちょっと不安になる。しかし、その心配は無用だった。全国紙のニュース速報で、その夜のうちに結果が判明した(だから出先で更新できるのである)。

当日有権者6817名で、投票率は60.98%。リコール賛成が3645に対し、反対はわずか448。リコール成立の要件は投票の過半数なのに、有権者の過半数が賛成してしまうという圧倒的大差である。

この大差はもちろん合併に対する住民の意思ともとれるが、それ以上に、村長の個人的資質に関する要素が大きかったのではないか。自分で村議会を解散しておいて、選挙の結果が思わしくないと議会を召集しない。リコール署名が集まると、それは無効だと訴訟する。リコール告示後のマスコミ対応をみても、あまりまともではない。

リコールが成立し、次は出直し村長選である。前村長となった小川氏は再び立候補の構えを示しているが、この圧倒的大差を見て考えが変わらないのかどうか。選挙となれば運動もするのだろうが、どんな顔で住民の前に出てくるのか。それ以前に、今日中に村役場の私物をちゃんと片付けるのか。これからも前村長の動きに目が離せない。

[Dec 28, 2009]



先般お伝えしたわが本埜村のリコール騒動、最後のイベントである出直し村長選が先週日曜日の2月7日に行われた。 立候補したのは2名。このブログにも登場した、前の前の村長と、新人である。お騒がせの、9割以上のリコール賛成票を集めてしまった前村長は、結局立候補しなかった。(念願の村長にも一度はなったし、当選する見込みはないし、ということであろう)

前村長のリコールを受け、すでに村役場は合併手続きを進めており、このまま行けば3月23日には印西市に編入されるので、残り任期はわずか43日間である。それならば、合併に異議を唱えないという前提で、前・前村長がやるのが最も効率的であろう。普通みんなそう思うだろうから、無風選挙で決まると思っていた。経費がもったいないから、無投票でもいいくらいである。

ところが、対抗馬として立った新人氏は、村の出身者であるが、なぜか隣町の職員であったという。この隣町は、もともと合併には関わりがない。なんでいきなり、村長選にも出たことがなく村議会議員でもない新人が出てきたのかと不審に思っていたら、なんとニュータウン選出の古株の村議会議員が応援しているらしい。

前にも説明したように、村の人口は約9千人。村とニュータウンがほぼ半分半分で、かつては村の固定票ですべてが決まる世界だったのが、いまではニュータウンの浮動票が帰趨を決することになる。

そこで、村長在職中はほとんどニュータウンに顔を見せることのなかった前・前村長(元村長ともいうが・・・)が、なんと連日にわたってニュータウン村民の通勤駅である印西牧の原の駅頭に立ち、地道に応援を呼びかけていた(初めから、こうしていればよかったのに)。前・前村長の応援には、新顔の村議会議員(合併推進派)が付いた。どうやら、リコール賛成派も分裂したようであった。

かたや新人氏も、負けずに駅に立ち、選挙カーを走らせる。選挙当日には、なぜか自転車で投票所の回りをうろうろしていた(選挙違反にはならないのだろうか?)。せっかくなので今回も選挙に行ってきたのだが、リコール投票の時とは打って変わって、投票所はひと気がなく閑散としていた。これならば、村の固定票で決まるだろうとちょっと安心。

(個人的には、合併に関することは旧・村民の意思が尊重されるべきだと考えているので、ニュータウンの浮動票で結果が変わるのは好ましくないと思っている。)

こうしたどたばた選挙の結果であるが、前・前村長が2090票に対し、新人氏が1609票とかなりの接戦で、なんとか前・前村長が逃げ切った。この票差では、前の選挙のように横着を決め込んでいたら、危ないところだったかもしれない。

巷間の情報では、前村長がサボタージュしている間に合併作業は遅れに遅れており、新しい住所がどうなるのか、役場や出張所、住民票や印鑑証明、税金・社会保険その他の手続きがどうなるのか、住民には全く知らされていない状況である。

新・村長にはそれほど引継ぎの時間はいらないだろうから、新しいことをやるよりも(循環バスの復活とか言っているのだが、そんなの後回しで)、とりあえず必要な手続きを間違いなくやってほしいものである。住民の切なる願いである。

[Feb 9, 2010]

N国党はろくなもんじゃねぇ、印西市長選

先週の日曜日はわが印西市長選挙の投票日だった。中小の地方自治体といえども、いい加減な候補者を当選させるといつぞやの本埜村リコールのような騒ぎになるから注意しなくてはならない。今回も、見過ごしできない候補者が出てきたので選挙に行ってきた。

最初に原則論を確認しておくと、政治に関する意見の表明は各自が自由に行う権利があり、選挙に出る出ないも本人の自由である。それは当り前のことで、改めて言うまでもない。

ただし、公約を掲げて選挙に出た以上、もし当選したらその候補者は公約の実現に向けて努力する義務がある。諸般の事情により実現が難しいことだってあるが、かつて青島都知事が公約通り都市博を中止したようにやれることはすべきだし、少なくとも努力する姿勢は見せるべきだと思っている。

しかるにNHKから国民を守る党、いわゆるN国党は、公約をかかげて国会に1議席を獲得し、税金から政党交付金を受けているにもかかわらず、党首が議員を辞め、どこかの補選や都知事選に立候補を繰り返すのみである。

参議院議員選挙でN国党に1票を投じた人達は、それでNHKが姿勢を改めるとまでは思わないものの、視聴料の強制徴収や政権に偏向した報道内容に一石を投じてもらいたいと思ったはずである。ところが、この体たらくである。

NHKと地方自治がどう関わるのか知りたいので、選挙公報を読んでみた。ところがこの候補者、自分の氏素性や印西市との関係をうかがわせるような記載を一切していない。(ちなみに、もう一人の候補者は古くからの印西町民で市議10期、地元ブランドの成田高校卒業である)

なぜ立候補したのか。公報によると、「私の友達の△△さんは、国会議員秘書をやり税金も納めているのに、被選挙権がないので立候補を受け付けてもらえませんでした。だから私が立候補します。」

公約に至っては、北総線の運賃補助、NHK戸別訪問禁止、20代の若者に月額16,540円支給あたりはまあいいとして(財源は?だが)、「めんどくさいゴミの分別を廃止します。」(このとおり選挙公報に載っている)

!!意味不明である。誰かが分別しないで、燃えるゴミもビン・カンも電池も粗大ゴミも一緒くたに焼却炉に入れればいいということだろうか。これで、早稲田大学卒だそうである。

処理場の人に全部やらせますというなら、まず市長候補者の自分がやれ。ゴミの分別程度ができない候補者が、市長になって、訳の分からない国からの要請や住民からの陳情をどうやって交通整理するのだろう。

この候補者の頭の中では、自分と自分の友達の権利は何よりも重く、地元住民のため何をしたいかではなく自分と自分の友達が選挙に出たいというただそれだけなのである。権利の主張ばかりで義務という概念が頭から抜けているのである。

参議院の比例代表であれば、受かったけれど辞めますといっても名簿順位で繰り上がるだけだが、市長にはそんな制度はない。ドブさらいとまでは言わないけれど、市民全体の奉仕者となる覚悟がない人間に、選挙に出てきてほしくないのは私だけであろうか。

昔もよく分からない政党がたくさんあった。性犯罪から婦女子を守るなんとか新党など、票は集まらなかったけれどその主張にはなるほどと思わせるものがあった。ところがN国党では、公約や主張はキャッチコピーみたいなもので、まともに受け取られては困るようなのである。

こうした連中にとっては、「ぶつくさ言わないでよ。自分のおカネで選挙に出てるんだから、勝手でしょ」ということなのだろうけれど、昔は公器という言葉があった。みんなが共通で使う施設や仕組みは、おのおのが勝手な使い方をしてはみんなの迷惑なのである。

他人の迷惑をかえりみず、自分の権利ばかり主張する連中は「ろくなもんじゃねぇ」と言われたものである。N国党も、間違いなくその範疇に入ってくるグループといえるだろう。

さて、選挙結果はというと、26,752対2,633、本埜村リコール選挙以上の90%を超える圧倒的大差で現職市長が再選された。当り前ではあるがほっとした。選挙カーも回ってこなかったN国党に入れた人が二千数百人いたのは、ほとんどが現職への批判票であろう。

現職市長も前回当選時の公約で、「小中学校の全教室を冷房化」と言っておきながら、予算の都合でできていない。もう少しまともな対立候補が立っていたら、どうなるか分からなかったのである。

N国党がわが印西市長選に立候補してきた。国会に1議席与えてもらったにもかかわらず「NHKから国民を守るために」何もしない党が、印西市長になって何をするというのだろうか。ろくなもんじゃねぇ。


[Jul 21, 2020]

夢の国の千葉県知事選

一部で注目を集めていた千葉県知事選挙、終わってみればさきの千葉市長が過去最高得票で当選した。千葉市長→自民党→共産党の3連単でも100円元返し確実な結果で、投票率が高かったのが不思議なくらいである。

WEBで取り沙汰されていたのは、一部の候補者がまるで当選しようという気がなく、公共の場に出て訴えたいことがあった訳でもなく、とにかく名前を売りたい、有名になりたいだけのように見えたことである。

だから、一部の候補者は最後までポスターすら貼ろうとせず、選挙カーで宣伝する訳でもなく、ひたすらYouTubeで再生数を稼いでいただけである。顔が知られることでいいことがあると私は思わないけれど、悪名は無名に勝ると考える人もいるのだろう。

聞くところによると、知事選の供託金は300万円だそうである。300万円でNHKに何分間か出演できれば安いものだと考えるのも、コスト・メリットを比較すればありうる。300万円で何ができるかコンテストなら、上位に食い込める企画だろう。

もちろん、NHKなり民放の放映枠はそんな安くなく、大部分は税金から出されている。つまり、われわれが納めた税金が誰かの広告宣伝費に使われているということで、税金の無駄遣いという指摘が出てもおかしくはない。

おかしくはないけれど、選挙に出た人に自分の意見を訴える場が提供され、それが編集や校閲なしで国民・県民に届けられることは議会制民主主義の基本として担保されなくてはならない。だから、それは自由のコストとして認めざるを得ない。

政見放送で何も意見を言わず、ひたすら踊っていた候補者がいたけれども、あのパフォーマンスはかつてカルト政党がやったことなので新鮮味に欠ける。ずっと黙っていた候補は確かに誰もやったことがないかもしれないが、普通の番組であれば放送事故である。

3着から大差であとの5人はクビハナといったところだが、4着に入ったのは高校の元校長先生。地元で票を集めたというから、それなりに人望のあった先生なのだろう。

上位3名は若造と共産党で、その批判票かもしれない。昔、自民・共産一騎打ちで、消費税批判が集まって共産党候補が大善戦した知事選もあったくらいである。残念ながら3着から大差で供託金没収である。

「ワクチン危険」の候補者は言いたいことがあるだけ他の候補者よりまともだし、あの意見はお上の言うことは全部正しいという日本的風土に警鐘を鳴らすものだと思うが、校長先生に次ぐ5着にとどまった。

以下は「小池百合子と結婚します」71歳と、黙る候補、踊る候補のブービー争いとなり、踊る候補が最下位となった。

踊る候補は「ベーシックインカム党」を名乗り、国民一人当たり月7万円のベーシックインカムを支給しますと公約しているのだが、残念ながらそういう訴えをしなかった。してもどうだったかという指摘は当然ある。

WEB上の意見によると、国政選挙でN国が議席を獲得したことがこうした選挙戦略に結びついているとされるが、そうではないだろう。かつて参議院全国区がそうであり、一時の都道府県知事選がそうであったように、面白がって票を入れる人が多いだけだと思う。

これが行き着く先は、選挙に行ったってムダというあきらめであり、集票力(組織)を持つ政党が勝つに決まっているということになる。そうやって誰も選挙に行かなくなれば、そこから独裁制までの距離はそれほど遠くはない。

軍部の言うことを聞かないと自宅軟禁されたり、独立を主張すると国家反逆罪で投獄されたり、首領様に逆らうと収容所送りとなる国々と比べれば、選挙に出て悪ふざけするくらいは仕方のないコストなのかもしれない。しかし、そちらの方向に綱を引っ張っているという自覚は持っていただきたいものである。

候補者の誰かの公約にあった(と思う)けれども、そうした国々に比べてわが国は夢の国なんだなと改めて感じる。

公示直後の選挙ポスター。その後、7番「ワクチン危険」は貼られましたが、2番3番は最後までこのままだったようです。(2踊る候補、3小池百合子)


[Mar 25, 2021]

印西市議選、8人落選中立民2人共産1人

先週の日曜日にわが印西市議会議員選挙が行われた。22の定員に対し30名が立候補し、8名が落選となる選挙であったが、その8名の中に立憲民主党の2人と日本共産党の1人が含まれていたのには驚いた。

4年前の選挙では落選3名、559票で当選だったので、後援会のある現職と組織のついている候補は強いだろうと予想していたのだが、思わぬ結果であった。共産党は1人だけ当選したが、立民は2人立候補して2人とも落ちた。

投票率は約42%でほとんど同じだが、有権者数が約1割増えている。それでも、最も得票の少なかった候補が763票だから、前回より204票、4割近く上がっている。このあたりに読み違いがあったのかもしれないが、それにしても、もう既存政党の時代ではないんだと痛感する。

昨日は5月1日、メーデーである。私は参加したことはなかったが(会社は暦どおりだった)、社会人になった頃は何人かメーデーの集会だかデモ行進だかに参加していた。組合や共産党がそれだけ強かったのである。

当時、組合が強く組織率も高かった製造メーカーなどでは、職場ごとに割り当てがあって誰か行かなければならなかったという。ゴーン前のニッサンでは、組合が職員の人事権を持っていたくらいである。

労働者の権利を主張すべきだ、資本家だけに利益の大半を渡す必要はないという主張はいまでも正しいはずだが、現代はカネを出している者が一番偉いということになっている。

とはいえ、立憲民主党は安倍の直前まで政権与党だったし、共産党には根強い支持者がいるから、市議会くらい楽勝しないと本来おかしいはずである。ところが、無所属の新人にもかなわないのである。

組織がダメかというと、公明党も自民党もちゃんと受かっている。維新の会ですら当選している。にもかかわらず、立民と共産だけが当選圏内に送り込めないのである。

国政選挙と違って、市議会になると地元密着候補が強い。だから過半数が無所属なのは分かるけれども、既成政党、特に旧社会党・共産党がこれだけ低調なのはどうしたことだろう。

印西市は住民の半分以上がニュータウン住民であり、市内に市営住宅も県営住宅もない。共産党得意の口利きはできないにしても、組合を通じた応援要請くらいしているはずなのにこの体たらくである。

これらの組織には熱心な支持者がいて、彼らにとって選挙はお手の物だから、当選に必要な票数も分かっていてそれに必要な票固めも行っていると思っていた。ところがそんなことは全くしていなかったのである。

そういえば、家の近所のどの住宅地にも、1軒か2軒必ず公明党のポスターや聖教新聞の宣伝が貼ってある。ところが、共産党のポスターも赤旗の宣伝も見たことがない。立憲民主のポスターは水田地帯で時々見るのだが、選挙結果をみると組織だった応援はしていないようだ。

日本全国に創価学会員がそれほどいるとは思えないのに、公明党が選挙で負けるとニュースになるくらいである。労働者の権利を守ろうという人の方が多いはずなのに選挙でそれを生かせないのは、それらの既成政党が怠けているからと言わざるを得ない。

まあ、共産党は党首を選挙で決めようと主張すると除名される中国やロシア並みの組織だから、仕方ないのかもしれないが。

[May 2, 2023]

統一地方選挙後半。わが印西市議会議員選挙が行われたが、落選8名の中に立民2人、共産1人が含まれていたのには驚いた。既成政党の時代じゃなくなったと痛感する。

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