レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」(村上春樹・訳) レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」(村上春樹・訳) 2010年は忙しい1年だったけれど、結構本を読んだ。その中で一番面白かったのはこの作品である。 梨木香歩「からくりからくさ」 昨年末に村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」(レイモンド・チャンドラー)を読んで感激して、ハードボイルドをいくつか読んでみようと思ったのだけれど、新宿鮫シリーズを何冊か読んだところで早くもくじけてしまった。どうも個人的に、刃物や鈍器が飛び交う世界は苦手のようである(せいぜいボクシングまでである)。 米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 ノンフィクションという書き物は、究極的には書き手がどのようなユニークな経験をしてきたかに負うところが大きいと思っている。その意味で、共産党幹部を父に、貴族院議員を祖父に持ち、小中学生時代を共産圏の学校で暮らした作者は、かなりのアドバンテージを持っているといえる。 SHIMADA, Shinya「トーナメントポーカー入門」 先日AJPCシニアに出ていたら、め社長から「これをどこかに貼れ!」とポーカーチャンネルの販促シールを渡された。宣伝しておいて自分で見ないのも何なので、さっそく行ってみた。表紙にこの本の宣伝が載っていたので、思わず注文してしまった。注文してから、題名が「ポーカーの高速道路とけものみち」ではないことに気がついた。 塩見鮮一郎「貧民の帝都」 最近、貧困や格差についての本を読んでいる。特に興味があるのは明治時代の貧民窟(スラム)に関するもので、現代と比較していろいろ考える材料となっている。 服部文祥「サバイバル登山家」 最近書評を書くことが少なくなったが、相変わらず毎週図書館に行っている。先週借りたのはこの本と他に4~5冊。文庫本は字が小さくてつらいけれど、新書版なら何とか通勤の行き帰りで読むことができる。 磯田道史「武士の家計簿」 2003年に新潮新書で発表された時に話題になった本だが、つい最近まで読んだことはなかった。なぜそれを今になってかというと、お察しのとおり映画版がWOWOWで放送されたからである。映画を見て疑問に思った点があったものだから、原典に当たってみた。ただし、原典は論文であり、「合わない4文を探して来い」などという場面はない(絵の鯛で済ませたという記事はある)。 かとうちあき「野宿入門」 最近アウトドア用品店によく行くので、この本の背表紙は見たことがあった。先週図書館に行くと、たまたまこの本を見つけた。さっそく借りてみた。 佐野眞一「東電OL殺人事件」 先日、いわゆる東電OL事件の再審決定が出て、マイナリ受刑者が釈放された。2000年に出版されたこの本で、すでにマイナリ受刑者を犯人とするには常識的に考えて疑問が多いと指摘されていた。それなのになぜ、裁判では有罪判決が出たのだろうか。 景戒「日本霊異記」 日本最古の説話集である日本霊異記は、正式名を「日本国現報善悪霊異記」といい、薬師寺の僧・景戒が選んだものである。
梨木香歩「からくりからくさ」
米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
SHIMADA, Shinya「トーナメントポーカー入門」
塩見鮮一郎「貧民の帝都」
服部文祥「サバイバル登山家」
磯田道史「武士の家計簿」
かとうちあき「野宿入門」
佐野眞一「東電OL殺人事件」
景戒「日本霊異記」
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村上春樹の作品の中で一番好きなのは「羊をめぐる冒険」で、いまだに時々読み返すのでもう何十回も読んだ。一方、最近の作品はあまり好みに合わなくて、「1Q84」も図書館で借りられるまで待つつもりである。だから、好みに合った村上春樹の新作には出会うことはないのだろうと思っていたら、なんとこの訳が非常によいのである。
チャンドラーの作品といえばハードボイルド。「ハードでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きていくに値しない」の名セリフで知られる私立探偵フィリップ・マーロウのシリーズも、昔々読んだ時はあまりぴんとこなかった。ところが、この本を読んでみると、まさに「羊」そのものなのだ。
ご存知のとおり「羊をめぐる冒険」は、村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」「ダンス・ダンス・ダンス」へと続く連作である。登場人物の一部(羊男とか)が他の作品にもちょい出している、村上春樹の背骨的作品群でもある。そして、この「ロング・グッドバイ」を読むと、舞台が日本とアメリカと違うだけで非常に良く似た作品なのである。
もちろん、訳しているのが村上春樹なので文体が同じなのは当り前なのだが、展開の進め方や細部へのこだわり方が非常によく似ている。フィリップ・マーロウは羊男に言われてダンスしているようにみえるし、食事とコーヒーの違いこそあれ、同じようにまともな食べ物にこだわっているし、本人にしか受けないようなギャグを言うところもおんなじだ。
一方で大きな違いは、チャンドラーがマーロウの「ダンス」を通して、アメリカ社会=物質至上主義への矛盾を描いている(ように感じる)のに対し、村上春樹のオリジナル作品はシステム対個人の内面的な確執(壁に立ち向かう生卵のような)に焦点が当てられている(ように感じる)ところである。
そうした違いがあり、さらに半世紀以上昔の作品であるにもかかわらず、チャンドラーの作品には古臭さは感じられない。これは、現代の日本が当時のアメリカと同様の問題点を抱えているということもあるが、今世紀に入って、わが国を代表する作家が新しい感覚で訳したという点も大きいのではないかと思う。
「ロング・グッドバイ」についていえば、結局のところ主人公がハードな思いをして達成できたことは何だったのだろうという問題はある。同じく村上春樹の訳が出ている「フェアウェル・マイ・ラブリー」もそうなのだが。
これはチャンドラーの作品を読むだけでは解決しない問題だが、村上春樹のオリジナルを読むと、おそらくは「無駄なようにみえて、実はものごとがあるべき方向に進められる」ことではないかと推測される。それをチャンドラーが意図したかどうかは分からない。だが、そう読んでしまうのは避けられないところなのである。
今年は改めて、ダシール・ハメットでも読んでみようかと思っているところである。
[Jan 3,2011]
気分転換に、児童向けの棚にあった「りかさん」を読んでみたところ、やっぱりこちらの方が性に合っているなあと改めて思った。「りかさん」は「からくりからくさ」のサイドストーリーになる。こちらの方は児童向けのところには普通置いていない。
古い日本家屋に共同生活する女子学生の物語なのだが、実はこの小説の主人公はその女子学生のうちの誰かという訳ではない。本当の主人公は「りかさん」という人形なのである。
最初は染物と織物の話かと読み進めていくと、そうではなくて異文化交流の話になり、少数民族の話になったかと思うと幕末時代の怪奇譚になる。そして伝説の能面師のルーツ探しへと展開は二転三転する。
夢枕獏の「陰陽師」で生成りは知っていたが、これと般若、蛇の面の関係は、とか、伝説の竜女の面とはというあたりから急転直下の結末へと向かうのだが、これ以上書いてしまうとネタバレになってしまうのでこのあたりで。
この作者のいいところは、ほとんど刃物や鈍器が出てこないことである。なにしろ、前半は植物染料の話で、化学薬品くらいで相当どぎつい印象になる。そして、長編小説なのに、途中を読んでも独立して読めるところ。また、結末の書き方に含みを持たせていて、どうなったのか読者の想像に任せてくれることである(これは、他の作品にも共通している)。
年齢的にも私と近い作家で、指をなくした能面師が打った鬼気迫る面などというと、私の年代だと「肉面」とか「火の鳥」を思い浮かべるかもしれない。他にも、今年の読売文学賞を取ったエッセイ「渡りの足跡」などいくつかの(それほど多くない)作品があるが、非常に整っていてそのうち国語の教科書に載るのではないかと思う。
ただ一点、この作品(からくりからくさ)で気になるのは「よき・こと・きく」のくだり。われわれの年代はこれを聞くと、どうしても佐清(すけきよ)が湖に逆さに突っ込まれているのを思い出してしまうことであろうか。
[Feb 25,2011]
かつて、ソ連をはじめとする社会主義(共産主義)の国々があって、市場経済と計画経済のどちらが優れているかという時代があった。何しろ私の大学時代には、近代経済学(ケインズとか)と同じコマ数でマルクス経済学を教える講座があった。その大御所は大内教授といって、そのお父様も大変有名なマルクス研究者だった。マルクスなのになぜ世襲なんだろうと思ったものである。
東西ドイツが統一されてから早いもので20年が経過し、社会主義とか計画経済、コルホーズだのソフホーズだのは過去の記憶の中だけに存在するものとなった。いま世界で共産主義とされている国は、建て前だけで本音は市場経済であるか、建て前だけで本音は独裁制であるかどちらかであって、いずれにせよ計画経済を推し進めている訳ではない。
作者は東京オリンピックが開催された年(1964年)くらいまで、日本共産党の幹部であった父の海外赴任により、チェコ・プラハのソビエト学校で小・中学校時代を過ごした。その学校には、世界各地の共産党幹部の子弟が集まっており、多国籍の児童生徒がロシア語を共通語として勉学に励んでいたのである。
その後、作者が日本に帰国し、学校自体も1984年のプラハの春(ソ連軍によるチェコへの軍事介入)により移転を余儀なくされる。そしてベルリンの壁崩壊を契機として東西ドイツの統一、ソビエト連邦の崩壊、東欧諸国の独裁から内戦と進むことになるのだが、この作品は30年以上たった後にソビエト学校時代の3人の同級生の消息を追った記録である。
表題作の嘘つきアーニャはその二人目。ルーマニアの共産党幹部の娘で、本人いわく「両親は労働者階級のために、日夜ブルジョア階級と戦っている」のだが、豪邸に住み運転手お手伝いさんがいるような生活ぶりで、とても平等な社会を目指しているようには見えない。そして、チャウシェスク事件を聞いて無事でいられたのだろうかという作者の心配をよそに、英国人と結婚しロンドンで暮らしているのであった。
あとの二作、ギリシャ人のリッツァを探す旅はほとんど手がかりのないところから、プラハのギリシャ人コロニー、さらに…と続く展開がスリリング。またボスニア人(ユーゴスラビア人)のヤースナを探す旅では、社会主義の理想とは何だったのかを考えさせられる。個人的には、最後のヤースナの話が一番好きである。
しばらく前まで、どんな社会主義国より平等な社会を作り上げたのが日本ではないかと言われていた。小泉改革以降、「勝ち組」「負け組」などという言葉が流行し、グローバリゼーション(世界標準化)という名の格差社会が当り前となりつつある。この作品を読んで、理想とすべき社会はどのようなものなのか、改めて考えさせられた。
なお、この作者は1950年生まれで私とそれほど違わないのに、2006年に亡くなっている。「トルコ蜜飴」について書いた面白い作品があったはずだが、すぐに題名が出てこない。「旅行者の朝食」だったかもしれない。「旅行者の朝食」とは、すごくまずい旧ソ連製の缶詰のブランド名である。
[Mar 30,2011]
著者のSHIMADA氏は、昔JPLから上野ルームに来ていた方なのでお顔は存じ上げているのだが、あまりがんがんに勝負した記憶がない。若い方なのでおそらくルーズ・アグレッシブの勢い勝負という印象を勝手に持っていたのだけれど、そうではなくて理論派なのはこの本を読むとよく分かる。
ページをめくるとまず、日本人賞金チャンプのMotoさんが推薦のことばを述べられている。ご指摘のとおり、著者がわが国のポーカーのために一肌脱ごうという男気はすばらしい。話は飛ぶけれど、Motoさんはすでに伝説のプレイヤーの仲間入りを果たしているのではないかと思う(Aクワッドvsストフラの名勝負もあるし)。
さて、著者は「入門書」を名乗っているけれど、この本は基本的にIntroductionではなく、Strategyについて書かれている。だから、役とかポーカーのルールとか、基本的な用語を説明してはいない。関心の方向も、考えてゲームをする人のものである。だから、ある程度の戦績を積んでからでないと、分かりにくいところがあるかもしれない。
書かれていることも最新の研究を踏まえているので、非常に勉強になる。特にCSIとリスチールハンド、パワーポイントじゃなくてパワーナンバーといった説明は、あちらの英文書籍で見たことはあるけれどおそらく本邦初公開のはずで、この本からスタートする人にとって、まさに「ポーカーの高速道路」ということになるだろう。
一方で留意して読まなければならないのは、基本的にアグレッシブな作戦について書かれているということである。生物学の適者生存のシミュレーションと同様、アグレッシブな作戦はコンサバティブないしパッシブが支配的な集団の中で最大の成果をあげるものであり、アグレッシブが多くなると期待値が下がることになる。
この本でもちらっと触れられているが、レイズ、リレイズ、オールインとなってカードオープンしてみたらA8とKQなどという場面を、それも100-200くらいの序盤戦で見かけることがある。もちろんそれで両者が楽しければコメントする必要はないが、それを作戦としてやっているとなると、若干の違和感がないとはいえない。
その意味で私についていえば、ポーカーというゲームをもう少しメンタルに考えているということになるのかもしれない。
それにしても、著者がテキサスホールデムを知ったのは2004年夏とのこと。思えばリゾカジ・ラスベガスオフでのポーカー教室は、忘れもしない2004年9月(ホプキンスvsデラホーヤの試合の日)であった。リゾカジマスターという方は先見の明があったということであろう。
[May 10,2011]
なぜ明治時代かというと、現代に関する資料を読めば読むほど、「やらせ」とまでは言わないにしても、どう考えても緊急に対策が必要なようには思えないからである。書名は挙げないがある「ネット難民」に関する本など、ニートの若者がある日思い立ってネットカフェで暮らし始めるというものであった。勝手にやってろというだけのことである。
さて、明治時代の貧民に関する資料としては、横山源之助「日本の下層社会」、松原岩五郎「最暗黒の東京」が古典的なテキストであるが、いかんせん表現が古過ぎてそのままでは読みにくい。本書は2008年の出版だから、いま読むには違和感はないし、この両方の古典について記述や挿絵などを引用した部分が多いので、明治時代の貧困問題についてアウトラインを知るには適切である。
加えて、明治時代に書けなくて現代なら書けるのは、それらの貧民窟がいまどうなっているのかということである。結論から言うと、明治時代に貧民窟だった場所は関東大震災で壊滅的な打撃を受け、さらに東京大空襲で東京中が焼けてしまったので、現在は全く普通の市街地になっている。
ただ、空襲で焼け野原になったといっても、もともとの地形がすべてなくなってしまった訳ではない。本書にはどこに貧民窟があったのかの地図も示してあるが、地形や周辺の立地から、なるほどと思う場所も少なくない。バブル以前の東京を覚えている世代としては、昔の景色を思い出して感慨深いものがある。
この本では、まず明治時代の貧民窟の成り立ちから話を始める。明治維新の混乱時、江戸から東京となる時期に東京は一時無政府状態になり、混乱を極めた。富裕層が財産を持って逃げ出すのは、明治維新の江戸でもベトナム戦争末期のサイゴンでも変わらない。
やがて新政府による管理が始まったが、江戸幕府がかろうじて保っていた秩序維持のための取組みは新政府に引き継がれなかった。加えて、江戸時代には許されなかった移動の自由が認められたため、多くの困窮者が東京へと流入したのである。ここで問題だったのは、その中に大量の子供達が含まれていたことである。つまり、貧困階層が再生産されたのである。
本書の表現を使うと、「子殺しと飲酒と喧嘩、こそ泥と売春、乞食」「梅毒とハンセン病と精神病」が常態化しているのが明治時代の貧民窟であって、これはおそらく現代の発展途上国におけるスラムと変わらない。心臓には非常によろしくないが、本当の貧困問題とはどういうものかを考える上では忘れてはならない視点であろう。
こうした事態に立ち向かったのが渋沢栄一(第一銀行、東京証券取引所等の創始者である実業家)、賀川豊彦(キリスト教徒であり社会運動家)といった人々であった。困窮民を保護するための養育院の歴史や経緯、世間がこうした施設をどのようにみていたかといった点についても詳しく考察されている。
(ちなみに、本書には触れられていないが、有馬記念にその名を残す日本中央競馬会2代目理事長・有馬頼寧[よりやす]も、社会運動・慈善活動で財産をかなり使ったことはよく知られている)
現代の日本は、役所の不手際で時々悲惨な例があるとしてもそれは圧倒的少数で、さまさまな角度からセーフティネットが施されている。確かにホームレスの人達は気の毒であるが、さまざまな理由で住所氏名を隠す必要があったり、親類縁者とは連絡を取れない事情があることが多い。赤の他人が先頭に立って解決すべきだとは断言できない。
私が思うには、格差問題が社会的に喫緊の課題となるとすれば、それは(社会階層として)上位者と下位者の間に、社会的にも文化的にも乗り越えられない壁ができてしまう場合である。
社会階層としての上位者も下位者も話す日本語が同じで、上位者でも聞いている音楽がAKB48で、下位者の方がむしろ美術館や博物館に行って文化に触れる機会が多く、1日の日給程度の支出で大抵のぜいたく品(酒や高級食材)が手に入るのであれば、それは乗り越えられない壁というべきなのであろうか。
(ちなみに、仮に日本の人口がこのまま減少して、大規模な移民受け入れを行うような場合に、上に述べたような問題が顕在化するだろう。)
本当に社会全体として取り組むべきなのは、「絶対的」な格差なのであって、「相対的」な格差ではないのではないか。いまの世間の論調は、「相対的」な格差さえ許さないというように聞こえる。これは行き着くところ、小学校の運動会で全員同時にゴールさせるようなもので、私にはその方が問題であるように思えるのである。
[Feb 14,2012]
さてこの本、まず表紙が「岩魚の皮を歯で剥がしている」著者の写真である。目の色からして尋常ではない。何しろこの登山家、山に最小限のものしか持ち込まず、現地調達で食料を調達し、それでいて長い距離を踏破するという「サバイバル登山家」なのである。
釣り道具を持って行って岩魚を釣る、釣れなければヘビやカエルを食べるというのは、仮に若くても私にはとうてい真似が出来ない(もっともフリークライミングもできないが)。登山だから食料の現地調達が目的なのではなく、知床縦断、日高山脈縦走、日本海から日本アルプス踏破といった山行のための手段が、食料の現地調達なのであった。
著者はそれだけではなく、文明の利器を山に持ち込むのはフェアではないという見解である。魚や獣のテリトリーに入っていくのだから、自分も「素の」人間として山に入る必要があるということらしい。だから高山の単独行に必須ともいえる通信機を筆者は持たない。進退窮まっても自分から助けを呼ぶ手段を持たないのである。
山岳雑誌「岳人」のスタッフなので(今はどうか分らないが)、本来であればそういうことをしてはいけないと言う立場のような気もするが、プロフェッショナルが自分の責任で自分の体を賭けているのだから、まあいいのかもしれない。ただ言えるのは、この人は死なないけど同じことをやったら死ぬ人は半分じゃきかないだろうということである。
山の上はもともと神仙の世界であり、修験道の聖地であった。千日回峰がそうであるように、山頂はお参りして帰ってくるもので、そこに滞在するものではなかったはずである。それができるようになったのはここ百年ほどの登山用品の進歩によるもので、マタギ(狩人)も基本的には小屋に泊まった。
いまの時代あまり命の心配をせずにテント泊ができるのは、ニホンオオカミが明治時代に絶滅したことが大きいのだが、それは別にしても神々の住処に深く踏み込むためには多くの設備や食糧が必要である。これを解決するため、これまで日本の登山は、「極地法」と呼ばれるシステムを利用してきた。
このシステムは一言でいうと、ベースキャンプ、二次キャンプ、最終キャンプまで荷物を上げることを目的としたチームが大勢いて、頂上をアタックするチームは少数というものである。未知の山岳に挑むためには必要なことであったが、その弊害がいまやエベレストの頂上までルートが確保されていて、時間とカネさえあれば酸素ボンベとシェルパの助けを借りて世界最高峰に行けるという現実である。
こうした反省もあって、アルパインスタイルという最小限の設備・人数で高山にアタックするというシステムが注目されている。著者の場合は基本的に単独行だから、アルパインスタイルの思想にならざるを得ない。ある意味、究極の断捨離なのかもしれない。
[Apr 23,2012]
最も疑問に思ったのは、御算用者・猪山家は、なぜ親子同時に出仕しているのだろうということであったが、原典を読むと御算用者はいわゆる薄給の専門職で、「高○○石」という領地持ち(知行取り)ではないからなのである。つまり、「家」として藩に仕えているのではなく、「個人」として藩の仕事を下請けしているというイメージである。
さて、猪山家が大借金を作った背景は、映画では割愛されているが原典には書かれている。前田家が将軍家から正室を迎えた際、本郷に赤門を建てるなど大々的な婚礼を行ったのだが、その際に江戸詰めの猪山信之(中村雅俊)が活躍し、扶持取りの専門職から知行取りに出世したのである。
江戸詰めは生活費もかかるし、婚礼にかかる準備で付き合いも必要だったはずである。出世のために各方面への付け届けもしただろう。地位を上げるためにはそれなりの持ち出しもあったのである。結局、将軍家から迎えた溶姫付きの会計係は、信之から直之(堺雅人)、成之(伊藤祐輝)に受け継がれ、それが猪山家浮上の要因となった。
だから、中村雅俊の「これは姫君様から直々に下された云々」という台詞は、身分にふさわしくない金のかかる趣味人という捉え方をすべきではい。それは、先祖代々の平社員から課長職に抜擢された記念品なのである。
ちなみに、映画にあったようなお助け米の不正を追求するのは彼らの仕事ではないし(当然、原典にもない)、もし本当に自分の担当外の仕事に手を出していたら左遷で仕方がない。
さて、もう一つ疑問に思ったのは、本当に毎日の食費を切り詰めたのだろうかということであった。江戸時代には、殿様でもない限り一汁一菜は普通だし、色とりどりのおかずの入った弁当など持って行かない。だから江戸詰めになって玄米でなく白米の食事になると、ビタミンB1不足で「江戸患い(脚気)」になったのである。
そのあたりは原典でもはっきり書いていない。ただし、猪山家の年間支出約650万円のうち、80万円が米で副食費は10万円足らずだから、米中心の食生活だったことは確かである。大口の支出となるのは寺への支払いを含む交際費で、例の鯛の話もその流れでとらえるべきであろう(当時、交際費を渋ることは家の面目に関わることだった)。
ちなみに、上の金額は私の換算レートで計算したもので、原典のものとは違っている。私は、千両箱=1億円で計算していて、これだと小判1両は10万円となる。銀1匁は約1500円、銭1文は約20円、江戸時代の”百均”である四文屋は約80円均一という計算になり、結構しっくりくる数字だと思っているのである。
[May 2,2012]
本書によると、著者は女子高生の時から公園で野宿をしていたそうである。私も飲みすぎて道端で寝たことは何回かあるが、確信的に野宿をしたことはない。なにしろ危ないからである。いくら日本の治安がいいといっても、正直なところ誰にでも薦められるものではない。
いまの時代、野宿というと真っ先に思い浮かぶのは、競馬とかコンサートチケットの指定席待ちの徹夜行列である。これは大勢で並ぶのでまあ大丈夫だし、若い女の子が寝袋で寝ていても違和感がなさそうだ。著者が推薦する寝袋を持って公園で飲み会~そのまま野宿というのは、近所迷惑なのでやめてほしいものである。
著者が薦める他の野宿パターンは、貧乏旅行の時のJR無人駅や道の駅であるが、これは昔からよくあるパターンで、私も青森や函館で夜明かしをしたことがある。ただしこれは、広くとらえれば列車(連絡船)の時間待ちであるので、野宿というよりは「青春18きっぷ(昔であれば周遊券)」の活用術の一つといえるだろうと思う。
私はまだ「野宿先進国」という四国八十八札所めぐりはしたことがないが、わずか200年前には、一般庶民で旅といえばお伊勢まいりや札所めぐりくらいしかなく、寺社の軒先を借りて半野宿というのは珍しくなかったはずである。私の若い頃だって、いまのように全国にビジネスホテルなんてなかった。
そういう意味では、「野宿スキル」=「どこででも寝られる能力」が大事だという主張は、認めるにやぶさかでない。快適に寝るためには、トイレと水場が重要だという主張も、そのとおりである。しかしそれらを結合して、「いざとなったらトイレの個室にカギをかけて野宿」というところまで来ると、ちょっと首をひねらざるを得なくなる。
野宿するのは個人の自由だといえばその通りだが、ひと様に迷惑をかけてまで個人の自由を主張することは避けるべきである。もし多くの人が、著者が主張するようにトイレの個室にカギをかけて過ごすようになったら、本当に急場でトイレを必要とする人は大変困ることになるのである。
以前中国に行った時に、公衆トイレの前に陣取って、入ろうとする人から使用料(?)を取っている人がいたことを思い出す。つまり、著者は野宿を薦めながら、心のどこかではみんなが同じことをしたら困ることを分かって言っているのである。
できれば著者には、飲みすぎて終電を逃したというシチュエーションから一歩進んで、交通機関も動かない、携帯電話も通じない、コンビニも自動販売機も倒壊しているといったカタストロフに際しても、こういうノウハウがあれば生き残れるという考察をしてほしかったと思う。
[Jun 30,2012]
例によって再審決定後のNHK特番で、当時逆転有罪判決を出した東京高裁の裁判官が、「すべての証拠は被告を示していた。…だから恐ろしいんです。」とコメントしていたが、おそらくここでNHKの記者は最も重要なコメントを編集して抜いている。ここで裁判官が言いたかったのは、次のようなことであるはずだ。
「裁判官はすべての証拠を評価して判決を下す訳ではない。裁判に提出された証拠を評価して判断するのである。もしここで、検察官が作為をもって被告に不利な証拠のみを提出し、被告弁護人がそれに対して有効に反論できなければ、裁判官は裁判に提出されていない証拠を判断の根拠とはできない。…だから恐ろしいんです。」
マイナリ受刑者が、不法滞在以外にも表ざたにできないことをしていたこと、また取調べ段階で嘘の供述をしたり証拠隠しをしたりしたことは、おそらくあるんだろうと思う。それによって、警察の心証が著しく悪かったのもやむを得ない。それでも、警察や検察は正義を行うために存在するとわれわれは思っている。
捜査に協力しなかったことや、表ざたにできないことについては、それぞれの量刑の範囲で罰すればすむことである。それはおそらく、マイナリ氏を強制送還すればすむ話だったはずだ。警察や検察の意趣返しのために結果的に真犯人が捕まっていないことの方が、はるかに公共の福祉に反しているのである。
話は戻って、十数年前に発表されたこの本ではDNA鑑定には触れられていないものの、マイナリ氏のアリバイや被害者の定期券が全く方向違いの場所に捨てられていたことなど、警察が本来答えを出さなくてはならないことについて指摘されている。
確かに、幕張からダッシュで帰れば犯行時刻に渋谷のアパートにいることは可能かもしれないが、その時刻に被害者がアパートにいることをマイナリ氏がどうやって知ったのか、また、何のためにあの日そんな複雑なことをしなければならなかったのか(そうまでして殺さなければならない理由はない)など、素人が考えてもこの捜査には疑問符が多すぎるのである。
ちなみに、この被害者は私と同年代である。また、”OL”ではなくて、当時はしりの女子総合職であった。
[Jun 12,2012]
説話集として成立したのは平安時代初期と考えられるが、薬師寺は奈良にある寺であり、内容をみても聖武天皇以前の記事が多いことから、説話自体は平城京時代にはすでにあったものとみられる。正式名に“現報善悪”と入っていることでも分かるように、基本的には正しい行いをしないとよくないことが起こるという話がほとんどである。
仏教が正式に日本に伝わったのは飛鳥時代(聖徳太子の少し前)、国として仏教を制度化したのは奈良時代(聖武天皇の時代、東大寺大仏の建造)だから、まだ伝来後間もない。幅を長くとっても200年ほどのことである。にもかかわらず、説話集に取り上げられているのは現世利益のことがほとんどである。
いまの仏教は葬式仏教であり、宗教の本質からいってどうなのかという指摘が折に触れて出てくるけれども、こうした現世利益的な傾向は昨日今日のことではなくて、千年以上前、仏教伝来当初からそうだということである。理念としての宗教意識が強かったのは、もしかすると一向一揆、法華一揆などがあった戦国時代のごく一時期だけのことであったのかもしれない。
思うに、「仏の教えを信じればこんないいことがありますよ」とか「仏の教えをないがしろにするとこんな悪いことがありますよ」などということをゴータマ・シッタータが言ったなどということはない。いいこと・悪いことが観念上(死後の世界)であればまだしも、現在生きている世界のことであるとすれば、それは商取引であって信仰ではないだろう。
従って、お寺や神社にお参りするとき本当はお願いごとをすべきではないし、少なくとも観念的抽象的な願い(「平和で過ごせますように」とか)にとどめるべきというのが私の考えである。けれども、これは他人に強制すべきことではない。何しろ千年以上前の日本霊異記に、熱心にお祈りしたら食べ物やおカネが思いがけず手に入ったなどという話がてんこ盛りなくらいである。
もっとも、法華経そのものが現世利益的な要素を含んでいる(観音様はオールマイティーに願い事を叶えてくれる)ことも確かである。日本霊異記が選ばれた時代にはまだ比叡山延暦寺はないし、日蓮宗もないけれども法華経に関する記事が多い。また、法然も親鸞も生まれていないのに浄土に関する記事が多い。それだけ、日本人の風土気質に合っているということである。
もう一つ興味深いのは、この説話集が薬師寺の僧侶によって選ばれたということである。ちなみに、ここから300年ほど後の「平家物語」は比叡山延暦寺のバックアップがあったし、この時代の芸術作品のほとんどはお寺に納められたものである。
お寺において信者に話すことを前提に説話集を編集するというのは、日本の文化伝播の典型的なパターンとして、この時代以降長きにわたって続いたのではないか。その意味では、「歎異抄」も「正法眼蔵」も、「日本霊異記」の系統にあると考えることも可能なのである。
[Dec 17,2012]