須田桃子「捏造の科学者」    小熊英二・姜尚中「在日一世の記憶」
上田秋成「雨月物語」    菅野久美子「超孤独死社会」    えらいてんちょう「しょぼい生活革命」
吾妻ひでお「失踪日記」    宗田哲男「甘いもの中毒」

書評目次   書評2019←   →書評2021

須田桃子「捏造の科学者」

この事件については、当時、森博嗣氏の「科学的とはどういうことか」の書評で軽く触れただけだった。改めて書いてみたいと思っていたが、いつの間にか世間の話題にすら上がらなくなっていた。ずいぶん昔のことのように思うけれども、最初の記者会見が2014年1月だから、まだ6年しか経っていない。

昨今のコロナ騒ぎで、2ヵ月以上経つのにマスクや消毒用アルコールの品薄は解消されない。もし早川と土屋クンがいたら、あっという間に原材料を調達して製造してしまうだろうと奥さんとよく話すのだが、もう一組惜しかったのは理研の副センター長とこの研究リーダーである。

この事件で亡くなった副センター長は、日本で一番論文を書くのが上手で国際的な知名度も高かった学者である。研究リーダーだって、コピペとインチキ実験結果だけでのし上がったような印象があるけれども、能力があったことは間違いない。

何しろ、千葉県有数の進学校から早稲田の理工学部に入り、アメリカに留学して「彼女がいないと研究に差し支える」とまで見込まれた逸材である。もしかすると、野口英世レベルかもしれない。科学者としての倫理観は置くとして。

この本の著者は、事件以前から理研を取材してきた毎日新聞の科学担当記者。この本は、STAP事件を科学の側面から時系列で掘り下げたもので、副センター長と研究リーダーの不適切な関係など3面記事的なことは書かれていない。

通読してまず思うことは、この研究リーダーだけで話がとどまっていれば話は小さく済んだところが、世界有数の論文の上手な学者と実験のうまい学者がサポートしたことによって、世界中に影響を及ぼしてしまったということである。

主人公の研究リーダー、出始めた時は「才色兼備のリケジョ」などと言われたものだが、クラス上位3分の1くらいには入るがそれ以上のルックスではない。しかし、成績のよさではおそらくクラス1番か2番、それ以下には落ちない秀才であったことは間違いない。

しかしながら、理系に進学する女子生徒は少ない。上位3分の1とはいっても、クラスに女子が5人しかいなければクラス1、2の美女ということになる。成績はもともといいから、10代の頃から才色兼備とちやほやされただろうと推測される。

そして、成績のよしあし、ルックスのよしあしと倫理観はほとんど関係ない。私が大学にいた頃、試験で不正行為をする奴をみて、なぜこんなことをするんだろうと思ったものである。見つからない確率は高いが見つかったら大恥で、悪くすると一生言われ続けるかもしれない。それに、授業に出るか一夜漬けでも本を読めば、合格点は取れるのである。

その後経験を積んで思ったのは、あれは損得勘定とか苦し紛れではなく、手癖が悪いのと同じで本人にもコントロールできない問題なんだろうということである。普通に考えれば、勉強するか追試を受ければ済むところを、破滅に結びつきかねない大きなリスクを冒す必要はない。

話を戻すと、論文をコピペで作って博士号を取ったり、修正した画像をプレゼンに使うのはまだ分かる(コロナの有識者だって、同じようなデータ操作をしている)。しかし、世界中の研究者が見ている場に嘘を発表し、しかも元データをアクセス可能な場所に掲示するというのは正気の沙汰ではない。

理研の研究リーダーとなり、最先端の学者とコネを持ち、早稲田・スタンフォード・理研という経歴のドクターであれば、一生苦労しなかっただろう。それ以上の世界的発見など必要ではないし、自分にそこまでの能力がないことも分かっていたはずである。

彼女がやったことは、こういうデータを出せば仮説が裏付けられるという結果を出すことで、それが「コツ」とか「レシピ」の意味だろうと想像する(インチキだが)。研究ノートがあれほどずさんだったのも、研究者としての基本云々もあるが、本当のことを書くとバレるという理由が大きかったように思える。

だから彼女が、世界で何番目かに実験がうまい人と、世界で何番目かに論文の上手な人に出会わなければ、この事件は起こらなかった。禍福はあざなえる縄の如しで、何が幸運で何が不運かは、ずっと後にならないと分からない。

彼女も、「どういう実験結果を出せば仮説が裏付けられるか」というところまでは到達するのだから、そこから地道に実験だけしていれば今頃どこかの大学で教えていただろうし、コロナ対策で成果を上げるくらいしていたかもしれない。それができなかったのは、あるいは山のように殺したであろうマウスの呪いだろうか。

[Apr 23, 2020]


小熊英二・姜尚中「在日一世の記憶」

韓国のどこかの街で、慰安婦像に土下座する安倍首相(?)像が展示され、官房長官が「外交儀礼に反する」とコメントするなどニュースになっている。だからという訳ではないが、今日はこの本について。

コロナによる公共図書館の休業が明けて、借りてきたのはこの本である。集英社新書はどこの図書館でも置いてあるが、この本は普通の本の3倍ほど厚い。内容は、在日一世52人へのインタビューである。

民族問題にも差別問題にも詳しい訳ではないが、宮本常一以来昔の人の体験談を読むのが面白く思えるようになったのと、編者の一人、東大の姜(カン)先生が、内田樹先生のサイトでよく見る名前だったので借りてみたのである。

言葉の意味として「在日一世」というとかなり広くなるが、ここで意味しているのは日韓併合時代に朝鮮半島から日本に移住した人達のことである。つまり、1920年から40年にかけて日本に来たということで、取材当時(2000年頃)、ほとんどの人は80代以上である。

それぞれの体験談を読むと、予想していたより政治的な発言は多くない。それよりも、とにかく貧しくて、ツテを頼って半島から渡ってきて苦労したという経験談が多いように思った。食べるものがないので、繭から糸を取った後の蚕を食べたという話など、身につまされる。

もちろん、強制連行や強制労働で望まないのに日本に連れてこられたという人達の話もある。申し訳ないことである。だが、おそらくそうしたことをしたのは軍隊や警察、大企業本体ではなく、それらの名を騙った、虎の威を借りた連中である可能性が極めて高いと思う。

だから責任がないとはいえない。そういう連中に好き放題させて、朝鮮半島の多くの人々に迷惑をかけてきた責任は、知っていて見過ごしてきた軍部・警察・大企業にあることは間違いないからである。

ただ、軍部・警察・大企業は看板を背負っているのでそれほど乱暴なことはできないし、彼らにも理想がある。そんなものは関係なく、目先のカネだけのために好き放題やりたい放題するのは、そういう連中なのである。

そのことは、この本に載っている経験談からも推察できるし、自分自身の経験もそれを裏付けている。というのは、私自身、戦争中に「満州ゴロ」と呼ばれた連中の末裔と仕事上の付き合いが長く続いたからである。

連中が重視するのは目先のカネだけで、長期的な視野などまったくない。今、ここで、自分が儲けることがすべてというネコ並みの視野しかない。筋道とか道理という観点で考えない。徒党を組むのが大好きで、上位者には絶対服従である。

戦後70年経過してそういう遺伝子が残っているのだから、当時どういうことをしたのか想像するのは難しくない。嘆かわしいことである。ただ、そういう連中の行く末は神にお任せする他はない。

慰安婦問題はじめ、韓国と日本の主張の隔たりは埋まらないが、実際にやったのが軍そのものかどうかは問題ではないと思う。強制連行や強制労働もしかり。日本は、けしからんと言われればすみませんと言い続ける他ないのである。

ただ一つできることがあるとすれば、これから先そういうことをするような連中を野放しにしないよう、自分の目の届く範囲でNOの声をあげることだけではないだろうか。

コロナ休みが明けて、ようやく図書館で本が借りられるようになりました。


[Aug 4, 2020]


上田秋成「雨月物語」「春雨物語」

上田秋成の「雨月物語」は受験に出てくる江戸時代文学の代表作の一つだからもちろん名前は知っていたし、「菊花の約」はいろいろなところで引用されるから読んだことがあった。ただ、イメージ的に「南総里見八犬伝」に近いので、やたら長くて厚い本なのだろうと思っていた。

ところが実際には、雨月物語は短編9作、春雨物語は11作(上下に分かれた作品があり実質10作)であり、日本古典文学全集1冊にも満たない。それほど気負わなくても読める作品だったのだ。

図書館が再開したら読もうと思ったのは、もちろん村上春樹「騎士団長殺し」の影響である。この作品では騎士団長出現の直接の原因として、春雨物語に出てくる「二世の縁」がモチーフとして出てくる。

その「二世の縁」も、上田ワールドというか、妖しい世界感満載なのであるが、今回読んでみて思ったのは、騎士団長自身が、まさに雨月物語に出てくる黄金の精霊そのものだということである。つまり、「騎士団長」という作品は「雨月」「春雨」が本歌だったのだ。

登場する精霊は翁の形をとって現れるが、自分は「神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば」と言うからほとんどイデアである。主人公の侍に、豊臣に付くべきか徳川に付くべきか問われて、「それは人間の世界のことであって、私が知るべきことではあらない」と答えるところなど、まさしく騎士団長である。

しかし、その問いに対して、「百姓は家に帰る」と句を詠んで消える。公的言語と私的言語のぎりぎりの一線、と言うべきであろう。

おそらく村上春樹は「雨月」「春雨」を読んで、「二世の縁」はこう書かれるべき物語ではないかと考えて騎士団長を書いたのではないかと思う。「二世」では即身成仏した僧は生き帰って普通の人になるが、あまり腑に落ちない結末である(騎士団長なら、ぐいっと飲み込むべきものだ、と言うかもしれない)。

雨月の「浅茅が宿」には黒沢映画の「七人の侍」にそっくりな描写が出てくる。だが、井沢正彦氏によれば刀狩り以前の農民は武装しているので、あの映画に描かれているようなやわなものではないそうだ。そして、村落共同体が堅固だったから、「浅茅が宿」のような、のちの核家族のような生き方はできなかった。

しかし、そういう場面を書いてしまうということは、上田秋成自身が商家の育ちなので、後のサラリーマン家庭とよく似た環境に育ったからであろう。いまのようにTVも新聞もインターネットもないから、自分の育った以外の社会は想像しにくい。

上田秋成の境遇とよく似ているのは、フィクションではあるが「巷説百物語」の語り手として設定されている山岡百介である。そもそも、百物語そのものも雨月物語現代版のような作品であり、京極堂も意識して書いているのかもしれない。

「騎士団長殺し」に出てくるのは、日本古典文学全集で「雨月」「春雨」が掲載されているということなので、昭和48年の小学館版のことだと思われます。あまり借りる人もいないのか、古い本という感じではなかったです。


[Sep 9, 2020]


菅野久美子「超孤独死社会」

最近、Youtubeで事故物件(不動産)の動画をよく見ている。この本はその関連から借りてきた本で、特殊清掃、つまり死後数日あるいは数ヶ月を経過して死体が発見された後の部屋を後始末する人達のことを中心に書かれている。

この歳になると、死ぬのは他人事ではなくなる。孤独死も、そうなったら仕方がないと正直思っていた。しかしこの本を読むと、それほど生易しいものではないということが分かる。

夏場で1日から1日半、冬場でも4、5日で腐敗が始まる。人間の死体はセミの死骸と違って水分を多量に含むから、生魚や生肉を冷蔵庫に入れず放置したのと同じことになる。

そのまま1週間も経過すれば、ハエが卵を産んでウジが湧く。体液は畳やカーペットにとどまらず床板をも通過する。壁にもたれたまま絶命すれば壁を浸透して隣の部屋へ、床で倒れれば階下の部屋にも死体から流れた体液が浸透するのである。

これを読んで、やっぱり孤独死してはいけないと痛感した。死ぬのは致し方ないとしても、後始末する人に申し訳ないし、長年雨風から守ってくれた家に多大なダメージを与える訳にはいかない。

警備保障各社の提供する見守りサービスでは、通報があれば来てもらえるし、24時間反応がなければ親族に連絡が行く。この程度のタイムラグであれば、家にも人にもそれほどご迷惑をかけずに済みそうである。料金は月数千円である。

とはいえ、こうしたサービスを利用できるのは恵まれた人達であり、警備会社と契約しなくてもそれほど悲惨なことにはならない可能性が大きい。孤独死した上に長期間気づかれない人達にはそれぞれ事情があり、それ以上に経済的余裕がないのである。

この本には何度か「セルフ・ネグレクト」という言葉が出てくる。自己虐待、自己放任などと訳されるが、どこかのWEBに載っていた「病的に生活が乱れた状態」という意訳が、たいへんわかりやすい。

長年生きていると、自暴自棄になることはもちろんあるし、もうどうなってもいいと思うこともある。ただ、自分自身を生理的精神的肉体的に痛めつけることができるのだろうか。

著者は実際にゴミの中に寝てみて、妙に安らぎを感じたという。私は虫がいたり、臭かったり、痛かったり痒かったりすることには耐えられないだろう。そこには、容易に越えられない一線があるように思う。

ちなみに、タイトルの「超孤独死社会」だが、孤独死社会をさらに超える何かがあるということではなく、「孤独死がすごく増えている社会」といったような、いわば強調の意味で使われているようである。

ちょっと古いがモーニング娘。の、「チョーチョーチョーチョーいい感じ」的な使い方である。著者は1982年生まれだから矢口(1983年早生まれ)とほぼ同じだが、還暦世代は、孤独死をアウフヘーベンするのかなと思ってしまうのでした。

最近関心を持っている事故物件の関連からたどり着きました。「超」が私にとって意味不明だが、いま風に強調の意味で使っているのでしょう。


[Sep 30, 2020]


えらいてんちょう「しょぼい生活革命」

先日、YouTubeをつらつら見ていたら、GoogleのAIによる「あなたへのおすすめ」の中にえらいてんちょうの「入ってはいけない宗教2020年版」が表示された。このハンドルネームは内田樹先生のブログで見たことがあったので、どんなこと言うんだろうと思って動画をクリックしてみた。

見た目はとっぽいにーちゃんである。どうやら、このシリーズは毎年やっているらしい。「アレフ」とか「幸福の科学」とか、まあそのへんは危ないでしょうという集団が取り上げられた後に、「今年、新たに指摘したいのは、NHKから国民を守る党、いわゆるN国党です」と言ったのである。

かねてこのHPでも取り上げたように、N国党は胡散臭いと私も思っていた。とはいえ、国政(?)政党をカルトと断じる感覚の鋭さと新しさは、只者ではない。さっそく、図書館から著書を何冊か借りてきて読んでみた。

著者紹介によると、「しょぼい起業で生きていく」がベストセラーということだが、個人的に読み応えがあったのは内田樹先生との対談「しょぼい生活革命」である。

この対談は、共通の友人(というには歳が離れているが)であるイスラム法学者、中田考先生の紹介と司会で組まれたものであるが、内田先生の気合の入り方が半端でない。自分の著作では同じことを何回も繰り返し言っているだけなのに、この対談では聞いたこともない話がいろいろ出てくる。

それは、えらいてんちょうが内田ファン(なにしろ、えらい店長というハンドルネームは、内田の著作「先生はえらい」にインスパイアされたものだという)であることにもよるだろうけれど、えらいてんちょうの出自を内田先生がリスペクトしているからではないかと思う。

えらいてんちょうこと矢内東紀氏の両親は東大全共闘の闘士、つまり内田先生と同年代か少し先輩にあたる。

そして、学生運動は就職までで、その後は髪を切って大企業に就職するなどという生半可な人達ではなく、沖縄に渡って集団農業をやっていたというばりばりの運動家のご子息なのである。

まるで村上春樹「1Q84」に出てくる「さきがけ」である。村上春樹も同年代であり、まさか彼らのことをモデルにした訳でもあるまいが、すごい地獄耳なのでそうかもしれない。村上春樹自身は学生運動をやっていた訳ではないが、就職はせずジャズバーを自営していた。

現実の彼らは連合赤軍事件の影響で村八分になって沖縄にい続けることができず、東京に戻って弁当屋で生計を立てたという。集団生活はいまでも続いているそうだけれども、みんな年取ってしまって体力的に年中無休では働けず、週休2日になったそうである。

「1Q84」にも出てくるヤマギシ会について、「親父の高校の同級生が行ってます」などとさりげなく言われてしまうと、内田先生も「これはゴマカシが利かんな」と思ってフルパワー出力してしまったのではないかと思う。

YouTubeを見てこの人の本をいろいろ読んでみましたが、内田先生との対談をまとめたこの本が最もしっくりきました。内田先生が相当気合入ってます。


「1Q84」がまさにそういう話だったように、宗教と政治の垣根は非常に低い。公明党が宗教団体であることは指摘するまでもないが、共産党だって宗教団体的な側面がある。

しかし、党首の特異な性格で集まってきている人達の変わった団体としか世間一般には映らないN国党にカルトの側面がある、いやほとんどカルトであるという指摘は、なかなかできるものではない。

われわれ世代だと、大学でマルクス経済学が必修だったからだという訳でもあるまいが、常に理論的な主張、行動指針、目指している社会はどういう社会か、などに関心が向かってしまう。政党は政治的な主張をしているはずという先入観がある。

ところが、N国党が実際にやっていること、考え方の方向性、組織の動き方などを見ると、政治団体よりも宗教団体なのである。党首は幸福の科学の信者だというから、もともと別動隊的な性格で作られたのかもしれない。

だとすれば、NHKから国民を守るために何もしていないじゃないかなどという私の批判など、彼らにとって痛くもかゆくもない。オウムがヨガで人を集めたように、彼らはNHK批判で人を集めているだけなのである。

えらいてんちょうに話を戻すと、彼らはビジネスで結果が出るとうれしいけれども、ゲームでハイスコアを出すのとたいして変わらない。おカネがたくさんあってもやりたいことがない、と言う。

彼らより少し上の世代(ホリエモンとか楽天とか)とはそこがちょっと違う。「大組織作って多くの人を雇ってとか、考えただけで頭が痛くなる。それより、やりたくないことをしなくて済むことが大切」だという。「カネで買えないものはない」より、ずっと健康的である。

「しょぼい起業」のコンセプトを私なりにまとめると、みんながみんなサラリーマンやOLに向いている訳ではないし、そうする必要もない。生活が成り立つだけの小さなビジネスを自営して、細々とやっていけばいいのではないかということである。

別に、ご大層な事業計画とか資金調達など必要ない。自宅を店にして小さなビジネスを始め、とにかく人を集めることが大切だという。「カネのない奴は俺んとこに来い」という、かつての植木等(青島幸男)的な考え方である。

人が集まれば情報やノウハウが自然と集まり、謎の売上が立ち、生活とビジネスを一体化すれば固定費を心配しなくて済む(例えば、店に住めば家賃をダブルで払わなくていい)ということである。

ごく当たり前の、常識的な意見である。というよりも、かつては多くの人がこういうまっとうな考え方をしていたのである。いつの頃からか売上最優先、ビジネスは大きくなければならない、コスト削減待ったなしということになってしまった。三波春夫のせいだろうか。

とはいえ、えらいてんちょうが朝早く起きるのが苦痛というのと同じくらい、多くの人とネットワークでつながるなどということが私には苦痛である。「しょぼい起業」などしないで、つつましくリタイア生活を送っている方が無難なようである。

「しょぼい起業で生きていく」。表題は刺激的ですが、サラリーマンが無理なら小さい自営業でやっていく方法もあるよということで、常識的な内容です。


[Oct 29, 2020]


吾妻ひでお「失踪日記」

2019年に亡くなった吾妻ひでお。われわれ世代にはなつかしい漫画家である。私はその頃少女マンガを主に読んでいたのだけれど、少年誌や青年誌で特徴ある絵柄をよく見たことを思い出す。

当時人気のあった人達の中には、コミックスの世界から離れている人も多いけれど、吾妻ひでおは少し後のサブカル、おタク文化との親和性が強く、長く流行作家としての地位を維持していた。そのプレッシャーなのか、失踪、アルコール依存に走ることになる。

この「失踪日記」は2005年に発表された作品で、2006年の手塚治虫文化賞受賞作品である。2005年の同賞受賞作が浦沢直樹の「PLUTO」、2002年が井上雄彦「バガボンド」、2001年が岡野玲子「陰陽師」だから、世代が違う人達に伍して話題となったということである。

よく知られるように、1960年代から70年代の少年誌を席捲していたのは貸本時代からマンガを描いていた藤子不二雄、赤塚不二夫、石森章太郎、ちばてつや、水木しげる、さいとう・たかを(!)などの人達だった。あとは梶原一騎の根性ものになってしまうので、面白さという点ではどうしても少女マンガ系に一歩譲るのである。

作者は1950年生まれ。強力無比の前世代と新しい感覚の鳥山明、江口寿史、鴨川つばめらに挟まれた世代である。山上たつひこが「がきデカ」以外あまりぱっとしなかったように、この世代は少年誌のトップを飾るはなばなしい連載を連発することができなかった。

この作者も、SF専門誌や同人誌などサブカル系に活躍の場を移しつつあったが、その大きな理由は、発行部数の多い少年マンガ誌では人気を得るのが難しかったということがあげられる。

そうした事情もあって、この作品はほとんど書き下ろしである。コミックス作品の多くは週刊誌に連載されて話題となり、その後に単行本化される。書き下ろしがない訳ではないが、それほど数が多くはない。何より、週刊誌に載らなければファンに周知されないのである。

ところが、この作品は注目された。吾妻ひでお自身の過去の蓄積と、ホームレス、アルコール依存などの今日的問題がフィットしたためだろう。そして、作者が書いていたが、締め切りがなくて描きたいことを描けるというのが、この世界の人にとって一番望ましい状況なのである。

作品は3部構成で、第一部が1989年のホームレス体験、第二部が1992年のガス配管工体験である。当時、作者は40歳前後。第三部は1997年からのアルコール依存による入院体験である。

この本に書かれている3つの「失踪」体験のうち、ホームレスになる可能性は、私は幸いなことにほとんどなかったと思う。もちろん、人間誰しもすべてを放り出したくなることはあるし、たまたまそうならなかっただけかもしれない。少なくとも宝くじ以上の可能性はなかったと思う。 配管工体験に近い経験は、ポリテクでやっている。ポリテクでは塩ビ管、銅管、鉄管の切断と接続を勉強させられるので、なつかしく読ませていただいた。

最後のアル中、依存症に至る可能性は、冗談ではないくらい大きかった。少なくともエニーペア(約5%)はあったはずで、肝硬変に至る身体上の問題まで含めれば、2桁確率はあったはずである。

注.エニーペアとは、ポーカーで配られた手札が同じ数(ペア)であること。ハイペアと呼ばれるAAとかKK、絵札のペアなら勝負手。

手塚治虫文化賞を受賞した古典的作品。私は昔の絵の方が好きだけど。


思い起こせば最初の転職に至る前、週に2、3回は飲みに行き、ニュートーキョーを経てカラオケスナック、締めはラーメン帰りはタクシーという生活を送っていた。

若気の至りといえば聞こえはいいけれど、飲み始めれば止まらない状態で、誰と一緒にとか楽しい楽しくないとかあまり関係なかったような気がする。

その後最初の転職に至る際、ほとんど決まって最後の健康診断という段階で、検査結果を見て採用担当者が顔色を変え、「△△さん、採用するしないの話じゃなくて、このままの生活を続けたら大変なことになりますよ」と言ったのである。おそらく、GOTとかGPT、γ-GTPがとてつもない数字だったからだと思うが、手元に数字は残っていない。もちろん不採用であった。

その時は3ヶ月ほど減量し酒も控えて、次の会社で何とか採用になった。ちょうどその頃から成人病検診の対象となり、肥満は分かっていたのだけれど、コレステロールや中性脂肪、血糖値や尿酸値でたびたび要注意・要観察となった。

2度目の会社もうまくいかなくて再び転職となった時、前の教訓から、健康診断で引っかかることだけは注意しようと心掛けた。数ヶ月前から減量して体重を20kg近く減らし、酒も控えて運動も心がけ、めでたくGOT16、GPT20、γ-GTP30と正常値にすることに成功したのである。

こうした減量、生活改善の経験がなく、最初の転職前の生活をずっと続けていたら、間違いなく肝臓は壊していただろうし、アルコール依存に至る道筋をたどっていたかもしれない。

思うに、アルコール依存に至る原因の第一は量を飲むことである。そして「酒でも飲まなきゃやってられねーよ」というストレス、はしご酒をする経済的余裕、それらが三暗刻のようにダマになっていたのが、最初に就職した会社であった。

自分自身についてだけれど、私のひい爺さんにあたる人が大酒飲みで、田畑を質に入れて飲みまくり、その借金を返すのに爺さんがかなり苦労したという話を聞いて育った。

酒乱だったのかアルコール依存なのか話だけでは分からないけれど、どちらにしても兄弟くらいの間柄である。私にももちろんその血は流れている訳で、酒を飲んで失敗したり痛い目に遭ったことは山ほどある。

その教訓もあって、ここ十年ほどそうした失敗はほとんどなくなってきた。特に、「外で飲まない」「他人と飲まない」ことに気をつけたのである。そうせざるを得ない場合には、一次会のみで帰る。できれば一次会も中座するようにした。

私は酒が好きだし、できれば時々は楽しみつつ歳とっていきたい。奥さんと、奥さんの手料理で、たまに贅沢するくらいで十分である。

「失踪日記」続編の「アル中病棟」。登場人物が「失踪日記」と一緒なので、連載漫画のように読めます。


[Nov 25, 2020]


宗田哲男「甘いもの中毒」

思い当たる節があって、甘いもの中毒について調べてみた。それで図書館からこの本を借りたのだけれど、期待外れだったことと期待以上だったことがそれぞれあった。

期待外れだったのは、本の表題や、副題「私たちを蝕むマイルド・ドラッグの正体」とは、ちょっとずれていることである。

この本の中には、ラットによる実験で、砂糖の依存性は麻薬、アルコールとよく似ていて、脳内で同様のメカニズム(報酬系)があるのではないかということまでは触れられている。

ただ、それ以上となると全く心もとない。依存性がどのくらいあるのか、治療可能なのかという点まで掘り下げていない。糖質制限食についてこられない人がいる、というだけである。

ヒトは本来肉食で、穀物から栄養をとるようになったのはつい最近という主張だが、じゃあなぜ奥歯があるんですかという反論がすぐ思い浮かぶ。ヒトの歯は、どうみても肉食以外の、草食とか穀物食に適応してきた結果である。

また、依存についても、「白米やパン、うどんをはじめ、菓子や清涼飲料をとらないよう指導している」のはいいのだけれど、指導された患者がおとなしく飲まないならアルコール依存の問題は起こらない。指導されてもできないから問題なのである。

こうした不満な点はあるのだけれど、糖質制限が糖尿病治療に有効であり、糖質のとりすぎが多くの健康被害を招いているという趣旨については、なるほどと思うし認識を新たにさせられた。

私の糖尿病歴は21世紀に入ってすぐからで、当時、糖尿病食といえばカロリー制限のことであった。糖質制限という考え方が出てきたのは、アメリカでちょうどその頃、日本ではごく最近のことである。

だからいまだに、医者の中に糖質制限を疑問視する人はいるし、糖尿病学会は糖質制限を認めていない。糖質制限食は、糖尿病治療の趣旨では健康保険の対象とはならない。YouTubeでもDAIGOが糖質制限はダメだと言っている。

ただDaigoの理由が、「糖質制限が有効だといってもその人だけのことで、神社にお参りしたから宝くじが当たったのと同じことだ」というのは、さすが竹下の親戚だけあって頭が悪い。仮説なのだから納得できる根拠があるかどうかが問題で、みんな当たる神社なら私もお参りする。

糖質制限で糖尿病が改善するという仮説の根拠は、血糖値を上げないためには糖質を体に入れなければいいという単純明快なものだ。それができないとされてきたのは、糖質がなければ体を維持するためのエネルギーが生み出せないと考えられてきたためである。

最新の知見では、体を動かすもとになるエネルギーはブドウ糖だけでなくケトン体(脂肪酸が分解されたもの)からも生み出すことが可能であり、そもそも最低限のブドウ糖は肝臓でアミノ酸から製造できる。だから、本当は糖分を摂取することはないのである。

「糖毒」という言葉があって、医学的にはグルコース・スパイクを指す。簡単にいえば絶対量ではなく血糖値の変化幅が問題ということである。

確かに、血糖値が乱高下することがいろいろな病気に結びついているのだけれど、AGEsの問題とか、血液の粘度の問題とか、血糖の絶対値が健康に及ぼす影響も少なくないと自分自身を省みて思う。これ以上は、書評の範囲を越えるのでまたいつか改めて。

最後に一つだけ思いつきを言わせていただくと、これまでアルコール依存と思われていた症状の中には、実は甘いもの依存があったのかもしれない。甘いものの一種として、白米があり精製小麦があり、日本酒やビールがあったとは考えられないだろうか。

[Dec 16, 2020]

ページ先頭に戻る    書評2019←    →書評2021(1)    書評目次