前川つかさ「大東京ビンボー生活」    松本零士「男おいどん」    魔夜峰央「パタリロ!」
三原順「われらはみだしっ子」    みなもと太郎「ホモホモ7」    宮下あきら「激!!極虎一家」
陸奥A子「ハッピーケーキの焼けるまに」    森下裕美「荒野のペンギン」
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前川つかさ「大東京ビンボー生活マニュアル」

かなり前から、貧乏ファンである。一時期「貧乏神髄」(あの作者は最近は貧乏していないようだ)にはまったし、今でも水曜夜は貧乏自慢の番組「銭形金太郎(略して銭金)」が大好きである。この冬は大根が豊作でかなり安いし味も悪くないので、このところ大根おろし+しらすのせが1日1度は食卓に乗る。あと数年で現実のものとなる(はずの)リタイア後には、ぜひ清貧の生活を送ってみたいと今から楽しみにしている。

その意味で、1990年代前半に週刊モーニングに連載されたこの作品は思い出深いものがある。主人公のコースケは大学卒業後バイト生活を送りながら、下北沢か下高井戸あたり(新宿の高層ビル群が見えて渋谷にも近い)の6畳一間のアパートに暮らしている。一日部屋で本を読んだり図書館に行ったり、1週間寝続けてみたり、カネがなくなると「パンの耳生活」をしてみたりと、とてものんびりした生活を送っている。

マッキーに喧嘩を売った松本零二の大山昇太男おいどん)のポストバブル版ともいえるキャラクターなのであるが、コースケの場合はそれほど肩に力が入っていない。「学生さんですか?」と訊かれて「社会人です」と答えているのだが、定職はないし部屋には何もモノがない。カセットコンロのボンベだけ持っていて本体は隣人に借りる。新宿に行く時も隣人に定期を借りる。自分は「テイク&テイク」、隣人は「ギブ&ギブ」、二人合わせて「ギブ&テイク」なんだそうだ。

そんなコースケにも彼女がいてしょっちゅう遊びに来るし、大家のおばさんにも寺の和尚にも気に入られているし、いとこの大食漢マサボーのほか、司法浪人やら大道芸人やら中華料理の店主やら元ヤクザの不動産屋やらいろんなお友達がいて、全く寂しそうでない。ボストバブルの新しい貧乏の形というか、そもそもこれが貧乏といえるのだろうか、というストーリーである。

「高度成長期の貧乏」大山昇太は最後は夢破れて姿を消すが、「ポストバブルの貧乏」コースケは和尚の弟子がいる四国に旅に出るところで終わる。世代の差というか、日本の経済力の違いというか、そのあたりが現れているようで興味深い。なお、作者の前川つかさはこの連載の後、政治マンガ「票田のトラクター」の作画担当として活躍した。


1990年頃コミックモーニング連載。「クッキングパパ」は当時からずっと続いてますね。

[Dec 12,2006]


松本零士「男おいどん」

松本零士といえば、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」をはじめとする宇宙SFマンガの大家として知られているが、出世作は知る人ぞ知るこの作品である。少年マガジンに掲載されたものであるが、いまのように青年(成年)マンガ誌などない時代であったのが非常に惜しまれる。本来、もっと評価されていい作品であろう。

主人公の大山昇太(おおやま・のぼった)は九州から単身上京、風呂共同トイレ共同4畳半一間の「下宿館」で正体不明の「トリさん」と暮らしているのだが、働いていた工場が倒産して通っていた「夜間高校」!(定時制高校のこと)の学費も払えず、なじみのラーメン屋でバイトしながら復学をめざしている、というシチュエーションである。

当時はまだ大学進学率が5割行っておらず、女性に至っては「大学を出ると就職がない」といわれていた時代である。寿退社が当たり前で、会社に入ってすぐやめる(女性の平均初婚年齢23~4歳)のだから大卒女を雇ってもコストが合わないという理屈だった。そんな時代だから、働きながら定時制高校に行くという設定もそれほど現実離れはしていなかったのだが、今ではあまり現実味はない。

4畳半一間の下宿館ではあるが、場所がいいのか家主のバーさんの人柄がいいのか、結構若くてかわいい女の子が入ってくる。そのたびに、大山昇太はふられてしまうのだが、「明日のために今日も寝」て毎週の話が終る。彼の定番メニューはラーメンライスなのだが、これは貧乏人の彼がツケで食べられるのはバイト先のラーメン屋だけであるからであった。

最終話で、大山昇太は「出かけてきますんど」と普段のとおり出て行き、そのまま帰らない。残されたトリさんと心配してきたラーメン屋店主を相手にバーさんが「きっといつか帰ってくるから、部屋はそのままにしておくよ」というところでこの物語は終わるのだが、あれから30年経って、いったい彼はどこで何をしているのだろう。

この物語が何ともいえず哀しいのは、部屋にパンツ(とサルマタケ)しかない大山昇太にも上昇志向があって(名前からして)、それがかなうことは多分ないだろうな、と思わせるところである。いろいろなところに「もっと恵まれない人がいる」というエピソードが挿入されており、「上をみればきりがない、下を見てもきりがない」という、一種説教くさい人生観が鼻につかないでもないが、まだまだ貧しかった時代のことを思い出させてくれる名作である。


サルマタケの怪人・大山昇太。最後は、どこに出かけたんだろう?

[Jul 26, 2005]


魔夜峰央「パタリロ!」

1978年花とゆめで連載開始。よく知らないが今でも続いているそうである。百鬼丸のツマブキくんがガス床暖房を盛んに奨めているが、そのたびにこのマンガに出てきた「ガステレビ」を思い出してしまう。あれから20年以上経つが、未だに東京ガスはガステレビを実用化していないようである。

魔夜峰央は確か花とゆめの第一回新人賞の受賞者で、少女マンガ系には珍しい男性作家。最初は怪談マンガを描いていた(パタリロにも時々登場する)が、なぜかシニカルなギャグ漫画に転向した。本筋は、南太平洋上に浮かぶ小国マリネラの皇太子であるパタリロ殿下が、英国MI6の諜報部員バンコラン少佐とさまざまな事件に巻き込まれるというものだが、上にあげたガステレビのように本筋以外の方がおもしろい。

妖怪が部屋の中に入ってこないようにお札を張れと言われたパタリロが、花札や質札を貼った末に鍋の蓋を張る。バンコランに「これは分からない」と言われたパタリロが「おふた」と答えるところは、今思い出しても壷に嵌るところである。

これは落語にあるらしいのだが、藪医者より腕の悪い医者が「雀医者」(そのこころは、だんだん藪に近づく)、雀医者よりさらにひどいのが「土手医者」(そのこころは、藪にもなれない)、そして最悪なのが「ひも医者」で、ものがひもだけに、こいつにかかったら確実に死ぬ、なんてのもあった。

あと、戦闘ロボット「プラズマX」っていうのがいて、パタリロが「それだけじゃないぞ、サインもできる」と言って書かせたサインをみて、バンコランが「戦闘能力はともかく、国語能力には問題がありそうだな」と指摘してしまい、プラズマXが悩んでしまうなんてシーンもあった。それで、「○○能力はともかく××能力には問題がある」というフレーズを時折使ったりするのだが、今では誰も分かってくれない。

こういう小ネタが面白いので、テレビアニメになって「だーれが殺したコックロビン!」なんてシーンを見たら、かえってがっかりして読まなくなってしまったのだが、その後もしぶとく続いていたようだ。どこかに残っていれば、初期の作品を読み返してみたいものである。


青池保子はまだ若干名の女の子が登場するが、こちらの作品では主要登場人物に女の子はいません。みんなHOMO。

[Jan 24, 2008]


三原順「われらはみだしっ子」

1975年より「花とゆめ」連載。短編連作のため正しくは「はみだしっ子シリーズ」というべきなのかもしれない。「われらはみだしっ子」は初回のタイトル。

少女マンガにもかかわらず、主人公は4人の少年。いずれもいろいろな事情により家を出て、いろいろあって4人で共同生活を送るようになる。最年長で優等生的なリーダーシップをとるグレアム、やや不良キャラ(家出少年だし)でグレアムに反発しつつ別の意味でのリーダーシップをとるアンジー、二人よりちょっと年下で屈託がなくのびのびしているサーニン、一番年下で甘ったれで末っ子キャラのマックスである。

始めの頃は絵柄も明るくて、4人が巻き起こす事件もドタバタ的なものである。出会った頃の設定も小学校低学年くらいだから本当はもっとおとぎ話的な作品だったと思う。だが、好評で続編を描き続けるうちに段々と絵柄も暗くなり展開もより内面的になっていく。4人の年齢も上がっていき、子供たちががんばって生きていくというよりは、青年たちがさまざまの悩みを抱えてそれらとどう折り合いをつけていくか、ということになる。

だから、熱烈な読者層というのは当時からいたし、今読んでもさほど古さを感じさせない作品ではあるが、一般的「花とゆめ」読者層からすると、後期の作品は特に、ちょっと難しかったのかもしれない。「花とゆめ」の当時の連載作品では、「ガラスの仮面」がご存知のようにいまだに語り草になる人気があるし、「スケバン刑事」はTVドラマ化されて作品名は相当知られている。三原順の作品はそれらと比べて絵も古臭くないしストーリーも洗練されているのだが、熱烈に支持する層とそうでもない層がいたような気がする(多かれ少なかれどの作品もそうですが)。

だからもう発表から30年近くたって、いまだにこの作品を覚えている人がいた、というのはちょっと驚きである。最近書評欄が「名作コミックス劇場」になってしまっているのだが、それはそれとして、それならもう少しマニアックな作品を選んでみようかな、と思っている。ちなみに、作者の三原順さんは10年ほど前にお亡くなりになっている(合掌)。


作者はちょっと前にお亡くなりになったそうです。合掌。

[Nov 17, 2005]


みなもと太郎「ホモホモ7」

昭和40年代後半少年マガジン連載。その頃の少年マガジンはもちろん「巨人の星」「あしたのジョー」から続く梶原一騎根性路線の全盛期であったが、そっと隠れるようにこの作品や松本零二の「男おいどん」(時期的にはちょっと後だけど)が連載されていたのでありました。

パチンコ屋のトイレからマンホールを通って行くスパイ組織「ホモホモブロック」は、基本的に長官とホモホモ7だけでやっているに等しい零細組織である。その名のとおり、男とおカマだけでやっているのだが、かたや女だけのスパイ組織「レスレスブロック」は武器弾薬資金メンバーともに豊富な世界組織で、この両組織の抗争を描いた作品である。

主人公の7(セブン)は各エピソードごとに困難な任務を与えられ、ほとんど支援も得られないままレスレスブロックに立ち向かい、なんとか生きて帰ってくる。なぜかというとこれはギャグマンガだからである。だから7の顔も普段はギャグタッチなのだが、突然ゴルゴ13になったり(この頃からあるのだ)、高倉健になったり、星飛雄馬になったりする。長官はいつも本部にいて大して強くない(7のいない間にレスレスブロックが攻めてきたりすると本部が壊滅してしまう)が、その風貌だけはFBIとかCIAとかMI6のようだ。

7はレスレスブロックから逃げてきたスパイであるセブリーヌちゃん(このネーミングもいいですね)と仲良くなり、ここからストーリーが展開していくのだが、なんといってもギャグまんがなのでなんだかよく分からないままエンディングを迎える。昔のことなので単行本2冊程度の長さで、なぜか「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」の梶原一騎三部作の単行本は持っていなかったが、この作品は持っていた。小さい頃からみんながあまり関心を持たないようなものに興味を引かれる性質だったらしい。その意味で思い出深い作品である。

そしてなぜか30年以上の時を超えて、この作品はYahoo!コミックなどの電子媒体で読むことができるのである。立ち読み(タダ)でも何ページかは見られるので、興味がある方はどうぞ。


みなもと太郎や筒井康隆、泉谷しげるはマイナーというか、支持するのは少数派だったはずなのだが、半世紀たってすべて大御所になってしまった。

[Mar 14, 2007]


宮下あきら「激!!極虎一家」

宮下あきらといえば、「わしが男塾塾頭江田島平八であ~る!!!!」の「魁!!男塾」が代表作ということになるのだろうが、あまりにも続編がありすぎて何が何だか分からなくなってしまった。面白いといえば、こちらの極虎一家の方が面白い。

極虎一家という題名であるから、主人公は虎という男だろうと思われるかもしれない。そして確かに虎が中心となって動いている物語なのではあるが、実は、天才バカボンの主人公が「バカボンのパパ」であるように、このマンガには隠れ主人公がいる。学帽政(がくぼうまさ)と枢斬暗屯子(すうざん・あんとんこ)である。

舞台は普通の少年院では収容しきれない非行少年ばかり集めたという「網走極等少年院」。その中でも学帽政はいつも破れた学生帽をあみだにかぶったニヒルな男なのだが、とにかく強い。1人で1000人の猛者(その名も織田一千騎)を、それもすべて日本刀の峰打ちで倒した”網走雪原千人斬り”はじめ、幾多の伝説を持つ男なのである。

そして、枢斬暗屯子。20年たった現在でさえ、ネットを調べるとすぐに画像が出てくる。とても女には見えないが、女だそうである。私立極道(きわめみち)高校の生徒会副会長だそうである。そしてなぜか、極等少年院に出入り自由らしいのである。この方が学帽政の女房をめざして、少年院に家財道具を持ち込んでしまうのである。

宮下あきらの特徴は、大嘘の話をさも本当のように言うところである。男塾の初期にはそういうズタ話がいろいろあって、例えばラッキョウは、中国武術の天才陳ラッキョウ(字忘れた)が、体を柔らかくすべく酢の壷に入って修業するうちに、もったいないからラッキョウも一緒に漬けてみたらどうだろうと思って発明したそうである。汗と酢のしみたラッキョウなど、考えるだにおそろしい。

長いこと、宮下あきらは本宮ひろし(”サラリーマン金太郎”などでいまだに活躍中)の弟子だと思っていたのだが、調べてみると高橋よしひろ(”銀牙”これもなつかしいですね)のアシスタント出身だそうです。なんだかちょっと不思議です。


聞くところによると、「男塾」はまだ続編を発表中とか。おそろしいことだ。

[Mar 14, 2006]


陸奥A子「ハッピーケーキの焼けるまに」

昭和50年代に少女マンガに親しんだ世代にとって、陸奥A子の存在感というものは別格ではなかっただろうか。当時りぼんには、田渕由美子、太刀掛秀子、ちょっと世代が下って小椋冬実などの人気作家が輩出し、いわゆる「乙女チックワールド」を展開したのであるが、陸奥A子はその草分け的存在であり、かつ第一人者であった。

「A子」とペンネームにアルファベットを入れているのも新鮮であるけれども、ともかく人気作のタイトルが、「獅子座生まれのあなたさま」「黄色いリボンの花束にして」「たそがれ時に見つけたの」「樫の木陰でお昼寝すれば」「たとえば私のクリスマス」(ああ、止まらない)等々、それだけで乙女チックである。

主人公の女の子は大抵の場合内気で男の子とまともに話をすることもできないのだが、ひとの見ていないところで掃除や花壇の手入れをこまめにするようないい子で、そしてかなりの頻度で体が弱いことになっている。また男の子はみんな友達思いでお年寄りには親切で、何かの夢に向かって努力しているという設定である。30年前はそうした登場人物が読者と一体感を持てたという意味で興味深いものがある。

さて、陸奥A子の作品のほとんどは短編なので代表作を選ぶのは非常に難しいのだが、私の好みということで昭和51年発表のこの作品にふれてみたい。主人公のスキャットちゃんは、農薬の研究をしている「風博士」が失敗作(薬)を庭に捨てているうちに、チューリップの花の中から生まれてきた女の子である。だから生まれた時は非常に小さかったのだが、新鮮なミルクを飲ませているうちに人間の赤ちゃんの大きさになり、やがて成長して学校に行くようになる。

風博士は大正時代(これも陸奥A子の作品によく出てくる)に京都で学生生活を送っていたので、スキャットちゃんが生まれた時すでに御年56歳である。ずっとひげもじゃなので歳がよく分からないのだが、失敗作(薬)をまいた庭の草をサラダにして食べているからか、なぜかいつまでも若々しい。ある日気が付いてひげをそってみると、なんと50以上も若返って若者になってしまっていた。

最後は若返った風博士とスキャットちゃんの結婚式で終るというストーリーなのだが、これは童話なのだから、チューリップから生まれた女の子は果たして人間なのか、とか、顔は若返っても体は70代なのだからいろいろと問題があるのではないか、などと突っ込んではいけない。ともあれ、昔の作品はほのぼのとしていたなあ、と思うことしきりである。

ちなみに、陸奥A子さんはいまだに現役でご活躍中である。せっかくなので最近の作品を読んでみたら、30年の間に絵柄がすっかり変わっていて、とても同一人物の作品には見えない。登場人物は結婚したり離婚したり同棲したり妊娠したりいろいろ大変で、しっかりレディコミなさっているようだ。ただ、ストーリーの奥深くに、バブル以前の健全な価値観というかなんと言うか、昔と変わらない性格が見え隠れしているような気がする。


こんな雰囲気です。

[Sep 12,2006]


森下裕美「荒野のペンギン」

この間ホームページの過去記事を整理していたときのことである。「ちょびっツ」の記事を読み直したところ、ふとこの作品のことを思い出した。正確には覚えていないが1980年代前半の作品のはずである。

「荒野のペンギン」というのは短編シリーズで、中年のあっさりしたおじさんが主人公のものが多いが、そうではないシチュエーションの作品もある。ちょびっツで思い出したというのは(両方読んだ人には明らかですが)、人間型の家事ロボットが登場する作品である。ネットで調べたら、「少女時代」という作品のようである。そういう題名だったかもしれない。

未来のある時代のこと、家事ロボットが普及していて、主人公のおじさんも女子高生の家事ロボットを家に置いている。人間の奥さんはいないのだが、その時代にはロボットを連れて歩いている人の方が多くて、買い物をしているのもロボット。見た目は人間と見分けがつかないのである。(このあたりはちょびっツと似ている)

ところが、おじさんの女子高生ロボットは出始めのものだったので、もう耐用年数をオーバーしている。もう修理する部品もないので、おじさんの知り合いである修理屋さんのところで何とか直してもらっているが、歯車がきしんだり油が漏れたりしてしまう。修理屋さんは新製品への買い替えを進めるのだが、おじさんは彼女でなければダメと受け付けない。

ある日、女子高生ロボットが買い物の途中に盛大なオイル漏れを起こしてしまい、ひとりで修理屋さんのところに行ったところ、陰で自分のことを「今頃オイル漏れ起こしてるかもしれないなあ。あれだけ古いともうどうしようもないよ。あのロボットも、自分からスクラップになればいいのに」と言っているのを聞いてしまう。それを聞いた彼女は、自らスクラップ場に行くのだが、というストーリーである。

わずか20ページくらいの短編なのに、なぜか印象に残る作品であった。この作者はそのあと「少年アシベ」(ゴマアザラシの出てくる作品である)でブレイクしメジャーになってしまったが、個人的にはこの作品の方が強く印象に残っている。いまなお現役で活躍していて、毎日新聞に連載中である。(絵柄はちょっと昔と違う。そういえば毎日には西原も載せている)

今回Wikiを調べてみて分かったのだが、この作者のご主人は山科けいすけ氏だそうである。ともに、1980年代にヤングジャンプに連載していて、今日なお活躍しているというのは大したものである。亭主が朝日、女房が毎日というのは大手メディア独占という感じで、なかなかすごいことだなあと思う。ヤンジャンに載せてた当時は、こんなに長く活躍するとは思わなかったけれど。


ネットを探したら画像も出てきました。いまの絵(毎日新聞)とは全然違います。

[Apr 23, 2014]

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