1970-80年代COMICSやその他の本の話題。
柳沢きみお「俺にはオレの唄がある」    山岸涼子「日出処の天子」
大和和紀「あさきゆめみし」    弓月光「ナオミあ・ら・かると」
吉田覚「働かないふたり」    吉田戦車「いじめてくん」    和田慎二「スケバン刑事」
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柳沢きみお「俺にはオレの唄がある」

昭和62年アクション・キャラクター連載。少年マガジンに「翔んだカップル」を描いていた頃はこれほど息の長いマンガ家になるとは想像できなかったが、いまだに「特命係長 只野仁」(週刊現代)などで活躍中。

人気作品もかなりの数に上るが、本人もどこかで言っていたように昭和の終わりごろに発表した「愛人」「未望人」とこの作品「俺には俺の唄がある」あたりが転機になったようだ。なお、この時代の作品は今ほどデッサンが杜撰ではなく、ストーリーも練れていて読み応えがある。

主人公の瀬上年男は35歳を契機にこれまでの優等生生活を止めることを決意した。「他人のためにだけ唄を歌うような人生はまっぴらさ」ということである。彼は給与振込の中から月々2万円、ボーナスから20万円を妻に内緒で横取りし、その資金をもとにアパートを借りて二重生活を始める。そこで出会う謎の男、野島や美人の人妻、中学生の家出娘、不倫相手のOL、出世から下りたはずの勤務先での派閥争いなどが絡みながらストーリーが進んでいく。全体を貫くテーマは「男のやすらぎとは何か?」である。

柳沢きみおの作品は青年誌に載ることが多いので、読者サービスのためか主人公は女にモテるという設定であることが多いが、この作品も例外ではない。六畳一間の風呂なしトイレ共同のアパートに住んでいるにもかかわらず、次から次へと女性が現れるのはうらやましい話である。

この作品では、遂に家に帰らなくなって奥さんに会社に電話をかけられてしまったときの台詞「俺が悪いんだ。家に帰りたくないんだ。しばらく放っておいてくれ」、とうとう会社前で待ち伏せられてしまったときの台詞「オマエや家庭にあきちまったんだよ」は当時気に入ってさかんに言っていた(もちろん家に帰ってから奥さんに)。

実は家では私が家計をやっているのだが、月2万なんてそうそう抜けるもんじゃないです。


この作者は、「愛人」「未望人」「俺にはオレ」の3連作が白眉でした。その後特命係長でまたひと稼ぎ。

[Oct 5,2006]


山岸涼子「日出処の天子」

「ひいづるところのてんし」と読む。当然のことながら、主人公は聖徳太子(厩戸皇子)である。1980年から、月刊LaLa連載。

作者の初期の作品である「アラベスク(第一部)」(りぼん連載)を読んで、バレエには大変詳しい人だな、とは思ったもののここまで人気作家になるとは想像もしなかった。

それが一気にブレイクしたのは系列の「花とゆめ」に移って、「アラベスク(第二部)」「妖精王」「メタモルフォセス伝」とヒット作品を連発してからである。同時に、確かセブンティーンだったと思うのだが、「グリーンカーネーション」など同性愛をテーマとした作品を描いていたのだが、それらが統合集約されたのがこの作品である。

この作品における厩戸皇子は、超能力者で、同性愛志向があり、かつ深層心理的にはマザコンである。そして、その皇子の超能力が効かない相手が、蘇我毛人(えみし)なのである。物語はこの2人を軸に、次期天皇の相続争い、物部氏との抗争、祟峻天皇の擁立と暗殺、推古天皇の擁立、遣隋使の構想あたりまでが展開されていく。

第一巻のはじめから、いきなり山岸ワールドである。皇子に百済伝来の弥勒像を渡しに行った毛人は、瞑想中の皇子に引き込まれて苦界大底の魑魅魍魎の世界に行ってしまう。

魑魅魍魎にやられてしまったはずの毛人が現実に世界に戻っても生きているのに驚いた皇子が「生玉、死反玉、足玉、みんな飛び散ったのに・・・そなた、そこに何を持っている?」と尋ねると、毛人が懐に入れてきた仏像が粉々にくだけてしまう、といったあたりはなかなか他の漫画家では味わえない世界である。

(ちなみに、生玉、死反玉、足玉=いくたま、まかるがえしのたま、たりたま=は古神道で使うとされる呪具)

最後は、毛人にも拒まれ結局誰にも受け入れられることのなかった皇子が孤高の世界へと向かってしまう、というところで終わっているのだが、実は、この物語には続編があって、それから30年近く経った時代、つまり山背大兄王や蘇我入鹿といった彼らの子供の世代が破滅に向かうという作品(馬屋古女王)がある。これは単独で読んでもあまり面白くはない(というより、訳がわからない)が、「日出処の天子」を読んだからには読まなくてはならない作品である。

全然話は違うが、ニジンスキーNijinskyⅡという競馬の世界で非常に有名な馬がいるのだが(1970年の、そしてセントレジャーの距離が変更されない限り、英国における最後の三冠馬)、この馬の命名の語源を知ったのはこの作者の「アラベスク」である。ちなみに、人間のニジンスキーは20世紀を代表するバレエ・ダンサーで、馬のNijinskyの父親はノーザン・ダンサーNorthern Dancerである。


りぼんでアラベスク第一部を載せていた頃には、これほど大成するとは思いませんでした。「艮の方より詣ず」ってどういう節なんだろうというのが、ずっと疑問です。

[Oct 25, 2005]


大和和紀「あさきゆめみし」

スケバン刑事の後だから(注.この記事は、スケバン刑事のすぐ後に掲載しました)、大和和紀(やまと・わき)である。もちろん、南野陽子つながりである。この作品は1979年からmimi連載。完結したのは90年代に入ってから。

少女マンガ系の雑誌の中で全く買わなかったのが、講談社のフレンド系(少女フレンド、なかよしなど)である。というのは、”キャンディ・キャンディ”や里中満智子の説教臭い作品(とはいっても、あした輝くとかアリエスの乙女とかは買った。一応)が好きではなかったからだ。そうした中で、例外的に好きだった作者も何人かいて、大和和紀はその中のひとりである。

映画化された「はいからさんが通る」(南野陽子主演)や「アラミス’78」(78ですよ!なんて昔・・・)など、フレンド系としては例外的にあか抜けた、体制的でない作品が目立っていたのだが、アラミスと並行して連載が始まり、結局のところこの作品が彼女のライフワークとなった。

あらすじについては、あえて説明する必要はない。「源氏物語」の忠実なマンガ化である。桐壺から始まって夢浮橋に終るまで、原作の主要人物、主要エピソードのほとんどが網羅されている。いまどき原文で源氏物語を読む人はいないだろうし、瀬戸内寂聴はじめ現代語訳も数々あるが、源氏物語の全体像を把握するのには最も適したテキストといえる。

登場人物の顔がどれも似てしまうのは、原作でもみんな親戚だからやむを得ないところか。また、主上(天皇)に在任中から諡号(おくり名)が付いていること(朱雀帝、冷泉帝等の諡号は原作に登場せず、後世の研究者がそう呼んだだけ)など、やむを得ないのではあるけれどもちょっとなぁといった不満な点はあるが、それぞれそれらしく描かれているし(末摘花とか)、大和和紀の解釈もさりげなく加えられていて、全体としてみると非常によくできたリメイクだと思う。

TVドラマも時々作られるが、ちょうどこの作品が始まった頃、向田邦子脚本・沢田研二主演でのドラマ化はとてもよくできていたのを思い出す。ちなみに、私が原文を読んだのは受験の時、「桐壺」とか「若紫」とか「須磨」「明石」とか出そうなところをちらちら見ただけだが、なぜか家には全巻そろって置いてある。定年後ヒマになったらぜひ読みたいものである。


フレンド系で結局勝ち残ったのはこの方だったようです。先日読売新聞で「はいからさん」のイラストが載ってびっくりしました。

[Apr 28, 2006]


弓月光「ナオミあ・ら・かると」

「デザイナー」のTVドラマ化でわが世の春を迎えた感のあった一条ゆかりが、カルト宗教「摂理」との関係を指摘されて苦しい立場に陥っているが、その一条ゆかりと同様に第1回りぼん新人賞から人気作家に成長したのが弓月光(ゆづき ひかる)である。なんと、いまだに青年コミック誌で活躍中である。

りぼんでデビューしてからしばらくはあまり面白くない作品が続いたが、ギャグ漫画家として大成したのが昭和50年に連載されたこの作品である。最初に読んだときには、面白さのあまり大げさでなく腹がよじれた。今思うに、本来のジャンルとしては現在の青年コミックなのだが、当時そういうジャンルはなかったので、やむなく少女マンガとなってしまったのであろう。

優等生のお嬢さんである「奈美」と、イケイケ系の不良娘「ナオミ」は二重人格。しかも奈美にはナオミは意識できていないが、ナオミには奈美が意識できている。昼間は学校で優等生をしている奈美が、夜になるとナオミに変身してしまうことをひょんなことから知ってしまった主人公がさまざまなトラブルに巻き込まれて、というストーリーなのだが、全編ドタバタのうちに終ってしまう割りに、密度は相当濃い。

どのくらいドタバタかというと、なにしろ奈美(ナオミ)の結婚を阻止するために、主人公はバキュームカーを操って式場に乗り込んでしまうのだ。そしてバキュームカーに吸われた担任の先生の顔が変わってしまう(鼻と口が出っ張ってしまう)というオチが付いている。すでに絶版なのだが、もう一度読んでもたぶん大笑いしてしまうだろう。

その後作者は週刊マーガレットに移り、脳移植で女の子の体に入れられてしまう男(逆に男の子の体に入れられてしまう女の子)の話(ボクの初体験)や、20年前にドラゴン桜ばりの受験マンガを描いてしまった話(エリート狂走曲)などヒット作品を連発した。これらの作品はおそらく現在では入手困難だしマンガ喫茶でも見たことはないが、今でもかなり面白い作品ではないかと思う。


当時は一条ゆかりは大人気の大御所、弓月光はキワモノ扱いでしたが、2010年代の知名度はこちらが上でしょう。棺を覆いて定まるとはいいますが。

[Aug 15, 2006]


吉田覚「働かないふたり」

宣伝を見てニートの生態を描いた作品だと思って買ってみたら、そうではなかった。作者がそう意図しているかどうかは定かでないが、これはユートピアを描いた作品である。

おにいちゃんと春子の兄妹は、高校卒業後も親の家にいて、昼夜逆転の生活を送っている。おにいちゃんの部屋で寝落ちするまでテレビゲームやレンタルDVDをみる「合宿」が、対人恐怖症である妹の何よりの楽しみである。おにいちゃんは少しは外向的で、図書館でドストエフスキーを借りてきたり、高校時代の数学の問題を解き直したりしている「エニート」である。

働いているのは父親のみであるが、特に兄妹にプレッシャーをかけるでもなく、「父さんはもう寝たいのだが」といいつつ兄妹とテレビゲームをしている。大好きなサクマドロップをハッカ以外全部食べられたり、靴の匂いを嗅がれたりあまり大事にされていないようだが、結構仲が良かったりする。母親は「まあ結婚できればなんとかなるから」と妹には温かく対応しているようだ。

この兄妹が現実のニートと最も違うと思うのは、働かないから貧乏であり、おカネの大切さをよく知っているのと(でも、働かない。働いて新しいゲームを買えと言われると「それをいっちゃあ、お終いだよお」)、携帯もスマホも持たずネットとも繋がっていないという点である。

髪が伸びて強制的に美容院に連れて行かれると「4800円もかけるのなら、中古ゲームを買っておにいちゃんと遊びたいなあ」と思うし、4万円のコートを買ってもらうと、「2千円の中古ソフトが20本買えて、1本50時間として、・・・・1000時間遊べるよお」と言っている、まことに浮世離れした妹なのであった。

考えてみれば、ニート自体「カネがすべての世の中」に対するアンチテーゼであるし、カネに困らない境遇の人が働かないで過ごすのは、いま始まったことではない。明治時代には高等遊民と呼ばれる人達がいたし、良寛さんにせよ一休さんにせよニートとたいして違わない。音楽や演劇、文学などなど、全く生産性に寄与しない人達は古今東西絶えることはない。

親の世代が住宅ローンを支払って経済的負担なしに住むところがあり、経済成長のおかげで公共施設も充実している(だから図書館で本が借りられる)というのは、現代の若い世代の特典といっていいことで、変な上昇志向さえなければ、働かなくても食べていける時代なのだ。(だから妹は、「地球温暖化で家が水面下に沈んだら、働かなければならない」と思っている)

携帯もスマホもないからテレビとゲームで楽しみ、父親のパソコンで検索をし、数少ないながら友人ともご近所とも付き合っているというのは、カネ儲けばかりに関心があって24時間働いているよりずっと人間的といえなくもない。そして、そうした親・兄弟・友人・ご近所といった実体ネットワークが生きていれば、人生そう悲惨なことにはならないということなのかもしれない。

ネットもパソコン通信の時代にはもっと血の通ったものだったのに、いまではメアド交換禁止・オフ会禁止がネット社会のルールのようだ。いつからこうなったのかよく分からないが、そうしたルールができた瞬間に、「世の中になくても構わないもの」に位置づけられてしまったとしたら、パソ通で多くの友人関係を築いてきた自分にとってちょっと悲しい。

ともあれ、千円札や梅ガムを見つけて大喜びしたり、みかんやサクマドロップ、オムライスを食べていれば大満足な女の子は、現実社会にはいないんだろうと思う。その意味でも、作者が意図しているかどうかはともかく、ユートピアを描いたということになるだろう。(倉敷誘拐犯も、もしかするとこの世界が理想だったのかもしれない)


WEBマガジン「くらげバンチ」連載中。「祝祝土日土日日」だそうです(w。なぜかとても楽しそうなニート兄妹。もしかしたら、みんながみんな働かなくてもいいのかもしれない。

[Oct 6, 2014]


吉田戦車「いじめてくん」

ベガスカップでSaitohさんが優勝したので、吉田戦車を紹介したくなった。だったら「伝染るんです」にしろよと言われそうだし(斉藤さんは「伝染るんです」のキャラクター)、確かにかわうそとか出てきておもしろいのだけれど、私がお奨めするのはむしろ「いじめてくん」の方である。

いじめてくんは爆弾である。もともと「戦え!軍人くん」という作品に出ていたのだが、後になって独立した作品になった。見る人の「いじめごころ」を刺激するよう計算されて作られたいじめてくんは、いじめられると文字通り爆弾となって爆発するのである。爆発すれば粉々に砕けてしまうはずなのだが、なぜかいじめてくんだけは元通りに戻ってしまう。

いじめるといっても、精神的ないじめ(キックボクサーの亡霊はこわい顔を見せていじめた)では爆発しない。肉体的ないじめにしか反応しないのだ。「軍人くん」のシリーズでは同じような爆弾がいろいろあって、それぞれ敵国に侵入させることによりダメージを与えようという目的で作られたものである(例えば少女爆弾とかふんどしくんとか、親切にすると爆発する老人爆弾とか)。続くいじめてくんのシリーズでは、いじめてくんだけの活躍話になっている。

例えば、亀をいじめているいじめっ子に「いじめるのはやめなよ」と言って止めに入ったいじめてくんは、いじめっ子のいじめごころを刺激して、「こいつの方がおもしれーや」といじめられてしまう。そこで爆弾となって爆発し、いじめっ子は粉々になってしまうのだが、それを見ていた亀に「俺のいじめっ子返せよ~」と言われてしまうなどという逆説的な話もある。

この作品が発表された頃にはいじめの問題があって、作者自身ちょっと悩んだと書かれているが、このネーミングは秀逸だし、いじめてくんも好きで爆発している訳ではない。「いじめたり、いじめられたりするのはやめようよ」というメッセージが何となく伝わってくるところが、この作品のいいところではないだろうか。

吉田戦車はご存知のように今でも活躍中で、特に「日刊イトイ新聞」のエハイクは無料で公開されているので、ぜひご覧いただきたいと思う。絵は昔から、ほとんど全く成長しておらず、その意味では古い作品も新しい作品も区別がつかない。


平成に入ってからの本なので表紙だけ。「ぼうづのさとり」かなり好きです。

[Mar 30, 2006]


和田慎二「スケバン刑事」

念のためだが、「スケバンけいじ」ではなく「スケバンデカ」と読む。1970年代後半の「花とゆめ」連載。

実はこの作品、連載時にはあまり好きではなかった。ちなみに、同時期の花とゆめ連載には「ガラスの仮面」もあるのだが、これもあまり好きではない。当時としても、10年ほどは絵が古かったからである。個人的には三原順の「はみだしっ子シリーズ」(キャロママさんご推薦)や山岸涼子の「アラベスク第二部」「妖精王」を読むために買っていたようなものである。

死刑囚の母親の執行を延期するために警察の手先となる麻宮サキ。当時スケバンの定番だった長いスカートで鋼鉄製のヨーヨー(桜の代紋入りである)を手に、陰謀渦巻く学園に単騎乗り込んでいくというアクション作品。作者も男性だが、作品自体も少女マンガとはほど遠い。続編では女子少年院に侵入し、そこから脱出するというくだりがあり、回転する巨大なゴミシュレッダーの刃をくぐり抜けていくあたりは、なかなかの迫力である。

しかし、彼女のボスは暗闇警視というのだが、警視というくらいだから警視庁か県警の中間管理職。それが、法務大臣並みに死刑執行の延期までできるというのだから、現実離れしている。ましてや、相棒の神恭一郎は探偵である。せめて検察関係者がいないと、話が破綻してやしないか?車が向かってきても爆発が起こってもケガひとつしないのはご愛嬌としても、そもそも絵がかわいくないのは許せないところであった。

その原作のイメージを受け継いでドラマ化したのがフジテレビであり、初代麻宮サキは斉藤由貴であった。だが、原作に比較的忠実だったのはここまでで、2作目が南野陽子の「鉄仮面」、3作目が(浅香)唯、(中村)由真、(大西)結花の「3姉妹」で、新作が発表されるたびに原作とはかけ離れていくのは、それはそれなりにおもしろい(原作者の和田慎二が怒ってそれ以降の映像化をさせなかったという噂がある)。

今回、どうやらあややで再び映像化されるらしい。原作の麻宮サキのイメージ(なんたって母親が死刑囚である。しかもほとんど同情の余地がない)からするとどうにもイメージに合わないが、ああいうキャラクター自体、東京オリンピックとかそのあたり(なにしろ原作の最初の作品が、東京タワー建設前の風景画を盗用したのを見抜くというものである)のイメージなので、誰がやってもそぐわないような気がする。


テレビドラマ化で一気に人気が出た作品。原作のイメージに近いのは、やっぱり斉藤由貴かなあ。

[Apr 12, 2006]

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