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百甕とジャッキーステーキハウス [Jun 21, 2008]

さて、今回の出張は沖縄。ゆいレール(沖縄都市モノレール)ができてからは初めての那覇です。

お仕事が終わって、夜はやっぱり国際通り。どこまでも土産物屋や飲食店が続くこの通りの中ほどにある、琉球居酒屋料理「百甕(ももがーみ)」に入る。名前からすると、泡盛やビールを造っている酒屋さんがやっているお店のようである。

豆腐よう、フーチャンプルー、島ラッキョウの天ぷらなどを注文。最初は地ビールをジョッキで頼んでいたが、豆腐ように合うのはやはり泡盛である。3種類の古酒(3年、5年、無ろ過)飲み比べセットを追加。うーん、おいしい。最近の泡盛は、本当に飲みやすくなった。

沖縄の夜が更けるのは早い。というのは、日が暮れるのが遅いからである。この時期だと、日の入りは7時半近くになるので、それから飲み始めるとあっという間に10時11時である。ところが夜が明けるのも早いのだ。

さて、翌日の昼には、有名な「ジャッキー・ステーキ・ハウス」へ行く。昔とは場所が違うらしいが、現在は、ゆいレールの旭橋駅から5、6分歩いたところにある。返還前から、米軍のランクAに指定された老舗であり、この日も観光タクシーやマイクロバスが止まっていて駐車場も店内も満杯である。

1900円のテンダーロインステーキ(M)を頼むと、ライス、スープ、サラダ、食後のアイスティーがつく。なぜMサイズかというと、この後ソーキそばを食べなければならなかったからである(30分後に空港で食べた)。

Mサイズとはいえ200gのお肉。和牛でこの値段だと普通はえらく固い肉になってしまうのだが、ここのお肉は柔らかくてボリュームたっぷりである。ちょっとテニアンビーフに似ている。付け合せはシンプルにポテトとタマネギであった。

ちなみに、なぜジャッキーという店名なのかというと(英語表記はJack'sである)、店の前に自動車がジャッキアップされている写真(ポスター)が張ってあって、「力がつきます、ジャッキー」ということのようだ。やっぱり沖縄は、不思議である。

[Jun 21, 2008]

古酒3種飲み比べセットと、おつまみは海ぶどう。


ジャッキーステーキハウス入口。横に貼ってあるのが「力がつきます、ジャッキー」ポスター。

那覇空港で泡盛 [Aug 3, 2009]

先週は再び沖縄。6月以上の炎天下、大汗をかいてダウン寸前となりモノレールに座ったら、もう終点の那覇空港まで外に出たくなくなった。予定では国際通りを歩いて泡盛を探すつもりだったのである。

Makkooさんのアドバイスで、今回は地元のスーパー、サンエーに寄って島らっきょうや調味料を仕入れてあり、あとは泡盛。空港の泡盛売り場は、種類も少ないし価格もやや高いので市内を回るつもりだったが、ともかく冷房のないところをこれ以上歩きたくなかった。全くだらしない。

回ってみたが、やはり興味を引くものはなかなか見つからない。あきらめかけたところで、こじんまりした売り場によさそうな瓶が置いてある。どうやら試飲もさせてくれるようだ。売り場のおばさんが薦める銘柄を後回しにして、気になる瓶、「名水十年古酒」を飲ませてもらう。

思ったとおり、なかなかの味わいである。口に含んだとたん、泡盛独特の香りが広がる。最近の泡盛は、まるで甲類焼酎のように洗練されたさっぱりしたものが多いが、これは昔の泡盛の味である。気持ちがよくなって、本当に珍しいことだが売り場のおばさんに話しかけてしまう。

「これは、どちらの蔵元ですか?」
「はい。ヘリオス酒造さんと申しまして、名護ですから、那覇市の南になります。」
「?」

私の知っている名護は那覇からずっと北なのだが、南風原(はえばる)と同じように、いろいろなところにある地名なのかもしれないので、黙っていた。その後おばさん推奨のものを試飲したけれど、やっぱり甲類焼酎のようだった。さきほどの銘柄を一本買うことにすると、おばさんいわく、

「こちらは保存用にして、もう一本(おばさん銘柄を)いかがですか?」

さすがにこれは黙っていられなかった。

「泡盛は瓶じゃ熟成しないから、飲まなきゃしょうがないでしょう」
「いいえ。私の家では、いいものは保存用にして、いつも飲むものは別に置いてますよ」

まあ、人それぞれ、酒の飲み方くらい好きにすればいいと思うが、泡盛はワインと違って、瓶で保存するだけでは熟成しない。ワインは長く置いておくとビンテージワインになるけれど、泡盛はそのままでは古酒にはならないのである。

泡盛の古酒は、例えて言えばうなぎやの秘伝のたれとか伊豆七島のくさや汁と同様、まず親酒があって、この親酒が長期間の貯蔵で蒸発したりごくたまに使用して目減りした分を、二番酒・三番酒といった別の酒で注ぎ足しをすることによって、熟成するものなのである。(最近はそうでないのかもしれないが、もともとそのはずである)

だから、戦前にはあったという二百年物、三百年物の古酒というのは、そのすべてが二百年三百年その甕の中に入っていたというのではなく、もともとの親酒が二百年、三百年昔からあって、そこに代々注ぎ足しをして現在に至っているのである(とはいえ、いきなり新酒を混ぜたりすると全部だめになってしまうので、それなりのグレードのものを足す)。

いずれにしても、保存するなら甕とか貯蔵タンクであり、ワインと違って、すでに瓶詰めしたものを何十年置いたものに価値がある訳ではない。もし、本当に自分で古酒を熟成しようとするならば、親酒・二番酒・三番酒以下、何升入りの甕をいくつも用意しなければならないだろう。

そういった泡盛の歴史について語ってくれるおばさんであればよかったのだが、若干興ざめした思いで搭乗口へと向かった。ちなみに、帰ってからヘリオス酒造の場所を調べたらやっぱり沖縄北部の名護市で、そのことも考えるとどうやらあのおばさんは、7:3の確率で、本土からの移住者か夏の間のアルバイトなのではないか、と疑っている。

[Aug 3, 2009]

今回の部屋飲み。正面から時計回りに、ゴーヤチャンプル弁当、フーチャンプル、かにかまてんぷら、魚のから揚げ、茄子のみそ炒め、春雨サラダ。食べ物だけだと1000円くらい。

泡盛仕入れの旅 [Jan 25, 2010]

今回の沖縄では、泡盛古酒をたくさん仕入れた。宅配で頼んでいたものも無事届き、いま家の床下貯蔵庫はワインと泡盛で満杯である。とってもうれしい。

最初に訪問したのは、糸満市にある比嘉酒造「泡盛まさひろギャラリー」。比嘉酒造は明治創業の老舗で、琉球王国の料理長が開いた酒造所である。「まさひろ」はここで出している泡盛で、私のお気に入り銘柄の一つ。また、こちらのHPは私が泡盛を勉強するのに非常に参考とさせていただいている。

海岸沿いの工業団地にあるはずなのだが、なかなか道が分からない。電話して場所を教えていただき、着いたのが閉館20分前。ここには、返還前からの古い泡盛が多数展示されている。物資のない時代に作られた、ビールやウィスキー瓶を再利用した泡盛の多くは、長い年月の間に開栓しないのに中身がかなり蒸発して減っている。

こちらで仕入れたのは、「10年古酒・五頭馬」「5年古酒・まさひろ甕貯蔵」「古酒まさひろゴールド」の3本。3本セットで割引+宅配料無料サービスだったので、思わずまとめ買いしてしまったのであった。

次に訪れたのは国際通りの「古酒家(くーすや)」。地下の酒蔵で試飲させてもらい、新しい銘柄を発掘しようというものである。「できるだけ昔ながらの泡盛」をお願いした中から、石垣島にある池原酒造所の「白百合古酒・43度」と、甕貯蔵にこだわる石川酒造場の「甕仕込・5年43度」を仕入れる。いずれも、最近の泡盛では珍しく独特の匂いがある古酒であった。

最後は、名護市にあるヘリオス酒造。ここは、以前書いた国際通りの「百甕(ももがーみ)」の親会社で、那覇空港で買った泡盛「名水十年古酒」の蔵元でもある。今回も百甕で古酒をいただきながら島唄ライブを楽しんだ際、お店で工場の地図をもらったのである。沖縄道の終点、許田インターを出てすぐ、細い道をしばらく入っていったところにある。

樽が一杯の貯蔵庫(二の蔵)の中を見せていただく。入ったとたん、麹の匂いが一杯である。十数メートル上まで詰まれた千数百の樽を管理し、ブレンドしている責任者は一人だそうで、その方がヘリオスの泡盛の全責任を負っていることになる。貯蔵やブレンドの仕方は企業秘密だそうだ。

敷地の奥にある一の蔵は終戦直後から建っているような古色蒼然たるたたずまいであるが、実際には築20年ほどで、泡盛製造に使用する黒麹菌の作用によりそうなってしまったとのことである。

こちらでは、「平成12年限定古酒・甕原酒」と「古酒クース・43度」を仕入れて、奥さんの買った「黒麹もろみ酢」と一緒に宅配してもらった(6000円以上送料サービス)。全部で7本の古酒、一度に飲まないようにして、少なくとも今年一年は持たせたいものである。

勢ぞろいの古酒たち。左から、古酒クース、甕原酒9年、甕仕込5年、まさひろ5年、白百合、まさひろゴールド、五頭馬10年。


名護市・ヘリオス酒造の工場(右)と貯蔵庫・一の蔵(左)。一の蔵が黒ずんでいるのは、黒麹菌によるものだそうである。


沖縄には基本的に、「あ・い・う」の三母音しかない。だから「ハイサイおじさん」の歌詞でも、「夕びぬ三合瓶ぐわ、ぬくとんなー」である。「夕べ」はyuu-bi、「の」はnu、「残る」はnukuruとなる。「夕べの三合瓶は、少し残ってますか?」という意味である。

さて、本土では日本酒でも焼酎でも、一升瓶の下は四合瓶であり、三合瓶というのはあまり見たことがない。しかし泡盛の場合、歌に出てくるように三合瓶はポピュラーである。なぜ三合瓶なのか、その謎が先だって解説した「まさひろギャラリー」で解けた。米軍統治時代、物資が足りなかったため払い下げのビール瓶を使用したことにその起源があったのだった。

資料によると、琉球王朝で泡盛の製造が始まったのは15~16世紀、中国で清の時代に入った頃である。当時は王朝で認めた蔵元だけが泡盛の製造を行っており、製造・貯蔵の容器は基本的に甕(かめ)であった。そして飲む際には、カラカラ、チュウカーといった酒器に小分けして使用したのである。

そして流通する際には量り売りであって、瓶詰めにされて売られるというのは比較的最近になってからのことである。これは本土もほぼ事情は同じであり、昭和のはじめくらいまでは日本酒も酒屋での量り売りが多かったらしい。

瓶詰めでの流通が主流となったのは戦後のことであり、その時は物資が十分ではなかった。やむなく米軍払い下げのウィスキーやビールの空き瓶を使い、そこにラベルを貼って流通させた。特にビール瓶は本数が多かったので、これがポピュラーになった。ビール瓶の容量は633cc、ここに600ccの泡盛を詰めたのが、三合瓶ということである。

だから、三合は本当なら540ccで、四合瓶になると(本土に流通するようになってから、四合瓶も多くなった)ちゃんと720ccであるにもかかわらず、また今ではビール瓶の再利用ではなくちゃんと自前で泡盛用の瓶を作っているにもかかわらず、600ccの三合瓶は現在でも泡盛のスタンダードなのである。

そんなわけで、三合瓶10本のセットを仕入れた。帰ってきてからいろいろ調べたところ、八重山諸島の泡盛は小規模な蔵元が手作りで製造している特色あるもので、先日那覇市内で仕入れてきた「白百合」(石垣島・池原酒造所)もなかなか良かったので、思い切って10本セットを取り寄せたものである。これで、床下貯蔵庫は他のものが入る余裕がなくなってしまった。

[Jan 25, 2010]

そういう訳で、三合瓶10本。中央の「泡波」「宮の鶴」は品薄だそうです。

チーイリチャー [Feb 10, 2010]

今回の沖縄ではレンタカーを使ったので(もともと、バスで移動しようというのが無謀という話である)、目についたところに気軽に寄ることができる。3日目に今帰仁城(なきじん・ぐすく)、海洋博記念公園に行った帰り、名護市の農産物直売所「やんばる市場」に寄ってみた。

ここは現地のJA(農協)が経営しているマーケットで、こちらで生産した野菜だけでなく、加工食品や乾物、惣菜などの一般食品や、お菓子も売っている。現地で買うと爆発的に安い島らっきょうを買うつもりだったのだが、中は結構広くて、見て回る間にいろいろ買いたくなってしまった。

特に、海ぶどうやジーマミー豆腐、ジューシー(沖縄風まぜごはん)、野菜の炊き合わせ、天ぷら盛り合わせなどがすごく安いので(150~300円くらい)、これを買って帰って夕ごはんにすることにした。泡盛の蔵元を回ったときにもらったミニボトルもあるし、初日に仕入れたオリオンビールもまだ残っている。おいしそうだし、わざわざ外に食べに行くより安上がりである。

さて、お惣菜を選んでいるときに、興味を引かれるものがあった。見た目には、レバーと野菜を炊き込んでいる料理で、ミミガーらしきものも入っている。ひき肉も入っていて、醤油か何かで味付けしているのだろうか。結構な量があるのに、値段は150円である。品名を見ると「チーイリチャー」と書いてある。

沖縄の飲み屋には何回も行ったけれど、これは知らない名前である。名前が付いている以上はオーソドックスな料理なのであろう。ひょっとして変わった原料なのかもしれないが、私のこれまでの経験では豆腐ようもイラブーも大丈夫だった。まあ、豚のレバー、内臓、耳足系であろうと思い、とにかく夕ごはんのおかずとして並ぶこととなった。

さて、泡盛のつまみに食べてみる。妙な匂いがする。ちょっと生臭いように思われる。もしかすると、モツとレバーだけの味付けなのかな、と思うくらいである。がんばって食べたのだけれど、結局半分ほど残してしまった。

後から調べてみると、この料理、文字通り豚の「血」で「炒った」料理なのだそうである。どうりで、生臭いはずである。われわれの口にはなかなかなじまないものなのだが、調べたところによると、沖縄では、正月料理にも並ぶほどのポピュラーな料理だということである。沖縄はまだまだ奥が深いのであった。

[Feb 10, 2010]

名護市のJA農産物直売所「やんばる市場」。農産物はもちろん、お惣菜は多彩です。

沖縄そば「田舎」 [Feb 2, 2011]

沖縄に行って食べなければならないものの一つが沖縄そばであることは言を待たないところであろう。

そばといっても、沖縄では「そば」は生産されない。小麦粉で作られるから本当は沖縄うどんというのが正しいのかもしれない。もっともラーメンを「中華そば」というくらいだから、それはそれでいいのかもしれない。また、ソーキ(軟骨付きの豚バラ肉)が入れば当然ソーキそばになる。さらにいえば沖縄では「お」段は通常発音されないので、「そば」ではなくて「すば」である。

長寿マンガ「クッキング・パパ」の連載開始当時(つまり二十年以上前)、沖縄編があった。その中で、「国際通りの店は観光客に合わせて味を変えているので、本来の味ではない」というようなことが書いてあって、それが非常に印象深かった。考えてみればその土地ごとに味覚には違いがあるのは当然で、東京と大阪だって昔は味付けが違ったものである。

その後、初めて沖縄に行ったのは十数年前のことである。刺身も全然違うし、イラブー料理も食べるのには勇気が要った。足てびちは未だに苦手である。ところが、ソーキそばだけは、最初からあまり違和感なく食べられた。ソーキの軟骨は最初食べるところではないと思っていたのだけれど(今では食べられます)、そばつゆの味付け自体に違和感がなかったからである。

ところが今回の沖縄では、もともとの沖縄そばの味ではないかと思われる店に出会った。場所は牧志公設市場の奥。市場の奥の方に行くと入り組んだ建物が上でつながっていて、まるで香港かマカオの旧市街にいるような錯覚さえ感じる。その中に沖縄そば店「田舎」(いなか)はあるのだった。

「ガレッジセール」(当然、沖縄出身である)がどこかの番組で紹介したらしく、店の前にそんなことが書いてある。ただ、この日は公設市場の休業日のせいか、結構すいていて先客は一組だけ。カウンターに腰掛けてソーキそばを注文する。なんと350円。那覇では最も安いと書いてある。確かに、空港の半分以下の値段である。

注文するとほどなく、ソーキそばが出てくる。駅そば並みの速さである(沖縄には駅そばはない)。まず、何も入れずにだしを味わってみる。濃厚な豚のスープ、他店の味とはちょっと違う。

空港の4階をはじめ、観光客が行くような沖縄そばの店では、ほぼ例外なくめんつゆはかつおと豚のブレンドだしである。チャンプルーもかつおだしで味付けしているところが多い。ところが、田舎のそばつゆは豚だけでとったスープのようである。だから、紅しょうがとコーレーグス(唐辛子の泡盛漬け)を入れると一味も二味も違う。

これまで食べた沖縄そばは、コーレーグスを入れる意味が今ひとつ分からなかった。入れなくても十分においしく感じるからである。しかしかつおだしの味がないと、コーレーグスを入れるのと入れないのとでは全然違うのである。これは、新たな発見であった。

もしかすると、もともとの沖縄そばの味とは、ソーキを茹でたスープをだしにして、麺もラードをからめた、もっと豚の味が濃厚なものだったのかもしれない。だから紅しょうがとかコーレーグスで酸味・辛味を加えることによってアクセントをつけたのではないだろうか。

かつおだしをブレンドしたのは、本土からの観光客の味覚に合わせたのが、そもそもの始まりだったのかもしれない。そんなことを考えながら、「田舎」のソーキそばを味わった。コーレーグスの辛味で、1月だというのに汗が噴き出してきた。

[Feb 2, 2011]

牧志公設市場の奥にある沖縄そば「田舎」。店の前で考えていたら近くにいたおばさんに「おいしいですよ」と奨められた。


「田舎」のソーキそば。豚のスープが濃厚です。紅しょうがは自分で入れました。コーレーグスを入れるとおいしい。

アワセそば食堂 [Mar 31,2015]

今回の沖縄でぜひ行ってみたいと思っていたのが、アワセそば食堂であった。わが家では数年来沖縄そばを常備していて、汁そばにも焼きそばにも使っている。茹でた沖縄そばと野菜を沖縄だしで味付けした沖縄焼きそばは、tagaman達との沖縄遠征の際にご馳走になってからやみつきになった。今回の遠征でも、乾麺とそばだしを忘れずに補給したのである。

そして、乾麺の中でメインとなっているのが、アワセそばなのである。沖縄では多くのスーパーで手に入るし、本州でも沖縄食材の店で取り扱っているところが多い。このアワセそばがやっているそば店があるということだから、ぜひ一度行ってみようと思ったのでありました。

さて、その店はコザ(沖縄市)と勝連(うるま市)の中間あたりにあって、あたりには「△△銀行泡瀬支店」や「△△スーパー泡瀬店」があるので、アワセそばのアワセとは、泡瀬という地名なのだということが分かった。そして、このすぐ近くに、以前仕事で来たことのある比屋根(ひやごん、と読む)があったので驚いた。その時は全くアワセそばなんて知らなかった。

(ちなみに、私が沖縄に来た最初の3回くらいは、すべて仕事である。最初の1回などは、なんと羽田から日帰りであった。その最初の回に行ったのも、今回の旅で訪問した浦添ようどれの近くだったので、今回の沖縄は以前仕事で行ったところの再訪問みたいになってしまった)

さて、お昼を少し過ぎて1時頃、国道から海側に曲がってカーナビの示す方向へ向かう。通りの左側にアワセそばの製麺工場がある。そして右側に店舗が見えるのだが、20台以上入りそうな駐車場がこの時間にもかかわらず満杯なのである。アワセそば食堂は予想していた以上にはやっているお店のようである。もっとも平日の昼間だから、地元の人が来る時間に違いない。

せっかくだからあたりを一回りする。十年近く前に来た時と比べて、住宅が増えて空き地が減っている。10分ほど流してもう一度店の前に来ると、幸いに2台ほど空きがある。さっそく車を駐めて、店に入る。間口が狭いのに店の中が広いのは、冷房効率を考えているからだろうか。十いくつかのテーブルがあり、座敷席もいくつか見えた。

厨房の横では生麺も販売しているが、さすがに持って帰れない。私は三枚肉そばとジューシイ、奥さんはゴーヤチャンプルー定食を注文する。テーブルごとに大きなコーレーグースの瓶と紅ショウガが置いてあるのはそれらしい。お水とお茶を両方持ってきてくれる。お茶碗には「アワセそば」と書いてある。

メニューは盛りだくさんで、てびちそば、そーきそば、三枚肉そば、沖縄そばと揃っており、サイズのL、M、Sと平麺・丸麺を選ぶことができる。そば類の他にチャンプルーなどの定食もあって、それにはご飯と小サイズのそばがつく。
 
沖縄に着いてから空港でそーきそばを食べていたので、今回の遠征では2度目の沖縄そばだったのだけれど、だしの味は空港が濃いかつおだしで本土観光客向けのスープだったのに対し、こちらは昔ながらの沖縄の味に近いようである。もっとも、以前市場の奥で食べた「市内でいちばん安い沖縄そば」のいかにも豚っぽいスープほどではない。

こちらの昔ながらのだしには、コーレーグースと紅ショウガがよく合う。書いているいまになって思うと、せっかくだからそーきそばにすればよかった。あの軟骨の歯触りは、一度食べるとクセになるのである。

[Mar 31,2015]

アワセそば食堂入口。中には十数テーブルと座敷があって、かなり広い。通りの反対側に製麺工場がある。


三枚肉そばの中とジューシーをお願いした。他に、てびちそば、ソーキそばなどメニュー多数。


那覇市内 もぅあしびー [Mar 9,2016]

沖縄に行った際に飲む店としては、長らく「百甕(ももがーみ)」をひいきにしてきた。名護の蔵元であるヘリオス酒造の直営店で、おいしい古酒を飲ませてくれる店だったからである。

ところが、通うたびに酒も料理も水準が下がってしまい、前回行った際には沖縄バンドによるライブすらなくなってしまった。それで勘定が安いならば文句は言わないけれど、そこそこの値段を取る店なのである。コストパフォーマンスが非常によくないということである。そこで、1月の沖縄出張では違う店を探してみることにした。

私の基準としては、値段の高い安いよりも酒の良しあしが重要である。モノレールから歩いて行けるところを主眼にWEBをいろいろ見てみると、「もぅあしびー」というお店に目が止まった。県内の泡盛が何十種類も置いてあって、カウンター席があるというから一人でも大丈夫、場所はモノレール沿いで県庁前と美栄橋の間だから、ホテルから歩いて行ける。

せっかくなので国際通りをひやかしてみる。相変わらず、日本語でも琉球語でもない言葉が行き交っている。「海人」に入ってTシャツを買う。XLでサイズがどうか心配なのだが、それより上はデザインが限られる。「アメリカンサイズのXLなので、大丈夫だと思いますよ」という店員さんの意見もあったので、1枚購入。3000円以下だったので安いなと思ったていたら、生地が少々薄かった。

さて、国際通りを直進していたら牧志の先までモノレールと合流しないので、適当な太い通りを左折する。通りの左右は住宅とマンションである。東京だと厚手のコートが必要だが、那覇ではワイシャツ1枚で歩いても平気である(さすがにちょっと涼しいが)。

5分ほど歩くとモノレールが見えてきた。モノレールの下は川で橋がかかっているが、その橋まで来ると、すぐ右手に明るくなっているのが「もぅあしびー」である。探すまでもなく見つかった。

店の中はけっこう広い。一人というと、カウンターに案内された。テーブル席には何組か先客がいたけれども、みなさんおとなしく話していて静かである。沖縄の飲み屋というと席の間隔が狭くみんな大声で話をしている雰囲気があるのだが、こちらの店は比較的人口密度が低い。そして、カウンターの椅子には柔らかなクッションが置かれていて、すわり心地が大変よろしい。

とりあえずオリオン生ビールと、豆腐よう、島ラッキョウの天ぷらをオーダー。カウンターの前では、WEBに写真の載っているおばさんが鍋をふるって、チャンプルーやイリチー、天ぷらを作っている。やがて生ビールが到着。突き出しはゆし豆腐のスープである。まずビールをいただく。歩いて来たのでとてもおいしい。

さて、本命の泡盛である。昔ながらのくさい泡盛が飲みたいので、石垣島のを探す。おお、何種類もある。ただ、古酒となると1合あたり1000円以上するので、白百合のレギュラーをストレートでお願いする。

豆腐ようを薄く切って、白百合ストレートをいただく。はるばる沖縄まで来たと感じるひとときである。チェイサー代わりにオリオンビールを飲み、島ラッキョウの天ぷらを塩で齧る。やっぱり、沖縄に来たら飲まなきゃなー。

白百合を2杯の後は、請福をお願いし、つまみも海ぶどうとフーチャンプルーを追加。料理は言うことなし。すわり心地のいいカウンター席で、鍋をふるうおばさんの作ったフーチャンプルーで飲んでいたら、特に話をした訳でもないけれどなごやかな気分になった。

ちなみに、「もぅあしびー」とは「毛遊び」と書き、沖縄でいうところの合コンのことである。「毛(もぅ)」とは原野、原っぱのことで、若い男女が原っぱに集まり、歌や踊りで盛り上がった琉球王国時代からの風習だそうである。琉球民謡の多くは、「もぅあしびー」によって伝承されてきたということである。

[Mar 9,2016]

国際通りから少し離れ、モノレール沿いに「島人酒場 もぅあしびー」はある。


とりあえずお願いしたのは、豆腐よう、島らっきょうのてんぷらにオリオン生ビール。この後、品揃え豊富な泡盛でいい気持ちになりました。

ハイサイおじさん解題 夕びぬ三合瓶再考 [Oct 12,2021]

この間風呂に入っている時に、ふと思いついたことがあった。そんなの当り前じゃないかと言われるかもしれないが、忘れるといけないので書いておくことにした。

「ハイサイおじさん」という歌についてである。志村けんがカバーして流行った曲なので知っている人は多いと思うが、昔のことなのでジャスラックにひっかからない程度に引用すると、こんな歌詞である。喜納昌吉(きな・しょうきち)が作った曲だ。

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やあ、おじさん。夕べ飲んでた三合瓶はまだ余ってますか。
余ってたら私にくれませんか。

おいおい小僧、おい小僧。三合瓶が余ってるかなどと人をなめたようなことを言うな。
とっとと去れ、この小僧。

これは失礼しました。
三合瓶で足りないのなら、一升瓶をいただけませんか、ねぇ、おじさん。
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この最後のところ、三合瓶で足りないのなら(三合瓶し不足なやみせーら、一升瓶我に呉みせーみ)は、単に言葉の遊びで、三合瓶より大きな一升瓶くれてもいいよという意味だと長いこと思っていた。

でも、実はそうじゃなくて、その前段が「俺が三合くらい飲みきれないと思ってるのか、なめるな小僧」という意味だとしたら、それに答えて「三合じゃ足りなくてさらに一升瓶飲んだんでしょう、その余ってる一升瓶をくれませんか」という意味なんじゃないかと風呂で思ったのである。

泡盛3合瓶の度数はだいたい30度で、日本酒よりもかなり高い。3合瓶を一晩で空けたら日本酒6~7合だからかなりの大酒呑みである。

ちなみに、古酒だと35度前後が普通なのでさらに高いが、この曲の作られた1970年代には一般的でない。当時、古酒は仕次ぎという方法で作られ、五勺とか一合の容器から盃にわずかに注ぎ、なめるように味わったらしい。

さらに一升瓶となると、日本酒にしたら2升以上になるから、さすがに普通はそこまで呑みきれない。だからその余ってる一升瓶をくださいということなんじゃないか。

だから、小僧の「三合瓶で足りないんだったら・・・」というのは、「さらに一升瓶に手を付けたんだろうけど、そんなには飲めないでしょ、ねぇおじさん」という意味で、言外に、そんなに飲んだら体に毒だよというやさしい言葉だったんじゃないだろうか。

Wikipediaによると、この歌の「おじさん」は喜納家の隣に住んでいた実在の人物がモデルで、小僧(童)のモデルは昌吉少年自身という。だとしたら残りの泡盛を飲める訳はないのだが、「残ってる泡盛をくれないか。俺が飲むから」という意味で聞いた方が歌の面白みが増すように思う。2番以下の歌詞で、嫁がほしいとか遊郭に行ったと言っているんで、俺が飲むという理解でいいだろう。

ということで、忘れないうちに書き残しておく。

[Oct 12,2021]

沖縄の泡盛は、一升瓶の次の大きさは3合瓶というのがスタンダード。なぜかというと、物資が乏しかった時代に、米軍払い下げのビール瓶を代用したため。現在では、古酒には内地同様4合瓶が使われているが、一般酒はいまだに3合瓶が主流。

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